プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

坪井猛

2019-04-24 22:17:54 | 日記
1961年

広島カープ入団が決定している。ことしの夏の予選では、速球投手として注目をあびた。だが、これくらいのスピードではプロでは通用しないだろうと、プロから入団の誘いはなかった。坪井も最初は愛知大学進学を志望していた。地元のノンプロから入社の話はあったが、父親が運動具店を営み、家庭も裕福なことから就職を断わった。夏の予選敗退後、中日ドラゴンズのテストを受けたこともある。球団側は「本人の将来を思い、大学へ進めたい」関係者も「プロはまずむりだろう」という見方である。本人も進学の希望は捨てず、愛知大学へ入学の意思を学校に伝えていた。だが、対中日戦で広島カープで来名したとき、某氏が広島カープへ入団のパイプ役をつとめた、投手難にあえぐ広島は、さっそく坪井の実家に足を運び、広島で同選手をテストした。白石広島球団重役は「おもしろいピッチャーだ。仕込めばものになるかもしれない」と、同選手の入団を簡単に決定したもの。名電工高からのプロ入りはこれがはじめて。
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豊村健泰

2019-04-24 21:02:56 | 日記
1962年

近鉄バファローでは九日豊村健泰投手(18)=浪商二年中退=の入団を発表した。同投手は、昨年九月近鉄が日生球場で新人募集をおこなったときの合格者で、恵まれたからだからくり出す速球を武器にしている。右投げ右打ち、1㍍83、75㌔、背番号65。
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石田逸男

2019-04-24 20:56:37 | 日記
1962年

春の東北高校野球大会で活躍した青商野球部のエース石田逸男投手(18)が、プロ野球パ・リーグの西鉄ライオンズに入団することになった。西鉄ライオンズでは九日午前十一時から青森市卸町のコロンバンで宇高渉外部長が出席して記者会見を行ない、青森市松森佃、会社員石田金五郎さんの四男青商野球部三年、石田投手の入団を発表した。同投手は身長184㌢、体重73㌔、右投げ右打ちで、長身からアウトコース低めに投げおろす重い速球が武器。春の県大会で優勝、東北大会の一回戦で春の選抜に出場した宮古高と対戦、延長十八回を投げ抜き、1-1で引き分け、このあと大会で雨でお流れとなり再試合は行なわれなかった。たまたま宮古の佐々木をマークしてこの試合を見にきた西鉄の宇高渉外部長の目にとまったもの。夏の甲子園大会予選では優勝候補の最右翼といわれながら一回戦で伏兵青工1-0で苦杯をなめ甲子園出場はできなかったが、ことしは13勝2敗1分という好成績で九月初めから西鉄入団の話があった。本人はノンプロを希望、東北電電、釜石製鉄などからも話があり、釜石入社が決まりかけていて家族もプロ入りに反対だったが西鉄の強い希望で本人もプロ入りに傾き家族を説得、八日夜自宅で正式契約となったもの。宇高部長は「ことしは外人三人と高校から四人取るが、石田はそのトップだ。対宮古戦の冷静なプレートマナー、アウトローの重い速球が気にいった。上背もあり肩もよく、素質はじゅうぶんだ。あとは本人の努力しだいだが、研修制度があるので明後年が勝負だ」と語っていた。また石田投手は「好きな野球をやるなら一度はプロで自分の力をためしたいと思い西鉄入りを決めた。目標は稲尾投手、早く公式戦で投げられるようがんばる」と決意を語っていた。同選手は、明年一月中旬の自主トレーニングに参加したのち、卒業試験のため一時帰青、二月末か三月初め、再びキャンプに参加するという。
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