1961年
広島カープ入団が決定している。ことしの夏の予選では、速球投手として注目をあびた。だが、これくらいのスピードではプロでは通用しないだろうと、プロから入団の誘いはなかった。坪井も最初は愛知大学進学を志望していた。地元のノンプロから入社の話はあったが、父親が運動具店を営み、家庭も裕福なことから就職を断わった。夏の予選敗退後、中日ドラゴンズのテストを受けたこともある。球団側は「本人の将来を思い、大学へ進めたい」関係者も「プロはまずむりだろう」という見方である。本人も進学の希望は捨てず、愛知大学へ入学の意思を学校に伝えていた。だが、対中日戦で広島カープで来名したとき、某氏が広島カープへ入団のパイプ役をつとめた、投手難にあえぐ広島は、さっそく坪井の実家に足を運び、広島で同選手をテストした。白石広島球団重役は「おもしろいピッチャーだ。仕込めばものになるかもしれない」と、同選手の入団を簡単に決定したもの。名電工高からのプロ入りはこれがはじめて。
広島カープ入団が決定している。ことしの夏の予選では、速球投手として注目をあびた。だが、これくらいのスピードではプロでは通用しないだろうと、プロから入団の誘いはなかった。坪井も最初は愛知大学進学を志望していた。地元のノンプロから入社の話はあったが、父親が運動具店を営み、家庭も裕福なことから就職を断わった。夏の予選敗退後、中日ドラゴンズのテストを受けたこともある。球団側は「本人の将来を思い、大学へ進めたい」関係者も「プロはまずむりだろう」という見方である。本人も進学の希望は捨てず、愛知大学へ入学の意思を学校に伝えていた。だが、対中日戦で広島カープで来名したとき、某氏が広島カープへ入団のパイプ役をつとめた、投手難にあえぐ広島は、さっそく坪井の実家に足を運び、広島で同選手をテストした。白石広島球団重役は「おもしろいピッチャーだ。仕込めばものになるかもしれない」と、同選手の入団を簡単に決定したもの。名電工高からのプロ入りはこれがはじめて。