プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

金森隆浩

2019-04-30 13:32:33 | 日記
1997年

ー金森投手となると、どうしても10・9のあの満塁弾2発が印象深いのですが。

金森 あれねえ。何か分からぬ間に2発打たれて。

ー60年を誇るプロ野球でもなかった新記録・・・。

金森 らしいですが、今にして思えば、かえって打たれてよかったと思っています。

ーと言うと。

金森 ウエスタンで一応、11勝挙げて最多勝を取ったでしょ。真っ直ぐも大学時代の147㌔までは出ないけど、何とか140㌔を超えるまでになってきましたから。二本の満塁被弾がなければ、自分の欠点に気付かないまま、秋のキャンプも過ごしていたと思うんです。

ー打たれて得たものがあったと?

金森 真っ直ぐのキレがないから打たれたわけです。そう思って自分のビデオを見ると、確かに上体が突っ込んだフォームで、これじゃ、キレもないわけです。秋のキャンプは、ですから、一から出直しですよ。体を残せるフォームに改造して。

ー成果のほどは?

金森 また完全というわけにはいきませんが、コーチから球にキレが出たと言われました。春のキャンプでこのフォームをしっかり固めなければ、と思っています。年末は、和歌山の実家(湯浅町)に戻っていたんですけど、春のキャンプに向けて体も肩も休めないんでいたんですよ。

ー打たれて知った課題なんですね。で、そのフォームが固まればMAX147㌔のスピードも取り戻せそうですが。

金森 だと思うんですが、昨年までおかしかった右ヒジの靭帯も今は何ともないから。

ーところで、96年の中日というと門倉、野口に代表されるように、若手の活躍が目立ちました。刺激を受けているんじゃないですか。

金森 ですね。門倉、野口あたりが一軍でバリバリやる前は、正直言って、何か別の世界って感じがあったんです。でも、二人が出てからは違いましたね。いやあ参った、先を越されちゃったって感じですよ。

ーあせり?

金森 というわけじゃないんですが、これはボクもボヤボヤしていられないって広島の山内とは大学時代の全日本で一緒だったんですけど、彼にも会うたびに、早く上がって来いよって言われ続けていて。とにかく一軍に上がらなきゃあダメだってことを、痛感しているとこです。

ーとなると、昨年のウエスタン・リーグの最多勝をバネに今年こそ一軍で、ですね。

金森 最多勝は、ピンときません。気がついたら、たまたま勝っていたっていう試合が多くて、だって、その証拠があの2発なんですから(笑)。でも、今年は何としても一軍に上がりたい。そして、上がったら2度と二軍に落ちたくない。

ーフルシーズン、一軍にいたいということですね。

金森 それしかありません。ですから、課題のフォームをとにかく固めて、オープン戦でしっかり首脳陣にアピールするしかないと思っています。
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金森隆浩

2019-04-30 13:07:22 | 日記
1999年

チームを離れた期間はたったの1年。「よっ、また一緒にやろうぜ」と、尻をポンとたたいてくれた山田洋らの懐かしそうな顔はうれしかったが、金森隆浩は一瞬、見知らぬチームに足を踏み入れた錯覚に陥った。ブルペンで並んで投げた時もしかり。「みんなのレベルがすごく上がった感じで、とにかくびっくりした」無理もない。フロントから、いったん中日の籍を抜いて台湾行きを勧められた一昨年、チームは最下位に終った。チーム防御率4.33が示す通り、投手陣は崩壊寸前だった。ところが、昨年チームは優勝を争った末の2位と生まれ変わり、防御率は3.14。金森が台湾から帰ってみると、顔を見たこともなかった川上、正津らが好調投手陣の主役となっていた。「チームがガラリと変わった感じで・・・だから、今年の契約が決まった時は正直ほっとした」地に足をつけ、もう1年。手にしたチャンスを「何が何でも物にしたい」と金森は言う。「だって今のメンバーで台湾野球を経験したのは自分だけ。台湾での1年はムダではなかったと(首脳陣に)認めてもらなわなければ、向こうで1年やってきた意味がない」台湾で所属した統一ライオンズでは24試合に登板し、3勝2敗の成績を残した。「数字はともかく、言葉が通じない中で、すべて自分一人で調整、練習するしかなかった。やっぱりしんどかった」と振り返る。「でも、何でも自分でやらなきゃいけないという気持ちになったのは、すごく勉強になった。もし台湾に行かなかったら、そんなことに気付かなかったはずですから」だから今年、武者修行の成果を何が何でも出さなければならない。復帰初戦となった秋の沖縄キャンプ、横浜との練習試合では1回を投げ、2安打1失点と成果を見せられないままで終ったが、悔やんでいる暇はない。春のキャンプ、オープン戦で何とか認めてもらい、開幕一軍を手にしなければ、成果発揮のチャンスは遠のく。「キャンプから飛ばさないと」と、年末年始は故郷・和歌山県湯浅町の山道を走りまくった。「今のメンバーの中に割り込むためには、並のことをしていたんじゃダメですから」94年ドラフト1位・金森にいよいよ正念場がやってきた。
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