プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

北川久治

2019-04-06 09:26:40 | 日記
1951年

北川投手が横井捕手を相手にピッチングをはじめると、本田氏は「投球フォームが同じ速度ではだめだ。打者のタイミングをはずすように速度に間を持って投げて見ろ」「ツーステップにならないように」「カーブも直球と同じフォームで投げろ」と熱心にアドバイスを与えると五尺八寸五分の長身から投げおろす北川投手の歯切れのいいスピードボールが横井捕手のミットにおさまる音が気持よく響く「気を抜くな!」「モーションの速度をつめろ」と本田氏にはげまされて一球、一球必死の投球がつづくとさすがの北川投手もヘバって来る、スタンドのファンから「北川ガンバレ」と声援も飛び出す。
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矢野晃

2019-04-06 08:35:24 | 日記
1964年

このチームは投手の矢野が攻守の中心となっている。矢野のピッチングは相手チームの攻撃を2点止りに押えるだけのものを持っているが、コントロールのよいのがその身上である。外角への速球、内角へのシュートと巧みな配合をみせている。曲球はスライダー気味のものを持っているが、ほとんど使っていない。
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土井豊

2019-04-06 07:33:20 | 日記
1955年

対向陽との第一試合で奮戦向陽の九人のサムライたちを牛耳った土井投手の快投ぶりは敗れたりとはいえこの日の圧巻だった。彼の得意の球は真っ向から投げおろす剛速球で、この球はプレート前でおちながらシュートするためそう簡単には打ち込めないという。県下高校の三振奪取王という異名があるように大会前の練習試合では笠田から11、粉河15、橋本16、和商12とそれぞれ大量の三振を奪い、この日の対向陽戦でも17個の三振を奪って満場のファンをうならせた。猛牛のような不適な面だましいで奮戦する彼は那賀郡池田村出身の三年生。純真で野球さえしておれば一日中キゲンがよいといわれるほどで、ユニフォームをつけたまま授業をうけたという話もある。五尺七寸、十八貫という体力に恵まれ、二試合連投にもへこたれないという鉄腕の持ち主の彼を評して、宮崎部長は「バックスが弱いため勝った試合でもしばしばフイにすることがある。まだまだ伸びる素質もあり、将来は大いに楽しめる」といっている。
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