プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

寺本比呂文

2019-04-10 18:49:55 | 日記
1995年

契約金6700万。近畿のノンプロ球界では将来性ある投手と評価されていた。昨年の都市対抗、日本選手権でベンチ入りも豊田(オリックス)がおり出番がなかった。しかし140キロ台の速球とスライダーに見るべきものがあり、中継ぎでいけるか。
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山田喜久夫

2019-04-10 18:45:35 | 日記
1990年

ご存じ甲子園の優勝投手。地元高校球界でのアイドル的存在だ。ドラフト5位指名。一時はその評価に反発したのを見ても、童顔に似合わず激しい闘争心の持ち主だ。172センチの身長を本人は気にも止めない。「マウンドに立って、大きく見られるようなピッチャーになればいいんです」という言葉にも、ちゃんとした裏付けがある。速球、カーブの切れと、コンビネーションで勝負したのは高校時代だ。それに鋭いスライダーもマスターしている。坂口東邦高監督の命令で封印してあったのか、投げなかった理由。そして目下新しい落ちる球を研究中という。小さな大投手になるために、万事抜かりはない。こんな山田に「さすがV投手だ。先発、中継ぎで、すぐにでも第一線で使えそう」と前評判は早くも上々だ。

1991年

東邦高ではセンバツの優勝投手。修羅場を何度もくぐった実績がマウンドで度胸満点のピッチングへつながる。速球とカーブの切れ、コンビネーションで勝負した昨年のピッチングに、ことしはマスターしたシュート、フォークを織り交ぜ、幅を広げていく。昨年8月から一軍に上がって17試合に登板、まずまずのピッチングができたことが大きな自信となってきたようだ。
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高島覚

2019-04-10 18:37:21 | 日記
1990年

社会人出身だけに、投手としてはまとまっている証拠だ。カーブ、スライダー、特にフォークボールは「得意中の得意だ」というだけあって多投する。変化球はなるほど多彩だが、なぜ一軍で通用しないのか?理由はハッキリしている。肝心の速球にいま一つ、打者を圧倒するほどの威力がないからだ。入団3年目。まだ25歳。脂の乗ってくるのはこれからである。下半身をウンと鍛えて、速球に磨きをかけてほしい変化球を生かすも殺すも、速球次第だ。
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