プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高橋幸二

2019-04-12 20:25:44 | 日記
1991年

昨秋の米教育リーグで、頭角を表してきた。同期の鎌仲、辻本には「負けるものか」のファイトをかき立てる。首脳陣もよく心得たもので、帰国後の浜松キャンプでは、この3投手をいつもそろってブルペンで投球練習させていたのが目につく。アメリカみやげの新球SFFを意気込んで投げ込む高橋は、ライバル意識がムキ出しだ。ウォーレン臨時コーチ(ドジャース)はそんな高橋の一球一球を、うなずきながら注目していた。クソ度胸にかけては誰にも負けない。入団して間もなくウ・リーグで初白星を挙げたとき、「これが高校生か」と周囲をビックリさせた。入団発表の席上「早く星野監督になぐられたいデス」と発言して、これまた目をパチクリさせたが、まだ一軍登板は一度もない。それだけに今年は面白いゾ。
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吉田太

2019-04-12 20:14:41 | 日記
1991年

「こいつは拾い物、面白いゾ!」球団関係者の間で、こんなささやきが漏れた。2位指名の矢野とは大の仲よしのサウスポー。腕のしなりがよく、まとまっている。シュート、シンカーの切れもよく、左打者封じにはかなりの威力を発揮するという見方が圧倒的なのだ。「欲をいえば、体重があと5キロぐらいアップすること。そうするとまっすぐにも威力が出てくるはず」といわれるように、体力強化が一軍定着へのカギ。大阪から東北へ野球留学。大学3年の秋には、2度もノーヒット・ノーランを記録するなど、実績もある。どんな形でもいいから、一軍で投げて、優勝に貢献したい」という吉田。中継ぎの左腕が少ないだけに、出番は多そうだ。
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鎌仲政昭

2019-04-12 19:43:35 | 日記
1990年

昨秋教育リーグの視察で渡米した星野監督を驚かせた男ーそれが鎌仲である。レインジャースの1Aチームを相手に先発すると「これがあの鎌仲なのか」と目を見張った。直球一本ヤリで、それ以外の変化球が全く投げれなかった男が、スーッと沈むチェンジアップ、カーブ、それにスライダーまで自在に投げ込んでいるではないか・・・。どちらかといえば、万時か控え目で目立たなかった鎌仲が、闘志をムキ出しにして投げ込んでいる。あまりの変身ぶりを見て、星野監督は一瞬、言葉も出なかったという。入団した一昨年、足を痛めて二軍のゲームにさえほとんど投げなかった。そして昨春、川畑とともにアメリカ留学に旅立ち、シーズンを通じてアメリカ野球の厳しい洗礼を受けたのか、大きく開花しようとしている。野球にはおよそ無縁の神戸高から、素質を見込まれ、ドラフト2位で中日入り。すでに英会話もペラペラで、教育リーグに参加した中日ナインを迎えて通訳まで買って出たほどだ。「心・技・体、それに人間的な成長ぶりには、本当にビックリした」というのは同行した井手二軍担当総務の言葉だ。

1991年

昨年、4月だった。初登板、初完封勝利という離れ技をファームでやってみせた。いよいよ大器の飛躍を期待されたものだ。だが、無念にも指の血行障害というアクシデントに見舞われてしまった。もう、その血行障害もよくなった。リハビリの努力の成果である。技術的には腕の振りがよくなった。もともとボールに力がある。カーブでストライクが取れるようになり、「一軍」へリーチだ。

1995年

ブルペンではボールの威力も抜群。それがゲームになると発揮できない。横手投げに近かったフォームを完全に上手投げに、というフォームの大改造にも乗り出した。立浪と同期入団の8年目。土俵際の底力に期待したい。

1996年

中日を自由契約になり昨年の秋季キャンプでテスト入団。テスト中に上手投げからサイドスローの変則フォームにチャレンジして合格切符を手にした。「すべてをかけてぶつかっていきたい」と雑草魂で一軍に挑戦する。
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