プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

二宮正己

2019-04-27 22:55:19 | 日記
1990年

二宮はプロ入りして、早や6年目。年々、いや日ごろに一軍への距離が近くなっている。それほどまでに安定したピッチングを、ファームでは続けているのだ。身長は180㌢と近頃の若者にしたら特別大きいともいえないが、77㌔のウエートに加え、胸囲が105㌢というガッシリとした身体。そこから投げ込む球は、その重さで相手打者のバットを真っ二つに祈ることもしばしばである。ストレートのスピードは134~137㌔ぐらい。それを内外角にうまくコントロールしている。変化球の方はカーブ、スライダーにシュートがある。武器は外角いっぱいに決まるスライダーで、目下、ファームでは向かうところ敵なしの状態だ。「二宮がマウンドにいると、ベンチでゆっくりと見ていられる。ウチのファームのエースや」福本二軍監督は全幅の信頼をよせているようだ。だが、ここまでの話は、あくまでウエスタン・リーグでのこと。これが一軍に上がってどうかというと「?」がついてしまう。一軍で通用するには、まずストレートにあと4、5㌔のスピードアップにあと4、5㌔のスピードアップをはかること、そしてウイニングショットのスライダーに磨きをかけることだ。いまのままのスライダーなら一軍の巧打者、強打者たちは楽にはじき返してしまう。それともう一つ。落ちる球をマスターすることだ。これができると、ピッチングに幅ができて、いうことなし。一軍でも通用する投手になれると思う。そのあたりは本人もよくわかっていて「今、研究中なんです」という。おそらくフォークボールやSFFボールに取り組み、試行錯誤をくり返しながら悩んでいることだろう。ただ、落ちる球を投げ過ぎて、ヒジや手首に影響が出ないかと心配するあまり、ふんぎりがもうひとつつかないのが実情らしい。しかしそれを自分のものにすることだと心得て頑張ってもらいたい。昨年、一昨年と一軍でのマウンドを6試合経験している。これは大変貴重なことで、二宮のそれから後のピッチングに、大きな影響を及ぼしているのは間違いない。「バットスイングの速さとか、狙い球の読みとかは、さすが一軍です。ファームにはないものを感じました」今春のキャンプも、初めから沖縄・糸満の一軍組に参加していた。これからは、フォームに何かアクセントをつけるから、変化球の切れをプラスするとかして、打者にイヤがられるものを持つこと、とりあえずは、一軍の中継ぎを目指して頑張ってほしい。
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高橋薫

2019-04-27 22:27:18 | 日記
2000年

全日本のメンバーとしてシドニー五輪予選でも登板した即戦力左腕。入団発表で山本監督も先発ローテーション入りを確約。ストレートもいいがカーブ、フォークボールにも切れがある。気合を全面に出したところを見習いたい」とチームの先輩黒木が目標。対戦したい打者はイチロー。
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押尾健一

2019-04-27 21:37:12 | 日記
1990年

千葉でも有数の進学校である成東高の出身。学校創設88年目にして押尾の右腕が甲子園へ導いた。「大学を卒業してからでも遅くないかもしれないが、甲子園よりもプロをめざしていたんだから」と、プロ入りに踏み切った。進学を表明していなければ、もっと上位で指名されたはず。OBの阪神・中村監督や鈴木孝政氏(元中日)からも入団に際して激励を受けた。練習は一度もキツイと思ったことはない。「やればやるだけ、結果として自分の身にはね返ってくるのだから、やりがいがあります」とは、新人ながらプロ意識は満点。それにテレビでよく見たギャオス内藤と合宿で寝食をともにするなんて「やっぱりオレはヤクルトに入ったんだな」打者から背番号が見える野茂(近鉄)ばりの投球フォーム。高校3年生のとき「これの方が投げやすい」と徐々に現在の形に。187㌢の長身から投げおろす速球には威力があるが、下半身の強化はまだまだ不可欠だ。プロ初先発では一軍経験者豊富の西武打線を6回2失点に抑えたが、次の西武戦(8月3日)では外角一辺倒の組み立てを見破られて2回7失点の辛酸を味わった。その8月3日は四球で出した走者をボークやワイルドピッチで得点圏に進めタイムリーを浴びる最悪のパターンが続いた。浅野投手コーチは「打者に対してはいいタマを投げる。クイックモーションや駆けひきを覚えれば、近い将来、一軍に上がれる」と投手難にあえぐチーム期待の本格派だ。高校時代はけん制球もあまりせず、外角に放っておけば打たれなかった。「これからは内角球を見せ球にすることも必要ですね。それと直球に磨きをかけなくては。まっすぐ伸びないのは腕の振りが悪いということですから必然的に変化球のキレも悪くなる」現在、直球のスピードは140㌔に達せず、球種もカーブとシュートぐらい。それでも「まだかわす街を知りたいとは思わないんです。だから直球とカーブだけでグイグイ押す川口さん(広島)の投球には魅力を感じます」と口にするあたり大物を予感させる押尾である。
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宮下陽吾

2019-04-27 08:13:08 | 日記
1962年

先に入団が内定していた日本ビール宮下陽吾投手(栃木商)の発表はきょう二十五日午後零時半から球団事務所で行なわれるが、二十四日午後宮下投手の実父新八郎氏(48)=栃木県上都賀郡西方村で洋品雑貨商を営む=が森重役、砂押コーチからプロ野球の内情を聞いた。
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中山実

2019-04-27 07:48:45 | 日記
1962年

捕手陣のなかでは一番小柄だ。身長1㍍70、体重70㌔。「高校のときはチームでも一、二番だったので、自分では大きいほうと思っていたのですが・・・。しかし小さくても筋金がとおっておればいいんでしょ」体力不足を気力で補おうという中山捕手である。「気性は荒いほうです」とつけ加えた。高校は名門佐賀商で、一年生のときからレギュラーだった。しかも六番を打っていたのだから、そのころからすぐれた素質を持っていたといえよう。「一年生の秋に佐賀県で優勝して九州大会へ出場したのが、ぼくの高校生活ただ一つの思い出です。そのごは佐賀、鹿島、唐津実といった強チームが出てきて、甲子園出場の夢を実現できなかった。一度でいい甲子園へ出たかった」とくやしがる。捕手にコンバートされたのは二年の秋からで、新チーム編成と同時にキャプテンとなった。そんなことから人一倍責任感が強い。ひとくちにいえばしっかり者だ。西鉄に入ってからもそういったしぐさがちょいちょい見うけられる。練習が終わるといつも最後まで残り、野球用具を整理して帰るのが中山だ。「高校でも主将となると気をつかうものですね。しかしいまはまた一年生です。だから一年生らしくやりたいと思います」という。野球をまじめに考える選手である。昭和十八年十月二日生まれ。
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