プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

有光磐明

2019-04-04 19:50:54 | 日記
1962年

阪神タイガースはこのほど中国地区随一の強打者と評判の下関商の四番打者有光磐明(いわあき)外野手=18歳、身長1㍍78、体重75㌔、左投げ左打ち=を獲得に成功した。同選手は恵まれた体格に加え、百㍍12秒前後という快足、遠投も百㍍近く投げるという強肩の持ち主。三年間の通算打率が3割5分強、ホームランも20本近く記録している。有光選手には早くからプロ球団の誘いがあり、阪神のほかに地元西鉄、大洋、それに中日、東映、近鉄らの六球団が激しい争奪戦をみせたが、本人の意思が終始阪神入り。契約は同選手の卒業を待って行なわれる。

有光選手の話 プロ球団の方に私は会わず両親が交渉してくれたが、阪神、大洋、西鉄、中日、東映、近鉄の六球団だった。その中で阪神を選んだのはチーム・カラーが地味だし、藤本監督をこどものときから尊敬していたからです。プロにはいってどこまでやれるか自信はないが、左投げ、左打ちということから東映の張本さんのような力強い選手になりたいと思っている。

下関商・小野野球部長の話 有光君は力がありスイングも鋭いがからだが堅いのでプロの変化球にどうついていくか心配です。頭のいい選手なので一生懸命やれば成功すると思います。
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松浦信吉

2019-04-04 19:27:40 | 日記
1964年

昨年の春、選抜大会に出場し、ダイナミックなピッチングを披露するに及んで松浦株は急激に上昇した。ところが選抜終了後、バットの素振りをやっているとき、腰を痛めて一年間休養すると、松浦の名は自然に消えていった。ことしになって腰は完治、ピッチングを始め、オープン戦にしばしば登板すると再び脚光を浴びてきた。しかし「小倉工は南海の地盤でね。松浦もプロにはいるんなら南海だよ」とスカウトは敬遠している。南海は球団事務員だった篠崎現セ・リーグ審判がコーチに就任してから強力なルートを持ち、そのうえ小倉在住の石川スカウトの二男克三君が小倉工の野球部にいるとあって他球団が嘆くのも無理はない。父親の信夫氏(51)=土建業=は「石川さん(南海)と城島さん(西鉄スカウト)にお会いしましたが、あの子の好きなところにやるのが私のつとめですから・・・」と語り西鉄が南海にどこまで食い込めるかが焦点となっている。
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七森由康

2019-04-04 18:49:48 | 日記
1961年

セ・リーグ読売ジャイアンツは一日七森由康投手(18)=大阪西商高、1㍍80、80㌔、左投げ、左打ち=の入団を決めた。同投手は左腕から投げおろす速球に威力があり、高校時代、毎試合10個以上の三振を奪っている。巨人、広島、南海、近鉄が積極的に勧誘したが、一番早く同投手を交渉を持った巨人に入団が決まったもの。

巨人伊藤スカウトの話 先に入団した益田君同様七森君も左の本格派。左投手の少ないウチにとってはたのもしい存在です。七森君はすぐ登板というわけにはいかないが、あすの巨人を背負う投手です。
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岩木康郎

2019-04-04 18:43:55 | 日記
1964年

近鉄バファローズはかねてから大阪高校球界の大物捕手岩木康郎(17)浪速高二年中退、1㍍70、72㌔、右投げ、右打ち=の入団交渉を続けていたが、十日入団が正式に決定した。同捕手は昨年打率4割2分、本塁打5本をマーク、強肩強打の好捕手として折り紙をつけられていた。好素質に目をつけた根本コーチが熱心に勧誘、このほど正式決定にこぎつけたもの。
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秋元肇

2019-04-04 18:37:07 | 日記
1964年

秋元は五月二日から長崎大橋球場で行なわれた九州大会で橋本(博多工)永江(鹿児島実)とともに注目を集めた。1㍍84の長身をフルに生かした典型的なオーバースローのピッチングは魅力十分だ。悲しいかな長身選手にありがちな下半身の弱さから、後半になると腰が落ちてスピードが半減してしまう。「二年間ぐらいみっちり仕込める余裕のある球団なら、おもしろい」スカウトは異口同音に語る。目下広島、中日、西鉄が熱心だ。広島は久野スカウトが小林前監督と親しかったところから食い込み、中日は池田スカウトが福岡県築上郡築城町の実家を攻め、西鉄は学校を通し、積極的に動いている。渦中に立つ吉武監督は「秋元君と話し合ったんですが、どうせこれから長い間野球をやるんだから、プロにはいるのは先でいい。だから六大学へ進学することで意見が一致しています」と語るが、いまやプロ入りはまちがいない。
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向井嘉久蔵

2019-04-04 18:30:11 | 日記
1955年

木村野球部長が身体をこわしナインの面倒をみてやれないので、向井主将がチームのまとめ役をつとめ、連日練習に励んでいるが、やはり叱咤激励する人のない練習はどこか間がぬけているようだ。投手向井は攻守ともチームのカナメで、速球とシュートを武器とし、とくにシュートは威力がある。また打撃も新チーム編成後三割五分の好打率をあげ長打が多い。
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千原陽三郎

2019-04-04 18:20:54 | 日記
1964年

千原は将来に期待のもてるピッチングをみせた。無理のない、なめらかなフォーム。中日が対巨人戦用にどうしてもほしいのが左腕だ。はじめて踏んだマウンドだったが、千原は落ちついて投げた。スピードはあまりなかったが、小さいカーブを低目にうまくコントロールしていた。立ち上がりにラドラ、青野に連打されたが、つぎのエンドランで毒島の打球がセンター正面をついて命びろいいたことも大きい。しかし竹中、柳川の三遊間がお粗末な守備をみせて、このルーキーの足を引っぱった。二回一死西園寺の三ゴロを柳川がトンネル。言わしたの二塁ベースよりのゴロを竹中がベース・カバーにはいった一枝に悪投して一、二塁。ソツのない東映は種茂が右翼線に二塁打して1点。千原は気を落とさず、三回には張本を落ちるシュートで三振に取るなど力投した。オープン後半で多少停滞気味の東映打線とはいえ、初登板で六回で1点に押えたのは杉浦監督にとては楽しみだろう。

先発投手は六回これが現段階で中日投手連がいい渡されたノルマ?である。目下十五人の投手がこれに挑戦しているが、ローテーションへの第一次合格にはまず六回を投げ切らなければならない。紅白戦以来一度もマウンドを踏んでいない千原がこれに合格した。この日千原は東映に六回投げて1点を許しただけ。「あんなに投げられるとは思いませんでした」だからといってうれしそうな表情もしない。低い声でしゃべる千原。チーム・メートも「なにを考えているのか心の中をつかみにくい男」といっている。もっともそれが千原の特徴でもあるのだろう。さしてスピードはないし気がついたら1点しかとられていなかったというこの日の千原のピッチングがそれを現している。だがスピードのないことを自覚している千原は彼なりに研究している。シュートしながら落ちる球、二回トップの吉田勝、そして三回二死、張本をそれぞれ三振させた球がそれだ。「うまくいったのですね。あれがきょうみたいに落ちればいいんですけど・・・」まるで棒でものんだように直立したまま千原は答える。大学時代から立ち上がりが悪い方の千原。この日も点はとられなかったが、いきなり、ラドラ、青野に長短打をくった。しわいバックスの好返球でラドラに本塁に刺したので千原はくずれなかった。「あそこで打たれていたら二回ともたなかったと思いますね」首脳陣はこの貴重な左投手を巨人の左打者を封ずるひとりとして期待している。「これでいいかどうかわからないですよ・・・。小川さんがストレートを要求したから投げたまでで・・・」まるで人ごとのようにいう。千原はほんとうにつかみにくい男である。

中日杉浦監督の話 非常にいいピッチングをした。とにかく初めて投げた相手がパの上位をいく東映。おまけにもう東映は仕上げのときなんだからね。90点やれるピッチングだ。落ち着きもある。彼には魔球を教えさせた(落ちる球のこと)。私がねらっていたとおりのピッチャーだ。

東映張本選手の話 スピードがあるわけじゃないし、すごいという感じはさらにない。しかし、内、外角に球をうまく散らしていた。これが彼の特徴のようだ。
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江尻亮

2019-04-04 17:53:07 | 日記
1964年

早大野球部の江尻亮投手(21)は十一日、茨城県高萩市本町三の二十八の自宅でプロ野球大洋球団入りを表明。十三日の「早大野球部のつどい」にでたあと正式契約する。同選手は日立一高出身、早大四年、左投げ左打ちで身長1㍍77、体重78㌔。

大洋ホエールズは、十四日東京・銀座の球団事務所で、早大・江尻亮投手(22)の入団を発表した。今秋の六大学野球で、46回2/3の無失点記録をマークするなど、左腕からくり出す速球とカーブに威力がある。身長1㍍77、体重75㌔、左投げ左打ち。背番号未定。
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岩本勝

2019-04-04 17:39:40 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは六日西宮球場での阪急対東映ダブル・ヘッダー終了後、球場内インタビュー室で、岩本勝投手=(17)山口県立豊浦高在学中、1㍍78、78㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。同選手は本年度の春の選抜大会に投手として出場、一回戦で鎌倉学園に敗れたが、優秀な投手として多くの球団からねらわれていた。また打者としても三番を打ち、通算打率・371を残している。背番号は未定。
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奥川勝彦

2019-04-04 17:31:43 | 日記
1964年

右ヒジを痛めていた村田が初登板。当っている阪急を五回まで4安打に押えたが、完調まであと一息というところ。コーナーをつく変化球の制球力のよさでごまかした。阪急の先発金本は制球力の悪さをさらけ出した。「コントロールを気にしないでド真ん中をねらって投げる」といっていた金本だが二回二死から根来に左前打されたあと、村田に真ん中の好球を左中間に二塁打されて1点を失った。かわった新人奥川はシュート、カーブなど変化球をおりまぜなかなかの好投。制球力もよくリリーフ投手として期待できそう。
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桜井忠之

2019-04-04 17:24:20 | 日記
1962年

広島カープは桜井忠之内野手(18)=福井実業、右投げ、右打ち、身長1㍍70、体重75㌔=を獲得した。桜井選手は中央球界には知られていないが、好守好打の持ち主で北陸地方きっての二塁手。広島の熱心な勧誘で入団が決まったもの。正式発表はシーズン終了後行なわれる予定。
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七森由康

2019-04-04 17:07:05 | 日記
1964年

七森は休日になると東京中の漢方薬局店に顔を出す。大阪にいる父親一郎さん(62)が、若いころから病棟できく薬と聞くと大阪西商時代から買わずにはいられないクセがあった。切手収集もやっているがことしの宮崎キャンプで無銘の古刀を買った。七万二千円。こづかいをはたいてしまったが毎晩寝るとき美しい白刃を見つめる。「真剣味を養うんです」女の子の話にも無関心。小学校二年のとき、母親と生き別れたひとりっ子。一ヶ月に一度五万円足らずの給料の半分を父親に郵送。「オヤジは昔、玉突きの選手だった。手紙を出すたび、オヤジの玉突きみたいにコントロールやカンがよくならないかなと思った」二十歳になったばかりの若者としては奇行の多い七森。「家は貧乏だったから、小づかいの使い道も知らないんや」ときどき関西弁も使った。プロ入り初勝利にも感激の表現がない。「ミットに構えたところなんか全然いかん。四回からアゴが上がってしまった。初白星といってもプロは甘くないしね」ず太い神経もあるのだろう。「阪神戦で慣れたし、ちっともアガらなかった」昨年はイースタンでも勝ち星なし。速球は若手一だが、コーチ陣があぶなくて捕手の後ろにいられないほどのノー・コン。おとなしいがピッチングでは札つきのあばれん坊。ヒョロリとした身長は3㌢も伸び1㍍80。体重は6㌔ふえて78㌔。一年間でからだは大きく育ったが、制球力の成長はおそい。なにを考えているんだかわからなかった。五回まで3安打、無失点。リリーフの城之内、伊藤が薄氷を踏んでいたときは、ひとりフロの中でゆうゆう。「記者の人にへんなことばかりいっちゃった」首脳陣の苦労をよそに細い目を閉じていた。しかし湯煙りの中でこの新鋭左腕は、ひとりごとを始めた。「早く一線の投手になって、シーズン・オフには一度でいいからオヤジと白浜温泉に行きたいな」職業を転々として育ててくれた父親一郎さんの苦労だけは胸の中にこみあげてきた。
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島谷勇雄

2019-04-04 16:52:14 | 日記
1962年

国鉄は初回渡辺の四球を足場に、小西の三遊間タイムリーが出て1点。七回には東が左中間二塁打、小川の左前タイムリーで1点。さらに二死後、渡辺の右翼線安打で二進していた小川もかえりダメを押した。これに対して東映は島谷に六回まで三者凡退。走者は七回一死後山本久が左に二塁打、八回芦刈が四球を選んだ二人だけ。ポンポンと外角スライダー、内角シュートを投げる島谷に90球で料理された。
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藤本正一

2019-04-04 16:36:25 | 日記
1956年

強いて特徴と言えば、全員ムラなく、チーム・ワークのよいことだ。四、五番の上位打者の鋭い打撃が相手チームに脅威を与えるだろう。投手の藤本がいま体をいためて不調。このため五尺九寸、二十貫の堂々たる体を持ちながらスピードがないので打たれるのではないかと心配。ほかに変る投手もいないので予選までに回復して貰いたいと願っている。

関商工は藤本投手の鋭いカーブに牛耳られ、僅か後半の七八回に好機を迎えたが、いずれも走塁のまずさから零敗した。

一方斐太は藤本投手の上手投からの速球によく食い下がったものの要所を締められて得点に至らず一回表に迎えた一死二塁のチャンスもケン制球に刺されて空しかった。

多工はエース藤本をくり出して必勝を期すだろうが、この予選で藤本はシュートの切れがあまりよくないので岐商打線に三点くらいはとられそうだ。
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