プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ストーン

2019-04-25 23:50:44 | 日記
1964年

大洋のテストを受けるため二十五日来日した元ホルチモア・オリオールズのディーズ・ストーン投手は、二十七日午後一時から多摩川グラウンドで悪いピッチングを行なった。ストーン投手は堅い体操とペッパーゲームをやったあと、高松捕手を相手にカーブ、スライダー、スクリューボール、チェンジアップなど約60球を投げ込んだ。この日は三原監督、別所コーチらがストーンのピッチングを見ることになっていたが、事故で列車が五時間も遅れたため見られなかった。ストーンは本格派の左腕というふれこみだったが、この日のピッチングを見た限りでは技巧派。とくにスライダー、スクリューボールなどのコントロールがいい。それでも全力で投げた最後の二、三球は相当速かった。左腕投手が手薄なだけにストーンの入団は確定的。

ストーン投手の話 きょうは得意の球を四種類ばかり投げた。しばらくやっていないのでまだ満足できるピッチングはできない。近日中にバッティングピッチャーをやってみたい。体調はじゅうぶんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田文高

2019-04-25 23:41:24 | 日記
1962年

太田文高外野手は、来季の契約更改について球団と二回話し合ったが結論が出ず、大分県大分市の実家に帰省していたが、二十七日球団事務所に電話で退団を申し入れた。球団では任意引退選手とする模様。退団後は父親堯観氏の経営するバス会社に就職する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松原良明

2019-04-25 23:40:52 | 日記
1965年

近鉄はドラフト会議で米子工の松原良明外野手(1㍍82、78㌔、十七歳)の交渉権を獲得したが、交渉の結果、同選手の入団が決定的になった。同球団の加藤スカウトが二日米子の同選手宅を訪問、同選手と交渉した結果、入団の内諾を得たもので近く球団を代表して大西スカウトが契約書を持参して同選手宅を訪問するか、あるいは同選手が来阪して契約の運びとなる。同選手は陸上競技の選手をやっていただけにすばらしい走力とバネを持ち、しかも強肩。ただ野球をはじめて二年目だけに荒けずりでものになるのはまだ数年先になりそうだが、同球団の掘り出し選手。米子工では四番を打つ、長距離打者。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大庭清

2019-04-25 23:39:32 | 日記
1962年

昨年暮れの新人テストのとき「こいつは拾いものかも知れないぜ。こんなものがまだ九州にいたとは…」と球団関係者を喜ばせたのが大庭投手である。身長1㍍80、体重74㌔の巨体はどうみてもA級。その巨体から快速球をびゅんびゅん投げて、文句なしに採用と決まった。しかし大庭にはこれという球歴はない。野球を本格的にやり出したのが佐世保北高二年生の夏からで、しかも長崎県下ではC級といったところで、せっかくの快速球もあまり知られなかった。「西鉄の新人テストが行なわれなかったら、もう二度とボールを持つことはなかったかも知れない。野球をやめるのが残念で、それでテストを受けてみる気になった」という。そこに幸運が待っていたわけだ。「採用と決まったときには、ほんとにうれしかった」と大庭は喜びをかみしめている。だがこの大庭はまったくの無名でもない。むしろ逸材としての実質が認められている。というのは長兄の宏氏(25)が元高橋ユニオンズの投手で、大庭はそのスポーツ一家の四男である。宏氏はその後ノンプロの日鉄北松(三十五年解散)に転じ、三十四年夏には南九州大会初優勝の原動力となる大活躍を演じた。その兄から「おまえのような力では通用せん」とプロ入りを反対されたそうだ。「もちろん兄さんのことばは正しいと思ったが、そんなにいうならプロで通用させてもらおうと、強引にプロ入りを決心した」といい切った。大庭には兄に反対してまでプロ入りした意地がある。その気持ちが大庭をささえるであろう。昭和十八年五月十四日生まれ。十八歳。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟山恭史

2019-04-25 06:56:34 | 日記
1990年

「ちょっと気負いすぎですか」と苦笑いを浮かべたのは、ルーキーの舟山恭史投手。3月18日の中日戦で2番手の中継ぎとして登場。3回を4安打2失点と、初登板としてはまずまず。140㌔前後の速球を主体にカーブ、スライダー、フォークを駆使した内容は「いきがいいね。あのストレートがもう少し低めにくれば使える」と、近藤監督の評価を高めさせてしまった。これまでの舟山は同じルーキーの有倉とともに、「来年の戦力だろうな。ブルペンを見ている限り、今年はちょっと使えんだろ」という戦力外の判を押されていた。それがここへ来て「あいつは実戦向き」と急上昇。「まだまだですよ」という舟山の苦笑いが、会心の笑顔に変わる日も近い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする