プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

貞山健源

2020-08-05 17:51:57 | 日記
1973年

名門別府鶴見ヶ丘高の出身。ライオンズの渡辺スカウト攻勢にも最後まで抵抗を示し、担当の城島チーフを閉口させた。本人に立大進学の意思が固かったためだ。だから「オレはプロに行く」と宣言したとき、両親は息子のけなげさに涙したという。言ってみれば彼のプロ入りは家のためだったろうが、入団してからの貞山には、そんなじめついたムードはカケラもない。「内野手上がりで、投手経験は一年しかない。しかしストレートにはスピードがあり、将来性は十分」というのがドラフト8位指名の理由だが、キャンプ二日目にはさっそくバッティング投手をおおせつかった。高校生で、いきなりマウンドに上げてもらえる例は珍しい。河村コーチに「なかなかいい球を投げるぞ」とほめてもらい、勇んで登板したが…。キャンプ三日目に捕手の送球を上くちびるに受けてしまった。一時はお化けのようにはれ上がり、前歯が浮いてしまって、重湯しかすすれない始末。それでも貞山は一日も休まなかった。まだ傷は完治せず、口もとをマスクで隠している状態で、食事の量も少なく、ピッチングなど思いもよらないが、ランニングや球拾いなどを率先してやり、体格維持を図っている。かなりな根性といってよかろう。「ケージの陰でボールが見えなくなったんです。高校では低いのしか使っていなかったので、慣れていなかったんですよ」-くやしがる表情が、どこか巨人のドライ坊や堀内に似ている。「プロ入りして驚いたのはスピードです。三輪さん、河原さんが横ですごいのを投げているので目を回していたらこれで七、八分のペースですって。違うなァと思いました。まぁ、これまでは記事の上でしか知らなかった人たちを目で見、ハダで接してみられるのは勉強になります。いい面も悪い面もわかりますから・・・」あえて悪い面を付け加えたり、この少年はなかなかのおとなである。
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成田光弘

2020-08-05 16:53:38 | 日記
1974年

右手の指が1㌢短かったばっかりに、十三年の二軍生活のあげくついにスポットライトを浴びるチャンスもなく、ことしのキャンプを最後にプロを去る選手がいる。阪急の成田光弘捕手(31)がその選手。秋田商の四番打者として甲子園も経験、強打強肩の大型捕手として注目を浴びた。激しいスカウト合戦の末、大毎(現ロッテ)がドラフト以前の当時としては破格の契約金で射止めた。ところがプロ入り初年度の五月、二軍戦で右手首に死球を受けて骨折したのがつまずきのもと。芽の出ぬまま三年後阪急に移籍した。しかし、阪急でも「二塁送球のコントロールが悪い。原因は右手の指が短いために球の引っかかりが悪いからだ。指がもう1㌢ほど長かったら選手として理想的なタイプだし大成しただろう」という評価を受けて、心機一転一軍をめざしていた成田だが、ここでもスターへの道を閉ざされた。成田はチームでも評判の好人物。それでもくさらずにただ黙々と投手の球を受け、合宿生活では若い選手の良き相談相手になってきた。そんな成田に追い打ちをかけるように次々と不幸が襲った。七年前母を亡くし、一昨年は洋子夫人が流産、そして昨年は父親が病で倒れた。実家は秋田でも指折りの豪農で、おまけに長男の成田は「農業を継いでくれ」と悩む病床の父親に背を向けることができなかった。その上同郷の洋子夫人が都会生活になじめず、一時ノイローゼ気味になったことも成田に野球を断念させる決心をさせた。投手のカベとして過ごした十三年間、それでも成田は「好きな野球に打ち込めたのだから満足だった」という。しかし「一番の思い出は初優勝した時、自分は何も手伝えなかったが、チームが弱かった時だけにとてもうれしかった」とえくぼをつくって笑った。若手選手に頼りにされている成田だけに球団としては残ってくれるよう説得したが、家庭の事情でやむなく昨年任意引退選手として届け出た。成田も球団が「せめてキャンプの期間だけでも手伝ってほしい」という頼みを快く引き受け、いまはメンバー表から消えてしまった背番号69のユニホーム姿でブルペンに座り続けている。「寂しいけど阪急には素質のある選手がたくさんいる。ことしはきっと優勝するでしょう。二軍の選手も現状に甘んじることなく一軍めざしてもっと欲を出して自分を鍛えてほしい」と若い選手たちへの励ましの言葉を残して感無量といった成田。そのプロ生活は不遇だったが昨年十二月、待望の二世が誕生して第二の人生へのスタートに明るい光がさしてきた。坊やにつけた名前も光明。「坊主が大きくなって野球をやりたいと言ったらもちろんやらせます。おれが果たせなかった夢を坊主がやってくれるでしょう」成田は二月二十一日高知キャンプ打ち上げの日に家族の待つ秋田へ帰る。十三年間身につけていた汗を泥にまみれた69のユニホームを手にして。
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久木山亮

2020-08-05 16:21:37 | 日記
1973年

ただ一人、学生服でキャンプイン。「丸坊主頭に背広姿はきらいですよ。このほうがこのほうが気楽だ。仲間はイナカッペと呼ぶが、それでいいのです」とすましている。川内実高からやってきた。背広はいま上衣のほうだけを注文している。五日から十日まで卒業試験で川内に帰るが、島原に戻ってくるときは紳士に変身してくるだろう。純朴そのものだが、ピッチングは高校球界でAクラス。昨年は地方大会で一日に二試合投げ抜き、奪三振30個を記録した。しかもライオンズでは貴重な左腕。デビューの門は大きく開かれている。球種はまだストレートとカーブだけだが、飛躍を期待されている投手。小学校入学前、町の祭りの相撲大会に出場、年上の相手に負けても負けてもぶっつかり、敢闘賞をもらったこともある。小学校のころは水泳が自慢で、走るのも速かった。運動神経は申し分ない。「素質は十分。あとはコントロールをつけることだ」とは武末スカウト。本人はキャンプの課題を「シュートも覚えたい」という。「台湾でもアメリカでも、どこへでも行きたい。でも、あきらめています。二軍でじっくりと鍛え、実力をつける。どうせやるならプロでと決意して飛びこんできたのだから…」多感で陽気な青年だが、しっかりした考えを持っている。
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テハダ

2020-08-05 16:06:16 | 日記
1970年

球団では、はやくも長打力のある外人選手の獲得に乗り出し、すでに近鉄サンフランシスコ支店の某氏に指示、ストンハムSFジャイアンツ会長と交渉を始めているとのことだ。中村代表は「十二月上旬のドラフト会議が終わらないと来日する選手の名前はわからないが、一発のある大物が入団することになるでしょう」と自信満々。今シーズンは、一時期主砲土井を戦列から欠きながらも、永淵、小川らの小兵がよく打った。だが長打力のなさはいかんともしがたく魅力に乏しかった。そこで、首脳会議を開いた結果「長打力のある大リーガー獲得」が決定したわけだ。去就の注目されている三原監督だが、残留すれば渡米してその人選に当ることになりそうだ。大リーガーが入団すると外人ワクからはみ出すのがテハダ選手。今春、須古球団部長が中南米に渡ってスカウトしてきたが、成績はさっぱり、そのうえシーズン中に蒸発事件を起こすありさまで首脳陣をあわてさせた。後半戦は、ほとんど二軍暮らしでチームの貢献度は零といっていい。整理はもはや決定的だ。それを知ってか知らずか、テハダは、最近はパナマで帰国を待ちわびている四人の子供の土産を買い集めており、藤井寺の合宿の自室にはその荷物がいっぱい。「これだけの品物を航空便で送ったら大変な額になる。船便で送れば半額以下で済むはず」と帰り支度に頭をしぼっている。テハダよりちょっと遅れて来日したサントス投手は、一度も一軍のマウンドを踏んでいないが、十九歳の若さと素質を見込まれて整理はまぬがれそう。
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内藤久

2020-08-05 12:41:59 | 日記
1967年

だんだんプロの水に慣れてきた。これまでは手さぐりの状態だったが、あと三日間の島原キャンプでしっかりからだを鍛えあげ、平和台に帰ってからはハイピッチで飛ばそうと決心している。十一日からカーブバッティング、シートバッティングが始まったが、先輩たちのスピードと安定感に満ちた攻守、打球の速さはさすがだ。プロ野球の世界のきびしさを改めて感じさせられた。ライオンズただ一人のスイッチヒッターとして大成するのがわたしの目標だ。現在の調子は右打ちに比べて左打ちのほうが悪く、どうも打球が甘い。両方やるのは未熟なわたしにとってたいへんなことだが、やはりどうしてもスイッチヒッターとして生きたい。ポイントを前に置けというコーチの注意をよく守ってがんばり抜こう。中西監督はすばらしいし、チームのふんいきも最高によい。ライオンズに入団できてほんとうによかったと思っている。一日も早く一人前の選手になりたいものだ。
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サントス

2020-08-05 09:03:37 | 日記
1970年

ドミニカの星といわれて来日したラモン・ロス・サントス投手がウエスタン・リーグの対南海戦に先発し、四回投げて寺岡のスリーランを含む六安打を浴びて八点を奪われるというさんざんな出来で、敗戦投手となった。中南米と日本ではストライクゾーンの違いはあるが、それにしてもお粗末すぎた初登板である。マウンドを降りてきたサントス投手は「いいコースにはいった球をストライクにとってくれなかったのが痛かった。一生懸命投げたのだが」とグチをこぼしていたがまだまだ一軍では通用するシロ物ではない。このサントスをスカウトしてきた須古球団部長は「まだ十九歳になったばかり。日本でいえば高校を出たての選手と同じだ。長い目でみてやって欲しい」とのことである。しかし、近鉄の戦力からするとあまり悠長なこともいっていられないのが現状である。
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山本隆造

2020-08-05 08:55:32 | 日記
1978年

卒業試験を終えてキャンプに合流したその日、マシン相手のバッティング練習だった。たて続けに3球見送った。審判役の城戸コーチが「ウーム!ボールだな」とうなった。選球眼の良さが表す一場面である。176㌢、74㌔の体は大型化したプロ集団の中に入ると目立たない。だが、高木守道(中日)を思わせる、バットをまっすぐに立てた伸びやかな構えには新人らしからぬ落ち着きがある。シンでとらえた打球は低いライナーが多く、中距離ヒッターの感じ。「関西六大学でこんなカーブを投げる投手はおらんのやろ」とカーブマシンに手こずり、コーチ陣に冷やかされた初日、近大の主砲も形なしだったが、山本は「ボクは気分屋なんですね。練習じゃ、学生時代から当たりが良くない。気分がかーっと乗る実戦の方がいいんです。ムラがある。それが悪い所ですけどね」と笑顔で言ってのけた。「プロにはやはり威圧感がある。まだ、自分がどれくらいのところにいるのかはわからない。それだけに不安と言われれば不安だらけ。でも、不安があるから練習するんじゃないですか」と言う山本。近大宿舎があった生駒山からお守り札持参。「頼みをようきいてくれるそうですわ」とまことにあっさりしている。ルーキーらしい気負い込んだ意識など少しも見せない山本だが首脳陣の評価は、キャンプインと同時に上がりはじめている。根本新監督が「体にスピード感がある。下半身のバランス、フットワークがいい。ヒザが柔らかそうだ。早く一軍レベルに近づくんじゃないか」とユニホームと対面三日目に早くも目をつけた。同一ポジションを二、三人で争わせる方針のクラウン。遊撃手山本の敵は広瀬、真弓と強力だ。城戸守備コーチは「ふところが深く柔らかい。意外と早いだろう」とグラブさばきのうまさには丸印だ。山本は「このキャンプでは守備を徹底的に鍛えてもらう」とまず守備で勝負の構えでいる。この山本、島原キャンプ初日の紅白戦で、いきなり池田投手から同点2ランを放った。首脳陣や先輩選手たちの度肝を抜き、株は上昇する一方だ。
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菅原道裕

2020-08-05 08:35:42 | 日記
1953年

恵まれた体格と、キカン気のファイター。彼がどうして明大時代に余り芳しくなかったのかは不思議なくらいだ。殊玉は、昨シーズン荒拭いされ、そして今年は益々磨き出されてツヤが出た。ペナント開幕以来、打撃ベストテンの中位にデンと居座って三割二分を記録する図は、もちろん凡器ではないのである。
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吉村健二

2020-08-05 08:26:14 | 日記
1973年

島原キャンプ第一日、新入団の吉村はみんなの起床時間より一時間早い七時に目を覚ました。さっそくトレパンに着替えてバットの素振り。「はい、サラリーマン時代の習慣が残っているからです」松下電器では人事部の福祉課勤務。「うちの社では、一秒でも遅れると大変なんです」独身社宅では洗たくも掃除も手慣れたものだった。社会人生活四年を経験してのプロ入り。給料は手取り四万二千円からポーンと十万円にハネあがった。「ちょっと楽になったような気がするけど、この商売、技術の切り売りなんだから必死ですよ」と深刻な顔になる。ドラフト指名外のプロ入りもチョッピリ肩身の狭い思いだそうだ。だが、気骨のあるところはノンプロに見切りをつけた理由でうかがえる。松下電器は昨年暮れ、関西大の山口高投手と山口円遊撃手を獲得した。「三塁に回ることになるかも知れない」といわれたのがしゃくで「それならプロで勝負」と踏み切ったのが太平洋入りのきっかけとか。四十三年夏の甲子園大会では、名門高松商主将として晴れの舞台を踏んでいる。野球選手としてはエリートコースを歩んだわけだが、そのわりには謙虚な好少年だ。「趣味も、色気もない無粋な男です。ただ野球だけを人生だと思っているのですから…」練習ぶりもなかなか真面目だ。専門は遊撃手だが、タマさばきのよさとダッシュ力からして、大穴となっている三塁を狙えるかも知れない。「はい、商売だから努力してみます」野球をよく知っていることが吉村の武器だ。
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大熊伸行

2020-08-05 08:15:31 | 日記
1967年

巨人から西鉄へトレードされた大熊投手もわずか一年でクビ。巨人時代の縁故をたよって広告代理店に就職、サラリーマン一年生として歩きはじめた。外人選手もスタンカ、ブルーム、ラーカー、スチブンスら七選手がさびしく本国に帰った。スタンカは保険業、ジマーはオマリー会長の世話でドジャースのファーム・チームのコーチに決っているそうだが、ラーカーは五人のこどもをかかえ、ロサンゼルスでトラックの運転手となって生計をたてているとか。おれは大リーガーと胸を張っていたラーカーも落ちたものである。
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織田光正・羽場勇二

2020-08-05 08:09:53 | 日記
1967年

変わり種では阪神の織田投手、合宿で太鼓をたたいてナインを悩ませたものだが、いまは郷里の香川県創価学会観音寺支部に勤務、だれはばかることなく信仰に専念同学会の幹部をめざしている。もうひとり大洋一の力持ちだった羽場は、ヒロ・マツダと友人の桑田の紹介を得て、近くプロレスラーのテストを受け第二の馬場を目ざしているが、どうなるか。
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川口敏春

2020-08-05 08:03:19 | 日記
1967年

川口は変型とまではいかないが、丸みのないピッチングは、かれ独特のものがある。重松コーチは「タイミングのズレというか、打者にとっては打ちづらいタイプだ。これといった短所もない」と語り、いまの持ち味を伸ばさせようとしている。

重松コーチからいろいろ教えをうけた。とくにカーブのあとに投げる直球が、高めに入る傾向を注意された。もっと低めのコントロールをつけないとダメだ。どんなにいいカーブを投げても、そのあとのタマが高めにいったら、せっかくのカーブが生きてこない。タマのコンビネーションのむずかしさがわかった。高校時代は毎日同じような練習の繰り返しだったが、プロはさすがに違う。毎日、毎日練習に変化があり、覚えるのにひと苦労だ。だが半面では意欲もわいてくる。これは楽しいことだ。なんとか一日も早く自分のピッチングのフォームを固めたいと思う。つらいこともある。ともかく初めてのキャンプでわからないことばかり。いろいろと気を使ったりして精神的な圧迫を感じる。もっと図太くなろう。十日はキャンプ二度めの休養日。だが独身組は足止めを食い、家に帰れないそうだ。チョッピリがっかりしたが、せっかくの休日だ。ゆっくり休んでこれからの練習に備えてスタミナをたくわえよう。
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村田清美

2020-08-05 07:54:41 | 日記
1966年

昨年はファイトで甲子園に初出場を飾った。ことしは昨年のメンバーがごっそり卒業、残ったのは大久保主将だけで迫力にかける。打撃と守備を買って、エースの村田を遊撃手にコンバート、リリーフの長久を主戦投手にした。

1967年

村田は馬力じゅうぶんの力投型。重松コーチが「欠点はあまりない。土橋タイプだ」という。上体の強さは抜群なので、土橋二世の可能性もなきにしもあらず、というわけである。

寒さには弱いほうだが、練習で頭がいっぱい。前日につづいての冷え込みも気にならなかった。卒業試験でキャンプ参加が遅れ、まだ三日めだ。みんなに早く追いつきたいと思うが「あわてずに、じっくりいけ」というコーチの注意をしっかり守っていかねばならない。だから調子のいい悪いはまだわからない。きょうは重松コーチに二塁けん制をみっちり鍛われたが、基本の一つ一つをがっちり身につけていこう。プロ野球のキャンプは高校の合宿練習に比べるとはるかにすばらしい。選手たちは親切に教えてくれるし、西鉄に入団できてほんとうによかったと思う。稲尾さんを目標にがんばる。
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