1958年
県北では最強豪。五月初旬には広商とともに山陽大会出場校となっているのでナインは自信満々。打撃も全般的に上昇線をたどっており、県大会ではかなりのところまで行けそう。投手は高野、河面両選手とも完投能力をもち、エース高野は長身から繰り出すドロップとアウトコースに決る直球が武器。
1958年
県北では最強豪。五月初旬には広商とともに山陽大会出場校となっているのでナインは自信満々。打撃も全般的に上昇線をたどっており、県大会ではかなりのところまで行けそう。投手は高野、河面両選手とも完投能力をもち、エース高野は長身から繰り出すドロップとアウトコースに決る直球が武器。
1987年
そこはメキシカン。「ラッキー」を連発して、抑えの郭を抱え込む。逆転勝利で、自己の投球採点が30点もはね上がった。六月初めに中日入り。失意の日々を過ごした。ゲーリーを抜けず、大リーグで40万㌦の年棒を稼いだ男が、二軍で望み薄い待機。ゲーリーの故障でお呼びかかった時は、どん底に落ちていた。三週間ぶりの実戦。いかに陽気なメキシカンでも、それが最初で、失敗すると、ラストチャンスになることを知っている。ブルペンで25分間、100球近く全力投球。びしょぬれのままマウンドに上がった。うわさのスクリューボールは、確かにすごい。時には左投手のスライダーのよう。外側から切れ込む。必死の六回は、投手の松本を相手に、5球中3球がそのスクリュー。監督は、限界を超えているのを十分承知で代えようとしない。「さまざまな重圧に耐える男を、回の途中に降ろすわけにはいかんだろう」監督は、カスティーヨの大リーグ時代を熟知している。「こんなものじゃない」カスティーヨは期待にこたえて言う。「おれの勝負球は、おふくろから丈夫な肩をいただいたおかげで、何球でも続けて投げれるんだ。次のゲームを見てくれ」巨人戦もラストチャンスと心得て投げる気だ。日本の投手が「ヒジ、肩に一番危険な球」と回避するスクリューを。
カスティーヨの初登板をみた。結論から先に言うと、今後については正直、半信半疑である。投球の軸は外人特有のスクリューボール。シンカーに近い球だが、やや回転が遅く、その分だけ落差が大きい。大洋の三振はほとんどがスクリューだった。追い込んでからは非常に有効だ。しかし、制球のバラつきは気になる。相手が慣れてくると、しっかり見極められそう。加えて、直球のスピードが135㌔前後と遠くない。スクリューとの球速の差が少ないのもマイナス面になる。手先で細工せず、地肩の強さで投げるのが特長で、多投しても負担が軽い半面、覚えられやすい。宝刀はここ一番こそ。ほかの球でいかにカウントを整えることができるかだ。
2001年
1998年に中日でプレーしたジャービスが、自身初の10勝目(9敗)を挙げた。日本では4試合に登板しただけでわずか1勝2敗。99年はアスレチックスで0勝1敗、昨年はロッキーズで3勝4敗と、メジャーとマイナーを行き来していたが、パドレスに移った今季は開幕から先発要員。レッズ在籍時の96年に8勝(9敗)を挙げたのが自己最多で、昨季まで大リーグ通算15勝23敗だったが、今やチームの勝ち頭だ。140キロ台後半の速球とスライダー、チェンジアップが武器。「中日ではチャンスに恵まれなかった。緩急の差はつけられるようになって成長したと思う。パドレスに来てよかった」と、笑顔で話していた。
1990年
マウンドには来日2試合目登板のロックフォード。「打ったのは真っすぐ。ストレート、スライダー、チェンジアップを投げてくるが、ストレートが多かったので狙っていた」と会心の宇野。192センチの長身をひねりながら横手から投げる変則左腕との初対決にも「そんなに威圧感はなかったからね」とのんでかかっていた。
1997年
キャンプ初日から張り切って合流しているのが、新外国人選手のマイク・キャンベル投手と、ビル・セルビー内野手。キャンベルは貴重な先発ローテーション投手として、セルビーは重要なクリーンアップ・トリオの一角として横浜浮上のカギを握っている。2人ともマジメで勉強熱心。初めての日本でのプレーに、米国では日本チームのビデオを見て徹底研究してきたことを明かしました。2人が口をそろえて、要注意人物に挙げたのが、巨人・松井。「日米野球のビデオを見たんだけど、マツイという男は本当に印象的なバッターだね」実際に対戦することになるキャンベルは「絶対に真ん中には投げられない。対戦するならコントロールが重要だね」と早くも対策を練っている。日本の球場は広くないという印象を持ったようで、テーマは「松井にホームランをいかに打たさないか」、注目だ。
先発候補として期待されたが、オープン戦で右肩を故障、開幕には間に合わない。触れ込みでは右の本格派と言われたが、来日してみるとスライダーとチェンジアップを主体とした軟投派で、キャンプ時点からその実力には疑問符をつける声が圧倒的だった。実際肩を痛めた阪神とのオープン戦でも1イニング7失点するなど、期待外れのラク印を押されてしまった。肩が回復しても一軍入りは難しい状況で、途中退団の可能性も。
1991年
91新外人中、最も遅れてヤクルトのティム・バートサス投手が3月5日に来日した。米大リーグ在籍9年間の通算成績は、138試合14勝14敗1セーブ、防御率4.08。昨年は大リーグを代表するストッパーのディブル(レッズ)につなぐ中継ぎ役として29試合に登板。85年には先発として10勝をあげている。しかし、バートサスへの関心の焦点はその実績ではなく、201㌢という身長。昭和26年から約370人の来日外人中、球団発表の公称でいけば身長200㌢のハワード(太平洋)アニマル(阪急)ブーマー(オリックス)の3人が過去最高。つまりバートサスは日本プロ野球史上、最長身というわけだ。「209㌢のジャイアント馬場がいる」と、おっしゃる方もいるだろうが真相はさにあらず、昭和34年の選手名鑑には「巨人・馬場正平投手、六尺四寸(約195㌢)とあるのだ。バートサスは翌6日からチームに合流して早速ピッチングを披露。サウスポーでややスリークォーター気味のオーバーハンド。ヤクルトでは抑え役を予定しており、「あれなら打者はアゴを上げて腰を引いてくれるやろ」と野村監督。本人も「あと2週間あれば仕上がる」と自信満々。しかし、かつて長身選手が大活躍した例はあまりないし、さらにヤクルトでは最近、アイケルバーガー、バニスター、ロックフォードと外人投手は大はずれ。ヤクルトファンは「身長よりも野球で史上最高に」というのが偽わざる心境だろう。バートサスは果たして「左腕不足と抑え不在」の弱点補強となり得るか!?
1997年
伊良部との交換トレードでパドレスの2Aから移籍。トンプソンのおまけ的な存在に見られていたが、登板するたびに評価は上ってきた。ストレートは130㌔台と外国人投手としてはパワー不足は否めないが、体に長い腕がまきついてくる感じの投げ方で、バッターはタイミングがとりずらそう。問題は制球力で、ストライクがキチッと入れば、面白い存在となりそうだが…。先発不足の投手陣だけに、ローテーションの一角として出番はありそう。
1998年
期待されながら未勝利に終わった昨年は、いわば教育期間。スライダーを武器に、左腕不足に泣くチームのローテーションに残れるかどうか、今年は勝負の一年になる。ライバルはクロフォードだ。
1989年
ヤクルトの新外人ロン・デービス投手(33)=192センチ、90キロ、右投げ右打ち=三十日、神宮室内練習場で初練習、前日来日したばかりとは思えない軽いテンポで35球を投げ込んだ。投球フォームは横手投げに近い。長い腕が「体に巻きつくように」(小谷投手コーチ)振られ、低めに力のある球を集めた。変化球はフォークボール、スライダーが中心。横手からだけでなく、時折アンダースローも交えるなど変幻自在の投球ぶりだった。時差の関係で疲れはあるものの「状態は非常にいい。きょうからベンチ入りできないのが残念なくらい」と、デービスはやる気を見せた。-両日中にも一軍登録され、六月三日からの中日2連戦(神宮)からマウンドに上がることになりそうだ。
七回無死二、三塁でヤクルトは新外人のデービスを初めて投入した。大リーグ通算130セーブの輝かしい戦歴。気後れしたようにジョージが144キロのストレートで三振。落合の四球も、ヤクルトベンチにしてみれば「かえって守りやすいぞ」だった。その時、宇野は入念にタイミングを計っていた。「四球のあとはストライクを取りにくる。まっすぐだけを待った」ヤクルトの捕手中西は、おそらくデービスのストレートに魅せられていたのだろう。迷うことなく直球サイン。144キロ。宇野のバットは完ぺきに捕らえた。