1983年
最後の打者テリーを外角カーブで空振りの三振に切って取ると「やった」とばかりガッツポーズ。このテリーには四月十八日の二回戦(川崎)で痛打を浴びていたから、余計うれしかったのだろう。「西武にいい成績を挙げることが大事。この間もやられたから。日本ではカタキウチっていうの?オーイエス」八回から登板し、清水、広橋の代打陣をなで切りの三振。山崎には四球を与えたが、次の石毛を得意のカーブで三振。九回も2三振。結局打者七人に対し5三振。トラの子の1点を守り切った。「ここのマウンドは高いから、ボクのように投げおろす投手には投げやすい。カーブもよく落ちる」これで来日以来十試合に登板し、二勝5セーブ。七試合の勝利に貢献する見事なストッパーぶり。広岡監督も「手さぐり状態だから打てっこないよ」とヤケ気味だった。
1984年
ロッテはシャーリーが緩急をつけた投球で西武をほんろうし、前半に制球に苦しむ松沼博を攻め今季初白星。二回山本の1号ソロ本塁打で先制したロッテは、五回まで毎回の9安打。その割には得点が少なかったが、五回二死一、三塁から落合のタイムリー二塁打で2点加えた。西武はチェンジアップや大きなカーブを速球におりこむシャーリーに連打が出たのは六回だけ。九回二死、ジュリーが来日1号ソロを放ち、完封負けを逃れるのが精いっぱいだった。
巨人のライト以来7年ぶり、パではスタンカ以来19年ぶりの外人投手による完封勝利をあと1人で逃したが、シャーリーはそんなことにはむとんちゃく。「去年のロッテとは違うところを見せられただけでいい」と前日までの暗いムードとは一変した威勢のよさ。稲尾監督は「西武戦がうちの開幕戦」ともっとも調子がよかったシャーリーをこの日まで温存してきたが、見事にその期待に応えた。それにしても昨年の抑えのリリーフ役から先発への転向が、これほど図に当たるとは。昨年までほぼ2イニングに1個の割で四球を出して崩れるパターンが多かったのに、この夜は無四球だったようにコントロールが見違えるほどよくなった。「彼は奥さんと2人暮らしだから生活が不規則になるリリーフ役はまずいと怒った。先発ならローテーションがあり家庭生活がうまく行くと思った」と意外な打ち明け話をしたのは佐藤コーチ。本人も「先発になったよかった」仲むつまじいローラ夫人がスタンドで夫の晴れ姿を見守っていた。27歳。