1973年
新人の背番号は、ときとしてその選手への期待度を現す。真弓(電電九州)の2、中村(東芝)は10は、差し当たり即戦力に近いことを意味している。そんな中で44という重い背番号を背負わされながら、グッド・プレーヤーの評判を得たのが待井外野手。平和台の自主トレでは、左右への好打に「素質はいいね」くらいだったが、その経験から島原キャンプに入って「こいつはいける」と急ピッチに階段をかけのぼった。「体力、素質、センス…。待井はプロ野球選手として必要なものをすべて備えている」稲尾監督以下コーチがこうだから間違いない。ドラフトの指名は第九位だった。金のタマゴとして、注文を集めている。認められた方が福転じて福だったのもツキ男らしい。島原キャンプ初日の練習は、前夜にバットの素振りでマメをつぶし閉店休業のはずだった。だが、痛めたのは左手の中指。「それなら投げさせてみよう」となって、日大三時代のにわか投手となった。180㌢、70㌔。軽く投げているようでもタマはホップする。腰がガッチリと安定して、しかもバネのある回転。「いっそのこと、投手として育ててみるか」稲尾監督と河村コーチに、こんな密談をさせたほどである。高校時代の待井は輝かしい球歴でいっぱいだ。二年生のときは選抜大会優勝の中堅手。そして昨春の同大会準優勝では、島原キャンプと同じ中堅手と投手の両投使いだった。不動の三番打者として印象は深い。「力がありながら戦力として計算できないかたわ的ケガ選手とは逆に、待井はころんでもタダでは起きぬタイプの選手だ。もちろん、外野手を希望する本人の気持ちは尊重してやりたいが、みすみす宝を持ちぐされにはしたくない」と稲尾自身もとまどっている。「ボクはまだ十八歳。外野には力のある選手が多いのでとてもかないません。でも、二、三年後にはその先輩もトシですからね」謙そんと思えばそうでなく、劣っていく先輩を見極めて、チャンスに食い込もうという見通しを立てているのだ。この選手、単純でない。実力が余裕を生み、時を冷静に判断するハイセンスな男だ。その半面、野武士的なガラガラな一面がある。ライオンズはこんな男が来るのを待っていた。
新人の背番号は、ときとしてその選手への期待度を現す。真弓(電電九州)の2、中村(東芝)は10は、差し当たり即戦力に近いことを意味している。そんな中で44という重い背番号を背負わされながら、グッド・プレーヤーの評判を得たのが待井外野手。平和台の自主トレでは、左右への好打に「素質はいいね」くらいだったが、その経験から島原キャンプに入って「こいつはいける」と急ピッチに階段をかけのぼった。「体力、素質、センス…。待井はプロ野球選手として必要なものをすべて備えている」稲尾監督以下コーチがこうだから間違いない。ドラフトの指名は第九位だった。金のタマゴとして、注文を集めている。認められた方が福転じて福だったのもツキ男らしい。島原キャンプ初日の練習は、前夜にバットの素振りでマメをつぶし閉店休業のはずだった。だが、痛めたのは左手の中指。「それなら投げさせてみよう」となって、日大三時代のにわか投手となった。180㌢、70㌔。軽く投げているようでもタマはホップする。腰がガッチリと安定して、しかもバネのある回転。「いっそのこと、投手として育ててみるか」稲尾監督と河村コーチに、こんな密談をさせたほどである。高校時代の待井は輝かしい球歴でいっぱいだ。二年生のときは選抜大会優勝の中堅手。そして昨春の同大会準優勝では、島原キャンプと同じ中堅手と投手の両投使いだった。不動の三番打者として印象は深い。「力がありながら戦力として計算できないかたわ的ケガ選手とは逆に、待井はころんでもタダでは起きぬタイプの選手だ。もちろん、外野手を希望する本人の気持ちは尊重してやりたいが、みすみす宝を持ちぐされにはしたくない」と稲尾自身もとまどっている。「ボクはまだ十八歳。外野には力のある選手が多いのでとてもかないません。でも、二、三年後にはその先輩もトシですからね」謙そんと思えばそうでなく、劣っていく先輩を見極めて、チャンスに食い込もうという見通しを立てているのだ。この選手、単純でない。実力が余裕を生み、時を冷静に判断するハイセンスな男だ。その半面、野武士的なガラガラな一面がある。ライオンズはこんな男が来るのを待っていた。