1976年
得意とするのは数多い変化球。両サイド低目へ、たくみに投げ分けるカーブとシュートはなかなかのもの、これにもう一つ球威のあるストレートが出てくれば、一軍でも通用する力になる。
1976年
得意とするのは数多い変化球。両サイド低目へ、たくみに投げ分けるカーブとシュートはなかなかのもの、これにもう一つ球威のあるストレートが出てくれば、一軍でも通用する力になる。
1976年
味方のピンチにマウンドに上がり、相手の強打者を抑える救援専門投手。アンダースローだけに、ボールを離す位置が低いほど投球に威力があるが、疲れてきたり、体調が悪かったりすると、とにかく体が立ち気味になり、カーブ、ストレートの球威が半減する。コントロールをよくするため、今シーズンからノーワインドアップ投法を採り入れた。これで相手の盗塁もかなり防げるだろう。
1975年
このピッチャーがなぜエース格の一員になれないのかふしぎである。中山に優るとも劣らぬスピードを身上としてキビキビとしたプレートマナーは定評がある。入団した3年前にはときの覇者強打揃いの阪急を二度完封した速球の切れ味はすばらしかった。さすがと思わせたのもこの1年めのみであとは鳴かず飛ばず。力のある投手だから心機一転して野球ひと筋に没入できる環境づくりがやっとできたというから今シーズンの野崎はそれこそ捲土重来を期していることだろう。投手に必須条件である強じんなバネを持ちながらコントロールに安定性を加味したら待望の10勝ラインも約束されよう。
1975年
高校卒ながら兵庫県下ではロッテへ入団した菊村と双璧の左腕本格投手だ。中央球界にエンがないが隠れたる逸材。手首、足腰が非常に強く無理のないフォーム。競争率の高い兵庫地区で毎試合10個の三振を奪う力をもっている。久しぶりに豪快な左腕投手の加入で首脳陣も岡本の左腕に大きい期待をよせている。1㍍81の長身からくりだす速球が魅力。
1970年
足が早く、器用さが売りものの選手。ただバッティングのパンチ力が乏しく、伸び悩んでいる。趣味は犬の飼育で、その腕前はプロ級といわれる。
1997年
スプリングキャンプでいきなり凄い球を披露してくれた。フォークとナックルをまぜたようなウイニング・ショット。この球が公式戦で威力を発揮すれば、周囲が期待する40セーブも可能だろう。Vという夢が実現する時、福岡ドームのマウンドにいるのはこの男かもしれない。
1976年
釣りの話をさせると、どうにも止まらなくなる。毎年シーズン・オフになると故郷の紀州は和歌山に帰り、釣りざんまいの毎日を過ごすのが決まりになっている。ことしの春はイソ釣りで体長60センチに及ぶ大グレ(九州地方ではクロ)を釣った。関西地方のスポーツ紙の釣り欄や地元ラジオ局の釣り情報にはしばしば登場し、ライオンズの木原はグレ釣りの名人としても有名なのダ。レパートリーも広く、海釣りに限らず、ヤマメをねらって中国山脈を釣り歩いたこともある。エサや仕掛けにも木原式を編み出すほどのコリ性で、これはマウンドのピッチングにも一脈通じ合うものがあるようだ。年齢的には、もうピークを越した投手なのだが、十三年目のことしも第一線でがんばっているのは、あの絶妙なコントロールがあるからである。右腕がきれいに伸びたコンドルの羽ばたきにも似た美しいフォームから、速球やシュートが内、外角に、まるで電子計算機のような正確さで繰り出される。昨年はこの右腕で、自己最多記録の年間10勝という大魚を釣り上げた。ことしはさらに大物をねらってほしいものである。
1966年
下関球場では、小野田工と早鞆の県大会出場が決まった。小野田工は本格派の村田(右投げ)落ちるカーブを武器とする長久(左投げ)とタイプの違うエース級の両投手を持ち、打線も上下位がムラなく打てるのが強み。地区予選でも対宇部戦では13安打を放っており村田、有田、代楽のクリーンアップ・トリオはうち9安打と安定したところをみせた。口井監督は「昨年に比べ足がおそく不動のメンバーを組めないのがつらい」といっているが、甲子園出場の経験を持つ選手が六人残っているだけに威力がある。また選手を調子づける老巧な口井監督のさいはいが大きくものをいいそうだ。