プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

榎本直樹

2024-12-25 16:37:24 | 日記
1973年
九回、望月を三振に仕止め。初白星(プロ入り2勝目)をマークしたのにヤクルト・榎本の開口一番は「長いんだもんねえ」だった。一回二死一、二塁からのロングリリーフにちょっぴりクレームをつけた。初勝利ともなれば、どんな投手でもオーバーに喜ぶのに、榎本にはそんなかけらもみられない。昨年練習中に40万円を盗まれたときもそうだった。あわてるどころか「盗ったヤツが利口なんだ。しょうがないや」シャアシャアいってのけて先輩連をあ然とさせたことがある。とにかく神経が太く、プロ入り前はれっきとした銀行マン(拓殖銀行)だったが、性格は正反対で物事を計算しない。これが欲のないピッチングに現われ、昨年はたったの1勝に終わった。しかし、阪神にだけは自信をもっていた。昨年の白星がこのカードである。ことしは四回戦(四月二十八日)で野田に打たれ、早々と降板したため、この日西井が初回に崩れても「てっきり二番手は安田さん」とブルペンでも力を入れてなかった。それが突然のお声がかりで、あわててマウンドへ。が、なにが幸いするかわからない。用意が万端でなかったため、かえって慎重にならざるを得なかった。いつもと違って大矢とのサインも時間をかけた。その結果が2安打の好投で、松岡弘につぐチームで二人目の勝利投手につながってしまった。ヤクルトでは花の22年組がもてはやされている。昭和二十二年生まれの荒川・大矢・松岡弘、安田、若松らの主力グループだ。ところがこれに頭にきた?23年組の榎本、浅野、大木、井上らは「ヤクルトは22年ばかりじゃない」とライバル意識を燃やして結成したのが名づけてイモの23年組。飲みにつけ遊ぶにつけすこぶる仲がいい。最近はこれをうらやんだ大矢がPTAとして割り込んでおり、榎本もツーといえばカーと答える間柄。登板4試合目の早い初白星もイキの合ったバッテリーの勝利だった。防御率も1・89で一躍五位に浮上した。「欠点のボールが先行することもなく、落ち着いたピッチングをしてくれました。これが他の投手のカンフル剤になってくれればいうことなしですよ」三原監督も満足げにいっていた。


こどものころ、落語家を夢みたというだけあって、榎本の周辺には、いつも笑いがうずまいている。仲のいい大矢や浅野は「あいつと話をするとハラの皮がよじれる」と試合前は逃げ出すことにしているほどである。この日はたまたま、浅野が逃げ遅れた。つかまえた榎本は「困っちゃう。また白がふえる」と一席やりはじめた。昨年、プロ入り初勝利を阪神からものにしており、このカードにはめっぽう自信をもっている。「田淵はノーヒットに押えているし」と自慢しようとしたのだが、浅野に「そんなこと、気にしないで染めたらいいだろう」と、榎本がいちばん気にしている若シラガを指さされた。浅野と榎本は防御率を僅差で争っており、負けた方がシーズンオフにひと晩おごるカケをしている。そのけん制球?もまじえて白星をわざとシラガに置きかえたのである。ところが、榎本は怒るどころか「うまいねえ。これはうまい」とハラをかかえて大笑い。浅野の方が「オレ、お前のことをいったんだよ」と拍子抜けしてしまった。そんな榎本だったが、マウンドに立つと鬼ガワラのような顔になる。阪神打線から四回まで6三振を奪ってスイスイ。五回の一死一、二塁のピンチにも、藤田平、田淵をフォークボールでかんたんに料理して、4勝目の基礎づくり。六回、和田、カークランドに連打されたところで、浅野にバトンを渡した。九回、最後の打者、藤井を中飛にしとめたところでベンチをとび出した榎本。「白が…」といいわけ、浅野にニヤリとされるとあわてて「勝つ星がふえちゃった」ここでも、榎本のペースにはまった浅野。「お前は欲ばりだな。頭にそんなに白いのがあるのに、また白をふやして」とやり込めたが返ってきた返事がふるっている。「そんな話はよそうよ。白でもなんにもないよりまし。そうでしょう浅野さん」最近、とみに退化の激しい浅野が、カリカリしたのはいうまでもない。


六回、一死一、三塁で浅野の救援を受けたとはいえ、ヤクルトの先発榎本の変化球はよかった。四回を除き毎回走者を出しながら勝負どころでカーブや落ちるタマを使ってホームを踏ませない。


ヤクルトの先発榎本の変化球はさえた。二種類あるカーブとシュートを低めに決め、八回まで散発の2安打と広島の打者をほんろうした。九回一死から山本浩の右翼線二塁打、衣笠の内野安打と失策で二、三塁とされマグガイアの中犠飛で1点をとられ、完封はできなかったが、5勝目をプロ入り初完投で飾った。

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レイ

2024-12-25 15:57:06 | 日記
1974年
日本ハムのレイが来日初勝利を挙げた。レイは四回まで毎回6四球と相変わらずの無制球ぶりだったが、太平洋の貧打に助けられ失点は四回の1点だけで切り抜けた。五ー七回は左腕から繰り出すシュート気味の速球を右打者の外角いっぱいに決めてカウントをかせぎ勝負球にカーブ、チェンジアップを使って立ち直った。八回二塁打と四球で一死一、二塁で降板したがやっと本領発揮というところだ。


来日初勝利が転がり込んだ瞬間レイは奇声を上げてはしゃぎ回った。それもそのはず、八回途中でマウンドを譲った皆川が九回打ち込まれて1点差。最後の基の遊ゴロもイレギュラーするきわどい当たりで、ハッとする場面があり、ベンチのレイは居ても立ってもいられなかった。「ありがとうございます」「サンキュー」と愛きょうをふりまき「みんながよく守ってくれたから勝てたんだ」とナインへ感謝。「無論完投したかったけど疲れていたからね。とにかくラッキーだった」と手を合わせて神に祈るようなゼスチャアだった。


一部で今年限りで整理か?とうわさされていた日ハムのレイが、みごとに完投勝利で2勝目をあげた。内外角へうまく投げわけた変化球は、捨てたものではない。ところで、中西監督にその真相を聞いてみると「来日後、日本式のトレーニング方法に切り替えさせてきたが、やっと投手らしくなってきた。来年のことはまだ結論をだしていないが、あと2、3試合投げさせたうえで決めるつもりだ」と説明。そして久々の快勝には「最下位だし、試合の方はやぶれかぶれの戦法や」とにが笑い。


太平洋はレイの荒れ球に悩まされ4回まで一人の走者も出せない。やっと5回竹之内、藤井栄の連続四死球から伊原が左翼線安打して1点を返した。二番手田中がハムの攻撃を抑えても打線がさっぱりでは太平洋も追いつけない。レイは後半もピッチングが衰えず、伸びのある速球が低目によく決まってカーブとチェンジアップでタイミングをはずす。スライダーも右打者の手元によく食込み、太平洋のつけ入るスキは全くなかった。「ワンヒット・ピッチング」で二度目の完投勝ち。


あわやノーヒット・ノーラン。伊原のヒット1本で、太平洋は不名誉な記録から逃れた。ノーワインドアップからくり出すレイの快速球とカーブにキリキリ舞いの太平洋は、四回まで三人ずつ。この間、アルー、ビュフォード、福富、藤井栄と、主力打者が次々に三振に倒れた。


日ハムのレイは内外角へ速球とカーブをうまく使い分け、四回までパーフェクト。五回竹之内に死球、藤井栄に四球とコントロールを乱し、無死一、二塁から伊原に左翼線を抜かれて1点を失ったが、乱れたのはこの回だけ。六回以後立ち直り、全く走者を許さず、わずか1安打。2四死球に抑えるすばらしいピッチングを披露した。日ハムは三回、一死後、八重沢が高い内野フライ、これをビュフォードが落球する幸運に恵まれ、島津が四球で歩いた一、二塁から末永が左中間を破る走者一掃の三塁打。続く千藤も三遊間を抜いて3点を先取した。レイはこれで3勝目。来季が楽しめる。

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