プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

但田裕介

2014-12-18 20:33:11 | 日記
1969年

午後四時から大阪梅田の阪神本社三階会議室で三位指名但田裕介投手(18)=176㌢、67㌔、左投げ左打ち、堀越高=を発表した。同選手は進学を希望していたが、阪神の熱心な勧誘にプロ入りに踏み切ったもの。堀越高のエースとして今春のセンバツ大会に出場。左腕からの速球を武器に準優勝を飾っている。戸沢社長、村山監督のほか、堀越高・田辺監督、母親麗子さん(41)が立ち会った。

但田投手の話 進学の気持ちを持っていたが、最終的にはプロでやりたい気持ちだった。得意のい球はストレート。江夏さんのような力で押すタイプになりたい。
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松本雄作

2014-12-18 20:32:18 | 日記
1962年

国鉄スワローズはこのほど明大松本雄作外野手(22)=農学部四年1㍍78、76㌔、左投げ左打ち=の獲得に成功、近日中に発表することになった。同選手は今春東京六大学リーグで外野手、五番打者として活躍したが部内の事情で退部していた。これに目をつけていた国鉄が島岡総監督と話し合って勧誘に成功したもの。同選手の長打力は定評がある。
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上田武司

2014-12-18 20:31:29 | 日記
1963年

巨人は十八日午前十一時から読売新聞大阪本社六階特別会議室で、上田武司投手(17)=鳴尾高中退、1㍍83、75㌔、右投げ、右打ち=の入団を、正力副社長、佐々木代表、川上監督立ち会いで発表した。上田投手は一塁手兼リリーフ投手として活躍していたが、今夏辺りからそのピッチングが注目を集め、バッティングも四番打者としてことし50試合で・340をマークした。
三十六年四月県尼崎高定時制に入学、家庭の事情で三十七年鳴尾高にあらためて一年生として入学した。巨人では来春から東京の高校夜間部に転向させ、練習のかたわら高校を卒業させるといっている。

川上監督の話 上田君は大型選手として期待にこたえてくれると思う。いいバネをしており、打力もいいが、僕としては投手としてやらせたい。
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江口晴造

2014-12-18 20:26:53 | 日記
1963年

大毎は十九日午後一時、大阪市堂島中の同球団関西事務所で江口晴造投手(21)=桃山高ー積水化学、1㍍85、73㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。堂投手は荒けずりだが、長身からの速球に魅力があり、近鉄、東映からも誘いがあった逸材。青木スカウトは第二の小野として期待している。
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平野克明

2014-12-18 20:26:15 | 日記
1963年

大洋は十九日午後二時半から銀座西の球団事務所で、秦代表立ち会いのもとに平野克明投手(22)=新潟県柏崎工高ー電気化学、1㍍74、68㌔、右投げ、右打ち=の入団発表を行った。同選手は三十五年四月電気化学(新潟県青梅工場)に入社、速球とシュートが武器で、今夏の都市対抗予選の決勝戦で不二越鋼材に1-0で敗れたが、5試合(完投2)投げて43イニングス9安打、奪三振41、死四球5、失点1、自責点0、34イニング無失点というすばらしい成績を残している。秋の産別大会にも出場、一回戦で日石に6-2で敗れている。

平野投手の話 僕のウイニングショットはあくまでストレートです。プロでやれればどこでもいいと思っていました。とにかく八方破れのつもりで自分のベストを尽くしてみます。
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西沢正次

2014-12-18 20:18:17 | 日記
1969年

広島は十六日午前十一時から広島・基町の球団事務所で、ドラフト六位指名の河合楽器西沢正次捕手(22)=180㌢、82㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。
同選手は四十一年愛媛県豊川高を卒業、ノンプロ河合楽器に入社。正捕手岡庭の陰に隠れて目立った活躍はないが、ノンプロ四年間で60試合に出場、打率3割4分をマークしている。同選手は二十一日から自主トレに参加する。背番号は37。

西沢捕手の話 広島のことはあまり知らないが、若手が多く、自分の力を発揮しやすいチームだと思う。いろんな面で勉強することは多いが、一生懸命がんばり、一日も早くプロのスピードに慣れたい。
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上薄淳一

2014-12-18 20:17:28 | 日記
1969年

上薄淳一内野手…182㌢、72㌔、右投げ右打ち、川内実高。

・上薄は大型遊撃手で五番打者。今シーズン3割8厘、本塁打4を打っている。
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花田敏郎

2014-12-18 20:16:38 | 日記
1969年

花田敏郎投手…178㌢、76㌔、右投げ右打ち、川内実高。

・花田投手は本格派の投手で、今シーズン30試合で25勝5敗。打っても四番で3割4分6厘、7本塁打をマークしている。

花田投手の話 プロ野球はパワー、スピードとも高校野球と比較にならず、不安はあるが、力いっぱいがんばりたい。
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渡部司

2014-12-18 19:53:39 | 日記
1969年

午後二時に名古屋市中区の球団事務所で石川島播磨重工の渡部司投手(19)=175㌢、74㌔、右投げ右打ち、二位氏名=と契約、発表した。同投手は今年三月、高鍋高を同時に石川島播磨に就職。社会人野球大会では主戦投手として活躍した。「スピードはまずまず。とくにカーブがいい。それにタフでバネのあるピッチングだ。将来大いに期待できる連投型」(法元スカウト)で、今年秋の産別大会でも活躍した。

渡部投手の話 早くプロの水に慣れて、第一線で投げたい。目標というより稲尾さんのようなピッチングをしたいと思っている。体力には自信がある。
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北尾一喜

2014-12-18 19:52:09 | 日記
1969年

北尾一喜内野手(17)=175㌢、66㌔、右投げ右打ち、高知県中村高。

・北尾は南海のキャンプ地中村市の出身。今夏の高知県予選では10打数5安打をマークした。高校時代の通算成績は3割1分。
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堀内三郎

2014-12-18 19:47:34 | 日記
1969年

堀内三郎外野手(18)…178㌢、69㌔、右投げ右打ち。

・堀内は近鉄に入団した太田と対決した経験がある。成績は8打数3安打(2二塁打)の実績があり、百㍍12秒の俊足の持ち主である。
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才所俊郎

2014-12-18 19:46:26 | 日記
1965年

巨人は二十六日、才所俊郎外野手(23)=右投げ、右打ち、1㍍78、79㌔、八女高ー河合楽器=が浜松市内で契約書にサインしたと発表した。同選手は強肩、強打でノンプロ通算打率3割8分台をマーク。また脚力と強肩は現在巨人外野手の中でも超Aクラスの持ち主。「ベース一周13秒9の足を持っているし、日米選手権に必要な三拍子そろった選手」(内堀スカウトの話)だそうだ。二十五日河合楽器を退社、この日の契約となったもの。巨人では第1号。
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松枝三男

2014-12-16 06:27:28 | 日記
1969年

大洋も八日、松枝三男投手(21)=182㌢、83㌔、右投げ右打ちトヨタ自動車=の入団を発表した。同投手は十一月二十三日に行われた新人テストで合格したもので、勤務先の了解を得て七日午後正式契約をすませた。同投手は高校時代、田尻(アトムズ)の控えとして主に救援として働いていた。粗削りだが球速がある本格派。
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阪口忠昭

2014-12-16 06:23:11 | 日記
1969年

西鉄・玉木球団課長は一日午後一時から福岡県中間市大根士宮下の阪口忠昭投手(18)=直方学園高、181㌢、75㌔、右投げ右打ち=の自宅で、母親志ま江さん(61)長兄修さん(38)と約1時間、三回目の入団交渉を行い、推定契約金五百万円、年棒百万円で正式契約をかわした。同チームでの新人契約第一号。同投手は第三位の指名で、右の本格派投手。今夏の高校野球福岡県予選決勝で飯塚商に敗れたが、上からの重い剛速球とカーブで直方学園を初めて決勝戦へ進める原動力となった。

玉木球団課長の話 阪口と正式契約をすませた。投手をやり始めてまだ一年足らず、癖のないフォームだ。それだけに育て方次第では大きく伸びる。未知数の魅力がある。

・同投手は夏の高校野球甲子園大会福岡県予選決勝で飯塚商に敗れたが、オーバーハンドの本格派大型投手。昨秋捕手から強肩を買われて投手に転向。投手としてのキャリアは浅く、制球に難があるが、直球に威力がある。またバッティングもよく五番を打ち、今季・326の打率をマークしている。球団関係者は「これから伸びそうなムンムンするムードが感じられる。投手を本格的にやりだして九ヶ月しかならないが、フォームにクセがなく、鍛えれば大物になる」と高く評価している。

阪口投手の話 得意の球は速球です。でもプロ野球ではもっとスピードをつけないと通用しないでしょう。それにコントロールをつけるのも今後の課題です。稲尾監督、池永投手を目標に力いっぱいやります。
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国岡恵治

2014-12-14 21:18:03 | 日記
1970年

阪急は八日午後三時から大阪・北区高垣町の球団事務所で、国岡恵治投手(17)=182㌢、73㌔、左投げ左打ち・鴨島商=の入団を発表した。発表には渓間代表、木地相談役、父親正隆さん(42)母親元さん(44)が立ち会った。背番号は34。同投手は左の本格派で、右の太田(三沢ー近鉄)とともにスカウト間でその力は高く評価されていた。四十三年夏の甲子園大会に一塁手として出場、二回戦(盛岡一高)で敗れたが、このとき救援でマウンドを踏んだ。投手として一本立ちした昨年夏、南四国大会決勝戦で高知商に3-1で敗れたが、予選からの6試合中4試合連続完封を記録した。「投球数の半分以上がまっすぐ」と本人がいうぐらい、力で押していくタイプだが、左にありがちなコントロール不足の心配もない。昨年のドラフト会議で阪急が第2位に指名、獲得したわけだが、当時、すでに日本生命に就職が決まっていたため了解を取りつけるのに時間がかかり発表が遅れていた。ウイニングショットは内角速球。球団側は第二の梶本としてその将来性に期待している。

国岡投手の話 球種は速球とカーブの二種類しかありません。これまでに半分以上まっすぐだったし、勝負球はむろんストレートです。同じ左腕の大先輩として梶本さんを目標にがんばりたい。

藤井スカウトの話 フォームが実になめらかだ。これが長所である半面欠点でもある。しかし、研究熱心で、とにかくもっとも大切な前向きの姿勢を持っていることは大きな強みだ。

渓間代表の話 背が高いし、これで肉がつけば左腕の本格派として理想の投手になるだろう。二年ほど先が楽しみだ。第二の梶本として将来性を大いに期待している。
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