1962年
近鉄バファローズは十二日午後三時から大阪市阿倍野の球団事務所で、永江代表、別当監督が立ち会い、法大高木喬選手(22)=1㍍80、77㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。同選手は高校時代三国ヶ丘高の投手として活躍したが、大学進学後シャープな打力を認められ、一年生のとき服部監督のすすめもあって一塁手に転向した。レギュラーとして出場したのはことしの春のリーグ戦だったが、期待どおり四番打者の責をはたし優勝に貢献した。また秋のリーグ戦では打率・352をマークしてベストテン4位に入るなど、そのすぐれた素質ははやくからプロ球界に認められていたもの。背番号は5。
高木選手の話 近鉄、南海、阪急から誘いがありましたが、終始誠意をもって交渉してくださった近鉄を選びました。とくに法大の先輩関根さんもおられるし、別当監督を大いに尊敬していたからです。プロ野球はテレビでみるくらいで、あまり知識はありません。しかしこの世界に入った以上一生懸命努力して、一日も早くレギュラーになることが第一目標です。
別当監督の話 高木君のプレーをみたのは四度ぐらいだ。どの程度やれるかといわれても困るが、彼のすぐれた素質からみても、けっこうやれると確信している。
近鉄バファローズは十二日午後三時から大阪市阿倍野の球団事務所で、永江代表、別当監督が立ち会い、法大高木喬選手(22)=1㍍80、77㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。同選手は高校時代三国ヶ丘高の投手として活躍したが、大学進学後シャープな打力を認められ、一年生のとき服部監督のすすめもあって一塁手に転向した。レギュラーとして出場したのはことしの春のリーグ戦だったが、期待どおり四番打者の責をはたし優勝に貢献した。また秋のリーグ戦では打率・352をマークしてベストテン4位に入るなど、そのすぐれた素質ははやくからプロ球界に認められていたもの。背番号は5。
高木選手の話 近鉄、南海、阪急から誘いがありましたが、終始誠意をもって交渉してくださった近鉄を選びました。とくに法大の先輩関根さんもおられるし、別当監督を大いに尊敬していたからです。プロ野球はテレビでみるくらいで、あまり知識はありません。しかしこの世界に入った以上一生懸命努力して、一日も早くレギュラーになることが第一目標です。
別当監督の話 高木君のプレーをみたのは四度ぐらいだ。どの程度やれるかといわれても困るが、彼のすぐれた素質からみても、けっこうやれると確信している。