プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤田賢治

2014-12-18 22:26:05 | 日記
1969年

富山北部高・藤田賢治投手(18)=174㌢、68㌔、左投げ左打ち=の入団が内定した。藤田獲得のため富山入りしている大石スカウトは午後六時から市内のホテル神道荘に父親の弥平氏(54)と本人を呼んで話し合った結果、条件面(契約金500万円、年棒120万円)でも折り合いがつき契約した。藤田投手は春のセンバツで自信をつけ、夏の大会、国体でも好投を見せるなど進境著しい左腕。速球に伸びがあり、左投手特有のひざ元に食い込むカーブ、シュートを武器にしている。
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磯田毅

2014-12-18 21:49:02 | 日記
1963年

磯田毅投手…21年3月24日生 180㌢、75㌔、右投右打。

近鉄は二十日午後一時から大阪市阿倍野区の球団事務所で、磯田毅投手(17)=姫路市飾磨高三年1㍍80、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同投手は三十七年秋季高校野球兵庫県予選で明石商、姫路南相手にノーヒット・ノーランを記録するなど、一年生のときから活躍していた。昨年からことしにかけて巨人、阪神、西鉄、大洋に勧誘されていたが、近鉄別当監督の実兄別当喜生氏が、同校で監督として指導していた関係から近鉄を選んだ。別当監督は発表の席上で「本格派で重い球を持っている。こういうダイナミックなピッチングでないと将来は通じないと思う。本人は村山を目標にしているが、同じタイプに成長するだけの実力を備えている」といっていた。

磯田投手の話 武器は直球です。近鉄は別当監督がおられるし、早くから近鉄を望んでいました。目標は阪神の村山投手です。
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山本秀樹

2014-12-18 21:36:28 | 日記
1969年

西鉄も午後三時から福岡市内の球団事務所で、青木球団社長が立ち合い、ドラフト6位の山本秀樹投手(18)=横浜高、177㌢、74㌔、右投げ右打ち=の入団を発表。父親秀雄さん(47)渡辺元横浜高校野球部監督(26)と同席して記者会見に臨んだ。「がんばります。プロ野球で自分の力をためしてみたいと思っていました。稲尾さんみたいな投手になりたい。監督が大投手でプロへ飛び込むのは幸せです。これからはもっとストレートにみがきをかけたいと考えています」と力強く語った。同投手は二年生の秋、強肩を見込まれ外野手から投手に転向。上手からの外角ストレートを武器に二年生秋から今年にかけて約20勝をあげ、今夏の神奈川県予選で同校を決勝戦に進出させる原動力となった。予選6試合で防御率0・65をマークしている。また予選4試合で奪三振20個の県新記録を樹立、注目された。(従来は18=巨人柴田・法政二高、島野・武相)青木球団社長も「期待できる有望株だ」とたのもしそうだった。
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吉岡邦広

2014-12-18 21:11:43 | 日記
1967年

東京は交渉権を得ていた三田学園高・吉岡邦広投手(18)=179㌢、67㌔、左投げ左打ち=の獲得に成功した。二十八日午後青木、中西両スカウトが神戸市兵庫区松本通りの吉岡選手宅を訪れ、両親に日下監督をまじえて話し合い、最終的に東京入りが決まった。同投手は左腕から繰り出すストレートと大きく割れるカーブが武器で、左腕投手不足の東京は同スカウトが熱心に入団を勧めていた。契約は一月十日東京の球団事務所で行われる。

1980年
・黙々と用具係を務める吉岡邦広さん「31歳」は、村田兆冶、榊親一らとともにドラフト入団「6位」した選手だった。1967年11月のことだ。吉岡は兵庫県の三田学園のエース。入団当時、大洋の及川と共にアメリカに渡り、6ヶ月間教育リーグで武者修行してきた経験を持つ。将来を嘱望された投手だった。「いまはいいですよ。トラック便でボールなどの必要品は輸送してしまいますから。以前は列車移動の際には若い者たちと一緒に重い道具を手で運んだんですからね」と、4年前に用具係になった当時を振り返っては感慨深げだ。5,6ダースのボールの重量たるや大変な代物だ。列車に運び込むだけでも手が引きちぎれるほどのつらさ。しかし、ジプシー生活に慣れたチームとはいえ、「今日は仙台、明日は大阪」の浮き草稼業もいまは楽しい思い出ともいえる。愛称「ケロちゃん」。ユニフォームの洗濯が間に合わなくなったりしたとき「おい、俺のまだか」と選手に催促されても「エッ」と驚くぐらいで、あとはケロッとしているところからつけられたニックネームだ。合宿時代から住み慣れた東京・杉並から今年の4月に横浜市鶴見区のマンションに引っ越した。「子供のためを考えると環境がよくない」と思ったからとか。前期シーズンの優勝騒ぎで内外とも活気のあるロッテ・チーム、その中できょうも吉岡用具係は、試合前の球場に一人1番乗りして、選手のために用具をセッセと整理している。趣味は別に・・というが、ゴルフとマージャンの腕前は確かなようだ。
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千葉剛

2014-12-18 21:09:37 | 日記
1969年

広島は十六日午後一時から、広島市基町の球団事務所で、ドラフト一位指名の日鉱日立・千葉剛投手(21)=186㌢、77㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同投手は、東北高を四十二年に卒業と同時に日鉱日立に入り、エースとして活躍。都市対抗に二度出場、通算15勝7敗。今シーズンは1・90の防御率をあげている。荒削りながらオーバーハンドの本格派で、シュートを武器としている。実兄勲さん(22)に伴われ発表の席に現れた千葉投手は、さすがに社会人出身らしく終始落ち着きはらっていた。報道陣の質問にもテキパキと答え「村山さん(阪神)を目ざしてがんばりたい」と大物投手らしい抱負を述べていた。なお、同投手は来春の自主トレーニングから参加する予定。

千葉投手の話 プロ野球には以前からあこがれていた。でもまさか一位に指名されるとは思っていなかった。プロに入った以上は、一日も早く第一線で投げられるよう努力したい。そのためには下半身をもっともっと鍛え込まなければいけないと思う。同じ社会人から片岡、泉沢君がプロに入ったが、かれらに負けないようがんばりたい。

根本監督の話 実際のピッチングを見たことはないが、ストレートを主体とするピッチングに飛躍する可能性を秘めているようだ。小さくかたまらず、あくまでも大きく伸びてほしい。
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石田二宣

2014-12-18 21:03:41 | 日記
1962年

大毎球団では一日午後一時荒川区南千住の球団事務所で石田二宣捕手(20)=1㍍79、75㌔、右投げ右打ち、宇都宮学園ー東黎工業の入団を発表した。同選手は今夏の都市対抗の予選で神宮球場で二本のサク越えホーマーを放つなどノンプロ球界では屈指の好打者、好捕手として定評があり、大毎のほか巨人、中日、大洋から誘いを受けていたが一番早くから交渉を進めていた大毎が獲得したもの。

石田選手の話 一番早く大毎の片岡スカウトがおみえになった。私は最初からオリオンズに入ることを決めていた。一部のスポーツ紙には巨人入りと書かれて非常に迷惑した。大毎には練習、谷本たんといったいい先輩がたくさんいるが特定の人を目標とせず、大毎の捕手陣全体をライバルとしてがんばりたい。一日も早く公式戦に出場するのが念願です。

本堂監督の話 非常にバッティングがいいと聞いているので特徴をよく生かすように使いたい。もちろんキャンプからみっちり鍛えあげるが、まだ若いのですぐには無理だろうが、将来大いに楽しめる選手だ。
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八木孝

2014-12-18 21:02:57 | 日記
1962年

広島カープは十九日午後一時広島市民球場内の同球団事務所で明大八木孝投手(22)=1㍍75、65㌔、左投げ左打ち、佐伯鶴城高=の入団を発表した。同投手は今シーズンカープが獲得した唯一の大物選手。リーグ戦終了後、一時東映から強引な勧誘があって本人の気持ちがかなり動揺していたようだったが、大学入学当時から熱心に勧誘をつづけていた広島カープが獲得したもの。二年生の秋対法大戦に初登板、しばらくスランプに悩んでいたが三年春からエースとして活躍、今秋は10試合に登板、完投3、先発4、救援3、5勝1敗、勝率・833 防御率0.545を残している。このうち対慶大2戦から対東大2戦まで39イニングス1/8無失点記録を作っている。左腕からのストレート、シュートには威力があり本格派。左投手は大羽以外にいないカープにとっては大きな戦力になりそうだ。なお背番号は未定。

八木投手の話 東映からも話があったが、自分の気持ちは早くからカープに決まっていた。カープには池田、阿南、漆畑の各先輩もいるし、チームカラーが自分にピッタリしていると思う。研修制度もあることだし、みっちり鍛えてもらってからやりたい。プロ野球はテレビで見る程度だが、何とかやれそうな気がする。

白石常務の話 今シーズンの補強は投手に重点をおいていたが、その中でも一番期待していたのがこの八木だ。ウチは大羽以外に左で頼れるものがいないだけに実力からいっても相当な戦力になるとみている。
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笠崎壮夫

2014-12-18 20:57:45 | 日記
1963年

大洋は十八日午後三時から東京・銀座西の球団事務所で、森代表三原監督が立ち会い、笠崎壮夫投手(22)=下関商ー八幡製鉄、1㍍69、70㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は未定。笠崎投手は八幡製鉄時代、35、37年は日鉄二瀬、36年は日炭高松の補強選手として都市対抗に出場、38年は八幡製鉄の投手として一回戦では帝国石油から毎回三振を奪うなど、ノンプロでは一線級として折り紙がつけられていた。下手投げから外角に決まる球には威力があり、ことしの都市対抗予選でも連続7三振を奪っている。早くから広島、西鉄、近鉄の三球団が目をつけていたが、大洋は昨年はじめから、引地スカウトが熱心にさそっていたものが成功したもの。
契約は十月下旬にすませており十一月四日から多摩川の合宿にはいって練習に参加している。

笠崎投手の話 下関商、八幡製鉄と名門を歩んできたので、今後も一生懸命やるつもりだ、目標は秋山さんだが、いままでの調子でやれるところまでやりたい。カベに当たればそのとき考えます。まだプロの練習は十日間程度やっただけなので、プロの力はよくわからない。研修期間中にみっちり勉強して方針を決めるつもりだ。得意は外角球だ。

三原監督の話 一口にいえば、サブマリン投手です。足、腰がいいのでバネがあり、期待しています。
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平野克明

2014-12-18 20:54:27 | 日記
1963年

大洋は十九日午後二時半から銀座西の球団事務所で、秦代表立ち会いのもとに平野克明投手(22)=新潟県柏崎工高ー電気化学、1㍍74、68㌔、右投げ、右打ち=の入団発表を行った。同選手は三十五年四月電気化学(新潟県青梅工場)に入社、速球とシュートが武器で、今夏の都市対抗予選の決勝戦で不二越鋼材に1-0で敗れたが、5試合(完投2)投げて43イニングス9安打、奪三振41、死四球5、失点1、自責点0、34イニング無失点というすばらしい成績を残している。秋の産別大会にも出場、一回戦で日石に6-2で敗れている。

平野投手の話 僕のウイニングショットはあくまでストレートです。プロでやれればどこでもいいと思っていました。とにかく八方破れのつもりで自分のベストを尽くしてみます。
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宮下陽吾

2014-12-18 20:53:19 | 日記
1962年

国鉄スワローズは、二十五日午後零時半から東京丸ノ内の球団事務所で、日本ビール宮下陽吾投手(20)=栃木商出、1㍍79、70㌔、右投げ、右打ち=の入団を発表した。

同投手は五月のノンプロ新潟大会で、新潟コンマーシャルから連続8三振の社会人野球新記録をマーク、同大会の最優秀投手になった。上手投げで速球を武器とする本格派である。

「君、うれしいじゃないか。宮下君はスワローズ以外にプロ野球を考えなかったというんだからな」発表の席に立ち会った浜崎監督が、目を細めて長身の宮下をみつめていた。宮下は「日本ビールにいたころから、スワローズのチームカラーが好きでした。都会的だし、内部もすっきりとまとまっているようだった」とチームにほれ込んで入団した気持ちを諮っていた。身長(1㍍79)の割りには体重(70㌔)が少なく、一見きゃしゃな感じの体つきをしているが砂押コーチにいわせれば「こういう体つきの投手はバネが強く大成するケースが多い。宮下もかなりやれるでしょう」と折り紙をつけている。野球を始めたのが栃木県西方中学の二年生で、以後今日まで一貫して投手をつとめ、栃木商時代は三年間で実に46勝をマークしている。そのころの思い出で、一番強く頭に焼きついているのが、県大会で優勝候補の呼び声高い栃木工を破って優勝したことだそうだ。日本ビールに入ってからは、三十六年の静岡大会で城之内(巨人)を助けて優勝、ことしの新潟大会では連続8奪三振奪取の記録をつくって最優秀投手に推され、チームも優勝した。このときは日石の佐々木(大洋)と投げあって堂々とこれを破っている。長身から投げおろす速球を主武器に押しまくるピッチングは、プロ球界から注目され、国鉄も昨年から交渉していたところ、今回の日本ビール野球部の休部で、本人の気持ちがプロ入りに傾き、この日の発表にこぎつけたものだ。「国鉄に入ったからには、一日もはやく投手陣の一翼をになえる投手に成長したい。研修期間中にはピッチングを勉強することのほかに、体をつくることを心がけたい」と強く抱負を語る愛息をみつめて、父親新八郎氏は「まだ若いし、陽吾の祖父は86㌔(23貫)もあった人だから、あの子もこれから肉がつくと思う」といっていた。太陽のように明るく、大きく育つように陽吾という名前を自分の長男につけたそうだ。太陽の子、宮下の成長が楽しみである。

浜崎監督の話 宮下はウチ以外のチームには行かんといったそうだが、うれしいじゃないか、若いんだし、せっかく望んでウチに入ってきてくれたんだから大いに期待している。
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門谷昭

2014-12-18 20:36:37 | 日記
1964年

左腕の好投手として、四国球界で知られている高知県安芸高の門谷昭投手(18)=左投げ左打ち、1㍍71、70㌔=は、このほどセ・リーグ広島カープ入団が内定した。正式発表は八日ごろの予定。門谷投手はことし春の高校野球大会に出場、外角のカーブと速球が武器の本格派投手として定評がある。
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沢野肇

2014-12-18 20:35:49 | 日記
1962年

萩商工の沢野肇捕手(17)=1㍍73、71㌔、右投げ右打ち=はこのほど萩商工で田中同校野球部長、実父立ち会いのもとに広島カープと契約した。これで広島の新入団選手は、内定しているものも含めて10選手となり、きょう十四日あわせて発表される予定。沢野選手は昨シーズンからレギュラーを勤め、三、四番を打って西中国予選で活躍、注目を浴びた山口県下一の強肩強打の捕手。
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副島末男

2014-12-18 20:34:08 | 日記
1969年

午後四時から大阪・梅田の球団事務所で副島末男投手(18)=181㌢、77㌔、右投げ右打ち、佐賀・塩田工=の入団発表をした。同投手は未完成だが、ストレートに威力を持つ本格派。バッティングもよく、公式戦で5ホーマーをマークしている。背番号は66。
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但田裕介

2014-12-18 20:33:11 | 日記
1969年

午後四時から大阪梅田の阪神本社三階会議室で三位指名但田裕介投手(18)=176㌢、67㌔、左投げ左打ち、堀越高=を発表した。同選手は進学を希望していたが、阪神の熱心な勧誘にプロ入りに踏み切ったもの。堀越高のエースとして今春のセンバツ大会に出場。左腕からの速球を武器に準優勝を飾っている。戸沢社長、村山監督のほか、堀越高・田辺監督、母親麗子さん(41)が立ち会った。

但田投手の話 進学の気持ちを持っていたが、最終的にはプロでやりたい気持ちだった。得意のい球はストレート。江夏さんのような力で押すタイプになりたい。
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松本雄作

2014-12-18 20:32:18 | 日記
1962年

国鉄スワローズはこのほど明大松本雄作外野手(22)=農学部四年1㍍78、76㌔、左投げ左打ち=の獲得に成功、近日中に発表することになった。同選手は今春東京六大学リーグで外野手、五番打者として活躍したが部内の事情で退部していた。これに目をつけていた国鉄が島岡総監督と話し合って勧誘に成功したもの。同選手の長打力は定評がある。
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