プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三村敏之

2014-12-10 21:52:16 | 日記
1966年

午後二時から球団事務所で広島商の三村敏之選手(18)=175㌢、68㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同選手は広島が第一回選択会議で二位にランク。交渉権を獲得していたもので、高校では一流の攻走守三拍子そろった内野手として注目を浴び、広島をはじめ六球団がねらいをつけていた。しかし当初は本人の法大進学の意見が堅く入団交渉は難航したが、木庭スカウトらの熱心な勧誘が功を奏した。今夏の甲子園大会では対桐生戦で4打数1安打、二年生の秋から三年夏までの1シーズンに・340の好打率を残し、5ホーマーをマーク。ベース一周14秒5の俊足の持ち主である。

三村選手の話 これからは一日も早く一人前になるようがんばります。目標は広岡さん(前巨人)のようなタイプの選手ですが、こまかい野球ができるようになりたいと思っています。

長谷川監督の話 攻走守のバランスがとれているのが魅力だ。即戦力は無理としても、ウチが他の好投手をはずしてまでリストアップした選手だけに、大きな期待を寄せている。
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東出康博

2014-12-10 21:46:32 | 日記
1968年

東出は星林の四番打者。ことし春、夏の甲子園に出場、12打数6安打を放って注目され、三年間の通算打率は4割を超え13本塁打をマークしている長距離打者。


東出康博内野手(18)…1㍍78、78㌔、右投げ右打ち、星林高。
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加藤俊夫

2014-12-10 21:30:23 | 日記
1966年

正午、東京・有楽町のラクチョウビル内球団事務所で加藤俊夫捕手(18)=日軽金、178㌢、81㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。正式契約は十五日過ぎ仙台で行われる。ことし第二回の新人選択会議で産経がリスト一位にランク。無競争で交渉権を得た大型捕手で宇高スカウトが担当、仙台育英高時代から大物とうたわれ、二年の夏には全国高校野球選手権に出場、プロ球界からその強打と強肩で騒がれていた。日軽金での一年間はもっぱら控えにまわって目立った働きはないが、高校時代は通算打率・380をマークしている。捕手に人材を欠く産経では期待の新戦力として、奥柿一塁手とともに成長が楽しみにされている。なお、加藤の入団によって産経がことし獲得した新人はこれで六人。現在交渉中の選手はなく、産経の新人補強は終わったようだ。

加藤捕手の話 野球をやるかぎりは一度プロでやってみたかった。目標は巨人の森さんだ。肩には自信がある。
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樋口正蔵

2014-12-10 19:50:59 | 日記
1971年

南海の樋口正蔵外野手(32)=左投げ左打ち、法大出=は八日午後二時半、大阪・浪速区の球団事務所で新山球団社長と会い「家庭の事情」を理由に引退を申し入れた。同社長は野村監督と会って検討、一応川勝オーナーと相談して決めることにしたが、引退は決定的である。同選手は三十七年法大から入団翌年三十八年135試合に出場、打率・313をマークした。長打力はないが、左右にうまく打ち分けるしぶといバッティングでチームに貢献した。野村監督になった四十五年から若返りのあおりを食って控えに回り、代打要員で活躍、今年72試合に出場、打率・257に終わった。十年間の通算打率は・281。体力的にはまだやれる自信があったようだが、家業(樋口鉄工所)を手伝わなくてはならなくなり、八月ごろ引退を決意、シーズン終了後、野村監督に意向を伝えていた。
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