1967年
ながれ(流)と読む。珍しい名前だ。一人に会うごとに読み方を聞かれるんです。めったにない変わった名前だから・・。」中央球界には無名の選手だが、九州ではなかなか知られている。三年のとき、春季九州大会県予選の対八幡戦で七回コールドゲームながら完全試合を達成、地元で話題になった。阪急はこれに目をつけ九州遠征のさい、西本監督が直接に流投手のピッチングを見てほれ込んだ。右のサイドスロー。足立のようなタイプと想像してもらえばいい。西本監督は「からだはそう大きくない(176㌢、70㌔)が、球速がある。サイドハンドといっても技巧派ではなく、力でグイグイ押す本格派。高校生としズバ抜けている」といっている。野球と本格的に取り組むようになったのは中学(思永)にはいってから。一年のときからサイドスローで投げていたというから、その投法が板についているのも当然だ。高校二年の秋にエースとなって以来の通算成績が20勝3敗。三つの敗戦のうち、もっとも残念だったのが四十年の秋、九州大会県予選北部大会決勝で小倉に0-1で敗れた一戦。「あれに勝っていたらセンバツに出られただろう。なにしろあまり打てないチームだったので・・・」まじめな性格で父親信夫さん(46)が酒を飲んでいると「お父さん、酒飲みはきらいだからやめてほしい」とたしなめるほど。それだけに信夫さんもプロ入りには「なんといってもふつうの社会と違ったところへ行かせるわけだから不安もありましたが、まじめに一生懸命やってくれるだろうと思いましたから、本人の意思を尊重しました」と反対は全然しなかったという。芝工大、亜細亜大学からも誘いがあったが「同じ野球をするならとことんまでやるべきだ」と思いプロ入りを決意。「僕は何でも中途半端になるのが一番嫌いなんです」という気持ちもプロ入りに拍車をかけたらしい。目標の選手とかライバルは目下のところないという。「僕自身がたいした選手でないのに大きなことをいっちゃあ・・。とにかく一生懸命やるだけです。監督さんや先輩のいわれることをよく守って・・・」と謙虚に語る。
ながれ(流)と読む。珍しい名前だ。一人に会うごとに読み方を聞かれるんです。めったにない変わった名前だから・・。」中央球界には無名の選手だが、九州ではなかなか知られている。三年のとき、春季九州大会県予選の対八幡戦で七回コールドゲームながら完全試合を達成、地元で話題になった。阪急はこれに目をつけ九州遠征のさい、西本監督が直接に流投手のピッチングを見てほれ込んだ。右のサイドスロー。足立のようなタイプと想像してもらえばいい。西本監督は「からだはそう大きくない(176㌢、70㌔)が、球速がある。サイドハンドといっても技巧派ではなく、力でグイグイ押す本格派。高校生としズバ抜けている」といっている。野球と本格的に取り組むようになったのは中学(思永)にはいってから。一年のときからサイドスローで投げていたというから、その投法が板についているのも当然だ。高校二年の秋にエースとなって以来の通算成績が20勝3敗。三つの敗戦のうち、もっとも残念だったのが四十年の秋、九州大会県予選北部大会決勝で小倉に0-1で敗れた一戦。「あれに勝っていたらセンバツに出られただろう。なにしろあまり打てないチームだったので・・・」まじめな性格で父親信夫さん(46)が酒を飲んでいると「お父さん、酒飲みはきらいだからやめてほしい」とたしなめるほど。それだけに信夫さんもプロ入りには「なんといってもふつうの社会と違ったところへ行かせるわけだから不安もありましたが、まじめに一生懸命やってくれるだろうと思いましたから、本人の意思を尊重しました」と反対は全然しなかったという。芝工大、亜細亜大学からも誘いがあったが「同じ野球をするならとことんまでやるべきだ」と思いプロ入りを決意。「僕は何でも中途半端になるのが一番嫌いなんです」という気持ちもプロ入りに拍車をかけたらしい。目標の選手とかライバルは目下のところないという。「僕自身がたいした選手でないのに大きなことをいっちゃあ・・。とにかく一生懸命やるだけです。監督さんや先輩のいわれることをよく守って・・・」と謙虚に語る。