プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松尾輝義

2014-12-20 21:22:28 | 日記
1969年

松尾輝義投手…180㌢、72㌔、右投げ右打ち、長崎商高、ドラフト10位

・昨夏の甲子園大会、秋の国体に出場しており、国体では取手一高戦で連続5三振奪取の記録を作ったのを始め、二年のとき一試合22奪三振を記録、ノーヒット・ノーランを二回記録した速球投手。

松尾選手の話 堀内さんが目標です。得意の球はストレート、力いっぱいやる覚悟です。
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所憲佐

2014-12-20 21:21:24 | 日記
1969年

所憲佐捕手…177㌢、72㌔、右投げ右打ち、兵庫県市川高、ドラフト13位

・高校の通算打率三割五分、通算本塁打3本、盗塁刺殺率九割という強肩の持ち主。


所選手の話 森さんが大好きです。左打ちになったのも森さんのようになるよう兄にいわれて小学校四年のときにやり始めた。
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八重沢憲一

2014-12-20 18:51:34 | 日記
1969年

近鉄入りが濃厚視されていた三沢高・八重沢憲一遊撃手(18)=175㌢、69㌔、右投げ右打ち=が、三沢高・藤林広太郎校長を通じて近鉄・中島スカウトに「交渉を白紙に戻してくれ」と申し入れてきたことによって難航をみせている。中島スカウトが入団の決まった太田投手を迎えた十八日三沢市入りしたさい、最終的な入団交渉をし、本人、父親幸三郎氏(44)も快く受け入れ、条件面まで進展していた。ところが、これを知った藤林校長が十九日になって幸三郎氏を呼び出し「他からも入団の誘いがある。近鉄の方はひとまず白紙に戻すように」と説得したためのものとみられている。しかし中島スカウトは「本人は太田君もいることだし、ぜひ近鉄でやりたいといっているし、きてくれると思います」と希望をつないだ。八重沢は太田ブームの陰に隠れ目立たなかったが、三沢高の一番打者をつとめ、高校選抜ブラジル遠征にも選ばれている。ドラフト会議ではどこにも指名されず、また本人は明大進学を希望していたが、家庭の事情から断念。「できることならプロでやりたい」という希望を太田の父親暁氏(54)を通じ、近鉄に打診したところ、スムーズに話が進んでいた。ところが三沢高を通じ、日大、ノンプロが誘いをかけてきており、藤林校長はそちらの方に力を入れたいという希望を持っているところから、話がこじれた模様である。

近鉄・中島スカウトの話 話は九分九厘決まっていたのですが、急に学校側から白紙に戻せといってきた。しかし小学校から一緒の太田もいることだし、何よりも本人が入団を希望しているところから、きてくれるものと思っています。
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山田直政

2014-12-20 14:14:31 | 日記
1967年

山田直政投手…178㌢、73㌔、左投げ左打ち、岡山南。

・山田は春の県大会ではベスト4まで勝ち残った経験があり、下半身の強さは抜群。「スピードは高校とプロは違いますが、一日も早くプロのスピードに追いつきたい」
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西村俊二

2014-12-20 09:42:28 | 日記
1969年

近鉄も二十六日午後四時半から大阪・東区森の宮の球団事務所で指名三位の河合楽器・西村俊二遊撃手(22)=175㌢、72㌔、右投げ右打ち、福岡工=の入団を発表した。三度の交渉で決まったもので契約金600万円、年棒120万円。背番34。同選手は阪急の阪本遊撃手が河合楽器を退社したのと入れ違いに福岡工大を中退して同社に入社。すぐにレギュラーとなり、この三年間で2割7分7厘、15ホーマー(約120試合)を打っている。ベース一周14秒6、100㍍を11秒7の俊足と強肩が自慢。なお同選手は昨年西鉄から指名され、一応交渉を受けたが話し合いがつかなかった。

西村選手の話 守備には自信がある。一日も早く、試合に出られるようがんばりたい。
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