プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

辻中貞年

2016-10-10 21:56:33 | 日記
1955年

このところ連敗新記録や失策タイ記録をたてている大映は何となく元気がなかった。一回トップ木村が一ゴロを滝田ファンブルして生かした後、日下のバントで木村を二封したものの、武智(修)小玉の右前安打で二点をとられた。大映の攻撃は二回トップ菅原の左前二塁打のあと二宮のライナー性の中前安打で一点を返し、さらに二死後山田の右翼二塁打が出たが、一塁走者二宮は慎重に三塁にとまった。結局一点に終わったのだがタイに持ち込めるチャンスだっただけに積極的な気はくがかけていたようにも見える。近鉄は二回以後飯尾の速球とドロップの巧みな配球に手が出ず安打らしいものは八回木村の右前打だけで、一回の二点を守って逃げこんだ形。大映は二回以後守っては遊撃山田の好守に内野陣が引きしまって飯尾の好投とともに追加点を許さなかったが、攻めては二回以後いずれも辻中の外角に落ちるスピードのあるドロップの上をたたき、安打の数からいっても押し気味に試合を運んだが決定打がなかった。
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布施勝巳

2016-10-10 21:46:31 | 日記
1955年

東映は前半で勝負をきめた。一回は常見の二塁打を土井垣左前タイムリーでかえし、二回は中前安打の浅原が水上の左前安打で三進、辻中の暴投で労せずして一点を加えた。先発した近鉄辻中は中途半ぱなスピードで好球をそろえたところをねらい打たれた。三回にも東映は西江の左前安打で辻中を降し、代わった山下をも鋭く攻めて常見のバント・ヒット、二死後蓑原、水上の適時打と1四球をはさんでこの回三点を奪い、三回まで八安打の五点をあげて大勝を決した。近鉄は四回までノー・ヒット、横手から投げる布施のカーブ、シュートに手も足も出ず五回戸口の投手強襲安打が出てはじめて近鉄ファンから歓声があがった。しかしこれは次打者が凡退してモノにならず六回にも二死後木村、日下の連安打で得点機をつかんだが代打安居が一邪飛に終わってダメ。しかし七回には二死から戸口、今久留主の連安打と代打香川のタイムリー左翼二塁打で待望の得点をあげた。これでシャットアウトだけはまぬがれた。東映は七回にも四安打、1四球で三点。八回は投手失から常見のタイムリーで一点と確実に加点した。一点をとってからの近鉄は安打を打つのも精いっぱいで完敗した。
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内山清

2016-10-10 19:10:15 | 日記
1950年

阪神内山はシュートとカーブの配合よく、二回と八回を除く毎回中日打者をほとんど三人ずつ料理したものの、元来球に威力がない上、きめ球がないためここというところで押しがきかず、二回杉山と松本の二塁打二本に野口、国枝の単打がはさまるなど止めどなく打たれて一挙三点をとられたのが、現在打てない阪神にとっての致命傷になった、一方体重を一挙に二重五〇〇匁減するほど十分トレーニングを積んだ中日清水は例の通りスロードロップに時々速球をまじえるうま味のあるピッチングで阪神を完全に悩殺し、四安打の散発を許しただけで二塁を踏んだもの皆無という見事なシャットアウトゲームを演じた、清水の好投と中堅打者の好打で試合をワンサイドに進めた中日は八回に入ってまたも坪内の二塁打に始まる四安打の集中でだめ押しの二点を加えたが、藤村以下が全然あたらない打力不振の阪神は投手力でも中日に劣ってこのような結果をみたわけである。
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野本喜一郎

2016-10-10 18:06:19 | 日記
フォーム・・・下手投げ 球種・・・カーブ、シュート

1951年

前回三位にのし上がった西鉄と再度三位奪回をめざす大映との対戦で興味を呼んだ、果たして野本、大津と林との一点を争う投手戦となり、七回大下殊勲の大ホーマーと五回中途からリリーフした大津の力投で西鉄が三位を確保した。林は横手投から速球とカーブを内外角ぎりぎりにきめる多彩なピッチング、野本も下手投から低目によくきまるカーブとシュートで林に負けぬ好投だった、このため両軍とも三回までは軽く三人ずつ片付けられていたが四回両軍とも先頭の今久留主、島田が初安打して好機を迎えた西鉄は今久留主の盗塁失敗、大映は菅原の三直で併殺され、ともに最初の好機を逸し0-0の均衡は容易に崩れそうもなかった。しかし六回まで三安打の散発、無四球の好投をみせていた林が、七回二死後大下に不用意にも第一球に高目の絶好球を呈し、これを痛打されて右中間三百八十フィートの大ホーマーされた、これが両軍を通じて最初にして最後の得点になり、林はこの失投のため敗戦投手となった。これに反し五回野本がトップの飯島を歩かせたところでリリーフした大津はこの回飯島を二塁に釘づけにし、七回にもこの日の当りや島田にヒットされバックのエラーなどで二死三塁と攻められながら飯島に臭い球を投げて歩かせ一点を守り切った。
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高松利夫

2016-10-10 16:30:45 | 日記
1952年

三連敗の大映は安定性のある高松を立て、南海は二回戦に投げたばかりの江藤を登板させたが、江藤はカーブが決まらなかったうえスピードものらず七回までに決定的な四点を与えて退き、八回から大神に代わった。一回大映は二死後気をゆるした江藤から伊賀上、飯島が四球に歩き菅原が初球を中前に快打して試合を先行、三回は坂本に左翼線二塁打と伊賀上の左前安打四回にも無死で菅原が左中間に三塁打し、伊勢川の右飛で細かく得点を重ね逃げ込みにかかり七回にも島田に左翼に初本塁打され試合を決定した。一方南海は一回蔭山が中前に安打後木塚の一塁フライは飯島落球、蔭山二封されたが二、三塁を連盗してチャンスを思わせたものの高松のスライダーとシュートに抑えられ後続なく、ようやく四回無死で山本が二塁打しボークに三進、堀井の左飛に一点を奪っただけであった。
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桑名重治

2016-10-10 16:02:10 | 日記
1952年

近鉄は好調を伝えられた沢藤、東急は桑名の登板となったが、両軍の貧打が一応投手戦のかたちで回を重ね、桑名は無造作な投球をしていたが、近鉄をきりきり舞いさせとくに横手からのブレーキのあるカーブに威力を見せ、七回田川に右翼安打されるまでは全然近鉄打線を寄せつけず三人ずつを簡単に片付け完全試合成るかの興味がつながれた。一方攻めては近鉄沢藤のシュートに幻惑されて打てずたまたま安打が飛び出してもものにならずゼロを重ねて後半に入った。後半に入るや沈黙していた投球打線は爆発、一挙に五点を奪って試合を決定、全くの凡戦に多少の味を添えた。即ち六回一死後浜田が四球に出野村が左翼線に二塁打して猛攻の火蓋を切り深見に敬遠されて満塁と絶好機をつかみ、勝負を挑まれた常味は初球を強引に左前適時安打し二者を還した、続く浅原も三塁線を猛烈に破る二塁打するに汲んで沢藤をKO、なおも二、三塁と好機を続け、代わった香川から斎藤も中前に安打して二者を還し長沢の当りは痛烈だったが、三塁真正面で併殺に逸したものの2四球をはさんで野村の二塁打を含む四安打を集中、計五点を奪ったものである。勢にのった投球は七、八回にも一点ずつを加え最終回は野村の三塁打などで二点を加えて全くワンサイドに試合を決めてしまった。この試合近鉄打線を二安打のシャットアウトに封じ込んだ桑名の好投と四打席三安打の斎藤の好打が光っていた。
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樽井清一

2016-10-10 15:50:47 | 日記
1955年

投法・・スリークォーター 球種・・・シュート

南海は一回樽井の立上りを攻め、蔭山が0-1から内角低目の半速球を左翼席へ打ちこみ、岡本も遊撃右の安打して樽井に五球投げさせただけで一点をとり、なおもチャンスをつづけた。このあと飯田は遊ゴロで岡本は二封されたが、堀井、飯島が連続四球で一死満塁、杉山の一ゴロで飯田がかえってすばやく二点を先取した。樽井はスリー・クォーターからのスムーズなフォームをみせていたが、きめ球がなく苦心して投げるシュートも威力がなかった。しかし以後はノラリクラリとした投球でかわすことに成功、四回2四球で二死一、二塁とされたがよく追加点をあげさせなかった。一方中村はカーブの切れよく相当ウェイトがのっている速球で四回まではノー・ヒット、その間走者は三回蓑原を歩かせ二盗のさい捕手の二塁悪投で進めた一人だけ、毎回三振を奪って完全に抑えていた。この中村に東映は五回一死後常見が2-3から二人目の走者として四球で出塁、安藤の代打土井垣カーブを三振(このとき常見二盗)したが樽井は初安打を遊撃岡本の頭上に見舞って一点を返した。
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豊永隆盛

2016-10-10 15:40:01 | 日記
1966年

プロにはいって最初に苦労したのは気が強くないといわれる評判を打ち消すことだった。精いっぱいの抵抗? を見せて、背伸びをするような態度をとってみたりするところも見えた。だが、いまでもグラウンドに出入りするときは帽子をとって頭をさげる高校時代の習慣が残っている。すなおさと正直な性格はそのままだ。「あせらずじっくりやります」というのが、この試合を終わっての感想だった。反省をはっきりした口調で話した。「腕の振りに鋭さがないので、低めの球がのびなかった。とにかくもっとスピードが乗らなければ、変化球も生きてこないと思います」この試合では、始めてシュートを使った。十球ほど投げたそうだ。だが切れはよくなかった。船田にホームランされた球を本人は「シュート」というが、ほとんど変改していなかった。ネット裏では「どうしてあんな棒球をド真ん中に投げたんだろう」とシュートとは全然気づかなかったほどだ。松山キャンプを終えて中日球場へ帰ってから投げはじめたので、ほとんど身についていないようだ。「これから勉強をつづけます」をくり返した。中山コーチ補佐は「高めの球はよくのびていた。カーブもよかった。だが、シュートはまだ切れていない」と評価した。課題になっている低めの球にのびをつけるため、遠投を思い切りやらせる計画だ。豊永も「遠投がいいと思っています」と真剣だ。「スピードをつけるためには、どんな苦しいことでもやってみる」という。そしてこんごの予定を意欲的につくっている。「第一はまずスピードを増すこと。それと並行してシュートを完全に身につけたい」それができたら、いまひとつの変化球落ちる球にとり組むという。「三種類くらい変化球がほしい。でも変化球にたよる投手には絶対になりたくない」
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小林経旺

2016-10-10 15:23:29 | 日記
1952年

松竹は国鉄の先発箱田の無制球にしばしばチャンスを摑みながら後続打線が悪球に手を出して得点できなかったが、三回吉田の平凡な捕飛を佐竹落球、小林章四球で無死一、二塁のチャンスを迎えた、しかし箱田に代わった高橋に軽くひねられさらに六回小林章四球、宮崎の中前安打が出た絶好機も無死四球で出た吉田が捕手の牽制球で憤死して自らチャンスを潰した。しかし試合は松竹が押し気味で国鉄は小林のカーブ、ドロップに全然手が出ず、前後半を通じて僅かに三回左前安打の福田をバントで送ったあと四球の土屋が二盗して二死二、三塁となり初岡の好打が期待されたものの初岡は右飛にたおれ、唯一のチャンスを潰した。松竹は七回無死左前安打の金山が二盗、平野の一邪飛で三進、小鶴四球で一死一、三塁から三村が投手、一塁間にドラッグバントを敢行、これが内野安打になってまず一点、続いて三村と小鶴は重盗を敢行したが、小鶴三本間に挟殺されて追加点をあげ得なかった。八回試合を捨てた国鉄が投手を井上佳に代えた代りハナを二安打、1四球で一点、さらに九回には吉田の左翼上段に打ち込んだ第3号ホーマーで止めを刺した国鉄は小林に徹底的に抑えられ、四安打を散発したのみであった。
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オニール

2016-10-10 14:44:05 | 日記
1952年

阪急を降して上位進出をねらう西鉄はオニールをたてたがオニールは左腕からの大きく曲がるカーブを多投する好投で阪急打線を抑えれば柴田もまたコーナーを攻める速球に威力をみせたが、打者を不利に追い込んでからの配球にいま少しの感がありそこを西鉄につけこまれた阪急は初回藤井がストレートの四球で二、三進、チャンスを思わせたがダメ、二回は植田が右翼線にフラフラ安打しベースランニングよく三塁打にして好機を掴み、内尾初球のカーブをつまりながら打ったが、これが中前に転がる安打となって先取点をあげた。しかし三回柴田が無死で今久留主に四球を与え八浪には2ストライクと追込みながら内角に好球を投げての大失投で左翼線に二塁打され無死二、三塁と苦しめられワイアットの浅い中飛で同点にされた。西鉄は三回でタイにしたものの柴田から前半安打二本しか奪えなかったが六回小田野の三遊間突破に足場を掴み、日比野の二ゴロを内尾が失するラッキーにつづく大下は真中シュート気味の絶好球を逃がさず中前に殊勲の安打して小田野を還し逆にリードを奪い、最終回には無死中西今久留主と連安打、八浪がまたもや左前へ適時打して決定的な二点を加えてよく投げていた柴田を打ち崩し、代わった天保からワイアットが中前安打すれば二塁走者八浪は古川の好返球で憤死したが、小田野も安打を奪いこの回五安打を集中してダメ押しの三点をあげた。その裏オニールが叩かれて一点を返されたが、勝敗に関係はなかった。
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宮沢澄也

2016-10-10 14:42:37 | 日記
1955年

宮沢はシュート、カーブを低目に投げ分け大映打線を完封、九回を通じて三安打、三塁を踏ませぬ好投だった。大映にはほとんどチャンスらしいものもなかった。これに対して去る五日の対近鉄戦から中二日おいて登板の飯尾も三回まで毎回安打されながら速球とシュートを外角に集め決定打を許さなかった。六回東映は一死後西江、浅原の長短打で一、三塁と初めて得点機をむかえた。ダブられ得点出来なかった。押し気味に試合を進めてきた東映は九回スピードの落ちた飯尾を攻めトップ浅原が遊越安打、一死後土井垣が右前安打して一、二塁、ここで増本が初球をたたいて一、二塁間をゴロでぬき、二塁から浅原をむかえて決勝点をあげた。枝村からの本塁送球は高く浅原を刺せなかった。

土井垣捕手談 「宮沢はカーブとシュートが内角低目に入りコントロールもあり全くいい出来だった。スピードもいつもよりあった」
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杉山悟

2016-10-09 00:08:28 | 日記
1957年

一回二点を先取した大洋も四回同点にもちこまれ、五回には杉山の一撃で一挙に試合をひっくりかえされた。中、西沢がホームにかけこみ、二塁ベースへ達した杉山が背番号25をホームの方へ向けて、腰に両手をあてて大きく深呼吸した姿を、中日ベンチではまったくたのもしい四番打者と感じたにちがいない。この大会第一日目の対国鉄戦では七回まで国鉄にリードをとられ、勝負をあきらめさせ、その日の夜行列車の切符もとっておいたという杉山選手は、きょうの優勝をどんな気持で迎えただろう。「五回の一打は真ん中高目の直球だった。そのほかなにもいうことはないね。ツイていたんだよ」それだけいって杉山選手は九回表の最後の打者中島が左翼へ打ちあげたウィニング・ボールを無造作にポケットにしまうと、二本のバットを大事そうにかかえて一塁側のダッグ・アウトを出た。準決勝の対巨人戦で逆転3ランホーマーを放つなど、最近自信をつけた杉山選手の今年の課題は、カーブを徹底的に研究することだという。杉山選手に打たれた球を目時捕手は「外角高目のシュートだった。だが、すっぽぬけたものなのであまりシュートはしなかったようだ。杉山には本塁打さえ気をつけておればいいと思っていたのでつい気を許してしまった」といっていた。
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石川緑

2016-10-08 16:57:41 | 日記
1966年

完全試合ーことしにはいってすでに大洋の佐々木と西鉄の田中勉がこの大記録をうち立てている、この夜の石川も完全試合男の仲間入りが濃厚だった。七回までピシャリと三人ずつ。八回も一死までとった。あと五人だ。マウンド上の石川の動作はきびきびしている。打席にはいる中日打線をにらみつける目つきは鋭い。記録達成も間近いーこんな気持だったろう。中日ベンチはヘビににらまれたカエル同様まったく声がない。しかし、勝負や記録は終わってみなければわからない。数分後だ。両チームの立場が逆転、こんどは石川が首をうなだれた。中日は八回二死後、一枝が三塁左を破り、大記録にストップをかけた。中日ベンチから笑い声と拍手が響き、石川はマウンドの土をたたきつけた、そして九回中日は中が右翼に本塁打しサヨナラ勝ちした。打たれたあと石川は打球をちらりと見ると、いそぎ足でベンチへ。グラウンドコートを肩にかけると逃げるようにしてバスに向かった。-中にはなにを打たれた?「・・・・」うつむいたままで声がない。あと五人で記録が出来たかもしれなかっただけに無念だったろう。言葉が出ないのは無理もない。ようやく「私などに完全試合が出来るわけはないと思っていた。中はもっとも警戒したのだが、真ん中にはいってしまった。一枝に打たれたあとは負けるような気がした」とポツリ。肩を落とし、声も小さい。カメラマンにかこまれてごきげんなのはサヨナラ本塁打の中だ。「阪神はなんどもチャンスをつぶしている。きょうは勝つような気がした。本塁打は直球だった。このときバットを軽いのに代えたが、低めにきたら打つつもりだった」という。高木守が負傷欠場、江藤も試合途中でベンチにはいった。こんな責任感がサヨナラの一発となったようだ。
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藤井弘

2016-10-08 15:50:46 | 日記
1957年

六回まで長谷川、後藤の息づまる投げ合いがつづいた。七回藤井が左翼席へホームランした。今シーズン五本目の本塁打である。開幕直後三月三十一日の対大洋戦に満塁ホームラン、四月七日から九日までの三試合に連続ホーマー、そしてこの日決勝の本塁打とどれもこれもいわくつき。藤井はこれで宮本とともにホームラン・ダービーのトップにならんだ。「後藤投手の球は落ちるからすくいぎみに振れといわれたのでそのつもりで振ったんです。いつもはあんな振り方はしません。内角低目のシュートだったようです」広島の勝利がきまった瞬間長谷川と抱き合い、全選手から握手をもとめられながらベンチにかえってきた藤井はつとめて冷静に語ろうとするが興奮をおさえきれず思わず息がはずむ。「一試合に一本ずつ安打が出れば上出来。きょうはそれがたまたまホームランになっただけのはなしですよ」白石監督は「選球眼のいいことが今シーズン彼の好調のもっとも大きな原因だ」と説明し「若いだけに巨人相手にしかも後楽園で打ったことは大きな自信をつけたでしょう」と目を細めていた。目下のところ広島三強入りの原動力は藤井の打棒だといったらいいすぎだろうか。盈進商出身、倉敷レーヨンから三十年入団。五尺九寸五分、二十貫、右投右打、二十二歳。
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宮本敏雄

2016-10-08 15:33:26 | 日記
1957年

巨人はこの日負けると四位に転落するところだった。六回宮本の逆転3ラン・ホーマーは四位転落をくいとめる値千金の一撃だった。試合が終わってグラウンドからとび降りたファンに十重二十重に取り囲まれた宮本は「阪神戦のとき(二十一日・甲子園一回戦七回の本塁打)よりもいい当りだ。スライダーだった。うれしい」とスライダーを打ったといううれしさを体全体であらわしていた。巨人はいいところで救いの神が出たものである。「ぼくは本塁打よりヒットを打ちたい。本塁打より三割を打つのがいいバッターだ。でもきょうはヒットだと三点入っていない。本塁打の方がいいときもある」ねらいは与那嶺につぐ外人の首位打者にあるという。これで七本目。ホームラン・ダービーのトップをつっ走るその本塁打へのうれしさはミジンにも出さない。試合に勝てたらうれしさを身ぶり手ぶりで表現するだけ。「体のコンディションはきょうは雨が降りそうで心配したこれからは打つよ」もちろんヒットを打って、首位打者の目標を達成するというのだ。
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