1955年
このところ連敗新記録や失策タイ記録をたてている大映は何となく元気がなかった。一回トップ木村が一ゴロを滝田ファンブルして生かした後、日下のバントで木村を二封したものの、武智(修)小玉の右前安打で二点をとられた。大映の攻撃は二回トップ菅原の左前二塁打のあと二宮のライナー性の中前安打で一点を返し、さらに二死後山田の右翼二塁打が出たが、一塁走者二宮は慎重に三塁にとまった。結局一点に終わったのだがタイに持ち込めるチャンスだっただけに積極的な気はくがかけていたようにも見える。近鉄は二回以後飯尾の速球とドロップの巧みな配球に手が出ず安打らしいものは八回木村の右前打だけで、一回の二点を守って逃げこんだ形。大映は二回以後守っては遊撃山田の好守に内野陣が引きしまって飯尾の好投とともに追加点を許さなかったが、攻めては二回以後いずれも辻中の外角に落ちるスピードのあるドロップの上をたたき、安打の数からいっても押し気味に試合を運んだが決定打がなかった。
このところ連敗新記録や失策タイ記録をたてている大映は何となく元気がなかった。一回トップ木村が一ゴロを滝田ファンブルして生かした後、日下のバントで木村を二封したものの、武智(修)小玉の右前安打で二点をとられた。大映の攻撃は二回トップ菅原の左前二塁打のあと二宮のライナー性の中前安打で一点を返し、さらに二死後山田の右翼二塁打が出たが、一塁走者二宮は慎重に三塁にとまった。結局一点に終わったのだがタイに持ち込めるチャンスだっただけに積極的な気はくがかけていたようにも見える。近鉄は二回以後飯尾の速球とドロップの巧みな配球に手が出ず安打らしいものは八回木村の右前打だけで、一回の二点を守って逃げこんだ形。大映は二回以後守っては遊撃山田の好守に内野陣が引きしまって飯尾の好投とともに追加点を許さなかったが、攻めては二回以後いずれも辻中の外角に落ちるスピードのあるドロップの上をたたき、安打の数からいっても押し気味に試合を運んだが決定打がなかった。