プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

島田光二

2016-10-08 15:06:45 | 日記
1957年

この夜は試合が始まる前から小雨。関係者はほとんど中止するつもりでいたがただひとり毎日別当監督の主張で試合が強行されたという。南海に首位を追われる毎日は最下位近鉄を相手にここが稼ぎどころと考えたのにちがいない。ところが結果は逆だった。近鉄が九回には最大大量5点をとり「もうかんにんしてヤロか」というヤジが出るほど、この夜まで四連敗の近鉄ベンチが大いばり。なかでも毎日のエース荒巻をノック・アウトした島田の活躍はすばらしかった。島田光二内野手(21)は五尺七寸五分、十九貫のプロ三年生。右投右打でメガネをかけている。三回は三塁線安打して一塁の鈴木を三塁へ進め同点のきっかけを作り、五回には左翼席へ勝越しの1号本塁打を打込んだ。そして九回にも三遊間へタイムリー安打しダメ押し点の口火を切っている。「雨でメガネが曇って困った」といいながらもニコニコする。「ホームランは内角低目の直球のようでした。まぐれですよ」東京のファンにはなじみがうすいが、三十年夏の甲子園大会で全国優勝し有名になった四日市高の出身。慶大の巽投手と同級生。卒業したつぎの年に彼の母校は高橋投手(現巨人)で全国優勝した。高校では遊撃を守り三番打者。卒業の年にテストで近鉄入り。いまは静養している芥田監督の仕込みで三塁、二塁、遊撃のどこでもやれる。目は右も左もともに0・6の軽い近視だから、普段はメガネをかけない。
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種田弘

2016-10-08 14:08:48 | 日記
1957年

今シーズンの種田は、この夜で二十七回目の登板。一番多く登板しているのが西鉄戦で七回。もっとも稼いでいるのが毎日と東映で各三勝ずつ(近鉄、大映には勝ち星なし)二十九回の登板中先発は九回。リリーフは一番多くて十一回。完投は今夜で六度目。そして南海から二つ目の勝星であった。「大体ぼくは南海、西鉄戦には先発することは少ない。だから出足のペースがわからなかった。二回穴吹選手に真ん中から内角に切れるシュートを本塁打されてから外角への落ちる球が効果があることを悟った。後半ではほとんど落ちるシュートを投げた。涼しかったので疲れは感じずとてもいいコンディションだった」彼のピッチングで真っすぐに入る速球は一本もない。沈んだり角度はわずかだが曲ったり全部変化する。南海の登板数はこれで四度目だが、大振りする弱点を彼のピッチングはうまくついた。「だいたいぼくは毎日、東映に強い。というのは昨年西村監督の当時は毎日、東映戦用の投手に割り当てられたのでこちらも毎日、東映だけに勝てれば役目完了になるので、そのようなピッチングにかえたためだった」しかしこの夜は南海にも強くなれることがはっきりした。要は投げにくいという気分的なものなのだろう。しかし昨年にくらべてやや勝ち星は少ない。「オールスター戦までは予定された登板がきまって雨で流されていた。順調な登板ペースになったのは七月からだ。この調子でいくと十勝か十二勝どまりだろう」彼のようなまとまったタイプの投手は、いつも使えそうで、また登板させる時間がむずかしいものだ。登板しないから調子が落ちる。だからときたま出ると不安が先に立って打たれる。そういうことのくり返しから、前半は芽が出なかったので昨年にくらべてあまりかせいでいない。チーム内ではどこにいるのかわからないほどのおとなしい選手。最後の土井垣捕手の「種田評」をきく。「この人には結果的におとなしい性質がわざわいしていますね。安定度においてはリーグのトップ・クラスなんですがね。精神的に鍛練すれば西鉄からも南海からももっと稼げる人です。そういう風になるかならないか、今年はその意味で彼には一つの転換期というか成長期というか、そんな年になるでしょう」鴨沂高ー大洋ー西京観光ー阪急。三年生。二十六歳。
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森下正夫

2016-10-08 13:01:09 | 日記
1957年

第二回戦の六回国鉄が一点をあげ試合は再び振出しにもどった宮地がよく投げ、押され気味の南海にとってはいたい同点である。だが七回二死後広瀬を二塁において森下が右前に快打したこれに勢いづいた南海は大沢、杉山の快打をうながし、この回二点をあげた。森下の一撃は劣勢から一挙に南海を立ち上がらせた起死回生の一打だった。「カーブがスッポ抜け、真ん中から少しスライドした球だった」という。外角球にはメッポウ強い・昨シーズンは外角球なら打ちこなしたが、内角にくいこむシュートだけは打てなかったそうだ。今年のキャンプではこれを打てるように、フリー・バッティングでは意識して投げてもらった。フリー・バッティングで打ててもレギュラー・バッティングとなるとうまくいかないそうだ。「現在ではどうやら打てるようになった。でもイザというときにどうしてもうまくバットが振りきれない」まだ八分どおりしかできていないという。打力に重点をおいた穴吹との三遊間コンビもうまくいっていない。今年はオープン戦が多く予定されているので、この間に内角シュートの打決を身につけ、穴吹とのコンビネーションをつくりあげるのが課題だ。それに「毎年出足の調子がよくないからこの間に十分調子が整えられるのでずい分楽だ」という。今年の一月に山本貴世子さん(20)=京都市中京区室町二条ル=と結婚する予定だったが、山本さんの都合で今年の暮にのびた。「このためにもウンとがん張らなければ・・・」といまから大いにハリ切っている。
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浅越桂一

2016-10-08 12:43:28 | 日記
1957年

この試合で毎日が負けると翌日決勝戦を打つことになっている試合前ネット裏で毎日の黒崎代表が試合後東京へ引揚げる予定で、すでに汽車の切符も買ってあるといっていたが、ところがこの黒崎代表の予想をみごとにひっくり返したのが、浅越だった。大崎が六回毎日の強打をあいて決定的と思える三点を奪われた。ところが七回一死から浅越の胸のすく中前安打をきっかけに阪神はこの二点差をはね返し、逆にリードを奪ってしまった。もっとも阪神の勝因は毎日山根投手の八回の暴投といえようが、この日の浅越は二回に初安打を放ち、五回は四球で出て阪神の先取点を記録、三打数二安打の快調ぶり。阪神の看板男吉田が現在ケガで休んでいるので三宅が遊撃にまわり、浅越が三塁に入っている。藤村監督は「あとは試合経験さえつけば今年は三宅と半々、あるいはそれ以上の出場チャンスは十分ある」という。試合後藤村監督の発表した決勝戦のスタート・メンバーはさっそく三宅にかわって七番から六番に打順が上がっていた。プロ入り三年生。関西高時代から主に遊撃をやり、いまでも遊撃の方が守りやすいという。前のゆるいゴロに弱いが、肩は阪神内野でも指折り。バッティングの穴は外角とスローカーブ。昨年は公式戦に一度も出るチャンスはなかったが、夏場前盲腸でじんましんの小山と一緒に入院する不運もあった。五尺七寸、十九貫。吉田を一まわり大きくしたようなみるからに温厚な感じのする選手だ。「あさごえ」と読む。
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鈴木正

2016-10-06 21:04:23 | 日記
1956年

去年の八月行われた第四回全日本学生野球選手権大会で神奈川大学チームは岡山大、西南大を降し、準決勝で明大に敗れたが注目された。同チームの立役者は鈴木であった。投手をつとめ四番を打ち、第一回戦では四打数二安打、第二回戦では二打数一安打、対明大戦では三打数三安打の成績。投手としては球質も重くスピードもあって将来性を認められたが、打力はいっそう高く評価された。毎日に入団して投手となるのを好まず「打者として立ちたい」と強く希望、初め投手の修業をさせるつもりであった別当監督も、鈴木の熱心な想いに折れて、打者に専念させることになった。腰や腕っぷしの強さからして、鈴木自身打力に将来を見出したのであろうし、その自覚は当っているようである。毎日投手陣の一角を占めるくらいの素質はあるだろうが、思い切って初めから打者として立った方が、プロ選手として長く働けるであろうから有利。事実スズキの待つ肉体的条件に照らして、見極めの良い頭といっていい。強く望むだけであって、スズキはよく練習もし、打者としてのデビューも立派であった。三月十日の巨人との定期戦に中堅手五番打者として出場、四打数一安打ではあったが打点一、第二戦には四打数二安打、この時も打点一でなかなかよく働いた。だが、公式試合に入って間もなく筋肉を傷めてしばらく欠場、打撃もシーズン当初ほど振わなくなったが、これは身体の故障が因ではなさそうで、自分のアナが投手に知られるようになったことと、鈴木自身打法に欠陥を現したからだった。左の踏み出し足が突っ張り、バックスイングに力が入り過ぎて、滑らかに振り出しができなくなり、打球は中堅正面に飛び伸びなくなった。そのことを別当監督に指摘され、それにこだわって迷いが深くなり打力が縮んだ。しかし、近ごろは大分よくなり、中堅手二番打者として出場も多くなった。打法は強引といっていい。守備は一人前である。脚力はいいし、良き外野手となろう。現在の成績は四十六試合出場、打数百十七、安打二十七、打点八、本塁打一、三塁打一、二塁打四、打率は二割三分一厘、長打率三割〇分八厘。栃木県矢板高出、五尺八寸、二十貫、二十三歳、右投右打。

別当監督の話 体重の移動に波がついて余計なところに力が入り打球が伸びなくなった。本人も非常に気にしてスランプに陥っていたが、その欠点をなおせば三割は打てよう。最近随分よくなった。守備は及第。五番打者より二番あたりがいいと思っている。
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相沢邦昭・内山巌

2016-10-06 19:35:28 | 日記
1957年

東映フライヤーズではこのほど今年の春の全国選抜高校野球大会で優勝した早実の主力打者相沢邦昭遊撃手(18)=五尺五寸、十六貫、右投右打=と内山巌一塁手(18)=五尺八寸、十七貫、左投左打=の二選手の入団を内定した。球団では正式発表をさけているが、二十六日に始まる国体が終ってから正式契約する。また桐生高の高田重信捕手(17)=五尺七寸五分、十九貫、右投右打=の入団もきまっている。相沢はこの夏四番を打ったが、少し荷が重かった。春活躍したように二番あたりを打ってチャンス・メーカーとなるタイプ。やや力は足りないが、しぶとい攻守で早実内野陣の中心となっていた。内山は春の選抜初優勝には不動の三番打者として活躍。今夏は体をこわし、不振で七番に下がっていた。しかし王と並ぶ早実きっての左打者で、一年生のときレギュラーとして出場していた。左投手のカーブにも最後まで目をはなさずよくついているし、やわらかいリストでコースにさからわないバッティングはアナが少ない。高田は強肩、リードもうまく、大島投手(中日に内定)と組んだバッテリーは、北関東一とさえいわれていた。四、五番を打ち二塁も守る。今夏の地区予選三試合では11打数5安打、四割五分五厘を打っている。

東映石原代表の話 「今年の補強の目標は内野陣の強化ということになる。もちろん投手は何人でもほしいから、さきに契約した京都高の高野をはじめ投手にも手をのばしている。いまのところ投手のほか一塁手、遊撃手、捕手など五人ほど高校選手の入団が決まっている。国体の関係などもあるからいまはまだ発表の時期ではないが、今年は十名ぐらい新しい選手を入団させるつもりだ」
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大友工

2016-10-05 20:20:34 | 日記
1957年

百九十二日ぶりに大友はシャットアウト勝ちをした。三月三十一日の開幕第一戦国鉄を完封して以来だ。「ふだんよりスピードがあった。七回以後はへばって調子は落ちたが、スピードはかなりもどってきている。だからほとんど直球で勝負した。シュートが割によかったが、スライダーがきょうは悪かった」上半身裸になり、タオルで汗をふきながら大友はこう説明した大男ぞろいの巨人の選手の中に入ると見ばえしない大友だが、裸になると筋肉が盛上りV字型のいい体をしている。「まだ外角への球が十分じゃない。いいときは右手の人差し指と中指に投げるときビシビシと手ごたえがある。それがないときは悪いときだ。きょうは割にある方だった。四回の無死一、二塁でもバックがはじめにたくさん点をとってくれていたので、ホームランや打たれてもまだ勝っているんだと気は楽でしたよ」昨年からの大友は不運につきまとわれている。阪神大崎に右手親指い死球をくって昨シーズンを棒に振り、今年も右ひざを痛めて大事な中盤戦は休んだ。大友は四回左翼へホームランを打った。もちろん今シーズンの第一号。「内角をはずれたような直球だった。腰を開いて打ったのだが、入ったのでわれながらビックリした。プロへ入って二本目。最初のは松竹時代の真田さんからなので、もう五年ぶりくらいのことですよ」と笑う。大友の顔は久しぶりに明るいものとなった。
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石垣一夫

2016-10-05 19:45:37 | 日記
1957年

「キッカケさえつかめばすぐに立直ってみせる。それには経験の豊富なベテランの力に頼る」といって南村、平井を起用した水原監督の起死回生策も頼みの藤田が打ちこまれてはどうしようもなかった。先制の左翼本塁打をふくむ4安打の石垣、勝ち越しのホーマーなど3安打を放った三宅の当りは文句なしにすさまじかった。試合後うす暗くなった三塁側ベンチ前で報道陣に引っぱりだされた二人は「俺の打ったのはカーブだった。四打席で四安打を打てたのはまぐれだよ。ボールはよく見えたが・・・」と阪神でも一番黒いという日焼けした顔をほころばせながら石垣が三宅に選手を求めれば「お互いに巨人相手だとファイトがわくな。ボクがホームランは内角のストレートだった。バットがよく振れていたでしょう」と力強くにぎり返した。「石垣は今年になってめっきりリードがうまくなった」と徳網コーチが折紙を付ける石垣。八回藤尾の打った三塁ベース寄りの難しいゴロを横っとびに飛び込んでつかまえた三宅二人とも阪神のバック・ボーンとなる選手だ。「二人ともいい選手だ。きょうは二人で勝てたようなものだ」とめったに人をホメない藤村監督もきょうだけは大変なほれ込み方であった。
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石原照夫

2016-10-05 19:36:25 | 日記
1957年

五尺五寸、十七貫五百、横ぶとりの石原選手は肩をゆすって歩くクセがある。そして緊張するとなお一そうそれがはげしくなる。それは常におだやかな表情をしている彼から闘志満々の気持をくみとる唯一の方法だ。彼は二回の二死満塁にこの歩調と姿勢でボックスに入り、たちまち2-1と追いこまれた。「バッター・イン・ザ・ホールでしょう。当然カーブで遊んでくると思ったが、直球でしかも真ん中高目にきたからかえってこっちの方が驚いたくらいだ。黒田君が間違えたんじゃないですか」このときの心境をこういっていた。つづき四球目、高目の直球をたたいて右中間安打して東映の先取点をたたき出したのである。阿井からず歩きながら肩をゆすってうれしそうな彼である。
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木戸美摸

2016-10-04 22:06:09 | 日記
1957年

五尺六寸六分、六尺近い選手の内ではチビである。「だから球速を変化させてタイミングをはずすほかに手はない」という。「体力がないので七回ごろからめっきりスピードが落ちて・・。九回の吉田さんには2-0からゆるいストレートを投げたのだから打たれた僕が悪いんだ」九回のピンチを藤田に救われ疲れ切ってか顔色はよくない名前は美摸、美しさを模ほうする、と書いてヨシノリと読む。チビだが名前通りの整ったフォーム。八回まで阪神に二塁を許さなかった。「カーブばかりのピッチングだった」というカーブは今春のキャンプでマスターしたばかり。「投球がよく左右に割れていただから投球数も少なかった。これには藤尾の功績も忘れられない」というのは彼を育て上げた捕手出身の内堀二軍助監督。三打席三安打という打撃については「まぐれ」ときりいわない。デビューは昨年の天皇誕生日(川崎の大洋戦)初の完投勝利をかざったそのときも彼は巨人の全打点をたたき出している。阪神戦に投げるのはプロ入り四度目。勝ったのはもちろん初めて、昨年は甲子園のナイター開きで小山投手に打たれて負けたこともある。「今夜の調子は普通だった」という。兵庫県加古川市農工出身、十八貫、プロ三年生、二十一歳。
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ティロット

2016-10-04 21:32:23 | 日記
1970年

ファンの前でお家騒動の醜態をさらけ出した南海、ベンチがまる見えの一塁側スタンドから「なにをしている。みっともないぞ」「かえってしまえ、ティロット」のヤジがとんだ。七回救援したとたん、江藤に2点本塁打されたティロットは八回も下位打者から3連打を浴び、有藤にも右翼線に打たれ2点。たまりかねた野村監督が主審に投手交代を告げた。ティロットのところにはブレイザー・コーチが伝達に走った。事件はこのあとだ。かえられたことが不調のティロットはベンチに帰るなり、ブレイザーは二言、三言文句を言った。それでもまだ納まらないのかこんどは顔を突きあわさんばかりに大声でわめいた。いまにもつかみ合わんばかりのティロットの剣幕に沼沢、穴吹コーチが走りよって二人の仲にはいる。守備についていたジョーンズも大急ぎでベンチへ走る、選手がグラウンド上のプレーで審判の判定におこり、いざこざを起すことはよくあるが、同じチームの人間がファンの前で血相をかえってくってかかることはめったにない。スタンドからヤジがとんだのも仕方のないところだ。ティロットはことし元大リーガーのふれ込みで入団した投手。その助っ人が打たれたからといって腹を立て八回のピンチに二度も三塁カバーをおこたっては元大リーガーが泣く。野村監督は「同じ負けるにしても当然やるべきカバーはきちんとやってもらわなくてはいかん。ブレイザーが二回も注意に行ったほどで、こうした態度は首脳部に対する反抗と思う。罰金をとる」とカンカンだった。パ・リーグは阪急とロッテの激しいせり合いでいまファンの関心が集っている。そんな折りにこの内ゲバ。なさけない話である。
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亀田信夫・岸輝男

2016-10-02 22:52:15 | 日記
1957年

今夏の全国高校野球選手権大会で活躍、プロ野球からねらわれていた埼玉大宮高の四番打者亀田信夫三塁手(18)は二十九日国鉄入りが決まり、数日中に東京有楽町の国鉄球団事務所で正式契約することになった。また同校の三番打者岸輝男中堅手(18)もすでに近鉄入りが決定している。

亀田三塁手の父親作治氏(56)は二十九日午後大宮市東町の自宅でつぎのように語った。「進学かプロ入りかで最後まで迷った。しかし本人はプロでやりたいようだからその気持を立ててやりたい。スワローズに親しみを感じているのは私も二十九年まで長い間国鉄につとめていたし、現在も長男から三男までが国鉄に就職しお世話になっているからだ。それに私自身、国鉄球団が誕生したころからスワローズの後援会会員でもある。信夫のプロ入りをすすめてくれる他の球団の人たちとも話し合ったがやはり国鉄より親しみの持てるところはなかった。私も東京へ出ていままで進学やプロ入りのことでお世話になった人たちに了解を求め、それから信夫のプロ入りをはっきりさせたい」

大宮高長谷川監督の話「亀田君は学校の成績もいいし、グラウンドに出ても勝負強いすぐれた選手だ。進学してもプロへいってもきっと立派にやってくれると信じている。どこへいくにしろ私はもちろん実家と本人の意思を尊重したい。岸君の方はプロ入りが確定的だときいている」

亀田、岸両選手は夏の甲子園大会で大活躍するまで中央球界に知られぬ無名選手だったが、甲子園大会の強打でいっぺんにストーブ・リーグの立役者となった。とくに大会で首位打者になった亀田は打てる大型内野手をほしがっているプロ野球のスカウトの目にとまり、中日、国鉄、阪急、南海、近鉄、大映からねらわれ、それに早大、立大、関大、法大、慶大などから進学をすすめられるなど大会後はスカウトの大宮参りがはじまった。しかし本人がプロ野球を熱望しているところから進学とノンプロの線はくずれ、プロ同士の争奪戦となり、南海がばく大な金額(一説には五百万円)を提示する一幕もあった。だが亀田の実家が鉄道一家(注・父は二十九年まで東鉄大宮機関区長、次兄鉄道教習所、三兄水戸鉄道局)であり、父親作治氏があらゆる好条件に目もくれず、国鉄を選んだものである。岸は亀田ほどの争奪戦はなかったが、いちはやく亀田をあきらめ、岸一本で話をすすめていた近鉄がさらった。なお亀田選手のプロ入りがいままで表面化しなかったのは父作治氏が「国体終了までプロの交渉はしない」という全国高校野球連盟の通例を守って一切プロとの交渉に応じなかったもので、二十八日国体から帰ってから急に話がすすんだものである。岸選手は国体前に近鉄入りが内定していたところから大宮高長谷川監督の命令で国体ではゲームに出場せず、スタンドで観戦していた。

亀田三塁手略歴 今夏の選手権大会では打力のチームといわれた大宮高の主将で四番を打ち4試合16打数、10安打、打率六割二分五厘をマーク。大会の最高打率者(注・甲子園には首位打者というタイトルがない)でビッグ4進出の原動力となった。好機に強いバッターで長打力もあり、足がおそいことと、肩がやや弱いことが難点だが、安藤(土浦一高)とともに内野手の双璧であった。五尺七寸、十八貫五百、右投右打。

岸中堅手略歴 亀田とともにクリーン・アップ・トリオの一角を打っていた。今夏の大会では4試合、15打数、4安打、打率二割六分七厘とアベレージはあまりよくなかったが、確実性のある打撃と足はスカウトたちに高く買われていた。五尺七寸、十八貫、右投右打。
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中山俊丈

2016-10-02 22:13:02 | 日記
1957年

中山は二十八日秋山とわたり合って十一回投げ切り九連勝したばかり。二十九日は雨の川崎で約一時間練習したという熱心な中日である。ユニホームの肩を濡らして中山はナインといっしょに宿舎に帰った。杉並区内に自宅を持っている天知監督だが、東京で試合があるときは家に帰らず選手と団体生活をする。その和が中日の強みなのだと断言する人さえいるくらいだから「オレばっかり使われて調子をくずしてしまう。えらい損だ」とグチをこぼす選手はいない。中山ももちろん「たよりにしてもらえるのはありがたい。体をつぶすのは自分の心がけしだいでしょう」といっている。雨と汗でぬれた肩をジャンパーでいたわりながら、中山が話す好調の原因は「コントロールがいいからでしょう。右打者の内角よりに入りがちのぼくのピッチングは、キャンプで投球練習に力を入れず、トス・バッティングの相手をして脚を腰をきたえたから安定性が出来て、それで外角へも球が散るようになったのだと思います」という。いいなおすと体を作った、その体でピッチングをやり出したらほかの心配がいらなくなり、自分の欠点をなおすことに集中できるということらしい。「だから最近は思うところへ球が行くからおもしろいですよ」と小さな一重まぶたの目で笑った。「シュートもあまり利かない。カーブもあまり投げない。ほとんど直球で勝負です」といっているので、どうしてそれで相手が打てないんだろうときくと「内角へくると思っていたら外角、外角と思えば内角とぼくが球を散らすのでヤマをはれないんでしょう」といってから「ぼくはそう思いますが、打てない理由は相手の打者にきいてもらった方が・・・」とこれは不敵な微笑。杉下が二軍に籍をおき、空谷、大矢根、伊奈がパッとしない。このままだと中山は酷使で参ってしまうのではないか。「そんなことはありませんよ。伊奈さんがもう肩がなおって出てくるし、徳永さん、大矢根さんが出てきます。そしたら少し休ませてくれるでしょう」十七貫五百、試合に出るときまってハカリの上に乗ってみる。二百匁から三百匁減っている。昨シーズンは一試合完投すると一貫匁は体重が減った。「体の調子も今年はすばらしくいいんです。夏は案外苦労しない方なので夏から秋にかけてが心配です」連勝記録も気にしない、勝てるときは勝てるし負けるときは負けるんですと笑ってみせた。ナイターになると夜の十二時に床につき、深夜放送をきいて午前二時に目をとじる。目がさめるのは十一時半。これがいま好調の中山投手の平凡な一日だそうだ。
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島原幸雄

2016-10-02 21:51:39 | 日記
1957年

さる五月三十日の阪急戦にスライディングして左足首を骨折、それから四か月休んだ島原が、毎日との二十一回戦にはじめて完投勝利を記録した。西村、島原が使えない投手陣は稲尾一人に頼ってきたが島原の復調は、優勝と日本選手権をひかえる西鉄にとって大きな朗報だろう。一日の十九回戦にも先発した島原は、不調で二回稲尾に救援された。この日は小森、橋本(力)のホームランで二点を失ったが、危なげなかった。「さすがに完投すると疲れる。きょうもあまり調子はよくなかったが、慎重に投げたのがよかった。まだまだ優勝まで試合があるので、徐々に調子をあげたい」といっていた。和田捕手は「シュートとスライダーがよかった。まだ低目の速球は落ちるようで伸びがない」というが、20連勝を記録した一日の稲尾にしろ、完投勝利の二日の島原にしても、リードに助けられて投げ切った。一回二死満塁に河野の右前安打などでとった三点が島原に自信をつけさせ、二、五、七回の得点が島原に完投能力をつけたわけだ。そのうち五、七回に決定打をのばした河野は、この日まで二割二分四厘、第二十六位の打率だった。河野は「やはりデー・ゲームになれば体の調子もよく、得意のねらい打ちもききますよ。それに毎日の投手は元気がなかった。これからはせめて二割六分に打率をあげたい」といっていた。いずれ日本シリーズで島原のスライダー、河野の渋いプレス・ヒットが大きくモノをいいそうだ。
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田中勉

2016-10-01 20:06:34 | 日記
1962年

新人といっても二年生、昨年八月、大牟田東洋高圧から入団した。二十二歳、身長1㍍78、体重75㌔というからとび抜けた体力の持主ではない。昨年は二度登板、一敗を記録した。出来ばえはさえず、大型選手ばかりの西鉄で本当に役に立つだろうか、とさえ思われたほどだ。ところが今シーズンは第十一節終了で、18試合に登板して6勝7敗、投球回数は88回2/3、被安打57、自責点16、防御率は1・62。投手成績はリーグでトップの尾崎(東映)に次いで第二位と素晴らしい。稲尾、若生だけといわれる西鉄投手陣にとって、田中はいまは全くの新戦力である。右投げ、上手ややスリークォーターから快速球を投げるが、投球モーションが非常に大きい。高々とワインドアップ、次いでサッと左足のヒザを胸にくいこむ程けり上げ、大きくツマ先を前方に踏み出す。特徴のあるその動作と反論で力一ぱいの速球を投げ出す。球を握る手首が肩に近い低い位置から出てくるので、打者としては球を見きわめ難い変則型の投球である。球質は重いという程ではないが、全身のすべてのバネをきかすので、スピードがあり球足がのびる。外角低目の速球が武器で、外角打ちの巧い打者でも簡単には打ちこめない。最近はシュートのキレが鋭くなったので、カーブの威力も一段と増してきた。まだ真正面に投げこんで打者の手元近くでストンと落ちるドロップ、また時たまフォークボールも混じえるので大振りの打者はキリキリ舞いする。左、右打ちどちらも気にせず、打者とまともに勝負をいどみ、決して逃げるピッチングはやらない。強気の性格と自信を示すものだ。だが、全力投球の一本ヤリなので、七回ごろから球威が衰え、また走者を出すと、盗塁を防ぐために投球操作が早くなり、ペースを乱し勝ちになる欠点もある。しかし、これまで完投4、先発6、救援8の登板で被安打は六本が最高、集中打はうけていないし、四球の連発でくずれる大きな心配もない。たまたま投げ損じたのを野村(南海)衆樹、中田(阪急)に本塁打されたが、四球も38ときわめて少ないからコントロールも上々、安心してまかせられる投手である。西鉄は十六日、今シーズンはじめてのベスト打線で活気あふれた打力をみせたが、田中は今後この援護で相当な勝星をかせぐだろう。田中にしてみれば、一番大切な試練期が投手陣不振のため連投となり、四㌔も体重を減らした程だったが、これは、これは田中には幸運な経験だった。この周囲に好投手の素質を示すことが出来たからである。田中の今後は全力投球とスタミナの課題をどう解決するかである。

田中勉投手の話 プロの打者は一番から五番まで威圧を感じる。息がぬけない。特に大毎打線はうるさく、こわい。しかし相手が左打ちで別に苦はならない。それに一人の打者にかためて打たれていないし、どの打線からも集中打をうけていないので十分にやっていける自信がついた。私はリリーフより完投の方が好きだ。連投するとやはりしこりが残るが、三日も休養すれば大丈夫だ。夏場は社会人野球で鍛えているのでこれからはもっとがんばれると思う。

阪急衆樹選手の話 田中から一本、本塁打したが(五月十六日)あの球は外角の高目の球だった。彼の武器はやはり外角低目に決まる速球だろう。なかなか威力があり打ち固い。田中はモーションの大きい動作だが、球がどこから出てくるか見にくいので打者は非常にとまどう。シュートやカーブはそれ程威力があるとは思わぬがコントロールがいい。
コメント
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