プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山口忠良

2017-04-10 19:49:10 | 日記
1981年

近鉄の井本タイプで切れのいいボールを投げる即戦力ルーキー。度胸がよくプロ向きだが、負けん気が強すぎるのが玉にキズ。大学4年の春には6試合に投げているものの、肩を壊したり秋はいいところなし。大学時代の監督も「ケガさえしなければ十分働ける」と期待する。「スライダーにコントロールがつけば・・・」本人も自信を持っている。

1982年

増本と並ぶ数少ない変則技巧派。毎年、着実に成長している楽しみな右腕だ。昨年は代走にも起用されたほどの足腰の強さとバネは抜群。球威不足をどうテクニックで補っていくか。今年こそ一軍定着を果したいところである。

1983年

「いい意味で人より目立ちたい」と語る山口。サイドからの変化球のキレ味には定評があり、ピッチングの思いきりもいい。あとは打たせてとるタイプだけに、いかに微妙なコントロールを身につけ、粘り強く投げるかだ。今年も役目は当然、中継ぎ投手。同型の増本と一軍入りを賭けての争いだ。

1984年

キャンプでは仕上がりの速さが目立ち、キレのいいボールを投げていた一人。与えられた任務は、中継ぎだ。昨年も中継ぎとして、ひと回りはいいピッチングをしていたのだが、ふた回りめに入ると打ちこまれるケースがしばしばあった。今年は体のキレをよくして、息の長い好投を。
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田中由郎

2017-04-10 19:24:33 | 日記
1977年

14 田中由郎(21歳) 投手
30年9月3日生
八頭高、三菱重工三原ーロッテ
1㍍82、76㌔、右投右打
妻=敏恵

阪神に深沢、ロッテに仁科と社会人時代の下手投げのライバルがプロ入り。控えめな男ががむしゃらになるのも当然だ。昨年暮れに姉さん女房を獲得、精神的にも落ち着いた。長い腕をさすって全開を誓う。
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高原栄一

2017-04-09 22:37:35 | 日記
1973年

52 高原栄一捕手
平安高 京都 昭和23年2月6日生 4年目
183㌢ 78・5㌔ 右投右打

高校野球の名門平安高から44年に東映(現日拓)入り。47年に阪急に移籍した。打撃の向上と身体全体のパワーアップ、それに一度でも多く試合に出場することが今年の目標。子どもの頃は政治家をあこがれたが、いつの間にか野球につかれて今では野球選手としてマスクをかぶっている。
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金橋薫

2017-04-09 21:38:26 | 日記
1973年

金橋薫投手 68
生野工、大阪、昭和26年8月27日生 1年目
185㌢、66㌔、右投右打

入団1年。高校、ノンプロを経てプロ入りした新人。持ち前の忍耐強さで、着実にピッチングの力を身につける努力を続けている。プロ野球選手のきびしさを、一日一日しっかりかみしめていきたいと、自分自身をじっと見つめながら精進する気概には、これからの成長がうかがえる。
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東条文博

2017-04-09 21:02:51 | 日記
1975年

東条文博(30歳) 遊撃手 背番号30
19年7月12日生
1㍍74、69㌔、右投右打
堀内(巨人)のカーブを打ちくずす巧打はファンの記憶に新しい。新天地ロッテでひと暴れか。ヤクルトも惜しい選手を手放したものだ。遊撃の定位置争うの台風の目。千田、飯塚もウカウカしたら大変な目にあいそうだ。
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上田卓三

2017-04-09 20:07:53 | 日記
1975年

昭和23年7月12日生(27歳)
福岡県大牟田市・三池工高
入団・昭和42年
1㍍76、73㌔、左投左打

昨シーズンのはじめ、野村監督からバッティング投手を要請されたそうだが上田はまだやれるという自信と意地があった。昨シーズンの上田はショートリリーフとしての役割を果たした。小粒ながら左腕独特の右打者のふところに食い込むスライダーと絶妙のコントロールをみせるチェンジ・アップの冴えは天下一品。ワンポイント的には欠かすことができない。
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菊川昭二郎

2017-04-09 13:51:04 | 日記
1975年

菊川昭二郎(30歳)内野手 背番号31
昭和20年2月7日
鎮西学園高、近鉄ー西鉄ー太平洋ーロッテ
1㍍73、68㌔、右投右打
妻=豊子 長女=昭代、次女=由紀、三女=美紀
太平洋からロッテへトレード。このニュースにニヤリとしたのが木樽だった。木樽は菊川がニガ手。昨年も平和台で同点3ランを浴びている。内野はどこでもこなす万能選手。代打に先発に菊川の加入で内野は充実した。
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山本良材

2017-04-08 21:28:51 | 日記
1977年

昭和26・5・10 愛媛県 右投右打 177㌢ 72㌔
新田高ー拓大ー鷲宮製作所ー阪急(52年)
球団気付 給240万

昭和50年の都市対抗野球に出場。速球とシュートに力がある。即戦力として期待できそう。


1978年

26年5月10日生(26才)
177㌢、72㌔、右投右打
愛媛、新田高・拓大・鷲宮製作所
52年入団(2年目)

スライダーを武器に大きく曲がるカーブ、タイミングをはずしたストレートとなかなかうまいピッチングをする。昨年、リリーフとして3試合に登板、勝ち星こそなかったが新人として度胸満点のピッチングをした。プロ入り2年目、リリーフの戦力として期待される。
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大石直弘

2017-04-08 20:15:15 | 日記
1979年

19 大石直弘投手 昭和35.7.18 静岡県掛川市出身 左投左打
身長181 体重75
掛川西高ー阪急(54年) 給240万
中央球界では、無名だが、中部地区№1のサウスポーとの折り紙つき。練習試合だがノーヒット・ノーラン3度達成の記録を持つ、第二の松本として首脳陣は期待しているが、今季は二軍で育成。ドラフト3位、契約金2000万。
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高垣義広

2017-04-08 14:07:16 | 日記
1978年

12 高垣義広投手 昭和23.11月6日生 出身地 鳥取県岩美町
右投右打 178㌢、77㌔
鳥取西高ー大洋(42年)-クラウン(52年)
住所 福岡市西区室見一丁目15の20室見M406
給 300万
1勝0敗、5.57、S0(15試合) 2勝2敗、3.13、S2(ウ・7試合)
重量感のある投手だが、もう一つピリッとしない。精神的にたくましくなれば面白い存在
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坂崎一彦

2017-04-05 21:05:34 | 日記
1963年

七回に決勝の2ランを右翼席にたたき込んだ。大石の第一球を打ったもの。投げた大石は無造作すぎた感じだった。「王、長島ばかりに気をとられていた。なんとか長島を封じ込んでやろうと試合前から考えていたんだ。それはうまくいったのに坂崎に打たれてなにもかもパーだ」大石はさかんにくやしがった。田中が出したサインはシュートだったが、大石の投げたのはフォークボール。「最後はバットが軽く感じるようになった。試合に出してもらえないから第一球目から打たんとアカンと思った。ナックルじゃなかったかな。真ん中より少しインコース寄りの球だった」と声がはずんでいた坂崎は、広島と相性がいい。昨シーズン長島や王を押え打率はかせぎがしらだ。大石からは二本の本塁打を打っている。「広島にそんなに打っている?ぼくは阪神戦の方がよかったと思っていたんだが、こんどは広島からかせがしてもらいますかな」という坂崎はおっとりしてなかなかユーモリストだ。試合前も長島の三冠王で話に花が咲いたが、坂崎は「チョウさんには悪いけど、おれが打点をかなりかせぐので三冠王はムリかもしれん」とみんなを大笑いさせていた。いまは右翼の正位置を池沢と奪いあっているが、池沢に一歩リードされているような形だ。池沢は「ぼくもプロ野球人ですよ。いまさら競争なんて・・・当然のことですよ」とファイトをむき出しにしたが「池沢はいい選手だ。ボックスにはいってもネッチリ食いついていって、ぼくみたいに簡単にアウトにならんよ」という。おっとりしすぎているのが欠点だ。「ライバル意識をもやそうというより、池沢と二人でやる方がチームにとってもプラスだ。それに力以上のことをやろうと思ってもダメだ。背のびする必要はない。持っている力を全部出せばいいんだ。それでダメならトレードでもクビにでもしてもらってけっこうだ」という。こんな坂崎も九回右わき腹にデッドボールをうけたときは「阪神の渡辺にぶっつけられ(十四日)やっとバンソウコウがとれたと思ったらまた同じところに当った。ひどいことをしやがる。しかし当たるのはこわくない。逃げていたんでは打てんからね」と元気な言葉がとび出した。川上監督は「池沢ものびてきたし、坂崎も試合に出ていないが決して悪くない。どちらも使えるから、ウチも大洋のように控えの層が厚くなってきた」と上きげん。「大石の外角に逃げるスライダーはストライク・ゾーンがせばまったので、ことしはボールになる。この大石を打ち込むのは左打者だ」と読んでいたが、坂崎の方まで川上監督の計算どおりになった。森の手の治療で球場にきていた吉田接骨医に右わき腹にぺったりとぬりグスリをつけてもらっていた坂崎は「たいしたことはないですよ。試合に出ながら直していきます」と元気にベンチを出ていった。
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大石清

2017-04-01 22:27:49 | 日記
1961年

大石が一番最後にロッカーへ帰ったとき河村が声をかけた。「あぶない、あぶない、とられるかと思ったよ」なんのことかと思ったら九回の右中間二塁打がホームランになりそうだったからだ。広島の投手は投手がホームランを打ったら全員が五百円ずつ出し合ってお祝いを贈ることにしている。七、八千円になるそうだ。河村はこれをいったわけだ。「はいると思ったのにな。ヘイの一番上に当ったらしい。ホームランならゼニははいるし、あすの新聞に巨人の11連勝をはばむサヨナラ・ホーマーなどとデカデカ出るのに、惜しいことをした。あのバッティング・フォームをみてくれましたか」とバットを振るマネをみせた。「あありっぱなフォームだったよ。打者に転向したらどうかね」と河村がひやかすと「ぼくも本気でそれを考えているんですよ。はじめの三振以外はみなバットの真シンだったですからね」バッターかピッチャーかわからないような大石の快気炎に河村もへきえきし逃げてしまった。大石は集まった記者団に「だれかタバコをくれませんか」といってハイライトをもらい一服吸ってやっとピッチングのことを話しだした。その腕は汗でドロドロ。顔にまで砂がついている。「スロースライダーがよくきまった。風がライトへ吹いていたでしょう。ギッチョの打者がこわくて。広岡さんのホームランもふつうならはいっていなかったでしょう。王、坂崎は外角ばかりねらい、長島にはむかっていった。ちょっとムキになりすぎるくらいね」六回には2球つづけて長島のアゴのあたりへ投げている。ビーンボールがときかれて「いや、気の弱いぼくになんか投げられませんよ」と一応否定したあと「といっておかないとたいへんだから・・・」と本音を吐いた。昨年はジャイアンツ・キラーといわれた大石もことしはこれが初勝利。「これからどんどん巨人さんに負けてもらいますよ」大石は不敵なことをいった。
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桑田武

2017-04-01 19:41:09 | 日記
1963年

砂ぼこりがウズ巻く多摩川グラウンド、バッティング・ケージのうしろで三原監督と桑田がバットを持って向き合っていた。巨人三連戦に備えて一日午後の練習のときだ。「私のみたところでは、いまの君は前のめりの感じでなでるように振っているようだ。つまりバットが線の形を描いている。それをちょっとしゃくるようにしてみてはどうかな。そうすればバットが点の形でポイントをとらえると思うんだ」三原監督はみずからバットを振って中西(西鉄監督)長島(巨人)の打ち方をしてみせる。開き終わった桑田はそのしゃくる打法を黙々とためしていた。ふなれな遊撃の守りに気疲れしたのか、このところ桑田のバッティングはもうひとつ気迫に欠け、フォームもくずれていた。「一番いいと思って組んだスタート・メンバーで押し切れない」代打の活躍で切り開いてきた最近の勝ち星は「野球の本スジからはずれている」という三原監督は、打線の柱である四番桑田の調子がやはり気になっていたようだ。「バットの握りぐあいがどうもしっくりしない」という桑田は、二日から握りの太いバットにかえた。昨年の公式戦に使っていた舶来ものだ。「公式戦になってから使おうとしてしまっていたんだが、きょうからひとつ本番のつもりでやってやろうと持ってきたんだ」という。久しぶりの三安打の中で会心だったのは三回のホームランより五回の二塁打だったそうだ。「この前の川崎での南海戦(三月二十六日)でスタンカの内角シュートに連続三振したとき、ちょうど藤田、森ら巨人のバッターが見にきていた。だからきょうも必ず内角攻めでくると思っていた」藤田の内角シュートを見事に打ち返した五回の痛烈な三塁線二塁打で桑田はりゅう飲をさげたらしい。そうはいうものの三回久しぶりに打ったホームランのことになると顔はほころぶ。「やっとホームランの味を思い出した。ずいぶん出なかったものな。きょうで三本目だが確か三本ともセンターばかりだった。それにこの握りの太いバットで打ったやつばかりなんだ」この二十日ぶりのホームランを一番喜んだのはネット裏でみていた母親のともさんだった。宇都宮から車で三十分、栃木県塩谷郡仁炉田町がともさんの故郷であり、桑田も小学校のころ疎開していたところだ。「ほんとうにいいおみやげができました」前夜からお里帰りをかねてむすこの声援にやってきたともさんは満足そうに球場を出た。
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ニーマン・マーシャル

2017-04-01 19:06:51 | 日記
1963年

国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン。「気楽にやるさ」と江藤の隣に腰をかけてニコニコするマーシャル。試合前の態度は同じ大リーガーでもまったく対照的だった。「あれが先発の金田かね」ニーマンは金田のピッチングもみのがさない用意周到さ。「試合は見たくない」はずのパトリシア夫人も貴賓席で観戦だ。いいところを見せたいニーマン。だがスターいじめで定評のある金田にかかってノーヒット。二人合わせて3三振という成績だった。杉浦監督は「はじめてだし、金田の調子もよすぎた。しかたがないよ」とかばっていたが、ニーマンもマーシャルも口をそろえて「金田のスネークボールにやられた」といっていた。スネークボールとは落差の大きいスピードを殺したカーブのことで、ヘビのようにグニャグニャ曲るという意味らしい。当の金田は「二人ともいいスイングをしているで。ボールをよく見て食いついてきよる。まだ調子を出していないようだが、ワシはきっと彼らは働くとみている。ニーマンにはすごみを感じるし、マーシャルもスキのないバッティングをしよる」と杉浦監督と同じようなことをいっていた。昨年渡米したときワールド・シリーズで代打に出たニーマンを見ている金田は、マーシャルとも日米野球で対戦ずみだ。「金田はいい投手だ。まったく打ちにくい球を投げる」という二人。あれでは打てないといわんだかりだ。カーブをスネークボールといったニーマンが四回の二度目の打席で大きな声をだして文句をいったのもこの球をつづけられて2ストライクをとられたときだ。スピードには自信があって大きなカーブは目を狂わせたようだ。それでもマーシャルが八回、三塁側に絶妙の送りバントをみせたのが両外人の唯一のいいプレーだった。吉田正男氏は「逆逆をついた金田のピッチングが二人の打力を完全に上まわっていた。スピードにはビクともしない外人でも、カーブでカウントをとられては手の出しようもなかった。マーシャルは初打席で2-2から一球胸もとをつかれたあと、外角速球をから振り。第二打席では内角球につまって内野フライ。ニーマンは第一、第三打席とも2-0、2-2から、第一打席はカーブ、第三打席は速球をみのがしているように、球についていけないのはコンディションが未調整のためだ。キャンプ、オープン戦とかなりの時間をかけている現在、彼らが調子を出していないのは理解できない」といっている。
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大橋勲

2017-04-01 15:59:05 | 日記
1963年

試合が終わった。ダッグアウトの一番奥でうつ向いていた大橋はノロノロと立ち上がった。片手にマスクとミットを持ち、プロテクター、レガースをつけたまま。多摩川の昼間の練習でもやけなかった色白の顔が目の回りだけがポッといやに赤かった。「どうだった?」ロッカー・ルームへ向かう途中の質問にも、うつ向いたまま。涙がポロポロこぼれていた。重い足どりー。「ぼくがまずかったんです」とボツリといった。いつもは陽気で、いいたいことをいう大橋が、初出場の結果を自分で落第と採点したのだ。ロッカーの中へ乱暴にレガースとプロテクターを投げ込んだあと、しばらくイスにすわったきり。フロへ行く藤田がそっと近づいて肩をたたいた。「気にすんなよ。オレが悪かったんだから・・・」それでもちょっとうなずいただけ。その間約十分。やっとプロへ行くため県下へ出た。「一生懸命やったつもりなんですが・・・」声がとぎれる。話しだすとまた新しい涙がホオをつたわった。「もうそろそろ出してもらえるとは思っていましたけど・・・。出るときはうれしかったんですが・・・。ボロボロするし、別にあがったとは思わなかったんですが・・・。三原さんに笑われてからなにかおかしくなって・・・・」六回島田(幸)の一ゴロで重松をホームでもつれながら刺したとき、三塁側コーチス・ボックスから三原監督が近よってきたときのことだ。「どうして三原さんが走ってきたのかわからないんです。でもあれからおかしくなりました」三原監督はこの点についてはなにもいわなかったが、得意の心理的な動揺を大橋に与えたようだった。「九回の藤田さんの暴投も、ぼくも押えなくちゃならないんです」もっともこの言葉はスムーズに口をついて出たのではない。とぎれとぎれに話す。その間によごれたタオルで何度も何度も目のふちをふいた。天知俊一氏は「六回重松に三盗されたときあせってポロリとやった。これがショックになったと思う。それにあまり動きすぎる。気をつかっているんだろうが、これがかえって十分プレーができなかった原因だろう。しかしこうせりあっているゲームにはやはり若い大橋は気の毒だ。長島の一打で大きくリードしておればもっといいプレーで初出場をかざれたかもしれない」と好意的。「思いきり泣けよ。ニヤニヤするよりいいぜ」と藤田は妙ななぐさめ方をする。船田、柴田の合宿組は「泣くところが大橋さんのいいところさ。でもキャッチャーってところはむずかしいポジションだからね」と大橋の気を引きたてるように陽気にさわいだ。ひとフロあびたあと「つまった当たりでもいい。こんどは一本ヒットを打つ。そしてもっといいプレーをします。これからですよ」また泣いた。だが試合直後の涙とはまた違ったカラッとしたものだった。
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