プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ロドリゴ宮本

2019-04-28 12:05:17 | 日記
1990年

サンパウロ出身で本名は宮本ワタナベ・ロドリゴ。ブラジルからの3人目の選手をなる。最速150㌔の直球と鋭いスライダーを武器に、ナショナルチームのエースとして活躍した。ヤンキースなど米大リーグ4球団も触手を伸ばした逸材だけに、将来性も十分だ。「ブラジルの松坂」とも呼ばれる注目選手。
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吉井英昭

2019-04-28 12:03:47 | 日記
1991年

北海道育ちの吉井にとって、この夏の高温多湿は初めての経験。「この暑さの中で、どれだけ投げられるかが勝負」と、口にする。また、「北海道は技術的レベルが高いほうではなかった。長い冬の間に、しっかりと足腰は鍛えていたので、体力面では負けない自信はあるが、技量はどうしても劣る。榎の活躍に最初は焦りましたが、ボクはまだこれからワザを身に付ける、ということで、今はマイペースです」とも。北国出身のハンデに負けない、シンの強さもある。指名の話が来たとき、吉井自身は迷ったという。「社会人にいって、それからでも・・・」ところが、両親はじめ、周囲の「プロが将来性を認めてくれたんだから」という助言に、本人もヤル気に。「身近にいい投手を見られるのは、自分の成長には計り知れないプラスに。今では、プロ入りは正解だったと思っています」「身近ないい投手」の代表格が、現在ファームで調整中の牛島和彦投手。同タイプなだけに、学ぶことも多い。「フォームのしなやかさとか、タメとか、牛島さんのような投げ方がいいな、と思っているんです。それと、一時期、フォークが落ちなかったり、グラブの使い方で球種がバレる、というときに、丁寧に握り方や対処法を教えてくださって」フォークのほかは、スライダー、シュート。カーブはない。「中学のとき、カーブをマスターしようと練習したんですが、思うように曲がらない。遅いだけなんです」そこで出てきたのが、「投げてみたらどうだ」というフォーク。今は、このフォークでカウントを整えられるような投球を心がけている。現在、ロッテのファームは、イースタンの優勝を狙える位置にいる。「マウンドでは、抑えなきゃ、というプレッシャーの中で投げています」という吉井。中継ぎ、抑えという役回りがほとんどだが、「いずれは一軍の先発ローテーション入りが目標」そのために、「まだまだ」という投手守備、連係プレーを鍛える一方、暑い夏場を乗りきれるよう、走り込み、投げ込みにも余念がない。一軍で、140㌔の速球とキレのあるフォークで打者をキリキリ舞いさせる日も、遠くないだろう。
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ランデル

2019-04-28 09:44:14 | 日記
2000年

1995年のドラフトではドジャースから指名された経歴を持つ。140㌔を超す直球とシュート、スライダー、フォークと多彩な変化球に加え制球力抜群のピッチングをアピール。
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吉田直喜

2019-04-28 08:44:09 | 日記
1992年

身長が189㌢もあるアンダーハンドの投手は、この世界では珍しい。過去のアンダーハンド型では広島にいた渡辺秀武投手が長身だったが、以後は長身のアンダーハンド投手はいなかったような気がする。吉田は、5月13日現在ウエスタン・リーグの投手防御率2位登板して1勝1敗、投球回数25、1/3イニングで自責点3、1.07の防御率である。このタイプの投手は左右へのゆさぶり投法が命だ。それには右打者の内角へシュート、外角へスライダー、カーブをはじめとする多彩な変化球で打者をゆさぶらなければならないが、吉田のピッチングを見ていると、昨年よりはずいぶんと球道が安定してきたものの、まだまだ甘い球が多い。それというのもストライク・ゾーンからボールになる低めの球が少なく、ボールになる低めの球が少なく、ボールからストライクになる球に付くからである。こういう球が投げると打者は当然のように狙ってくる。仮に見逃したり、ファウルになったりしても、また次の球にこのような甘い球が必ずあると待つ。今シーズンも、これでピンチを招いたり、また失点につながったりしている。昨年よりは安定はしているものの、この辺がまだまだファームのコーチにとっては不安なのである。他球団の選手に吉田のピッチングについて聞いてみると「外角低目へのスライダーがいい」という。ストライク・ゾーンからわずかにはずれてボールになる球がそうだ。この球に打者は手を出している。投手は、いかにストライクを投げず、ボールの球を打たせるか。とくにアンダーハンドの投手はそれがポイントになるのだが、吉田はそれができるようになったのか、現在の防御率になって表れているといえよう。この種の投手にとって一番投げづらいのは左打者であるのだが、スライダーを内角ヒザ元へ投げ、外角へシュートを決めて、打者にバットを出させるというコンビネーションで、このところ成功している。吉田が首脳陣に注目されるようになるには、まず第一に球威を加えなければならない。昨年にくらべると、たしかに球に威力が増してきているものの、まだ第一線への道は険しい。けれでもまだまだ球威が増してくる要素はずいぶんとある。それは過去2年前の彼と今シーズンとをくらべると、下半身がしっかりと鍛えられてパワーアップしているからである。そういう意味において、私は吉田の球威がこれからも増してくるとみている。注目していきたい投手の一人だ。
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伊林厚志

2019-04-28 07:36:15 | 日記
1992年

伊林が、今年のユマ・キャンプに抜擢された。といっても打撃投手としてである。しかし、ヤクルトでは加藤・内山・押尾と代々、ユマでの打撃投手がチャンスを掴んでいる。そんなジンクスを知れば、伊林も大いに期待出来よう。が、ユマ最終日、野村監督は伊林にこう伝えた。「お前にはコントロールがない。ストライクを入れるようにせい。まずそれからや」伊林の第一の課題はコントロール。右打者に対する外のコントロールはよいのだが、左打者に対して、特に乱れる。伊林のもう一つの欠点が瞬発力の弱さである。握力が70㌔背筋力も強いが、野球は馬力だけでは大成しない。ダッシュやジャンプ系のトレーニングで球のスピードは3㌔速くなる。伊林のストレートは135~137㌔、プラス3㌔で140㌔。左投手の球は右に比べ、打者から見ると5㌔は速く感じる。となると瞬発力がつけば、感覚的に145㌔以上の球を投げる力を秘めていることになる。敏捷性はある程度生まれつきのものだが、しゅんぱつ的に最高の力を出す訓練をすれば、コンマ何秒かではあるが動きはシャープになる。変化球に目を向けると、カーブに最近キレが出て来たが、シュートもフォークもまだまだ。しかし3月23日、教育リーグ対ロッテ戦では二番手として登板、5者連続三振の投球を見せた。多少、球審に助けられた面もあるが、カーブが見事に決まっていた。カーブが思った所へ行く時の伊林は一軍でも、十分通用するだろう。残るのは咄嗟の判断力。これは試合に出て実績を積めば解消されよう。しかも伊林は高校時代、クラスでトップの学力を持つ。現に、先輩に積極的にアドバイスを求めたり、打者のチャートを作って研究したり、実に野村監督好みである。ユマ・キャンプのミーティングでも、とても勉強になったと話していた。打者とのかけ引き、組み立て、と興味を持てば吸収も早い。「今年は数字より、試合でいかに課題を克服するかです」と語る伊林は、最近の若者には珍しく浮ついた感じがしない。一軍で待たれる左投手の成長。伊林にとって、果たしてユマ・キャンプ・シンデレラボーイの神話は生きているのだろうか。
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二宮正己

2019-04-27 22:55:19 | 日記
1990年

二宮はプロ入りして、早や6年目。年々、いや日ごろに一軍への距離が近くなっている。それほどまでに安定したピッチングを、ファームでは続けているのだ。身長は180㌢と近頃の若者にしたら特別大きいともいえないが、77㌔のウエートに加え、胸囲が105㌢というガッシリとした身体。そこから投げ込む球は、その重さで相手打者のバットを真っ二つに祈ることもしばしばである。ストレートのスピードは134~137㌔ぐらい。それを内外角にうまくコントロールしている。変化球の方はカーブ、スライダーにシュートがある。武器は外角いっぱいに決まるスライダーで、目下、ファームでは向かうところ敵なしの状態だ。「二宮がマウンドにいると、ベンチでゆっくりと見ていられる。ウチのファームのエースや」福本二軍監督は全幅の信頼をよせているようだ。だが、ここまでの話は、あくまでウエスタン・リーグでのこと。これが一軍に上がってどうかというと「?」がついてしまう。一軍で通用するには、まずストレートにあと4、5㌔のスピードアップにあと4、5㌔のスピードアップをはかること、そしてウイニングショットのスライダーに磨きをかけることだ。いまのままのスライダーなら一軍の巧打者、強打者たちは楽にはじき返してしまう。それともう一つ。落ちる球をマスターすることだ。これができると、ピッチングに幅ができて、いうことなし。一軍でも通用する投手になれると思う。そのあたりは本人もよくわかっていて「今、研究中なんです」という。おそらくフォークボールやSFFボールに取り組み、試行錯誤をくり返しながら悩んでいることだろう。ただ、落ちる球を投げ過ぎて、ヒジや手首に影響が出ないかと心配するあまり、ふんぎりがもうひとつつかないのが実情らしい。しかしそれを自分のものにすることだと心得て頑張ってもらいたい。昨年、一昨年と一軍でのマウンドを6試合経験している。これは大変貴重なことで、二宮のそれから後のピッチングに、大きな影響を及ぼしているのは間違いない。「バットスイングの速さとか、狙い球の読みとかは、さすが一軍です。ファームにはないものを感じました」今春のキャンプも、初めから沖縄・糸満の一軍組に参加していた。これからは、フォームに何かアクセントをつけるから、変化球の切れをプラスするとかして、打者にイヤがられるものを持つこと、とりあえずは、一軍の中継ぎを目指して頑張ってほしい。
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高橋薫

2019-04-27 22:27:18 | 日記
2000年

全日本のメンバーとしてシドニー五輪予選でも登板した即戦力左腕。入団発表で山本監督も先発ローテーション入りを確約。ストレートもいいがカーブ、フォークボールにも切れがある。気合を全面に出したところを見習いたい」とチームの先輩黒木が目標。対戦したい打者はイチロー。
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押尾健一

2019-04-27 21:37:12 | 日記
1990年

千葉でも有数の進学校である成東高の出身。学校創設88年目にして押尾の右腕が甲子園へ導いた。「大学を卒業してからでも遅くないかもしれないが、甲子園よりもプロをめざしていたんだから」と、プロ入りに踏み切った。進学を表明していなければ、もっと上位で指名されたはず。OBの阪神・中村監督や鈴木孝政氏(元中日)からも入団に際して激励を受けた。練習は一度もキツイと思ったことはない。「やればやるだけ、結果として自分の身にはね返ってくるのだから、やりがいがあります」とは、新人ながらプロ意識は満点。それにテレビでよく見たギャオス内藤と合宿で寝食をともにするなんて「やっぱりオレはヤクルトに入ったんだな」打者から背番号が見える野茂(近鉄)ばりの投球フォーム。高校3年生のとき「これの方が投げやすい」と徐々に現在の形に。187㌢の長身から投げおろす速球には威力があるが、下半身の強化はまだまだ不可欠だ。プロ初先発では一軍経験者豊富の西武打線を6回2失点に抑えたが、次の西武戦(8月3日)では外角一辺倒の組み立てを見破られて2回7失点の辛酸を味わった。その8月3日は四球で出した走者をボークやワイルドピッチで得点圏に進めタイムリーを浴びる最悪のパターンが続いた。浅野投手コーチは「打者に対してはいいタマを投げる。クイックモーションや駆けひきを覚えれば、近い将来、一軍に上がれる」と投手難にあえぐチーム期待の本格派だ。高校時代はけん制球もあまりせず、外角に放っておけば打たれなかった。「これからは内角球を見せ球にすることも必要ですね。それと直球に磨きをかけなくては。まっすぐ伸びないのは腕の振りが悪いということですから必然的に変化球のキレも悪くなる」現在、直球のスピードは140㌔に達せず、球種もカーブとシュートぐらい。それでも「まだかわす街を知りたいとは思わないんです。だから直球とカーブだけでグイグイ押す川口さん(広島)の投球には魅力を感じます」と口にするあたり大物を予感させる押尾である。
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宮下陽吾

2019-04-27 08:13:08 | 日記
1962年

先に入団が内定していた日本ビール宮下陽吾投手(栃木商)の発表はきょう二十五日午後零時半から球団事務所で行なわれるが、二十四日午後宮下投手の実父新八郎氏(48)=栃木県上都賀郡西方村で洋品雑貨商を営む=が森重役、砂押コーチからプロ野球の内情を聞いた。
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中山実

2019-04-27 07:48:45 | 日記
1962年

捕手陣のなかでは一番小柄だ。身長1㍍70、体重70㌔。「高校のときはチームでも一、二番だったので、自分では大きいほうと思っていたのですが・・・。しかし小さくても筋金がとおっておればいいんでしょ」体力不足を気力で補おうという中山捕手である。「気性は荒いほうです」とつけ加えた。高校は名門佐賀商で、一年生のときからレギュラーだった。しかも六番を打っていたのだから、そのころからすぐれた素質を持っていたといえよう。「一年生の秋に佐賀県で優勝して九州大会へ出場したのが、ぼくの高校生活ただ一つの思い出です。そのごは佐賀、鹿島、唐津実といった強チームが出てきて、甲子園出場の夢を実現できなかった。一度でいい甲子園へ出たかった」とくやしがる。捕手にコンバートされたのは二年の秋からで、新チーム編成と同時にキャプテンとなった。そんなことから人一倍責任感が強い。ひとくちにいえばしっかり者だ。西鉄に入ってからもそういったしぐさがちょいちょい見うけられる。練習が終わるといつも最後まで残り、野球用具を整理して帰るのが中山だ。「高校でも主将となると気をつかうものですね。しかしいまはまた一年生です。だから一年生らしくやりたいと思います」という。野球をまじめに考える選手である。昭和十八年十月二日生まれ。
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石原碩夫

2019-04-26 22:08:53 | 日記
1962年

「石原がいいですね」ときりだしたら、多田コーチは「みなさん、そうおっしゃいます」とひとごとのように答えた。そうおっしゃいます・・・ではないものだ。石原碩を早くから高く買っていたのは、そもそも多田コーチ本人。昨シーズンの終わりがけにノンプロ東洋紡岩国から入団したとき「きっとものになるピッチャーだ」といっていた。今シーズンから安藤元投手が加わったが、それまで石原は東映ただひとりのアンダースロー。そこに石原の魅力があったわけだが、入団したときは、ただタマが速いというだけでまとまりがなかった。やっと使えるメドがついたのはシーズン終了間ぎわで、秋の阪神のオープン戦には、変型ピッチングでタイガース打線をさんざん悩ませた。ことしはなおいっそう成長したわけで、過日の紅白戦に登板したときは、当っている吉田、西園寺も手を焼き、左バッターで打ちやすいはずの張本も好打を奪えなかった。黒ブチのロイドメガネスラリとのびた長身。ちょっと見たところ野球選手タイプではない。そのへんの文学青年といった感じだが、自分でいうのもおかしいくらいシンが強く、負けずぎらいだそうである。「アンダースローは足腰が強くなければならないので、ことしのキャンプでは走って走りまくった」といっていた。そのせいかどうか「ことしは最高にスピードが乗ってきた」ということだ。石原の強みは高めの失投がないことである。ほとんどのタマが地をはうような低めのタマでストライクゾーンのぎりぎりいっぱいに飛びこむ。打っても好打が出ないし、ストライクと思って手をだすと、ボールになることが多い。これはアンダースロー独特のものだが、スピードが加わってこのタマがいっそう生きてきたといわれる。しかし本人は「カーブの力の切れをよくしないことには・・・」とドン欲である。多田コーチ、水原監督とも「ローテーションに加わるのは間違いない」と太鼓判。春のオープン戦には尾崎、吉田、宮崎らの新人投手のしめくくり役として使われるそうだ。身長1㍍77。秋山(大洋)についで岡山東高でプロに送りこんだふたりめのサブマリンである。

石原投手の話 まだとても自信をもつ段階でないが、最近登板するのが楽しい。オープン戦で一度相手をやっつければスカッとした気分になるかもしれない。自信のあるのはシンカー、もう少しカーブを鋭くしたい。何勝が目標などとてもとても・・・。一試合、一インニングでもたくさん登板させてもらうことです。

多田コーチの話 低めのタマはなかなかまとまりがあり、大きくくずれないだけの安定性が身についてきた。欲をいえばベルトから上のタマが浮きあがるようになることだ。第一線のローテーションに加わるとみている。
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松井尚男

2019-04-26 21:13:16 | 日記
1962年

松井外野手は国鉄へ入団が決定した。金田投手が入団の仲人役をつとめた。松井選手の父親秀男さん(65)と、金田の父親とはむかしからの友達だそうだ。太洋からもちょっと入団の話があったそうだが、松井クンは「金田さんのいるチームへ行きたい」と強く希望。国鉄球団は「すぐには使えないが、うちは左打者が少ないので採用した」といっている。
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角田満

2019-04-26 21:12:03 | 日記
1991年

日本ハムの角田満投手は、昨年までの勝ち星が0、0、4、0と通算で4勝。その角田投手が6月5日から11日までのわずか1週間で3勝も挙げる獅子奮迅の活躍ぶり。「いやあ~、ラッキーなだけですよ」と本人は謙そんするが、その3試合で11回2/3を投げてわずかに1失点と、内容はリッパ。決して運だけで挙げた勝ち星ではない。通算5勝がチーム最多なら、防御率2.09はリーグ4位に入る堂々の成績。今や日本ハムの貴重な守護神だ。国士舘大を1年で中退し、テスト入団した草魂児。夢の一軍昇格まで、あと一歩だ。
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角田満

2019-04-26 21:10:51 | 日記
1987年

大学中退ーテスト生ー入団。ちょっと変わった球歴をもつ日本ハム・角田満投手に、首脳陣の期待が高まっている。金山二軍投手コーチも「カベを乗り越えて、伸びてほしい選手」と、右の本格派に熱い視線をおくる。高校生になって、内野手から投手に転向した。「高校時代は何も誇れる記録もなかった」が、「体がしっかりしている」と国士舘大のセレクションに合格。折り悪しく角田が入部したとき、同大学に不祥事(野球特待生制度がアマチュア憲章に抵触)が起きて、同部は1年間の出場停止となった。「野球のうまい人はやめていくし、とにかく陽の当たる所で野球を続けたい」と大学を中退した。60年秋、日本ハムの入団テストを「友だちと2人で軽い気持ちで」受けに行った。合格しても、一年間は練習生扱いだったが、実力が認められ昨年秋、ようやく正式に入団。角田は「野球をできる喜びでいっぱいです」と生き生きしている。金山コーチは角田の今の状態を「赤ん坊でいう離乳期だよ」と説明する。「早くフォームを体で覚えて、投手として必要なこと(ケン制球やフィールディングなど)をマスターさせたい」と注文は多い。イースタン・リーグの試合には、6月の中旬以降登板していない。「体力作りが最優先」(金山コーチ)のためだ。角田も「毎夜、屈伸をしたりして下半身を鍛えています」とその注文に応えるべく、体づくりに余念がない。同じ苦しみを味わった大学の同級生と時々会う。「ディスコに行ったりして、あの頃の暗さはもうないです」休日は、合宿所近くの多摩川へ釣りに出かける。「のんびりできて、野球のことは考えない」少ない自分の時間を楽しんでいる。陽気な男ではあるが、「ピンチなのに笑顔で投げている」と最初、首脳陣のヒンシュクを買った。角田本人は「真剣に抑えようと投げてるんですけど…。でも、ビデオを見ると自分でも笑っているようにみえるんですよね」とこれには苦笑いだ。「まっすぐでグイグイ押せる投手になりたい」とキッパリ。金山コーチも「地肩が強いのが一番の魅力」というだけあって、球は速くて、重たいようだ。「阪急の佐藤さんのような投手」を目標に一生懸命、練習に取り組んでいる。
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山本勝則

2019-04-26 21:09:47 | 日記
1991年

初めて踏む東京ドームのマウンドが心地好かった。初めて浴びる3万の大観衆の視線にも快感だった。8月25日の対巨人戦。V6へまい進中の好調打線を散発の3安打、1失点に抑え、プロ入り5年目で初めて完投勝利を収めたのは西武・山本勝則投手。ちょっぴり遅咲きの感はある。2年目には米国教育リーグにも参加、140㌔台のスピードボールの切れには将来が嘱望された。しかし、その後ファームでも勝ち星なしと鳴かず飛ばず。今季自己最多の4勝と変身したのは「チェンジアップで緩急をつけられるようになった」からとか。「投壊」が進むレオ役の救世主№1候補といえよう。
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