1994年
池山の高校後輩。山田勉より高くチーム日本人1のノッポ。高2秋に近畿大会ベスト8。長身から威力ある速球とフォークを繰り出す。自己紹介で「得意なタマはケン制球です」度胸もなかなか。
1994年
池山の高校後輩。山田勉より高くチーム日本人1のノッポ。高2秋に近畿大会ベスト8。長身から威力ある速球とフォークを繰り出す。自己紹介で「得意なタマはケン制球です」度胸もなかなか。
1992年
契約金7500万。昨年の都市対抗では住友金属の補強選手としてリリーフで活躍し、ベスト4進出の原動力になった。日本選手権では準優勝、敢闘賞を受賞。コントロールがよく、スライダーもよくキレる。即戦力で若手投手ぞろいのヤクルトに刺激を与えそう。
(ユマ)ルーキー左腕の西岡洋の評価が高まっている。切れのいい球をコース際によく投げ分け、野村監督も「安田(現コーチ)二世」と絶賛。本人の方も「全力で投げても打たれてしまうもの。ごまかし人生です」とまさに安田二世を地でいっている。
西岡洋のオープン戦デビューは鮮烈だった。7日、千葉マリン球場でのロッテ戦、3番手として7回からマウンドに立った。そしてマックス、ディアズの両助っ人からの連続奪三振。2イニングを打者6人、3三振の「パーフェクト」投球をやって見せた のだった。どんと胸を張ってコメントも弾んだ!?「まあ持ち味の、低めへのコントロールはよかったんですが、まだまだ。文句なし?とんでもない。文句ありありですよ。リリーフで出たからにはパッパッと行かないと、ボールが先行しましたからね」周囲の予想に反して、実に厳しい自己採点だった。それだけに投球内容以上に、「これは行ける」「使える」の頼もしさを印象づけた。ユマ・キャンプにはルーキーの3投手が参加したが、首脳陣の即戦力評価が一番高かったのが、この西岡洋だった。制球力、スライダーの切れに、140㌔のストレートも目を引いた。加えて左腕、社会人出身の精神的ズ太さも、評価を上げた要因となった。オープン戦登場も3投手では一番乗り、そして2回「完全」の結果はその評価の正しさを証明していた。「次は先発テストをさせたいね」といったのは石岡投手コーチ。開幕一軍はもう大前提として、起用法決定のテスト段階に突入していたはずだった。だが、その先発テストどころかオープン戦も、中盤を過ぎて2試合目の登板が巡ってこないのだ。予定では15日、大分での広島戦が先発登板になるはずだったのに‥。「西岡?いや、ねえ。故障じゃないって?まあまあ、いいじゃないの」登板機会が流れ続ける西岡洋に対しての石岡コーチのコメントは、徐々にトーンダウンして要領を得ないのだ。故障?春季第2次西都キャンプ終盤、西岡洋は両足のふくらはぎにハリを訴え、紅白戦登板を回避したことがあった。その再発も十分に考えられる。西岡洋がオープン戦から遠ざかる間に、ドラフト1位・石井が150㌔近い速球を披露し、すっかり「主役」の座を奪われてしまった。とはいえ、キャンプ中の故障以上に悪い状態になっていなければ、決して致命傷とはいえない。実力的にはすでに、一軍の力は実証済みだ。チームに不足の左腕、という魅力もある。石井ほどの派手さはないが、確実な戦力として、首脳陣の評価に変わるところはない。「西岡洋、石井と2人が(一軍枠に)入ると、(戦力的に)大きい」と石岡コーチの、左腕ルーキーへの期待は大だ。
1994年
昨年ファーム7勝。ジュニア球宴にも出場。緩急をつけて打者のタイミングをはずす投球が持ち味。
1995年
台頭が期待される左腕。昨年ファームで防御率4位。多彩な変化球で一軍定着を目指せ。
1997年
ヤクルトから、テスト入団で、猛牛軍団の仲間入りを果たした。ヤクルト時代は左肩の故障に泣いたが、一昨年、手術を受け経過も良好だ。豊富な球種と投球術は、 中継ぎ左腕としての期待も大きい。新天地で、もう一花咲かせるために、心機一転、一軍定着を狙いたいところだ。
1998年
昨季はわずか1試合の登板に終わったが、左のワンポイント・リリーバーとして評価は高い。左殺しの代名詞だった清川が広島へ移籍。ポスト清川の座に、名乗りを上げる。ヤクルト時代に手術した左肩も、今は不安が解消された。繊細なコントロールとクセ球で一軍定着を狙う。
1999年
ヤクルトを自由契約になり、近鉄入団2年目の昨季9月17日のロッテ戦(大阪ドーム)では延長10回一死二・三塁の危機を切り抜け、同点劇を演出。チームを優勝争いに残す貴重な働きを見せた。左腕を生かした頭脳的な投球が持ち味。今季は柴田、西川らの中継ぎ陣に割って入る。
1996年
初芝高からデュプロ入り。昨年は快速球を武器にチームを18年ぶりの都市対抗戦出場に導いている。昨年夏の京都市長杯対JR九州戦では最速152キロのスピードをマーク。筋肉質のバランスのいい体、サイドハンドからくり出す高速スライダーでローテーション入りを狙う。昨年のドラフトで日本ハムがその獲得に全力をあげた秘密兵器。
1996年
会津農林高からヨークベニマル入りし、3年目からエースとして活躍。平成5年の都市対抗東北大会では3連投の放れわざでチームの優勝に貢献。昨年夏の都市対抗戦にはNTT東北の補強選手として出場している。最速145キロの速球とカーブ、スライダー、フォークの変化球を駆使する右の本格派。制球力も安定しており、沼田、黒木との社会人三羽ガラスの先陣争いが見ものだ。
1988年
待望の大型新人誕生!それはV奪回への切り札となる。187㎝の長身から140キロを超えるストレート。だがそれ以上の武器はフォークだ。人並みはずれた大きな手を授けてくれた両親に感謝をしている。社会人で5年間投げ抜いた男が、ひのき舞台に躍り出た。大きな手でつかむのは同い年の阿波野に続く新人王だ!!
1992年
ようやく来た、というのが猛牛党の偽らざる気持ちだろう。近鉄投手陣の中でもその実力は高く評価されていたのだが、今までは何故か闘志が前面に表われてこなかった。そして昨年、ようやく実力の一端が見え始めた。7月初め、ロッテに10安打されながらも完封勝ちをしてからは、連続完封を収めるなど大活躍。チームを首位に押し上げると同時に、プロ入り初の月間MVPを獲得。ピンチにも動じない精神力が、高柳に好成績をもたらした。プロ4年目で初めて規定投球回数をクリア。今年はさらなる飛躍を誓う。「今年こそ2ケタを」静かなる男が今季は熱く燃えている。
1993年
無欲の男が変身した。前半戦は白星と黒星が交互に続くオセロ状態が続いた。好不調の波が激しくベンチをイライラさせることもあった。だが高柳のピッチングはこれまで見られなかった粘りが確かに出て来た。シーズン前には「去年と同じくらい勝てればいいですよ」と答えていた。だがそれは本音ではない。先発ローテーションの一角として責任を果たしたい、という気持ちが高柳の心に「欲」を生んだ。2ケタは絶対に勝ちたいー。結果は8勝。目標には2つ足りなかったが、その成長ぶりは野茂に次いでチーム2番目の完封数「3」に現れた。これまではオリックスキラーといわれてきたが、それから、さらに成長。2年連続で規定投球回数をクリアできた自信は、93年シーズンに必ず生きてくるはず。7勝、そして8勝とゆっくりステップアップしてきた。高柳にとってはジャンプの年。92年に見せたキラリと光る投球術をコンスタントに出すことさえできれば、初の2ケタ勝利も自然に達成できるはずだ。「もうそろそろ結果を見せますよ」と熱く闘志をたぎらせる高柳が猛牛投手陣の浮沈のカギを握っている。
1997年
甲子園を沸かせた快速右腕が猛牛軍団に仲間入りした。プロ1年目の今季は、一昨年から悩まされている右肩痛の克服に努める。ドラフト7位とはいえ、高校時代にすでにMAX140キロオーバーを記録した逸材。1日も早いプロでの復活が待たれる。
1998年
甲子園などの大舞台への出場はないものの、長身ながらしなやかなフォームが魅力。体が柔らかく、腕の振りがワンテンポ遅く、打者にとっては球の出所が見えにくく効果的。将来性に期待して、まずは体づくりからスタート。本人も「一生懸命練習して、清原選手に真っすぐで勝負したい」
1989年
高校時代、予選で5イニング15奪三振を記録した大型右腕。長身の割に器用な面があり、コントロールも安定している。もちろんストレートの球は速い。体力をつけ、ファームでじっくり調整する。将来のエース候補だ。
1993年
ノーワインドアップから、グラブを腰の位置に構えて右腕を大きくテイクバックするフォームは独特のものがある。140キロ台のストレートに磨きをかけて飛躍を誓う。
1993年
契約金5500万。88年春のセンバツにベンチ入りするも未登板。90、91年と都市対抗に出場。90年の全日本合宿に参加し、91年のキューバ戦ではメンバーに選ばれている。最高150キロは出すというストレートは威力十分。実績を積めばというところ。
1994年
パ・リーグの若手審判員に、いまファームで一番イキのいいピッチャーは?とたずねたら、まっ先に干場の名前が挙がった。140㌔台後半のストレート主体の本格的なピッチングは限りない将来性を感じさせる。昨年は1年目、夏場はスタミナ切れでスピードを落としたが今年は勝負。伊良部二世がマウンドに踊る日も近い。
1993年
契約金6000万。野球を始めたのは小学3年生のころ。宇治中では軟式野球部に所属、高校で本格的に取り組み、2年生の時からエース。快速球で面白いように三振を取った。昨年夏はノーヒットノーランをやっている。141キロを出す本格派。
1988年
同期の嶋尾、真鍋に続けと努力の毎日。だがプロ人生は始まったばかり、じっくりと腕を磨けばいい。一時、スリークォーター気味にしたフォームも本格派に戻した。左腕先発陣に食い込む日を夢みて練習に次ぐ練習を。
1986年
ドラフト第二位で銚子商から入団した大型投手。銚子といえば宇野、尾上の後輩に当たる。真っ向から投げおろす速球が、軽く140キロを超すという。打者としての一級品だ、とする折り紙がつけられ、その鋭い顔つきにも将来のスター、らしさがのぞく。
1996年
コンスタントに140キロ台をマークするストレートが魅力。高校生ながら、本格派としての呼び声が高い。バランスのよいフォームも素材として申し分なく、将来への期待も充分だ。先発・完投タイプの投手として楽しみな逸材である。
1992年
7年前、同じ船橋法典高から松浦を発掘した三沢スカウト部長が「見る度に成長してきている」と、再び夢をかける。昨年度の千葉県予選で、ベスト8にまで進出していたのも、同じ足どりだ。西武・郭のように、フォロースルーで、長い腕を大きく前へほおり出すようなフォーム。「これからきたえれば、まだまだスピードが出てくるはず」と、三沢部長は将来をにらんでいる。