(5年前3月18日、思い煩うことなき森の日々だった‥)
想いやるこころを仁と書き表す(旧事本紀)。
仁の意味は愛より広く深い。
まだ生まれたてで浅い仁、小さな仁でもないよりはマシだ。
その仁、想いやる心はどこからやってくるのだろうか、と
あまりにもあさましく醜いものに出会って考えてしまった。
そんなに難しいことだろうか、と。

(オヤツは寝て待てが座右の銘)
この黒い毛皮の人(わたしには人なのであるよ)を撫でて
いると、ふわっと包まれるここち。それは仁である。
仁は想いやるこころなのだけれど、実は与えられることを
知ったときに芽生えてくるのではなかろうか。
感謝する気持ちは仁の種、それもすばやく芽生える種である。
もの言わぬものから受け取る数々の恵みを、受けて、それぞれが
生きている。
オレがオレがとのし歩かなくても、のし歩く土台をそもそもが
用意されていたのではなかったかと、自分の足元にはたと気づく。
時すでに遅しの無力になってからしかないのだとしたら、
それは恨みや憎しみをともなって、己を省みることなどなく
恵まれていたことなど気づく余裕すらないのだろう。
堂々回りで出て来れない。
小さなこと。小さなもの。とるにたらないような、人が気づかない
ようなところに、仁の種は落ちている。ここそこあそこに落ちて
拾われるのを待っている。
想いやるこころを仁と書き表す(旧事本紀)。
仁の意味は愛より広く深い。
まだ生まれたてで浅い仁、小さな仁でもないよりはマシだ。
その仁、想いやる心はどこからやってくるのだろうか、と
あまりにもあさましく醜いものに出会って考えてしまった。
そんなに難しいことだろうか、と。

(オヤツは寝て待てが座右の銘)
この黒い毛皮の人(わたしには人なのであるよ)を撫でて
いると、ふわっと包まれるここち。それは仁である。
仁は想いやるこころなのだけれど、実は与えられることを
知ったときに芽生えてくるのではなかろうか。
感謝する気持ちは仁の種、それもすばやく芽生える種である。
もの言わぬものから受け取る数々の恵みを、受けて、それぞれが
生きている。
オレがオレがとのし歩かなくても、のし歩く土台をそもそもが
用意されていたのではなかったかと、自分の足元にはたと気づく。
時すでに遅しの無力になってからしかないのだとしたら、
それは恨みや憎しみをともなって、己を省みることなどなく
恵まれていたことなど気づく余裕すらないのだろう。
堂々回りで出て来れない。
小さなこと。小さなもの。とるにたらないような、人が気づかない
ようなところに、仁の種は落ちている。ここそこあそこに落ちて
拾われるのを待っている。