想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

紫陽花の乱!

2012-07-02 15:33:01 | Weblog
市民によるデモンストレーション(集団示威運動)ー紫陽花革命。
これからも続く。どんどん増えていく官邸前抗議行動。
政治に興味を抱く年頃になった時には安保闘争の灯火は
火種がくすぶる程度にしか残っていなかった。
だから学生と労働者がいっしょくたになってデモする光景は
映像と写真でしか知らない。何人なのかも知らなかった。

60年安保の頃学生だった知人のフォト・ジャーナリストが
日本には革命は起きないと言っていたのが忘れられなかった。
ずっとその言葉が頭の中にあって、ベトナムも安保も知って
いるその人の、経済成長に酔っぱらった日本人に対する忸怩
たる思いはそのまま、わたしの中に根付いていた。
紫陽花革命、この言葉を聞いてその人が今どう思っているか
聞いてみたい気がする。喜んでいるだろうか。



誰かが始めなければ変わることはない。
誰かが始めなければ、最初の一歩がなければ、最初の一人が
いなければ、何十万人はそこへ集うことはなかった。
けれども、官邸前へ出向き、最初に「再稼働反対、野田ヤメロ、
原発ハイロ」と叫んだ少数の人々は「我々が始めたのだ」
なんてことは言わない。「我々は~」と以前の革命家たちは
言ったものだ。革命家などいたかどうかは別として、デモの
シュプレヒコールと共に「われわれは~」があった昔と、
主語抜きの今のスタイル、私が望んでいたものはこれだった。

群衆の中の一粒、一粒に名前はない。名はいらないが主権は
要る。主権者たる意志を示しに、そこへ馳せ参じる。
そういう粒粒があつまって、18万になり、やがて30万にも
50万にもなっていくだろう。
なんども言うが、このデモの印象は「やさしい」だ。
集まっている人の胸中深くに怒りと憎しみがあるだろうに
表立って流れている波動はやさしさなのだ。



国家という大きすぎる敵を相手に独り呪い毒づいていた
人々が同じ思いの人々に出会う場所、それが官邸前だ。
連帯する気持ちが、やさしさを生んでいる。
人の命とふつうの暮らしを守ろう、子どもに負の遺産を
残さない未来をという思いは、大きなやさしさでなくて
何であろうか。
人間は捨てたもんじゃないと、教えてもらった。

紫陽花の季節の雨、しとしとと細かい糸のような雨が降り
止まない。この雨は人々の涙だ。
やがて梅雨開けの真夏が来ても、紫陽花の花は終わっても
紫陽花は枯れない。葉や茎があおあおと育ち、陽を浴びて
根を太くしていく。
そしてまたさらに大きな花をつけるために育つのだ。

一粒の「再稼働反対、原発やめろ」が週末毎に集い続ける。
官邸で「大きな音だね」と言った野田首相に音ではなく
人の心であることを知らしめる時はそう遠くないと思う。

今日は昨晩、福井大飯原発門前に身体を横たえ陣を張った
若者達をよくやった、ありがとうと、讃えたい。
あれだけまあ、よく踊ったぜぇと。
(おばちゃんも踊りたいのはヤマヤマだけど‥声担当で‥)

反原発デモは都内各所及び全国各地で行われている。
都内では「さよなら原発1000万人署名運動」
「首都圏反原発連合」「素人の乱」他、いくつものグループ
が互いに連帯しながら集会、デモを展開している。
都合がついたら参加しようから、都合をつけて参加するに
変える人が増えたら、この国も変わっていく。
テレビの伝えないことがこの国の真実だということを知れば、
メトロに乗ってでかけたくなるかもしれない。

空から見た紫陽花革命←クリックしてね




コメント (4)
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