市民によるデモンストレーション(集団示威運動)ー紫陽花革命。
これからも続く。どんどん増えていく官邸前抗議行動。
政治に興味を抱く年頃になった時には安保闘争の灯火は
火種がくすぶる程度にしか残っていなかった。
だから学生と労働者がいっしょくたになってデモする光景は
映像と写真でしか知らない。何人なのかも知らなかった。
60年安保の頃学生だった知人のフォト・ジャーナリストが
日本には革命は起きないと言っていたのが忘れられなかった。
ずっとその言葉が頭の中にあって、ベトナムも安保も知って
いるその人の、経済成長に酔っぱらった日本人に対する忸怩
たる思いはそのまま、わたしの中に根付いていた。
紫陽花革命、この言葉を聞いてその人が今どう思っているか
聞いてみたい気がする。喜んでいるだろうか。
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誰かが始めなければ変わることはない。
誰かが始めなければ、最初の一歩がなければ、最初の一人が
いなければ、何十万人はそこへ集うことはなかった。
けれども、官邸前へ出向き、最初に「再稼働反対、野田ヤメロ、
原発ハイロ」と叫んだ少数の人々は「我々が始めたのだ」
なんてことは言わない。「我々は~」と以前の革命家たちは
言ったものだ。革命家などいたかどうかは別として、デモの
シュプレヒコールと共に「われわれは~」があった昔と、
主語抜きの今のスタイル、私が望んでいたものはこれだった。
群衆の中の一粒、一粒に名前はない。名はいらないが主権は
要る。主権者たる意志を示しに、そこへ馳せ参じる。
そういう粒粒があつまって、18万になり、やがて30万にも
50万にもなっていくだろう。
なんども言うが、このデモの印象は「やさしい」だ。
集まっている人の胸中深くに怒りと憎しみがあるだろうに
表立って流れている波動はやさしさなのだ。
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国家という大きすぎる敵を相手に独り呪い毒づいていた
人々が同じ思いの人々に出会う場所、それが官邸前だ。
連帯する気持ちが、やさしさを生んでいる。
人の命とふつうの暮らしを守ろう、子どもに負の遺産を
残さない未来をという思いは、大きなやさしさでなくて
何であろうか。
人間は捨てたもんじゃないと、教えてもらった。
紫陽花の季節の雨、しとしとと細かい糸のような雨が降り
止まない。この雨は人々の涙だ。
やがて梅雨開けの真夏が来ても、紫陽花の花は終わっても
紫陽花は枯れない。葉や茎があおあおと育ち、陽を浴びて
根を太くしていく。
そしてまたさらに大きな花をつけるために育つのだ。
一粒の「再稼働反対、原発やめろ」が週末毎に集い続ける。
官邸で「大きな音だね」と言った野田首相に音ではなく
人の心であることを知らしめる時はそう遠くないと思う。
今日は昨晩、福井大飯原発門前に身体を横たえ陣を張った
若者達をよくやった、ありがとうと、讃えたい。
あれだけまあ、よく踊ったぜぇと。
(おばちゃんも踊りたいのはヤマヤマだけど‥声担当で‥)
反原発デモは都内各所及び全国各地で行われている。
都内では「さよなら原発1000万人署名運動」
「首都圏反原発連合」「素人の乱」他、いくつものグループ
が互いに連帯しながら集会、デモを展開している。
都合がついたら参加しようから、都合をつけて参加するに
変える人が増えたら、この国も変わっていく。
テレビの伝えないことがこの国の真実だということを知れば、
メトロに乗ってでかけたくなるかもしれない。
空から見た紫陽花革命←クリックしてね
これからも続く。どんどん増えていく官邸前抗議行動。
政治に興味を抱く年頃になった時には安保闘争の灯火は
火種がくすぶる程度にしか残っていなかった。
だから学生と労働者がいっしょくたになってデモする光景は
映像と写真でしか知らない。何人なのかも知らなかった。
60年安保の頃学生だった知人のフォト・ジャーナリストが
日本には革命は起きないと言っていたのが忘れられなかった。
ずっとその言葉が頭の中にあって、ベトナムも安保も知って
いるその人の、経済成長に酔っぱらった日本人に対する忸怩
たる思いはそのまま、わたしの中に根付いていた。
紫陽花革命、この言葉を聞いてその人が今どう思っているか
聞いてみたい気がする。喜んでいるだろうか。
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誰かが始めなければ変わることはない。
誰かが始めなければ、最初の一歩がなければ、最初の一人が
いなければ、何十万人はそこへ集うことはなかった。
けれども、官邸前へ出向き、最初に「再稼働反対、野田ヤメロ、
原発ハイロ」と叫んだ少数の人々は「我々が始めたのだ」
なんてことは言わない。「我々は~」と以前の革命家たちは
言ったものだ。革命家などいたかどうかは別として、デモの
シュプレヒコールと共に「われわれは~」があった昔と、
主語抜きの今のスタイル、私が望んでいたものはこれだった。
群衆の中の一粒、一粒に名前はない。名はいらないが主権は
要る。主権者たる意志を示しに、そこへ馳せ参じる。
そういう粒粒があつまって、18万になり、やがて30万にも
50万にもなっていくだろう。
なんども言うが、このデモの印象は「やさしい」だ。
集まっている人の胸中深くに怒りと憎しみがあるだろうに
表立って流れている波動はやさしさなのだ。
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国家という大きすぎる敵を相手に独り呪い毒づいていた
人々が同じ思いの人々に出会う場所、それが官邸前だ。
連帯する気持ちが、やさしさを生んでいる。
人の命とふつうの暮らしを守ろう、子どもに負の遺産を
残さない未来をという思いは、大きなやさしさでなくて
何であろうか。
人間は捨てたもんじゃないと、教えてもらった。
紫陽花の季節の雨、しとしとと細かい糸のような雨が降り
止まない。この雨は人々の涙だ。
やがて梅雨開けの真夏が来ても、紫陽花の花は終わっても
紫陽花は枯れない。葉や茎があおあおと育ち、陽を浴びて
根を太くしていく。
そしてまたさらに大きな花をつけるために育つのだ。
一粒の「再稼働反対、原発やめろ」が週末毎に集い続ける。
官邸で「大きな音だね」と言った野田首相に音ではなく
人の心であることを知らしめる時はそう遠くないと思う。
今日は昨晩、福井大飯原発門前に身体を横たえ陣を張った
若者達をよくやった、ありがとうと、讃えたい。
あれだけまあ、よく踊ったぜぇと。
(おばちゃんも踊りたいのはヤマヤマだけど‥声担当で‥)
反原発デモは都内各所及び全国各地で行われている。
都内では「さよなら原発1000万人署名運動」
「首都圏反原発連合」「素人の乱」他、いくつものグループ
が互いに連帯しながら集会、デモを展開している。
都合がついたら参加しようから、都合をつけて参加するに
変える人が増えたら、この国も変わっていく。
テレビの伝えないことがこの国の真実だということを知れば、
メトロに乗ってでかけたくなるかもしれない。
空から見た紫陽花革命←クリックしてね