想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

クレオールとオキナワと大和

2012-11-15 15:22:46 | Weblog
(紀伊国屋書店と在日フランス大使館共催企画の第一回目)
「文学の力」と題して語ったのは大江健三郎とパトリック・
シャモワゾー、そして司会進行役は堀江敏幸。
ぜいたくな組合せなので期待を胸に時間ギリギリに小走りで
新宿南口へ向かった。外は寒かったのだが大汗かいてしまった。
紀伊国屋書店サザンシアター入口には満員御礼の札、盛況だ。

日本ではあまり馴染みのない作家であろうクレオール文学の騎手、
P.シャモワゾーが自著「カリブ海偽典」の作品世界をまず語った。
大江健三郎がユーモラスにシャモワゾー氏との出会いを話し始め、
そこにはすでに作品の持つ秘密が込められていて、最初から引き
込まれる内容であった。

la voix ヴォワ、声、言語ではなく声、声によって綴られた文章
を記憶したと大江氏は言った。
クレオールを単に植民地主義の産物と定義づけてとらえると過去
の遺物でしかない。しかしカリブ海から東洋の島々へとつないで
クレオールを理解するのは日本人には容易なことだ、今なお続く
オキナワの植民地支配を思えばいい、あれこそクレオールなのだと。
さらには尖閣問題を考えよと、日本人に身近な問題として解説した。
クレオールの指し示すものはエキゾチックな西インド諸島のかなた
の話に限ったことではないのだと。
植民地として支配する側と支配される側がある。一方でその壁を
超え生きていく人々の暮らしが文化を育む。クレオールの人々は
境界を持たず融合し、新しく洗練していくのだ。
シャモワゾーの物語は水平に展開していく、そのことが未来への
展望を示している、これからの時代はそこへ向かうのだと大江氏は
繰り返し言った。



白人世界は他者を排除する。排除しすべてを征服せずにはおかない。
クレオールはただそこにあるものをあるがままに、そこへ融けて
いく。そしてシャモワゾーは自己自身の内側へと入っていくことが
他者を見るということだ、そう語った。対立の逆である。

ずいぶん端折って説明してしまったが、わかりやすい話だった。
なぜなら、ふだんから思考していること、特に最近のカメの講義に
出てきた「大和のこころ」そのものだったからだ。
対立して争うのではなく中庸と融和。「私」を持たない世界の
広がりが根底にある思想だからだ。

大和魂などといつから間違って使うようになったのか訝しく思い
ひもとくと、江戸時代に勃興した国学者が漢学を敵視するあまり
偏り(本居宣長を除いて)さらに明治に入り国策である富国強兵
に都合のいいように用いたという経緯がある。

ヤマトダマシイなんつって中国と一戦交えようなんつって都知事
辞めた人がいるが、大江氏はクレオールから学ぶ最も直近な問題
とし尖閣国有化問題を挙げた。
昔から島付近で漁を生業とした漁民は先祖代々、台湾も中国もなく
漁民同士として共生してきた。目と鼻の先の沖縄も同じだ。
それを今新たに境界を引き、占有し、対立するのは間違っていると。
未来へ向けて私達がとるべき方法は人間性に基づいた世界を作る
努力ではないか、それは可能なのだと。
クレオールの逆それはグローバリズムです、皆さん知っている
でしょう、グローバリゼーションで世界を一色になんてできない、
このことを皆さん考えて下さいと大江氏は繰り返した。

ここで大事なキーワードとしてヴォワ、声がある。
声はカメの言葉で置き換えると「響き」だ。そしてそれはカタチ
ではなく気配である。大江氏もシャモワゾー氏も共通しているのは
不確かなものを描くという点である。
目に見えないもの、だが、確かにそこにあって生きている者を支え
それなくしては逆に生きていけないだろう、不確かなもの。

(声、響きの対極に言語を置くとすれば言語は国境を作ってきた
カタチだ。母国語を超えて植民地で生まれたクレオール語、境を
飛び越えた新しい言葉はまた人種の境界を超える道具でもある。
この道具はカタチであるがカタチに留まらない力を備えている)

カメが教えてくれる魂の力、その不確かだが在るものを感じ取る心、
それは大和にいにしえから伝わって、そこここに在り続けている。

合間、大江健三郎氏は今年はずっと反原発のことで日本のあちこちへ
忙しく動き回って、もう年寄りですからくたびれます、家に戻って
小説を書くどころじゃないんです、でも今また最後の小説、最後に
なろうかといつも思いながらですが、取り組んでいます、そこに
書こうとしているのもヴォワのようなことなんです、と語っていた)
ユーモア溢れ、かつ力強く、挫けない人の言葉であった。
(付け加えると大江氏は中上健次が生きていたらシャモワゾー氏の
ような物語を完成したはずだと語った。)

文学の力、人間の可能性を学ぶ力、それが人の営みを明日へと
つなげていく、そのことを再認識した日であった。
コメント
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