1月18日金曜日、雪。
犬神、地ツ神へ還る。さらばじゃ~、とは言わなかった…、
一声、ワンと小さく鳴いた。
久しく、とても久しく犬の声で鳴いた。
門番であり、親分またはベイビーと呼ばれたかの犬の本当の名は
サンダーである。
理想通りに老衰で命を全うした今、森に囲まれた我が家のだだ広い
庭に埋葬された。どうだんつつじと山桜のそばで、いつも私の目に
ふれる特等席に。
あらかじめカメが用意していて下さった場所に、旅立ちの装束も
包む布も、すべて持参して下さって、地中深くに埋めていただいた。
大きな石もいつのまにか傍らに運ばれていて、それがそのためだと
私には告げないまま用意されていたのだった。
先生は、この春がくる前、雪の降る頃にと言われたことがあって、
でももっと先のことだろうと勝手に思っていたのだった。
東京から高速道路で帰宅する途中、車中で息が荒く具合が悪く
なった。以前にも何度か同じように呼吸が苦しくなることは
あって、着いてしばらくすると回復していた。今回もそうで
あるようにと望みながら運転していた。
途中、PAに停めて様子を見た時、いつもと違うことが気になった
けれどもどうしようもないのだった。
顔を見、身体をさすり、話しかける。
それに応えてシッポさえ振ってくれたが、息は荒かった。
よだれがひどく出ていた。それはいつもと違うことだった。
山道に入ると雪が深く、降りも激しくなった。
ずっと声をかけながら、もうすぐ帰るよ、もうすぐ着くよと
おうちに帰ろうねと言いながら運転した。
ぜえぜえというサンダーの声は耳慣れたリズムに聞こえる。
それを聞き続けることの苦痛に慣れようとしてきた。
その時もそうだった。そして、ようやく門の前へ着いた。
ベイビーはまだ生きていた。さあ着いたよと車を停めた。
雪で門から進入できず雪かきをした。
膝まで積もった雪では玄関に横付けできないから抱いて歩く
ための道をとにかく作ろうとしていた。
そして約15分後、ふと車中をのぞくと、サンダーは息絶えていた。
私は己を愚かだと思った。
犬には魂はない。
肉体の限界を超えれば、同時にその気は地へ帰ろうとする。
地はくにと読む。自然を司る地神(くにつかみ)のもとへと
融けいるのである。自然と一体になってゆく。
暖かな身体でそこに横たわっているので、私はすがりついて
泣いたが、俗世での役目は終えていた。長い長い時間であった。
門前に着いた時、背中に聞こえていた荒い息は、その疲れを
じゅうぶんすぎるほど表していた。
よく生き、じゅうぶんすぎるほど懸命に生きた。
そして、律儀に森へ戻ってきたのだった。
亡くなる前の数日、人なつこい目が一段となつこくなって、
もっと一緒にいたいねと言っているように思えたりした。
生活のリズムは諸々の理由でいつになくせわしく、叶わない
まま過ごしていた。
その時の目がずっと胸に残ったまま数日過ごしようやく家へ
戻れる金曜日だった。出かける寸前まで電話に追われていた。
シニアの年齢になっても凛々しかった顔だが輪郭がぼやけてきて
老いが出てきていた。年寄りの顔になった。
まろやかでおだやかな顔になっていた。
まん丸りんご頭とからかわれていた子犬の時も、きりりと成犬に
なったの頃も爺ちゃんになっても、いつのときも大好きな顔だった。
けれども今際の、口を開け苦しい息をし続ける顔は胸を締めつけた。
それが目にふと浮かび私は頭をかきむしり、床に爪をたて呻いて
しまうのだ。
忘れようと、払いのけようとして過ごしてきたけれど今朝、
そうではないのだと気づいた。
苦しみたくないと思うことによって苦しんでいたのだった。
ふっとよぎる顔がかわいい盛りの頃でもなく、精悍な大人の
貫禄を見せていたハンサム君のでもなく、最期が近くなった時、
数日前の姿なのだ。それが辛くてたまらなかった。
とても悔いがあった。サンダーは15年も長生きしたからいいと
思えないのだった。
わたし自身が至らなかったことをいくつも自覚していたからだ。
東京の仕事場へ行き、macを立ち上げると画面の背景は昨年の
雪解けの頃に写したものだ。ちらちらと舞う雪が黒いからだに
映えて、こちらをじっとみつめて立っている。
あわてて環境設定を呼び出し、画面の設定をapple仕様の野の花の
写真に変更した。
画面のサンダーを見た瞬間、情けないが動揺してしまったから。
iphoto には数年分の四季折々の彼の写真が入っている。
どれならだいじょうぶかと試したみたが、どれをみても今は同じだ。
あははと笑っているあの顔でもダメなのであった。
カメラ目線ではない木立のなかで遠くを眺めている風のでもダメ
であった。
彼の姿そのものに、今はふれることができないということなのだ。
いわゆる喪失の悲しみというヤツであるなどと考えたくもなく、
数日、抵抗を試み、惨敗し続けた。
私はなにを悲しんでいるのか。
彼は長いあいだ、病にもめげずに生ききってくれたではないか、
そう思ってなんとか奮い立とうとしているのに、数秒後には瞼が濡れ、
お岩さんのように腫れた眼がさらに痛みを増してくる。
寝ても目醒め、また思う。
しかたがないので、散歩に行こうと思う。と、ここで、散歩道で
サンダーと歩いた場所は避けねばならないと気づいて止める。
キッチンで戸棚を開ける時、「なに?」と期待する気配を背中に
感じ、冷蔵庫のドアに手をかけて、「なに?」と待っているヤツ
の顔が思い浮かぶ。キャベツの千切りをすると、ああ、これが
好きだったと思う。きりがないのである。
どこまでもついてくる、いや、ついてはこず、彼は逝ったのだ。
ここに居て、ぐずぐずとしているのは私である。
仕事は押せ押せであるので集中していればなんとかなるわと
周囲の慰めに答えてきたが、それも違う。
そんなごまかしはごまかしにすぎない。虚勢を張れば反動がすぐ
にやってくるのだ。
じゅうぶんにしあわせだったこと、そして流れにそって今がある
ことを認めないのは、ごく単純にわたしの欲望、願望、執着だ。
わかりきったことをやっているのだった。
生後50日のサンダーがやってくる前、文鳥を飼っていた。
チッチと名づけて可愛がっていた。
それはわたしが人以外の生きものと親しくなる練習になった。
チッチの死と入れ替わりにサンダーは来た。
厭世観が強く内実は人嫌いで、外見の社交性とギャップがあり
偏っていた性格は、サンダーとの生活でかわっていった。
山道をふたりで歩きまわり、土にふれ、風のなかで過ごした。
ふたりだから出来たことだった。
山の暮らしと、彼のそばで生き返ったといつも感じた。
ハイヒールを履いたせいで向こうずねが炎症を起こして
今日は久々に整体師のお世話になった。
帰りにぼーっとした頭で、ああ、帰ってもヤツはいないぜと
思った。かくしてドアを開けても立ち上がる気配はなかった
けれど、わたしは昨日よりもだいじょうぶであった。
その場にへたりこんだりせずに、スーパーの袋から野菜を
取り出し冷蔵庫にしまった。
もうキャベツは君の分は買わない。
そういうことだ。
明後日は君のそばへ帰れる。
犬神、地ツ神へ還る。さらばじゃ~、とは言わなかった…、
一声、ワンと小さく鳴いた。
久しく、とても久しく犬の声で鳴いた。
門番であり、親分またはベイビーと呼ばれたかの犬の本当の名は
サンダーである。
理想通りに老衰で命を全うした今、森に囲まれた我が家のだだ広い
庭に埋葬された。どうだんつつじと山桜のそばで、いつも私の目に
ふれる特等席に。
あらかじめカメが用意していて下さった場所に、旅立ちの装束も
包む布も、すべて持参して下さって、地中深くに埋めていただいた。
大きな石もいつのまにか傍らに運ばれていて、それがそのためだと
私には告げないまま用意されていたのだった。
先生は、この春がくる前、雪の降る頃にと言われたことがあって、
でももっと先のことだろうと勝手に思っていたのだった。
東京から高速道路で帰宅する途中、車中で息が荒く具合が悪く
なった。以前にも何度か同じように呼吸が苦しくなることは
あって、着いてしばらくすると回復していた。今回もそうで
あるようにと望みながら運転していた。
途中、PAに停めて様子を見た時、いつもと違うことが気になった
けれどもどうしようもないのだった。
顔を見、身体をさすり、話しかける。
それに応えてシッポさえ振ってくれたが、息は荒かった。
よだれがひどく出ていた。それはいつもと違うことだった。
山道に入ると雪が深く、降りも激しくなった。
ずっと声をかけながら、もうすぐ帰るよ、もうすぐ着くよと
おうちに帰ろうねと言いながら運転した。
ぜえぜえというサンダーの声は耳慣れたリズムに聞こえる。
それを聞き続けることの苦痛に慣れようとしてきた。
その時もそうだった。そして、ようやく門の前へ着いた。
ベイビーはまだ生きていた。さあ着いたよと車を停めた。
雪で門から進入できず雪かきをした。
膝まで積もった雪では玄関に横付けできないから抱いて歩く
ための道をとにかく作ろうとしていた。
そして約15分後、ふと車中をのぞくと、サンダーは息絶えていた。
私は己を愚かだと思った。
犬には魂はない。
肉体の限界を超えれば、同時にその気は地へ帰ろうとする。
地はくにと読む。自然を司る地神(くにつかみ)のもとへと
融けいるのである。自然と一体になってゆく。
暖かな身体でそこに横たわっているので、私はすがりついて
泣いたが、俗世での役目は終えていた。長い長い時間であった。
門前に着いた時、背中に聞こえていた荒い息は、その疲れを
じゅうぶんすぎるほど表していた。
よく生き、じゅうぶんすぎるほど懸命に生きた。
そして、律儀に森へ戻ってきたのだった。
亡くなる前の数日、人なつこい目が一段となつこくなって、
もっと一緒にいたいねと言っているように思えたりした。
生活のリズムは諸々の理由でいつになくせわしく、叶わない
まま過ごしていた。
その時の目がずっと胸に残ったまま数日過ごしようやく家へ
戻れる金曜日だった。出かける寸前まで電話に追われていた。
シニアの年齢になっても凛々しかった顔だが輪郭がぼやけてきて
老いが出てきていた。年寄りの顔になった。
まろやかでおだやかな顔になっていた。
まん丸りんご頭とからかわれていた子犬の時も、きりりと成犬に
なったの頃も爺ちゃんになっても、いつのときも大好きな顔だった。
けれども今際の、口を開け苦しい息をし続ける顔は胸を締めつけた。
それが目にふと浮かび私は頭をかきむしり、床に爪をたて呻いて
しまうのだ。
忘れようと、払いのけようとして過ごしてきたけれど今朝、
そうではないのだと気づいた。
苦しみたくないと思うことによって苦しんでいたのだった。
ふっとよぎる顔がかわいい盛りの頃でもなく、精悍な大人の
貫禄を見せていたハンサム君のでもなく、最期が近くなった時、
数日前の姿なのだ。それが辛くてたまらなかった。
とても悔いがあった。サンダーは15年も長生きしたからいいと
思えないのだった。
わたし自身が至らなかったことをいくつも自覚していたからだ。
東京の仕事場へ行き、macを立ち上げると画面の背景は昨年の
雪解けの頃に写したものだ。ちらちらと舞う雪が黒いからだに
映えて、こちらをじっとみつめて立っている。
あわてて環境設定を呼び出し、画面の設定をapple仕様の野の花の
写真に変更した。
画面のサンダーを見た瞬間、情けないが動揺してしまったから。
iphoto には数年分の四季折々の彼の写真が入っている。
どれならだいじょうぶかと試したみたが、どれをみても今は同じだ。
あははと笑っているあの顔でもダメなのであった。
カメラ目線ではない木立のなかで遠くを眺めている風のでもダメ
であった。
彼の姿そのものに、今はふれることができないということなのだ。
いわゆる喪失の悲しみというヤツであるなどと考えたくもなく、
数日、抵抗を試み、惨敗し続けた。
私はなにを悲しんでいるのか。
彼は長いあいだ、病にもめげずに生ききってくれたではないか、
そう思ってなんとか奮い立とうとしているのに、数秒後には瞼が濡れ、
お岩さんのように腫れた眼がさらに痛みを増してくる。
寝ても目醒め、また思う。
しかたがないので、散歩に行こうと思う。と、ここで、散歩道で
サンダーと歩いた場所は避けねばならないと気づいて止める。
キッチンで戸棚を開ける時、「なに?」と期待する気配を背中に
感じ、冷蔵庫のドアに手をかけて、「なに?」と待っているヤツ
の顔が思い浮かぶ。キャベツの千切りをすると、ああ、これが
好きだったと思う。きりがないのである。
どこまでもついてくる、いや、ついてはこず、彼は逝ったのだ。
ここに居て、ぐずぐずとしているのは私である。
仕事は押せ押せであるので集中していればなんとかなるわと
周囲の慰めに答えてきたが、それも違う。
そんなごまかしはごまかしにすぎない。虚勢を張れば反動がすぐ
にやってくるのだ。
じゅうぶんにしあわせだったこと、そして流れにそって今がある
ことを認めないのは、ごく単純にわたしの欲望、願望、執着だ。
わかりきったことをやっているのだった。
生後50日のサンダーがやってくる前、文鳥を飼っていた。
チッチと名づけて可愛がっていた。
それはわたしが人以外の生きものと親しくなる練習になった。
チッチの死と入れ替わりにサンダーは来た。
厭世観が強く内実は人嫌いで、外見の社交性とギャップがあり
偏っていた性格は、サンダーとの生活でかわっていった。
山道をふたりで歩きまわり、土にふれ、風のなかで過ごした。
ふたりだから出来たことだった。
山の暮らしと、彼のそばで生き返ったといつも感じた。
ハイヒールを履いたせいで向こうずねが炎症を起こして
今日は久々に整体師のお世話になった。
帰りにぼーっとした頭で、ああ、帰ってもヤツはいないぜと
思った。かくしてドアを開けても立ち上がる気配はなかった
けれど、わたしは昨日よりもだいじょうぶであった。
その場にへたりこんだりせずに、スーパーの袋から野菜を
取り出し冷蔵庫にしまった。
もうキャベツは君の分は買わない。
そういうことだ。
明後日は君のそばへ帰れる。