想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

常連さん

2014-11-12 14:00:00 | Weblog
食堂オープンまであと何分すか。

いや、さっき食べたから、まだまだですよ。
と、知らんフリしても、ついつい甘い顔をしてしまう我。



団子です。猫です。
シャッター音で顔、あげなくていいです。
寝ててください。

しつこいですよ。

猫はマモノといいますが、確かに、と思います。
でも人の魔物より、いいです。
猫に騙されても、傷つきませんし。
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さみしくはないさ

2014-11-12 02:26:08 | Weblog
紅葉は先月後半が一番美しく、さささっと終わった。
もう晩秋の風情である。
どうだんつつじの紅い葉が、雨に濡れると、まだいい感じだ。


(一番きれいだった10月下旬頃に撮ったもの)

11月は「さみしい月」であった。思春期から20代まで
ずっとそうだった。
それが変わったのは、ベイビーとこの山で過ごすように
なってからだ。人並みにというか、モミジ、木の実、食欲、
と目の前の喜びを素直に味わえるようになって、秋の意味
が変わったのだった。

しかし…そのはずだったが。
昨年は何をして過ごしたか、時が止まったような妙な感覚、
ブログを見れば原発再稼働反対と米軍基地問題、時事問題に
ふれ、思うことなどを書いてはいた。
今年になってからはそれも余りしなくなった。
更新が間遠になった。
つまり、無口なのがブログにも感染して更新マバラ~。

週刊金曜日の最新号の表紙を見て気づいた。
今号の特集は「安倍首相と戦争」だ。
「10月26日、航空自衛隊百里基地での防衛相・自衛隊
60周年記念航空観閲式、米兵の案内でMV22
オスプレイを見学する安倍晋三首相(提供/AP・AFLO)
モーニング姿の首相とそばで語りかける米兵が写って
いた。キナ臭さが全面にあった。

表紙を正視できず、裏返して、テーブルに置いた。

自分が傷ついているなんて言うのも恥ずかしい気がする
けれども、とても恐れ、不安で、そして重いさみしさ。
気づくと愕然とするけれど、事実である。
しようがないわたしだ。
誰も見ていないと、過剰反応していて、
かろうじて、叫ばないだけ、な感じ。

あまり遠くないところでダンプが作業しているらしく、轟音
が風に乗って聴こえてくる。
除染後の廃棄物を仮置きする場所が村内のあちこちに目立つ。
裏山をずーっと歩いて行くと、かつて美しかった牧草地は
鮮やかな青一色になっていた。
風下の憂鬱。



ベイビーが、たよりないおっかあを現実から連れ出して
励ましてくれていたことを、今も忘れない。
だから、そもそも自分は弱いと知っている。
子ども時分からの秋嫌いが復活したのも、しようがない。
放射能の後の世界は、私をすっかり打ちのめし、
見ず知らずの人々の悲しみと共振する。
ニュースが嫌でたまらない。

「殺される側の人間」そういう表現をした人がいたが、
そんな鈍い表現は見当違いだと思う。
面従腹背でいつの時代も庶民は生き延びていく、などと
いう言い方も同じだ。
そんなふうに一からげに見る視線、痛みを知らない者の
言葉ではないの? と思う。

どのような立場も、立つ位置を選ぶのは自らであるから
人を語る目線は、その人の本質があらわになってしまう。
それに敏感な人じゃないなら信じられない。

もう、世界は終わっている。
青い奴らのバンド名じゃなくて、本当にとっくの昔。
それでも生きているじゃないか、生きているのだよ、と
自ら反駁し。
で、世界ってなんだ? と問い返す。

肉体は磐坂であり、魂は神籬、私自身が砦である、という
究極の、捨て身の生き方を、学んできたのは終わった後を
生き延びるためである。
秋嫌いなど、もうどうでもいい。
秋はすぐに去り、冬将軍がグアングアンとやってくる。

痛みを抱えた人が地上のあちこちにいて、
十五夜の煌々と澄んだ夜空を、同じ月を、見ていた。
その事実のほうを、わたしは忘れずにいよう。

弱い者が負けるとは限らん。


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