2011年の代々木反原発集会だったか、電気は足りてる
愛が足りないと書いたぜっけんを思い出す。
つけてた中年くらいの男性カメラマンになんだかよく
似合ってて、愛を知ってる人のように見えた。
若い人と話していると、自分が若かった頃と比較しても
理解不能なことが増えてきた。
どう話せば通じるのか、家に戻りひとりになったときに
考えこむ。
別にもめたわけではない。意見が合わないわけでもない。
そもそも向こうは話を聞いているだけなのである。
自分の意見というほどの考えは持っていないのだから。
持つべきは金、くらいしか頭にないようで、方法ばかり
聞きたいようだ。
それで方法を話しているのだが、それをそれと気づかない。
で、何と言えば通じるか、となる。
通じていないことがわかるからである。
そういうとき、昔なら、バカだなあと言えばいいのだが、
バカなんて言葉を使えば即それに反応して感情的になる
自己愛というか、自意識ばかり肥大したような顔なので
バカは禁句、アホやねんも禁句。
褒められたり、だいじょうぶと言われたがたる。
ただ、やたらとメモをとる。
メモはスマホに打ち込む。打ち込んで検索している。
目の前にいる話した当人に聞けばいいのに…
自分で調べるのだそうだ。
それは自分で、といえるのだろうか。
ネットで検索する、電子辞書を持ち歩く、それで何が
わかるのだろうか、と思った。
本は「情報」を提供してくれるが、情報を活かすのは
読者自身である。本はきっかけにすぎない。
必要なのは、自らが行い、感じたことであり、それを
編集するよりも、さらに感じることを深めることが優先だ。
たくさんの言葉も記号も要らない。
「歩くといいよ。東京の名所じゃない場所、どこでも
いいから路地や町なかの、なんてことない道を歩く、
それだけでも、いろいろと染み付いて感じられるよ」
若い人が閉じこもらないように、そう別れしなに言った。

ある著名な編集者が作った本を若い頃にずいぶん読んだ。
そしてその人自身の著作も読んだ。その頃よりも今の方が
需要が増えて、よく目にする作家になった。
だが、その人は作家ではなく編集者である。
スーパー編集者の視点は斬新で面白く、ずいぶんと目を
見開かされたものだが、旧事紀を学ぶようになってパタっと
手にとらなくなった。
理由をとりたてて考えたことはなかったのだが…
そこに愛があるか、といえば、愛が足りない。
再び手に取らない理由をそういうふうに感じている。
情熱と愛を取り違えるほど若くはなくなった今、
その線引きこそが最も難しく、それが著作に顕われて
しまうという厳格さを感じている。
他人の情熱に伴走するには、その人に思い入れがなければ
できない。思い入れするには、その志に共鳴できなければ
ならない。けっきょく、そこに志があるかどうかだ。
伝播し着火するほどの熱がそこにあるかどうかだ。

わたしはここでカメと呼んでいる師にめぐり会い、
その縁で、旧事紀を編纂し注釈した宮東博士に会った。
旧事紀の学びから、埋もれていた古事記に光を当てた宣長大人を
知ることとなった。
旧事紀と古事記、どちらも一生をかけるに相応しい書物なのだ。
宮東博士も宣長さんも人生をかけた。
カメ先生然りで、現在進行形だ。
偉大な実績を後世の者が単に「情報」として用いている様を
目にすると、怒りを覚えたこともあったが今はちょっと違う。
宣長さんも宮東博士も、表現が激烈である。
「神のつくりし大御国」という文章は、戦後の研究者は何を
バカなことをと受け流す。すばやくそう反応する。
(この際、やたらと肯定する輩はまた別で論外である)
西郷信綱氏は古事記伝を下敷きに古事記注釈を書いたが
そこで用意周到に宣長さんと一線を画する旨を述べている。
「先祖返り的な後退でないことを示すためにも、直毘霊の
説くところを手厚く埋葬する責任があると考える」と。
くどいほどこの件が述べられている。
この残念さ…。西郷氏はいい研究者だと思うだけに残念だ。
直毘霊をどう読むかが、宣長さんを肯定するか否定するか
別れるところのはずだが、個々の言語解釈において古事記伝
を活かしながら、先人の意志の根幹ともいえるものを埋葬
するという。その理由をさらに後の世代であるわたしは、
知っているので責める気にはなれない。怒りもしない。
戦争で負けた国である祖国の、その古えを知ろうとするとき、
戦争を忘れてはできないであろう。
けれど、宣長さんの目は何を見、何をとらえていたかを
知ることができないと、その言葉の雰囲気に戦後の人は
過敏になる。そしてギリシア神話など持ち出してきて、
違う方向へとひた走る。
あるいは民俗学という方法へと逃げてしまった学者もいた。
時代の空気に萎縮した、もっとも残念な理由である。
宣長さんはおおらかで、素直で、古伝に向き合った。
そして喜んで逝った。墓には山桜の樹をと書き遺して。

囚われずに生きる。
抗って生きる。
それもいい。
もっといいのは、愛を深く。愛をもって生きること。
それにほんとうは言葉はいらないのではないかとさえ
思っている。
古伝に溢れる「神」という記号の意味するところ…
愛なんて簡単に言うな、ごはんちょうだい、と猫めに
催促されるオチ。
そうね、愛がいちばんむずかしい、されど、愛です。
愛が足りないと書いたぜっけんを思い出す。
つけてた中年くらいの男性カメラマンになんだかよく
似合ってて、愛を知ってる人のように見えた。
若い人と話していると、自分が若かった頃と比較しても
理解不能なことが増えてきた。
どう話せば通じるのか、家に戻りひとりになったときに
考えこむ。
別にもめたわけではない。意見が合わないわけでもない。
そもそも向こうは話を聞いているだけなのである。
自分の意見というほどの考えは持っていないのだから。
持つべきは金、くらいしか頭にないようで、方法ばかり
聞きたいようだ。
それで方法を話しているのだが、それをそれと気づかない。
で、何と言えば通じるか、となる。
通じていないことがわかるからである。
そういうとき、昔なら、バカだなあと言えばいいのだが、
バカなんて言葉を使えば即それに反応して感情的になる
自己愛というか、自意識ばかり肥大したような顔なので
バカは禁句、アホやねんも禁句。
褒められたり、だいじょうぶと言われたがたる。
ただ、やたらとメモをとる。
メモはスマホに打ち込む。打ち込んで検索している。
目の前にいる話した当人に聞けばいいのに…
自分で調べるのだそうだ。
それは自分で、といえるのだろうか。
ネットで検索する、電子辞書を持ち歩く、それで何が
わかるのだろうか、と思った。
本は「情報」を提供してくれるが、情報を活かすのは
読者自身である。本はきっかけにすぎない。
必要なのは、自らが行い、感じたことであり、それを
編集するよりも、さらに感じることを深めることが優先だ。
たくさんの言葉も記号も要らない。
「歩くといいよ。東京の名所じゃない場所、どこでも
いいから路地や町なかの、なんてことない道を歩く、
それだけでも、いろいろと染み付いて感じられるよ」
若い人が閉じこもらないように、そう別れしなに言った。

ある著名な編集者が作った本を若い頃にずいぶん読んだ。
そしてその人自身の著作も読んだ。その頃よりも今の方が
需要が増えて、よく目にする作家になった。
だが、その人は作家ではなく編集者である。
スーパー編集者の視点は斬新で面白く、ずいぶんと目を
見開かされたものだが、旧事紀を学ぶようになってパタっと
手にとらなくなった。
理由をとりたてて考えたことはなかったのだが…
そこに愛があるか、といえば、愛が足りない。
再び手に取らない理由をそういうふうに感じている。
情熱と愛を取り違えるほど若くはなくなった今、
その線引きこそが最も難しく、それが著作に顕われて
しまうという厳格さを感じている。
他人の情熱に伴走するには、その人に思い入れがなければ
できない。思い入れするには、その志に共鳴できなければ
ならない。けっきょく、そこに志があるかどうかだ。
伝播し着火するほどの熱がそこにあるかどうかだ。

わたしはここでカメと呼んでいる師にめぐり会い、
その縁で、旧事紀を編纂し注釈した宮東博士に会った。
旧事紀の学びから、埋もれていた古事記に光を当てた宣長大人を
知ることとなった。
旧事紀と古事記、どちらも一生をかけるに相応しい書物なのだ。
宮東博士も宣長さんも人生をかけた。
カメ先生然りで、現在進行形だ。
偉大な実績を後世の者が単に「情報」として用いている様を
目にすると、怒りを覚えたこともあったが今はちょっと違う。
宣長さんも宮東博士も、表現が激烈である。
「神のつくりし大御国」という文章は、戦後の研究者は何を
バカなことをと受け流す。すばやくそう反応する。
(この際、やたらと肯定する輩はまた別で論外である)
西郷信綱氏は古事記伝を下敷きに古事記注釈を書いたが
そこで用意周到に宣長さんと一線を画する旨を述べている。
「先祖返り的な後退でないことを示すためにも、直毘霊の
説くところを手厚く埋葬する責任があると考える」と。
くどいほどこの件が述べられている。
この残念さ…。西郷氏はいい研究者だと思うだけに残念だ。
直毘霊をどう読むかが、宣長さんを肯定するか否定するか
別れるところのはずだが、個々の言語解釈において古事記伝
を活かしながら、先人の意志の根幹ともいえるものを埋葬
するという。その理由をさらに後の世代であるわたしは、
知っているので責める気にはなれない。怒りもしない。
戦争で負けた国である祖国の、その古えを知ろうとするとき、
戦争を忘れてはできないであろう。
けれど、宣長さんの目は何を見、何をとらえていたかを
知ることができないと、その言葉の雰囲気に戦後の人は
過敏になる。そしてギリシア神話など持ち出してきて、
違う方向へとひた走る。
あるいは民俗学という方法へと逃げてしまった学者もいた。
時代の空気に萎縮した、もっとも残念な理由である。
宣長さんはおおらかで、素直で、古伝に向き合った。
そして喜んで逝った。墓には山桜の樹をと書き遺して。

囚われずに生きる。
抗って生きる。
それもいい。
もっといいのは、愛を深く。愛をもって生きること。
それにほんとうは言葉はいらないのではないかとさえ
思っている。
古伝に溢れる「神」という記号の意味するところ…
愛なんて簡単に言うな、ごはんちょうだい、と猫めに
催促されるオチ。
そうね、愛がいちばんむずかしい、されど、愛です。