(山桜のあとには山つつじ、いま満開です)
ずいぶん長いこと、あんたメソメソしてるんだね、
もう五年経つけど、性格変わったみたいに…と
壁の声…。
本の校正のために七月堂さんへ行ったら
社長の知念さんが打ち合わせするテーブル
の上に、本を並べていた。
表紙の文字が大きくてすぐに目に飛び込んできた。
字が大きかったからか、書かれた文字のせいか、
おおーと声をあげて、それ、なんすか~と言うと
在庫の整理中なのよ、あとこれ一冊あったからと
知念さんが言う。
「保田與重郎の時代」
(やすだよじゅうろうのじだい)近藤洋太著
ホダヨ~と言って、ガンミしていると知ってるの?
と意外そうな顔をされた。
保田與重郎は、数少ないヒーローの一人である。
わたしの中の、であるが。
滅多にお目にかかれない名でもあるし、それを
タイトルにしたその本のことを知らなかった。
七月堂さんは詩集を主に扱う出版社で、近藤さんも
詩人である。保田與重郎の本を書いたとはどゆこと?
と尋ねると、いろいろ書いてあるわよ、それも入ってる。
高いわよ、と言われたが保田與重郎を語る人の
言葉は読んでみたい、すぐに買うことにして
話し込んでしまい打ち合わせそっちのけになった。
きっかけはそういうことだったが、近藤洋太の詩を
読みたくて、アマゾンで「CQ I CQ 」(思潮社刊)
を入手した。
その冒頭の詩、「動植物一切精霊」
東日本大地震から三年目の十一月三十日午前十一時
五十七分 やまびこ57号でJR郡山駅着
という書き出しで始まる。
近藤さんは案内役のB君と車で双葉町へ向かう。
双葉町から国道六号線に入り浪江町へ。
近藤さんの目に映る光景が淡々と描かれていく。
午後二時すぎ 常磐線浪江駅着。
「死の町」を通りぬけ、海岸へ。
津波襲来の傷跡をみながら、3.11へ戻る二人。
近藤さんの目的は墓参だった。
みんなが自然に作った墓。
供え物と一緒に立つ二本の卒塔婆、
「東日本大震災殉難者一切精霊」
「東電原発事故被災犠牲動植物一切精霊」
書かれた二行が、そのまま詩であった。
近藤さんの詩をまだこれから読むのだが、
思いがけない冒頭のこの詩で、
一気にメソメソが爆発してしまった。
熊本の被災には家族や知人のこともあって
心配はきりがないが、五年前の、自分も
関わる土地のこの悲劇は、たんに地震では
なかった。津波、そして原発事故と三重苦、
次に政府の棄民かと疑うしかない対応で
四重苦。出口のないままに時間が過ぎて
人々に忘れさせようとする力が強く
働いていることも感じる今。
この詩は近藤さんの現地ルポであり、
詩として書かれた記録であり、
その魂の雄叫びは、人が人であることの
証ではないか。そして…
行き場を無くした精霊を、書くことで
弔った詩人の行為は誰かに似ている。
保田與重郎は日本浪漫派を代表した作家、
歌人、批評家であったが、その心は常に
歌にあった。そして時代を疑い、世相に
おもねらず、孤高に生きた人である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/42/53a12c94a911b51412764fe26659ea4c.jpg)
(利休梅が初めて咲いた、後でジョリコが昼寝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/79/f646b56874ace000336eaafd5d2bbcfd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0c/9e278a8af16b3c8c643361d9bb168bc5.jpg)
(二本一緒に植えたのに、なんだか
花びらが違うように見える、なして?)
遅れに遅れて明日ようやく校了になる予定。
そのために我ながら驚くほどに余裕がなくて
ブログの更新が月1になってしまった。
ここは気晴らしに書こうと始めたのだが、
すっかり滅入る話ばっかりになって早五年だ。
それでもぷ~ちゃんがいたころはまだよかった。
表紙もまだ見ていないのでお知らせも
できないが、古の心をたくさん入れた本になった。
これを機に、いいかげんメソメソを閉店したいと
思うばかりなり。
ずいぶん長いこと、あんたメソメソしてるんだね、
もう五年経つけど、性格変わったみたいに…と
壁の声…。
本の校正のために七月堂さんへ行ったら
社長の知念さんが打ち合わせするテーブル
の上に、本を並べていた。
表紙の文字が大きくてすぐに目に飛び込んできた。
字が大きかったからか、書かれた文字のせいか、
おおーと声をあげて、それ、なんすか~と言うと
在庫の整理中なのよ、あとこれ一冊あったからと
知念さんが言う。
「保田與重郎の時代」
(やすだよじゅうろうのじだい)近藤洋太著
ホダヨ~と言って、ガンミしていると知ってるの?
と意外そうな顔をされた。
保田與重郎は、数少ないヒーローの一人である。
わたしの中の、であるが。
滅多にお目にかかれない名でもあるし、それを
タイトルにしたその本のことを知らなかった。
七月堂さんは詩集を主に扱う出版社で、近藤さんも
詩人である。保田與重郎の本を書いたとはどゆこと?
と尋ねると、いろいろ書いてあるわよ、それも入ってる。
高いわよ、と言われたが保田與重郎を語る人の
言葉は読んでみたい、すぐに買うことにして
話し込んでしまい打ち合わせそっちのけになった。
きっかけはそういうことだったが、近藤洋太の詩を
読みたくて、アマゾンで「CQ I CQ 」(思潮社刊)
を入手した。
その冒頭の詩、「動植物一切精霊」
東日本大地震から三年目の十一月三十日午前十一時
五十七分 やまびこ57号でJR郡山駅着
という書き出しで始まる。
近藤さんは案内役のB君と車で双葉町へ向かう。
双葉町から国道六号線に入り浪江町へ。
近藤さんの目に映る光景が淡々と描かれていく。
午後二時すぎ 常磐線浪江駅着。
「死の町」を通りぬけ、海岸へ。
津波襲来の傷跡をみながら、3.11へ戻る二人。
近藤さんの目的は墓参だった。
みんなが自然に作った墓。
供え物と一緒に立つ二本の卒塔婆、
「東日本大震災殉難者一切精霊」
「東電原発事故被災犠牲動植物一切精霊」
書かれた二行が、そのまま詩であった。
近藤さんの詩をまだこれから読むのだが、
思いがけない冒頭のこの詩で、
一気にメソメソが爆発してしまった。
熊本の被災には家族や知人のこともあって
心配はきりがないが、五年前の、自分も
関わる土地のこの悲劇は、たんに地震では
なかった。津波、そして原発事故と三重苦、
次に政府の棄民かと疑うしかない対応で
四重苦。出口のないままに時間が過ぎて
人々に忘れさせようとする力が強く
働いていることも感じる今。
この詩は近藤さんの現地ルポであり、
詩として書かれた記録であり、
その魂の雄叫びは、人が人であることの
証ではないか。そして…
行き場を無くした精霊を、書くことで
弔った詩人の行為は誰かに似ている。
保田與重郎は日本浪漫派を代表した作家、
歌人、批評家であったが、その心は常に
歌にあった。そして時代を疑い、世相に
おもねらず、孤高に生きた人である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/42/53a12c94a911b51412764fe26659ea4c.jpg)
(利休梅が初めて咲いた、後でジョリコが昼寝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/79/f646b56874ace000336eaafd5d2bbcfd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0c/9e278a8af16b3c8c643361d9bb168bc5.jpg)
(二本一緒に植えたのに、なんだか
花びらが違うように見える、なして?)
遅れに遅れて明日ようやく校了になる予定。
そのために我ながら驚くほどに余裕がなくて
ブログの更新が月1になってしまった。
ここは気晴らしに書こうと始めたのだが、
すっかり滅入る話ばっかりになって早五年だ。
それでもぷ~ちゃんがいたころはまだよかった。
表紙もまだ見ていないのでお知らせも
できないが、古の心をたくさん入れた本になった。
これを機に、いいかげんメソメソを閉店したいと
思うばかりなり。