想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

天、…。「天、共に在り」

2016-09-17 19:16:24 | 
(日射しをよけて縁の下で昼寝)

古伝の注釈をしていると「天」が
頻出する。
天抜きは邪道の話になる。

いえ、抜きって蕎麦屋は主抜きで
天が残る。まあ、その方がよほど
理にかなっている。悪事をするのは
人だけだから。

天はテン、アメと読み上を指す。
じゃあ上は何かとなる。
天ぷらなんてのは上じゃなく
アゲ、揚げ。
世間の階級意識でお上と解釈すると
天ではない。



お天道さま、おてんとさま。
これをお日様を指すと思うのは
近代の人で、天道は神の道のこと
である。神道というとまた近代で
解釈を変えているので神道でも
古神道の方だ。
森羅万象をつかさどり、諸々の
原初にあるはたらきといった方が
いいかもしれない。それを神と
名づけたものが神道。

つまり天の字は神を指すが、
天をそのままカミ(神)と訳すと
現代人のイメージする神では
ないので、ほんとにややこしい。
おまけに漢字とやまとことばの
壁が立ちはだかっている。

おてんとさまが見ているからね
悪いことしちゃいけんよ、と
昨今の親は言わないだろうし
爺婆も言わないだろうなあ、
なんてこったの世の中に
なってしまった。


(ただの草、じゃないよ
野草それぞれにヒトが名づけた
名がある…日当たりがいいので
色々集まって賑やかだわ)

「天、共に在り」中村哲 著。
ペシャワール会の中村医師の本
タイトルがとてもいい。
そして、これは中村医師の実感
だろう。それに敬服し感動する。
天と共に在り、そう思えるのは
困難を前に逃げず、誠実に生き
働いているからこそである。

数キロに渡る最初の用水路が通り
やがてそれが延長されていく課程を
描いたドキュメンタリーをETVで
観た。

水路の両側に植えた柳が風に靡き
乾いた土だった麦畑が緑で覆われ
広がっていた。
驚きとともに、人はこうして水を
得て土を耕し生きてきたのだと
いまさらながらに感動し、そして
古代の人を連想した。
人の暮らしの原点を知った気がした。
農業機械を使わず人力で耕し
羊を飼い、空を見上げ、土に伏し
そして祈る人々。

しかし相変わらず空には米軍機が
飛んでいく。悪は絶えず、だ。

古代憲法を日々調べていると、
人が天から遠ざかり、天を忘れ
ついには天を撃つようになる事
への戒めが、繰り返し繰り返し
説かれている。

今の時代はその戒めにある事が
眼前の事実として現実にあって
いやというほど意味は知らされる。

だから恐ろしさに身体が震える。
悔しさに歯ぎしりする。

しかし今は、その怒りが
原動力となっている。
悔しさもなかったら、わたしは
のほほんと勝手に、生き恥を
さらしているだけだろう。

中村医師は古伝でいえば
さしずめ賢人より上の至人だろうか。
なぜわざわざパキスタンに、
アフガンに、という問いが
愚問であることがわかる。

さて、先日の福岡地裁の判決に、
即刻控訴を表明した翁長知事の
言葉。あれは、おてんとさんからの
言葉だと思って聴いといた方が
身のためだぜ、と思うばかりだ。

鼻の先にぶら下がったニンジンや
積まれた毒饅頭が身体に悪いと
早晩気づいても遅い。
天高く馬肥ゆる秋、
心痩せしヒトは負け戦かな。


コメント
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