想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ののあおやま

2021-06-06 19:31:11 | Weblog
246で思い出すのがイッセー尾形、
彼の一人芝居(舞台)に246というのが
ある。(それがタイトルだったかはdvdが
手元にないので判らないけれど)
バブル期の話だったと思うが246に
ドライブするカップルの会話で、
246を連呼してノリノリで歌う。
オチは「ただの道路じゃん」だ。
靑山通りをネタに爆笑できる話だ。

表参道交差点から赤坂方面あるいは渋谷寄りへと、ショッパーを下げた遠来とおぼしき人が連れだって周りを見渡しながら歩いている。
近隣に住んだり働いたりの人とは歩く速度が違って、たぶん景色の見え方も違うだろうと思う。

でも今の靑山通りは凡庸な商業ビルが並ぶ
「ただの道路」になってしまった。
そして人通りもコロナ以前は原宿並に多くなっていた。
個性的だった昔モダンのビルは老朽化で
次々に建て代えられ今風のガラス張りになった。
キラキラした通りは、歩く速度をゆるめる場所がない。
ちょっとさみしい。

大坊珈琲店のあったあたりに金子眼鏡が出店したのはご愛敬だ。けれど、立ち寄れる場所はほとんどなくなった。
カフェではなくて珈琲店が流行りとなって、するとまた新しい店ができる。
でもスペシャリティコーヒー豆を売りにした、1杯の価格が高い専門店だ。まあまあのブレンドコーヒーがあればぐっじょぶ、軽食ありのいわゆる喫茶店はみかけない。

若い人にとっては新しい形態やカフェはいいのかもしれないが、わたしは居心地がよくなくて座っていられない。
有名な人気店はあるんだが、自分にとっての居場所はあるようでないんだなあ。

5丁目の方へ行き一本小道へ入るCICADAと、パン屋のbreadworksがあるので、元気があればそこまで歩く。



ののあおやま」は北青山側の通りに面した公団住宅跡地に建った住宅複合施設一帯の名称。
広い敷地の中心はマンションなのだが隣地との間に水辺と遊歩道がある。

自然林を模した植栽がなされ、憩いの場が設けられている。
緊急事態宣言で延期になっているが、催しものに靑山音ノ会など、古典やクラシックの演奏会が開かれる。
木に囲まれた小さなステージ。

遊歩道は表参道への抜け道になっていて、隣の善光寺の裏へ続き、元からあった小さな公園も位置をずらして残っている。
幼児を連れたママ達をみかける。ブランコ、シーソー、砂場、子ども遊ぶ声が聞こえ、なごめる景色だ。


( ドッグローズ)

日本に自生するドングリの木は20数種類ある。
山の家の森庭には秋冬にウリ坊がやってくる。目当てはシイの実。
他にコナラ、ミズナラ、クリ、ブナなどがあって、葉っぱをみながら覚えた。
他にもいろいろあるけど全部はまだ知らない。
先住の木々たちを名で呼びたいので図鑑が手放せない。

自然を模したという「ののあおやま」の植栽はモッコク、コナラ、エノキ、ケヤキヤマザクラなどがあった。
まだ若木、住む人々に見守られ、大きな木に成長できるよう願う。
その間にところせましと植えてあるのは、茶花でよくみる山野草など。

緑や花、木陰があって水が流れる小さな森が、身近に出来たのは嬉しいことだ。
スクラップアンドビルドでコンクリートで固める時代から少しだけ変わった。
変えようとする人がいるのが希望だ。

メインの建物の高層マンションの家賃は高い。公団住宅だった頃の何倍になったのだろうか。
住める人は限られていて、自家用車を使うだろうから、あの散策路を歩いたりはしないのではなかろうか。眺望も東京タワー、森ビルの方へと作られているだろうし。


(都わすれ)

ののあおやまの遊歩道へ入らず直進して右へ行くとキラー通りへ、
その途中にカフェがいくつかある。
左へ行くとお箸で切れるとんかつが名物の「まい泉」から表参道へ。
どちらにも行かずに脇の小道に入るとチョコレート屋があった。
前はなんだったか……新しく出来た店で珈琲のテイクアウトができる。
できたてを売るチーズ屋に寄って、再びののあおやまへ。

1階飲食エリアにスタバの創業者エリック・ローズの店が出店していた。
そのわりには人気がないのはコロナ禍のせいだろうか。どちらにしても縁の無いレストランだからいつも素通りだ。
木のテラスでちょっと休み、仕事場へと戻る。こんな感じで近場を歩くのは、外出を控えた日々のちょっとした気晴らしになった。
人出が少ないからできることで、正常に戻ったら靑山通りはやっぱり観光地で246だ。ゆるゆる歩けるのは今のうちかなと思う。


静寂と、木の息に包まれた森庭にほんとうはずっといたい。
よく眠れるからだ。
東京では不規則で寝不足が日常、後しばらくは往復しながらの生活だ。
この暮らしかたになってもう20数年。思いがけない変化は森にも、そして都会の真ん中でも起きた。原因はヒトノナセルコトだ。

あしたのことはまるでわからない。
今を生きるしかないのだ。
しかし今を充足して生きるのは言うほどた易くはない。
いつまでたっても悔い多き日々。
都忘れとイタリアン・アスターは似ているけれどもぜんぜん違う。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする