若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

反「スーパー公務員」論

2009年07月21日 | 政治
「スーパー公務員」になれなくても: 公務員のためいき

第118回 木村俊昭(2009年5月19日放送)| NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

スーパー公務員とシリコンバレー文化 茂木健一郎の「超一流の仕事脳」


私は、これらで紹介されている「スーパー公務員」が嫌いだ。
「スーパー公務員」が嫌いというか、
行政主導のまちづくり・まちおこしに否定的だ。

なぜか?

行政主導のまちづくり・まちおこしとは、
まちづくりを仕掛け、うねりを起こすだけ起こしておいて、
提案した公務員は結果を引き受けない無責任極まりないシステムだからだ。


提案者が民間のコンサルタントで、その仕掛けが失敗した場合、
コンサルタントとしての評判が下がり、次以降の仕事・収入が減り、
場合によっては廃業ということにもなるだろう。

提案者が公務員の場合、その仕掛けが失敗したとしても、
その責任を問われてクビということにはならない。
収入が減ったケースも、おそらく無いだろう。

もし責任を問うケースがあるとすれば、
その提案者の公務員が首長や議員で、失敗について選挙で民意を問う場合のみだ。
cf.新銀行東京


まちづくり・まちおこしをしたいなら、公務員を辞め、
民間のコンサルタントとして企業や商店街にアドバイスすべきだ。
「あの人は良いコンサルタントだ」として仕事・収入が増えるか、
「あいつの意見を取り入れたがロクなことがねぇ」と言われて仕事・収入が減るか、
いずれにしろ結果を自分で引き受けることになる。

収入と身分を保障された公務員によるまちづくり・まちおこしは、
民間のコンサルタントにとっては民業圧迫。



私は、まちづくりに関するアイデアを何ら持っていないし、
「これをすれば儲かる」というのもない。
だからこそ公務員をしているわけで、
もしそういう着想があれば自分で起業しているだろう。

同時に、私は
「地方自治体の中で無駄な事業、削れる予算があるんじゃないか」
と日々妄想している人間なので、
もし身近なところで行政主導のまちづくり構想が出てきたら、
出来る範囲でこれを阻止すべく努力するつもりだ。



『資本主義と自由』ミルトン・フリードマン著 日経BP社 84頁~
法と秩序を維持する、財産権を明確に定める、財産権を含む経済のルールを修正できるようにする、ルールの解釈を巡る紛争を仲裁する、契約が確実に履行される環境を整える、競争を促す、通貨制度の枠組みを用意する、技術的独占に歯止めをかける、政府の介入が妥当と広く認められるほど重大な外部効果に対処する、狂人や子供など責任能力のない者を慈善事業や家族に代わって保護する――これだけのことをしてきた政府は、明らかに今後も重要な役割を果たすべきだと考えられる。筋のとおった自由主義者は、けっして無政府主義者ではない。
  とは言え政府の役割には、はっきりと制限を設けるべきだ。現在アメリカで連邦政府や州政府が行っている事業、あるいは先進各国の政府が手がけている事業の多くは、やめるべきである。




~追加~

「茂木健一郎=アハ体験おじさん」という知識しか無かったんだけど、

スーパー公務員とシリコンバレー文化 茂木健一郎の「超一流の仕事脳」
リーマン破綻以降のリバタリアニズムの見直しのこの時期にこそ、行政の役割を積極的、能動的に見直すべきだと思う。「神の見えざる手」で利害調整がなされるということに限界があることが、今回の経済危機でみんな身にしみた。

こういう事を言う人だったんだ。