若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

反「原口一博」論 ~ 公共サービス基本法を成立させた理念を斬る ~

2011年04月19日 | 労働組合
「働く人の給料を上げれば、その人はやる気を出して頑張るようになる。その職場により優秀な人が集まるようになる。働く人の権利を保障することで、サービスの質が向上する。」

「『官から民へ』という流れの中、民営化や公務員人件費削減を進めたせいで公共サービスは崩壊してしまった。公務に従事する人の労働の権利を保障すれば、公共サービスを再構築できる。」

という意見を主張する人がいる。
この人だ。


総務省|原口総務大臣初登庁後記者会見の概要
====【引用ここから】====
働く人たち、これは官であろうと民であろうと、その皆さんの権利を保障する。労働を中心とした福祉型社会をつくるというのが私たち民主党の基本的な考え方です。その中で先ほど官房にお願いをして、この総務省で働く皆さんの福利厚生、あるいは心身のリスクヘッジ、これがどうなっているのか早急に出してほしいということをお願いをいたしました。したがって、その働き方についても公共サービス基本法で明示したように、働く人たちの権利を保障して、そして生活の安心をしっかりと確保しながら省庁の改革をやっていきたいと思います。
====【引用ここまで】====


<第174通常国会 2010年03月23日 総務委員会 9号>
====【引用ここから】====
 公共サービス基本法に規定する安全で良質な公共サービスを受ける国民の権利は、公共サービスの実施に関する配慮、公共サービスに従事する者の適正な労働条件の確保や権利の保障があって初めて実現されるものというふうに認識をしています。
 公共サービス基本法は、私も立法者の一人ですけれども、一方で国や地方公共団体は、公共サービスを委託した場合であっても、今委員がお話しのような事例ですけれども、委託先との役割分担や責任の所在の明確化や、それに従事する者の労働環境の整備に努め、良質な公共サービスの提供を確保すべきもの、こういうふうに立法者の意思として、そこに皆さんがお話をいただいたということを記憶し、また、そのために公共サービス基本法が適正に守られるように期待をするものでございます。

====【引用ここまで】====


原口総務大臣-日本サードセクター経営者協会事務局長 藤岡喜美子の日誌
====【引用ここから】====
11月16日に原口大臣にお会いしたときのことを思い出しました。原口大臣は「公共サービス基本法」の起草者です。
 その時も、5月13日に全会一致で成立した「公共サービス基本法」について語られました。「公共サービス基本法」は、質の高い公共サービスの再構築にむけ、その具現化のために制定したものだそうですが、残念ながら、民主党は野党であったっために、骨抜きの法律になり、早い時期に改正したいそうです。
 なにが骨抜きかといえば、1.公共サービスの担い手、2.その質、3.公共サービスに従事する人たちの権利の保障という条項は、労働環境の整備という文言に置き換わったそうです。公共サービスを担う責務とともに権利の保障が確保されるべきと強く唱えられました。

====【引用ここまで】====


民主党の野党時代に、原口氏は自治労と手を組み、力なき自民党を説き伏せ、自分達の理念を明文化した「公共サービス基本法」を成立させた。さらに、この理念法を具体化するため、全国の自治体に「公共サービス基本条例」「公契約条例(賃金上乗せ条例)」の制定を促してきた。



さてここで。



「よく働く者の給料を増やす(働きの悪い者の給料は減らす)」
という契約を締結したとする。この契約への信頼感があると、その職場の者はよく働くようになる。これは、人間の功利的な性質に根ざしており、間違いないだろう。

この
「よく働く者の給料を増やす(働きの悪い者の給料は減らす)」
という契約と、
「ある者の労働条件を改善すると、その者はよく働くようになる」
という主張は、
似ているようだが、まるで別物だ。

「ある者の労働条件を改善すると、その者はよく働くようになる」
という理念に基づき、怠け者も含めて一律に労働条件を改善しても、怠け者は
「あ、給料が上がった。職場環境が楽になった。ラッキー」
と思うだけ。サービスを改善しようという意欲向上には、全く繋がらない。逆に怠け者を助長させ、「怠けた者が得、頑張った者が損」という悪しき空気を蔓延させる。


一方、サービスの質の向上について、上記のような功利的な理由では説明のつかない場合もある。ボランティア活動などだ。ボランティアに従事する人は、
「私が今行って助けなければ!」
という、特定の倫理観、信仰心、使命感に支えられて、対価を求めることなくサービスを提供する。彼らのサービスの質は、報酬の大小や権利保障の有無には左右されない。これで左右されるような人は、そもそもボランティアに従事しないだろう。


労働者は、大きく分けて2つの型で考えることができる。功利的な労働者と、使命感溢れる労働者だ。

ここで、功利的な公共サービス従事者に、
「みなさんに権利保障しますよ。だから公共サービスを向上させてくださいね」
と「原口=自治労理念」で呼びかけたら、どうなるか。
「頑張って質を向上させても向上させなくても、報酬は同じだろ?」
と足元を見られるだけだ。

一方、使命感溢れる公共サービス従事者に
「みなさんに権利保障しますよ。だから公共サービスを向上させてくださいね」
と「原口=自治労理念」で呼びかけても、
「私はそんなことの為にここにいるのではない!既に向上に力を尽くしている」
と言われるだろう。

「公共サービス基本法」「公契約条例」の根底にある「原口=自治労理念」は、功利的な人間にも使命感溢れる人間に対しても、サービスの質を向上させるきっかけにならない。むしろ、怠け者を助長させ、サービスの質の低下に拍車をかけることになる。

サービスの向上を考える上でやってはいけないのは、対価的約束に基づくことなく、勤務条件を上げ続ける(あるいは、周囲が下がっているのに勤務水準を維持し続ける)ことだ。

周囲と比べて勤務条件が良いと、採用を求めて功利的な人が多数応募する。多数応募した結果、功利的で有能な人が採用される。しかし、採用された人は、その瞬間から質が低下し始める。よく働くか否かが給料に反映されないと知った功利的人間は、その瞬間から腐り始める。

採るべき道は、「よく働く者の給料を増やす(働きの悪い者の給料は減らす)」という対価的契約を導入することだ。そうすることで、功利的で有能な者がよく働くようになる。

もし、公共サービスを提供する組織として、対価的契約を導入できないのであれば、残された道は1つ。給料や勤務条件を、生活できるか出来ないかのギリギリまで落とすことだ。そうすれば、功利的な人間は応募しなくなる。応募人数は減るから有能な人の割合は下がるだろうが、使命感ある人間の割合が高くなり、公共サービスの質を向上しようとする意欲は長く維持される。

「公務に従事する人の労働の権利を保障すれば、公共サービスを再構築できる。」
という「原口=自治労理念」は、公共サービスの質の向上に全く寄与しないにもかかわらず、「公共サービス基本法」として立法化された。その種は「野田市公契約条例」を初めとして全国にばら撒かれつつある。


民主党執行部への批判的立場、「日本維新の会」に見られる民主党からの分党的行動、地域主権の主導者、日銀法改正への理解などの点から、原口氏を評価、支持する人がいる。

しかし、私は彼を信用しない。支持しない。
彼の政治活動が、地方政府による労働市場への積極介入の道を開拓したのだ。



武雄市長物語 : 日本維新の会、これおかしいぞ。
「自民党が泥舟化したら、はい違う政党、民主党がボロ舟化したら、はい日本維新の会ってしか捉えてません。」
「本人はどう思っているか分からないけど、日本維新の会は、隠れ民主党しか僕には映らない。」




※「原口=自治労理念」の自治体への広まりについては、『自治体法務NAVI vol.39』20頁~を参照。