若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

市民団体が議員特権の拡充を求める怪 ~ 熊本の子連れ市議 ~

2017年12月08日 | 地方議会・地方政治
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に続く、熊本市の「子連れ市議」こと緒方氏騒動、第4弾(もう飽きてきた?)。
この騒動を受けて、さぁ出てまいりましたよ。「市民団体」が。

議会内の子連れ問題 「ベビーシッター配置」市民団体が申し入れ|熊本のニュース|RKK熊本放送 2017年12月06日
======【引用ここから】======
申し入れを行ったのは「男女共生社会を実現するくまもとネットワーク」の代表らです。申し入れ書では、緒方議員が生後7か月の赤ちゃんを連れて議場内に現れたのは議会事務局に相談していたにもかかわらず、「誰も真摯に向き合わなかったことが大きな要因」とし「厳重注意」処分は残念としました。
そのうえで子育て中の議員への配慮として議会内に保育室を設けて市の予算でベビーシッターを配置すること、議会で子育てについて検討する場合には当時者の意見を聞く場を設けることなどを申し入れました。

======【引用ここまで】======

【相談していたのに誰も真摯に向き合わなかった?】


まず、

緒方議員が生後7か月の赤ちゃんを連れて議場内に現れたのは議会事務局に相談していたにもかかわらず、『誰も真摯に向き合わなかったことが大きな要因』

これはおかしい。
議会事務局は2時間近く緒方氏の話を聞いた上で、

「議員がベビーシッターを手配して、会議中は議員控室で見てもらったらどうか」

という至極まっとうな回答をしているじゃないか。
この正論に反発し、議場に子どもを連れて入るという強行策に出た緒方氏。彼女の浅慮こそが騒動の最大の要因である。

【市議のために市の予算でベビーシッターを配置する?】


次に、

子育て中の議員への配慮として議会内に保育室を設けて市の予算でベビーシッターを配置すること

これについて改めて考えていこう。

子どもは親だけが関わって育つのではない。
祖父母や伯父・伯母がいれば彼らも面倒をみる場面があるだろうし、親が友人に頼む場面もあるだろうし、あるいは一時的な預かりや日常的な保育を業務とする人に有料で依頼するという場面もあるだろう。子どもは様々な人間関係の中で育つという意味で、子育ては社会的である。

ここで、片親で育児をしていて、頼れる祖父母も親戚も友人もおらず、かといって有料でベビーシッターを頼むような経済的余裕もない親が子育てで困っていたとする。

私はリバタリアンであり、この状況でもなお税金からの支出には懐疑的である。

【税金からの支出には慎重であるべき】


「男女共生社会を実現するくまもとネットワーク」という立派な団体があり、子育てに強い関心を持つ人たちが会員として集まっている。この団体が、会員の同意を得て子育て互助事業を立ち上げ、集めた会費からベビーシッター代を支出するといったことをすれば素晴らしいのに、と思う。

ある困りごとについて、個人や民間団体が自発的解決の道を採る代わりに行政機関が税金で解決しようとすることを繰り返すと、個人や民間団体は自分達で問題解決をしようとせず、行政に対し要望活動をすることがメインになってしまう。

また、こうした団体が行政からの委託事業として子育て支援に取り組んだり、補助金を受け取ったりするようになれば、あっという間に税金依存症の出来上がり。そのうち、税金からの支出が無ければ何もできなくなってしまう。

委託であれ補助であれ、税金からの支出には様々な制約が伴う。行政の事業になると、個別のケースに応じた柔軟な対応はできない。補助を受けると、行政の定める補助基準に適合しているかどうかに主眼が置かれ、個別の利用者のニーズに合わせようとするインセンティブが失われる。

税金からの支出は、麻薬なのだ。

【ましてや、対象は市議である】


百歩譲って、

「片親で育児をしていて、頼れる祖父母も親戚も友人もおらず、かといって有料でベビーシッターを頼むような経済的余裕もない親が子育てで困っていた」

といったケースについて税金でベビーシッター代の補助をするのは、やむを得ないとしよう。

ところが、今回の件では、対象者は市議である。
熊本市議会では議員報酬が月67万4千円、ボーナス含めた年収で1000万円を超える。ベビーシッターを頼むような経済的余裕がない・・・訳がない。

しかも、市議は知友人、支援者、後援会といった人間関係を多く有しているのが通常である。緒方氏もそうだ。現に、緒方氏は騒動を引き起こした際に友人を連れてきており、最終的にはこの友人に預けて本会議に出席している。

「子育て中の議員への配慮として市の予算でベビーシッターを配置する」
というのは、
「所得の少ない親の子育てを支援する」
「孤立した親の子育てを支援する」
といった税金支出の条件をクリアしていない。市議への配慮として過剰である。

残念ながら、緒方氏は「貧困と孤立に悩む子育て中の親」のシンボルにはなり得ない。なんせ、緒方氏は市議なのだから。

緒方氏も子どもを持つ親である。親として子育てにはいろいろと悩み、問題を抱えているだろう。しかし、少なくとも市議在職中は、これを金銭的に、あるいは人間関係を駆使して解消・軽減する手段を有している。

緒方氏は「弱者」ではない。「強者」なのだ。

【当事者の意見聴取の場?】


次に、市民団体の申し出にある、
議会で子育てについて検討する場合には当時者の意見を聞く場を設けること
についてだが、これはどういう場合を想定したものなのだろう?

【子育て関連の議案審議全てを指すとしたら】


議会で子育てについて検討する場合」というのは、子育てに関係のある条例案の審議、子育て分野に支出される予算案の審議など、子育てが関連する議案審議全てを指すのだろうか?
この場合、子育て中の市民の誰かを公述人あるいは参考人として本会議や委員会に呼ぶということになるだろう。

当事者の意見を聞く場を設ける議案を限定しなければ、非常に煩雑になるだろう。一般会計予算には子育て関連の予算が含まれているから、ほぼ全部の定例会に子育て中の市民を呼ばなければならなくなる。毎回、子育て中の市民の中から無作為抽出するのだろうか?

また、当事者の意見を聞く場を設けるのは、子育てについて検討する場合だけで良いのだろうか?
障害者施策について検討する場合は?
高齢者施策は?
学校教育は?
生活保護は?
行政が実施している施策は広範囲、他分野に及んでしまっているが、子育ての当事者だけを呼んで意見を聞く機会を設けるというのは「法の下の平等」に反する特権ではなかろうか。

【子育てしている議員の待遇について見当する場合なのか】


あるいは、「議会で子育てについて検討する場合」とは、今回の騒動のように
「市議用のベビーシッターを公費で雇うかどうか」
「子連れで議場に入ってよいかどうか」
等、市議の待遇を検討する場合を想定しているのだろうか?
この場合、子育て中の市議を呼んで意見を聞く場を特別に設けるということになる。

これについて、必要性は全くない。

市議は委員会に出席し発言することができる。
議会運営委員会に所属していなくても、委員会に要望書を提出したり、本会議に議案を提出したりすることができる。
また、市議であれば他の市議に働きかける機会が一般の市民と比べて格段に多いはずだ。

既存の制度や機会を活用できていない市議のために、新たな意見聴取制度を創設する必要はない。




・・・とまぁ色々と検討し批判を述べてきたが、ニュース記事から伝わる断片でなく団体からの申し入れの全文を読んだら印象が変わるだろうか?
コメント (1)
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