どうもこんばんは、若年寄です。
今日のネタ提供元は、藤田孝典氏のお友達でTMM教徒のバラマキ議員・安藤裕氏のツイートから流れてきた「T.D.T」なるシンクタンク。
そこのホームページで書かれている内容が、まぁ酷い。
○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
様々でかつ深刻な不都合が四方から襲いかかっています。これに対しわが国ではこれまで「小さすぎる政府」(一般的には小さい政府ですが、もはやその域を超えたところまで来てしまったので、本WEBのT.D.T.では小さすぎる政府と呼ぶことにします)「高負担ー低保障」「自己責任」と、あくまで個人の責任とされ、根本的な対応、解決がなされて来ませんでした。
更に生真面目な日本人は、本来の新自由主義であれば「低負担ー低保障」であるはずが、負担は世界的にトップクラスの重い負担で、保障は最も低いという過酷なものです。
======【引用ここまで】======
定義が曖昧な「新自由主義」批判の文章は、たいていの場合中身がない駄文というのは、私の持論です。
・・・で片付けてしまうのもアレなので、ちょっと中身を見てみましょう。
なぜ日本は、「高負担」なのに「低保障」なのでしょうか。
これには、3つ理由があります。
イメージとしては、人口10万人の自治体のうち、
65歳以上の高齢者 :3万人
22歳~64歳の現役世代:5万人
0歳~21歳の子供・学生:2万人
となっているわけです。
高齢者一人について、月平均で、年金9万円、医療費7万5000円、介護費2万5000円かかっているとします。高齢者一人を養うのに、月19万円必要となる計算です。
高齢者が3万人で、57億円。
高齢者のための年金・医療・介護だけでこれだけの費用がかかります。
これを全て現役世代で負担するとすると、現役世代一人当たり月額117,000円。
これは重たいですね。
税金を投じているのは、社会保障分野だけではありません。
この他、政府が実施する保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などの事業に要する費用も税金で賄われています。
そりゃさすがに全部は負担しきれないだろうと、高齢者自身にも健康保険料や介護保険料を賦課したり、消費税で全世代に払わせたり、不足分を国債発行で穴埋めしていますが、それでも現役世代の負担は大きいわけです。
これが「高負担」の仕組みです。
他方、保障の面を見てみると、現在の高齢者は月19万円受給しているわけですが、現役世代は将来どうなるでしょう。
少子高齢化の傾向が改善される見込みはないため、現在の現役世代が将来受け取れる給付額は、今の高齢者への給付水準よりも低くなります。2040年には、高齢化率が35%に上昇します。将来の給付水準は、おそらく今より低く抑えられてしまうだろうという予測が人口構成から導かれます。
これが「低保障」です。
なお、年金制度だけでも当初の積立方式を継続できていれば、こうした世代間格差の問題は緩和されたはずでした。自分が払った保険料で自分の老後をある程度保障することができたはずでした。
しかし、
「積立方式ではインフレが進むと価値が目減りするから」
という建前のもと、田中角栄の頃にインフレに適した賦課方式に切り替えてしまいました。(田中角栄は積立方式で運営していた年金を賦課方式に切り替え、それまで積み立てていた金を「福祉元年だぁ~」とバラまいてしまいました。)
このため、自分が払った「高負担」の保険料が将来の「高保障」に結びつかず、どの程度保障されるかは将来の人口構成に依存せざるを得なくなっています。
デフレ脱却・人為的インフレを是とするシンクタンクが、インフレを理由として賦課方式に依拠しながら少子高齢化の中で「高保障」を求めるのは滑稽な姿です。
国民は、所得税、消費税、住民税、社会保険料等々を支払っていますが、これらは全てが社会保障給付に充てられているわけではありません。上でも述べたように、保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などなどの事業に要する費用も税金で賄われています。
こうした公共事業は、
まず、①については、本来であれば公共インフラを政府が整備することで、経済活動は効率的に活発に行われるようになり、税率そのままでも税収増につながるはずです。
道路を通すことで渋滞が緩和され、燃費がよくなり、配送時間が短くなる。
様々な面で効率化が図られ、コスト削減が可能になり、この積み重ねが事業者の利益につながる。
税率はそのままでも税収が増える。
その税収をもって新たな施設を作る・・・という再投資・拡大再生産が可能になるはずです。戦争で破壊されたインフラの復旧・整備をしていた頃なら、これは成り立ったかもしれません。
ところが、ある程度インフラが行きわたった時点で、官僚から見ても分かりやすい
「ここにインフラ整備をしたら経済活動が効率化されるよ!」
という場所や種類が減ってきます。
官僚には効率的な投資ができません。
これに加えて、民主制において票を買うために公共事業で利益誘導するようになった結果、誰も通らない農道を整備したり、利用頻度の低い鉄道を補助金出して存続させたり、意味のないモニュメントを石屋に発注するようになりました。これでは税収増につながりません。再投資とはほど遠い、経費を垂れ流し赤字を税金で埋め続けて運営を継続しているだけのような事業が山ほどあります。
また、②については、そもそも利益が出るようなものではないので、赤字前提です。公益目的と言えば聞こえがいいですが、官僚の作文でどうにでもなってしまうものであり、する/しないの基準は曖昧です。その適当さ・曖昧さに付け込んで、必要性や相当性は十分に考慮されず、票になりそうな分野や有力者がバックにいる業者が優遇されてきました。
この①と②が入り混じって、採算性の無い公共事業、必要性の薄い公共事業、規模や費用が不相当に大きい公共事業が実施されてきました。社会保障給付を賄う費用と合わせて、公共事業の開始費用やランニングコストを負担しなければならなず、「高負担」の一因となっています。
この「高負担」を解消、軽減するためには、採算性の無い、必要性の薄い、規模や費用が不相当に大きい公共事業を廃止、縮小する必要があります。この手法の一つとして、公共事業の民間売却があるのですが・・・
○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
それはイギリスのサッチャー政権誕生に始まる、新自由主義に源があります。その後、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相(当時)へと伝播し、わが国でも隅々まで新自由主義の精神は蔓延して来ました。国家が築いて来たインフラを民間に安く売り、一部の金融や不動産市場は潤った時期もありましたが、長い低迷が続き、もう今の日本国民から、しぼり取れるものもありません。
======【引用ここまで】======
必要性やランニングコストを考えず無計画に作ったインフラを処分できれば、「高負担」の軽減に多少なりとも貢献できるのですが、それを維持しろ、民間へ売却するなというT.D.Tの中の人。
彼らの声が、「高負担」、行政の高コスト体質の一翼を担っています。
それが、総需要管理政策です。
○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
新自由主義政策から脱出への流れは、決して一部の国だけの主張や行動ではない。covid19禍に陥る前に、すでに世界ではSDGs(持続可能な開発目標)として、国連サミットでもその重要さが唱道されている。我々T.D.T.が繰り返し訴える「命を守る経済」対策は、この国際アジェンダに沿った概念であり、世界各国が共有する希望ある未来へ向けての目標である。 そして、この概念は、新しいものではない。経済思想の歴史を紐解くと、ジョン・メイナード・ケインズが総需要管理政策として、非常時の際に政府の役割を強調し、財政出動の必要性を強調している(『雇用・利子および貨幣の一般理論』)。
======【引用ここまで】======
総需要管理政策の下では、需要の全部を足し合わせたものと、供給の全部を足し合わせたものを比較し、総需要が不足している時は政府の支出によって掘り起こそうとします。
この時、
「不足する需要の総額はおよそ幾ら」
という大まかな計算をし、これに見合う予算の規模を最初に見積ります。
個別の事業の中身は後付けです。
例えば↓
○第2次補正予算は13兆円前後か 一律現金給付第2弾は見送りも家賃支援に増額圧力 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
======【引用ここから】======
国民民主党の玉木雄一郎代表などは新型コロナウイルスの影響でGDPの2割が喪失するとの試算をベースに、失われる総需要に相当する100兆円以上の財政出動を国債発行によって実現するよう求めており、与党内でも安藤裕衆院議員など少数派ながら相当数の議員が賛同を示している。
======【引用ここまで】======
まず、マクロで「100兆円の財政出動」という規模ありき、なんです。
その上で、じゃあ具体的に何の事業を積み上げて100兆円に届くようにするか、を考えるため、個別の事業についての採算性、必要性、相当性のチェックがザルになります。
これは中央省庁だけでなく地方自治体でも同じで、国から補助金や交付金の枠が示されると、地方自治体の内部では
「国からの枠を使い切らないともったいない、何でもいいから枠いっぱいになるよう事業を組むぞ」
という指示が出されます。
地方自治体にとって、国の金は他人の金。なので、余計に雑でザルな事業が出来上がります。単年度で終わる事業であればまだ良いのですが、後年度も継続するような事業であれば無駄な事業にランニングコストを垂れ流すこととなり地方財政は悪化します。
とっても恐ろしい「ワニの口」です。
○どのくらい借金に依存してきたのか 財務省
国債の発行残高は1,000兆円となり、GDP比で250%。
元本が増えれば利払いも増えるわけで、過去の国債からくる利払いが「高負担」となって現役世代を苦しめています。
ケインズ理論で行ったとしても、不況期に赤字覚悟で歳出を増やし好況期には赤字を解消しなければならないはずだったのに、現実は、ワニの口は閉じることなく開きっぱなしです。もはやアゴが外れそうです。
藤井聡や安藤裕らMMT教徒は「デフレの間はそれでいい、むしろ国債発行を増やしていい、インフレになったら止めればいい」などと言いますが、インフレになった後で大幅な増税や給付削減をしなければいけないのは同じであり、結局のところ彼らの主張は将来へのツケ回しでしかありません。
公務員数の国際比較を用いて、小さな政府であるとする説明も見かけますが、税金で食べている人間の多さや規制の多さ、税目の多さを考えると、やはり大きな政府であると言わざるを得ません。
もし、20年くらい前に、非効率な事業を一掃して政府支出を給付に結びつけることができていたら、「中負担―中保障」くらいは実現できていたかもしれません。
また、国債発行残高を増やさず、財政余力を残していれば、covid19禍に対し十分な支援策を打ち出せたかもしれません。
しかし、今となっては後の祭りです。
少子高齢化の傾向は変わらず、非効率な事業は温存され、比較的景気の良かった時でさえ財政のワニの口は開き続け、国債発行残高も利払いも増え続けて今に至ります。
今から非効率な事業を整理し、社会保障給付を圧縮できたとしても、過去にバラまいて積み上げた膨大な国債発行残高の後始末からは逃れられません。
そうした中で、「財源論に関しては悩む必要はありません」と述べるT.D.Tの人達の能天気さといったら、もう呆れるばかり。
〇脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
そして財源論から支出論へ。日本の国家としての経済的なバックボーンは非常に厚いので、財源論に関しては悩む必要はありません。長期的な国債の発行や借り換えという一般的な手法で、日本もこれまで戦後の復興などにも同じように財政を出動し、焼け野原からの復興をしました。
======【引用ここまで】======
戦後の焼け野原からの復興・・・まずは悪性インフレを経る事になりそうですね。
○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
そもそも消費税は、導入前・増税前や、選挙前には「福祉目的税」であるかの様な表現の発表や報道ープロパガンダが溢れている。だが蓋を開けてみると、現在消費税のうち2割しか社会保障に当てられていない(*注3:金子洋一)。
======【引用ここまで】======
ここに出てくる「金子洋一」さんって、
「私はリフレ派のエコノミストとして、消費税増税には絶対反対!」
と主張しておきながら、消費税5%から8%に増税する法案を当時与党だった旧民主党が提出し採決する際に、今は亡き旧民主党内での地位確保のために賛成討論までして積極的に増税法案への賛意を求めた、あの、役立たずの前参議院議員の金子洋一さんですかwwwww
久々に名前見たwwww
今日のネタ提供元は、藤田孝典氏のお友達でTMM教徒のバラマキ議員・安藤裕氏のツイートから流れてきた「T.D.T」なるシンクタンク。
そこのホームページで書かれている内容が、まぁ酷い。
○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
様々でかつ深刻な不都合が四方から襲いかかっています。これに対しわが国ではこれまで「小さすぎる政府」(一般的には小さい政府ですが、もはやその域を超えたところまで来てしまったので、本WEBのT.D.T.では小さすぎる政府と呼ぶことにします)「高負担ー低保障」「自己責任」と、あくまで個人の責任とされ、根本的な対応、解決がなされて来ませんでした。
更に生真面目な日本人は、本来の新自由主義であれば「低負担ー低保障」であるはずが、負担は世界的にトップクラスの重い負担で、保障は最も低いという過酷なものです。
======【引用ここまで】======
定義が曖昧な「新自由主義」批判の文章は、たいていの場合中身がない駄文というのは、私の持論です。
・・・で片付けてしまうのもアレなので、ちょっと中身を見てみましょう。
なぜ日本は、「高負担」なのに「低保障」なのでしょうか。
これには、3つ理由があります。
【1.少子高齢化】
一つは、負担する人数が減っていて、保障を受ける人数が増えているということがあります。少子高齢化ですね。イメージとしては、人口10万人の自治体のうち、
65歳以上の高齢者 :3万人
22歳~64歳の現役世代:5万人
0歳~21歳の子供・学生:2万人
となっているわけです。
高齢者一人について、月平均で、年金9万円、医療費7万5000円、介護費2万5000円かかっているとします。高齢者一人を養うのに、月19万円必要となる計算です。
高齢者が3万人で、57億円。
高齢者のための年金・医療・介護だけでこれだけの費用がかかります。
これを全て現役世代で負担するとすると、現役世代一人当たり月額117,000円。
これは重たいですね。
税金を投じているのは、社会保障分野だけではありません。
この他、政府が実施する保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などの事業に要する費用も税金で賄われています。
そりゃさすがに全部は負担しきれないだろうと、高齢者自身にも健康保険料や介護保険料を賦課したり、消費税で全世代に払わせたり、不足分を国債発行で穴埋めしていますが、それでも現役世代の負担は大きいわけです。
これが「高負担」の仕組みです。
他方、保障の面を見てみると、現在の高齢者は月19万円受給しているわけですが、現役世代は将来どうなるでしょう。
少子高齢化の傾向が改善される見込みはないため、現在の現役世代が将来受け取れる給付額は、今の高齢者への給付水準よりも低くなります。2040年には、高齢化率が35%に上昇します。将来の給付水準は、おそらく今より低く抑えられてしまうだろうという予測が人口構成から導かれます。
これが「低保障」です。
なお、年金制度だけでも当初の積立方式を継続できていれば、こうした世代間格差の問題は緩和されたはずでした。自分が払った保険料で自分の老後をある程度保障することができたはずでした。
しかし、
「積立方式ではインフレが進むと価値が目減りするから」
という建前のもと、田中角栄の頃にインフレに適した賦課方式に切り替えてしまいました。(田中角栄は積立方式で運営していた年金を賦課方式に切り替え、それまで積み立てていた金を「福祉元年だぁ~」とバラまいてしまいました。)
このため、自分が払った「高負担」の保険料が将来の「高保障」に結びつかず、どの程度保障されるかは将来の人口構成に依存せざるを得なくなっています。
デフレ脱却・人為的インフレを是とするシンクタンクが、インフレを理由として賦課方式に依拠しながら少子高齢化の中で「高保障」を求めるのは滑稽な姿です。
【2.政府の非効率】
2つ目に、政府の公共事業が非効率的である点が挙げられます。これが、「高負担」を招いています。国民は、所得税、消費税、住民税、社会保険料等々を支払っていますが、これらは全てが社会保障給付に充てられているわけではありません。上でも述べたように、保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などなどの事業に要する費用も税金で賄われています。
こうした公共事業は、
① 経済活動をより効率的にできるようになるための投資だが、個人や企業に任せていてはその投資がなされない。
② 経済活動そのものには不要で負荷になってしまうが、一定の公益目的のためには仕方ない。
といった理由から実施されています。② 経済活動そのものには不要で負荷になってしまうが、一定の公益目的のためには仕方ない。
まず、①については、本来であれば公共インフラを政府が整備することで、経済活動は効率的に活発に行われるようになり、税率そのままでも税収増につながるはずです。
道路を通すことで渋滞が緩和され、燃費がよくなり、配送時間が短くなる。
様々な面で効率化が図られ、コスト削減が可能になり、この積み重ねが事業者の利益につながる。
税率はそのままでも税収が増える。
その税収をもって新たな施設を作る・・・という再投資・拡大再生産が可能になるはずです。戦争で破壊されたインフラの復旧・整備をしていた頃なら、これは成り立ったかもしれません。
ところが、ある程度インフラが行きわたった時点で、官僚から見ても分かりやすい
「ここにインフラ整備をしたら経済活動が効率化されるよ!」
という場所や種類が減ってきます。
官僚には効率的な投資ができません。
これに加えて、民主制において票を買うために公共事業で利益誘導するようになった結果、誰も通らない農道を整備したり、利用頻度の低い鉄道を補助金出して存続させたり、意味のないモニュメントを石屋に発注するようになりました。これでは税収増につながりません。再投資とはほど遠い、経費を垂れ流し赤字を税金で埋め続けて運営を継続しているだけのような事業が山ほどあります。
また、②については、そもそも利益が出るようなものではないので、赤字前提です。公益目的と言えば聞こえがいいですが、官僚の作文でどうにでもなってしまうものであり、する/しないの基準は曖昧です。その適当さ・曖昧さに付け込んで、必要性や相当性は十分に考慮されず、票になりそうな分野や有力者がバックにいる業者が優遇されてきました。
この①と②が入り混じって、採算性の無い公共事業、必要性の薄い公共事業、規模や費用が不相当に大きい公共事業が実施されてきました。社会保障給付を賄う費用と合わせて、公共事業の開始費用やランニングコストを負担しなければならなず、「高負担」の一因となっています。
この「高負担」を解消、軽減するためには、採算性の無い、必要性の薄い、規模や費用が不相当に大きい公共事業を廃止、縮小する必要があります。この手法の一つとして、公共事業の民間売却があるのですが・・・
○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
それはイギリスのサッチャー政権誕生に始まる、新自由主義に源があります。その後、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相(当時)へと伝播し、わが国でも隅々まで新自由主義の精神は蔓延して来ました。国家が築いて来たインフラを民間に安く売り、一部の金融や不動産市場は潤った時期もありましたが、長い低迷が続き、もう今の日本国民から、しぼり取れるものもありません。
======【引用ここまで】======
必要性やランニングコストを考えず無計画に作ったインフラを処分できれば、「高負担」の軽減に多少なりとも貢献できるのですが、それを維持しろ、民間へ売却するなというT.D.Tの中の人。
彼らの声が、「高負担」、行政の高コスト体質の一翼を担っています。
【雑なマクロ総需要管理政策】
採算性や必要性、相当性を無視した公共事業が蔓延り、後の世代は割高なランニングコストを押し付けられているわけですが、これを容易にした一つの理論があります。それが、総需要管理政策です。
○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
新自由主義政策から脱出への流れは、決して一部の国だけの主張や行動ではない。covid19禍に陥る前に、すでに世界ではSDGs(持続可能な開発目標)として、国連サミットでもその重要さが唱道されている。我々T.D.T.が繰り返し訴える「命を守る経済」対策は、この国際アジェンダに沿った概念であり、世界各国が共有する希望ある未来へ向けての目標である。 そして、この概念は、新しいものではない。経済思想の歴史を紐解くと、ジョン・メイナード・ケインズが総需要管理政策として、非常時の際に政府の役割を強調し、財政出動の必要性を強調している(『雇用・利子および貨幣の一般理論』)。
======【引用ここまで】======
総需要管理政策の下では、需要の全部を足し合わせたものと、供給の全部を足し合わせたものを比較し、総需要が不足している時は政府の支出によって掘り起こそうとします。
この時、
「不足する需要の総額はおよそ幾ら」
という大まかな計算をし、これに見合う予算の規模を最初に見積ります。
個別の事業の中身は後付けです。
例えば↓
○第2次補正予算は13兆円前後か 一律現金給付第2弾は見送りも家賃支援に増額圧力 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
======【引用ここから】======
国民民主党の玉木雄一郎代表などは新型コロナウイルスの影響でGDPの2割が喪失するとの試算をベースに、失われる総需要に相当する100兆円以上の財政出動を国債発行によって実現するよう求めており、与党内でも安藤裕衆院議員など少数派ながら相当数の議員が賛同を示している。
======【引用ここまで】======
まず、マクロで「100兆円の財政出動」という規模ありき、なんです。
その上で、じゃあ具体的に何の事業を積み上げて100兆円に届くようにするか、を考えるため、個別の事業についての採算性、必要性、相当性のチェックがザルになります。
これは中央省庁だけでなく地方自治体でも同じで、国から補助金や交付金の枠が示されると、地方自治体の内部では
「国からの枠を使い切らないともったいない、何でもいいから枠いっぱいになるよう事業を組むぞ」
という指示が出されます。
地方自治体にとって、国の金は他人の金。なので、余計に雑でザルな事業が出来上がります。単年度で終わる事業であればまだ良いのですが、後年度も継続するような事業であれば無駄な事業にランニングコストを垂れ流すこととなり地方財政は悪化します。
【3.累積債務】
高齢化による社会保障給付の伸び、非効率で不必要な公共事業、この2つが「高負担」の要因なのですが、この費用を全てその年度で賄えていたわけではありません。税金と社会保険料では実は足りておらず、この不足分を国債で穴埋めしてきました。とっても恐ろしい「ワニの口」です。
○どのくらい借金に依存してきたのか 財務省
国債の発行残高は1,000兆円となり、GDP比で250%。
元本が増えれば利払いも増えるわけで、過去の国債からくる利払いが「高負担」となって現役世代を苦しめています。
ケインズ理論で行ったとしても、不況期に赤字覚悟で歳出を増やし好況期には赤字を解消しなければならないはずだったのに、現実は、ワニの口は閉じることなく開きっぱなしです。もはやアゴが外れそうです。
藤井聡や安藤裕らMMT教徒は「デフレの間はそれでいい、むしろ国債発行を増やしていい、インフレになったら止めればいい」などと言いますが、インフレになった後で大幅な増税や給付削減をしなければいけないのは同じであり、結局のところ彼らの主張は将来へのツケ回しでしかありません。
【大きく複雑な政府、過去のツケを払わされる政府】
大きな政府・小さな政府の定義は様々ですが、「高負担」である以上、T.D.Tの言う「小さすぎる政府」という用語は当てはまりません。公務員数の国際比較を用いて、小さな政府であるとする説明も見かけますが、税金で食べている人間の多さや規制の多さ、税目の多さを考えると、やはり大きな政府であると言わざるを得ません。
もし、20年くらい前に、非効率な事業を一掃して政府支出を給付に結びつけることができていたら、「中負担―中保障」くらいは実現できていたかもしれません。
また、国債発行残高を増やさず、財政余力を残していれば、covid19禍に対し十分な支援策を打ち出せたかもしれません。
しかし、今となっては後の祭りです。
少子高齢化の傾向は変わらず、非効率な事業は温存され、比較的景気の良かった時でさえ財政のワニの口は開き続け、国債発行残高も利払いも増え続けて今に至ります。
今から非効率な事業を整理し、社会保障給付を圧縮できたとしても、過去にバラまいて積み上げた膨大な国債発行残高の後始末からは逃れられません。
そうした中で、「財源論に関しては悩む必要はありません」と述べるT.D.Tの人達の能天気さといったら、もう呆れるばかり。
〇脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
そして財源論から支出論へ。日本の国家としての経済的なバックボーンは非常に厚いので、財源論に関しては悩む必要はありません。長期的な国債の発行や借り換えという一般的な手法で、日本もこれまで戦後の復興などにも同じように財政を出動し、焼け野原からの復興をしました。
======【引用ここまで】======
戦後の焼け野原からの復興・・・まずは悪性インフレを経る事になりそうですね。
【久しぶりの、あの方】
ところで。○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
そもそも消費税は、導入前・増税前や、選挙前には「福祉目的税」であるかの様な表現の発表や報道ープロパガンダが溢れている。だが蓋を開けてみると、現在消費税のうち2割しか社会保障に当てられていない(*注3:金子洋一)。
======【引用ここまで】======
ここに出てくる「金子洋一」さんって、
「私はリフレ派のエコノミストとして、消費税増税には絶対反対!」
と主張しておきながら、消費税5%から8%に増税する法案を当時与党だった旧民主党が提出し採決する際に、今は亡き旧民主党内での地位確保のために賛成討論までして積極的に増税法案への賛意を求めた、あの、役立たずの前参議院議員の金子洋一さんですかwwwww
久々に名前見たwwww