「東北でよかった」発言で辞任した今村(前)復興大臣。
この発言を擁護する気は全くないのだが、その前に物議を醸した「自主避難は自己責任」会見についてはちょっと考えてみたい。前大臣の発言がどうのではなく、質問した記者の側の思想・思考方法に対し疑問が生じている。
以下、その会見録を部分抜粋。
今村復興大臣記者会見録[平成29年4月4日]
=====【引用ここから】=====
(問)・・・3月17日の前橋地裁の国とそれから東電の責任を認める判決が出たわけですけれども、国と東電は3月30日に控訴されました。ただし、同じような裁判が全国で集団訴訟が起こっておりますし、原発は国が推進して国策ということでやってきたことで、当然、国の責任はあると思うんですが、これら自主避難者と呼ばれている人たちに対して、国の責任というのをどういうふうに感じていらっしゃるのかということを、国にも責任がある、全部福島県に今後、今まで災害救助法に基づいてやってこられたわけですけれども、それを全て福島県と避難先自治体に住宅問題を任せるというのは、国の責任放棄ではないかという気がするんですけれども、それについてはどういうふうに考えていらっしゃるでしょうか、大臣は。
(答)このことについては、いろんな主張が出てくると思います。今、国の支援と言われますが、我々も福島県が一番被災者の人に近いわけでありますから、そこに窓口をお願いしているわけです。国としても福島県のそういった対応についてはしっかりまた、我々もサポートしながらやっていくということになっておりますから、そういうことで御理解願いたいと思います。
----- (中略) -----
(問)福島県、福島県とおっしゃいますけれども、ただ、福島県に打切りの、これは仮設住宅も含めてですけれども、打切りを求めても、この間各地の借り上げ住宅とか回って、やっぱりその退去して福島に戻ってくるようにということが福島県の、やはり住宅設備を中心に動いていたと思うんですが、やはりさっきも言いましたように、福島県外、関東各地からも避難している方もいらっしゃるので、やはり国が率先して責任をとるという対応がなければ、福島県に押し付けるのは絶対に無理だと思うんですけれども、本当にこれから母子家庭なんかで路頭に迷うような家族が出てくると思うんですが、それに対してはどのように責任をとるおつもりでしょうか。
(答)いや、これは国がどうだこうだというよりも、基本的にはやはり御本人が判断をされることなんですよ。それについて、こういった期間についてのいろいろな条件付で環境づくりをしっかりやっていきましょうということで、そういった住宅の問題も含めて、やっぱり身近にいる福島県民の一番親元である福島県が中心になって寄り添ってやる方がいいだろうと。国の役人がね、そのよく福島県の事情も、その人たちの事情も分からない人たちが、国の役人がやったってしようがないでしょう。あるいは、ほかの自治体の人らが。だから、それは飽くまでやっぱり一番の肝心の福島県にやっていっていただくということが一番いいというふうに思っています。
それをしっかり国としてもサポートするということで、この図式は当分これでいきたいというふうに思っています。
(問)それは大臣御自身が福島県の内実とか、なぜ帰れないのかという実情を、大臣自身が御存じないからじゃないでしょうか。それを人のせいにするのは、僕はそれは……。
(答)人のせいになんかしてないじゃないですか。誰がそんなことをしたんですか。御本人が要するにどうするんだということを言っています。
(問)でも、帰れないですよ、実際に。
(答)えっ。
(問)実際に帰れないから、避難生活をしているわけです。
(答)帰っている人もいるじゃないですか。
(問)帰っている人ももちろんいます。ただ、帰れない人もいらっしゃいます。
(答)それはね、帰っている人だっていろんな難しい問題を抱えながらも、やっぱり帰ってもらってるんですよ。
(問)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。
(答)だから、それ……
(問)千葉からも避難されています。
(答)いや、だから……
(問)それについては、どう考えていらっしゃるのか。
(答)それはそれぞれの人が、さっき言ったように判断でやれればいいわけであります。
(問)判断ができないんだから、帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか。
(答)いや、だから、国はそういった方たちに、いろんな形で対応しているじゃないですか。現に帰っている人もいるじゃないですか、こうやっていろんな問題をね……。
(問)帰れない人はどうなんでしょう。
(答)えっ。
(問)帰れない人はどうするんでしょうか。
(答)どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう。
(問)自己責任ですか。
(答)えっ。
(問)自己責任だと考え……。
(答)それは基本はそうだと思いますよ。
=====【引用ここまで】=====
政府の責任って何だろうか。
何か困りごとが起きた際に、「政府は責任をもった対応をしろ」と要求するのは簡単である。言いやすいし、聞こえも良い。しかし、政府は際限なく分配をするわけにはいかない。そこで、税金を分配する際には「住民から集めた税金を、○○という客観的条件を満たした人に配る。」といったルールを作る。ルールに該当した人は金を貰うことができ、ルールに該当しなかった人は何も貰えない。
政府は、住民から税金を徴収し、この集めた金を配る。政府は、基本的にこれしか出来ない。政府に対し「責任を持って支援しろ」と要求するのは、政府の向こう側にいる納税者に請求書を送付しているのと同じことである。
昨今流行りの「権利と義務はセット。義務を果たした者だけが権利を主張すべき」論も、根っこは同じだ。社会権・社会保障給付については、まず納税の義務に基づき納税者が納税をしなければ、政府は給付をすることができない。社会権を声高に叫ぶということは、その裏打ちとなるべき納税義務の強化を要求するのと同じことであり、つまり、「社会権の強化=政府による住民の管理強化」ということなのだが、この危険性はなかなか理解されない。「政府による監視社会に反対する!」という論者が、同時に「政府は生存権をしっかり保障すべきだ!」と言うのを聞くと、うんざりして頭が痛くなる。
さて。
話が脱線したが、責任という言葉は多義的であり、何を指しているか不明確な場合が多い。ここで仮に、責任の中身を上述のような「最終的な経済的負担」という意味で考えたとき、責任を負っているのは納税者である。政府自身が富を生み出しているわけではない。政府は、納税者から税を徴収して、途中でピンはねして、別の住民に配るという作業をしているに過ぎない。「最終的な経済的負担」という意味では、政府は常に無責任な存在である。政府が無責任な支払いをするのを防ぐために、客観的なルールは欠かせない。
一方、責任の中身を
「何かを決定し、その決定に何らかの誤りが発覚した時、その決定をした者はその職を辞する」
「何かを決定し、その決定に何らかの誤りが発覚した時、前回の決定内容を変更する」
といった政治的責任と考えた時、政府には大いに責任がある。
今回の件であれば、国策として「火力、水力、原子力、太陽光のベストミックス」と称して発電方式ごとの目標割合を定め、電源立地地域交付金などで立地自治体を従わせて目標割合へ誘導するということを長年続けてきた。発電所のある自治体へ様々な形で補助金や交付金をばら撒いたため、「(損害賠償や住民対策なども含めた)発電方式ごとの、発電に要する費用」の実態が不明確になっている。
この意味での責任を追及するのであれば、発電方式ごとの割合目標を政府が定めるという電力政策そのものを放棄するよう要求するのが筋だ。「政府なら発電方式ごとの最適な割合が分かるし、その割合を実現できる」というのが誤りであると明らかになったのであるから、これを放棄させなければならない。
上記を踏まえて、改めて引用した会見録を読んでほしい。
会見録に登場する記者は、「国として責任をとるべきだ」ということを繰り返しているが、その中身は、「自主避難者へ支援しろ(金を払え)」の繰り返し。栃木、群馬、千葉からの自主避難者を福島からの自主避難者とを混同しており、この記者の主張から、支払いの基準と成りうる何らかの客観的条件を読み取ることはできない。「○○という客観的条件に該当する人に対しても政府は支援をするようにしろ」というルール変更の要求ではなく、かといって、「政府は出来もしない電源ベストミックスを放棄し、電力を市場に委ねるべき。電力分野への政治介入をやめるべきだ」という政治的責任の追及でもない。そう、この記者は今村前大臣と同じかそれ以上に無能なのだ。
政府が「国は無責任だ!」という非難を恐れ、この記者のような要求に応じ続けていくと、徒に納税者の負担が増え続ける。この記者は、正義の味方を気取って政府に対し責任追及しているつもりで、実は、納税者に対する請求書をせっせと書いているに過ぎない。
この発言を擁護する気は全くないのだが、その前に物議を醸した「自主避難は自己責任」会見についてはちょっと考えてみたい。前大臣の発言がどうのではなく、質問した記者の側の思想・思考方法に対し疑問が生じている。
以下、その会見録を部分抜粋。
今村復興大臣記者会見録[平成29年4月4日]
=====【引用ここから】=====
(問)・・・3月17日の前橋地裁の国とそれから東電の責任を認める判決が出たわけですけれども、国と東電は3月30日に控訴されました。ただし、同じような裁判が全国で集団訴訟が起こっておりますし、原発は国が推進して国策ということでやってきたことで、当然、国の責任はあると思うんですが、これら自主避難者と呼ばれている人たちに対して、国の責任というのをどういうふうに感じていらっしゃるのかということを、国にも責任がある、全部福島県に今後、今まで災害救助法に基づいてやってこられたわけですけれども、それを全て福島県と避難先自治体に住宅問題を任せるというのは、国の責任放棄ではないかという気がするんですけれども、それについてはどういうふうに考えていらっしゃるでしょうか、大臣は。
(答)このことについては、いろんな主張が出てくると思います。今、国の支援と言われますが、我々も福島県が一番被災者の人に近いわけでありますから、そこに窓口をお願いしているわけです。国としても福島県のそういった対応についてはしっかりまた、我々もサポートしながらやっていくということになっておりますから、そういうことで御理解願いたいと思います。
----- (中略) -----
(問)福島県、福島県とおっしゃいますけれども、ただ、福島県に打切りの、これは仮設住宅も含めてですけれども、打切りを求めても、この間各地の借り上げ住宅とか回って、やっぱりその退去して福島に戻ってくるようにということが福島県の、やはり住宅設備を中心に動いていたと思うんですが、やはりさっきも言いましたように、福島県外、関東各地からも避難している方もいらっしゃるので、やはり国が率先して責任をとるという対応がなければ、福島県に押し付けるのは絶対に無理だと思うんですけれども、本当にこれから母子家庭なんかで路頭に迷うような家族が出てくると思うんですが、それに対してはどのように責任をとるおつもりでしょうか。
(答)いや、これは国がどうだこうだというよりも、基本的にはやはり御本人が判断をされることなんですよ。それについて、こういった期間についてのいろいろな条件付で環境づくりをしっかりやっていきましょうということで、そういった住宅の問題も含めて、やっぱり身近にいる福島県民の一番親元である福島県が中心になって寄り添ってやる方がいいだろうと。国の役人がね、そのよく福島県の事情も、その人たちの事情も分からない人たちが、国の役人がやったってしようがないでしょう。あるいは、ほかの自治体の人らが。だから、それは飽くまでやっぱり一番の肝心の福島県にやっていっていただくということが一番いいというふうに思っています。
それをしっかり国としてもサポートするということで、この図式は当分これでいきたいというふうに思っています。
(問)それは大臣御自身が福島県の内実とか、なぜ帰れないのかという実情を、大臣自身が御存じないからじゃないでしょうか。それを人のせいにするのは、僕はそれは……。
(答)人のせいになんかしてないじゃないですか。誰がそんなことをしたんですか。御本人が要するにどうするんだということを言っています。
(問)でも、帰れないですよ、実際に。
(答)えっ。
(問)実際に帰れないから、避難生活をしているわけです。
(答)帰っている人もいるじゃないですか。
(問)帰っている人ももちろんいます。ただ、帰れない人もいらっしゃいます。
(答)それはね、帰っている人だっていろんな難しい問題を抱えながらも、やっぱり帰ってもらってるんですよ。
(問)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。
(答)だから、それ……
(問)千葉からも避難されています。
(答)いや、だから……
(問)それについては、どう考えていらっしゃるのか。
(答)それはそれぞれの人が、さっき言ったように判断でやれればいいわけであります。
(問)判断ができないんだから、帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか。
(答)いや、だから、国はそういった方たちに、いろんな形で対応しているじゃないですか。現に帰っている人もいるじゃないですか、こうやっていろんな問題をね……。
(問)帰れない人はどうなんでしょう。
(答)えっ。
(問)帰れない人はどうするんでしょうか。
(答)どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう。
(問)自己責任ですか。
(答)えっ。
(問)自己責任だと考え……。
(答)それは基本はそうだと思いますよ。
=====【引用ここまで】=====
政府の責任って何だろうか。
何か困りごとが起きた際に、「政府は責任をもった対応をしろ」と要求するのは簡単である。言いやすいし、聞こえも良い。しかし、政府は際限なく分配をするわけにはいかない。そこで、税金を分配する際には「住民から集めた税金を、○○という客観的条件を満たした人に配る。」といったルールを作る。ルールに該当した人は金を貰うことができ、ルールに該当しなかった人は何も貰えない。
政府は、住民から税金を徴収し、この集めた金を配る。政府は、基本的にこれしか出来ない。政府に対し「責任を持って支援しろ」と要求するのは、政府の向こう側にいる納税者に請求書を送付しているのと同じことである。
昨今流行りの「権利と義務はセット。義務を果たした者だけが権利を主張すべき」論も、根っこは同じだ。社会権・社会保障給付については、まず納税の義務に基づき納税者が納税をしなければ、政府は給付をすることができない。社会権を声高に叫ぶということは、その裏打ちとなるべき納税義務の強化を要求するのと同じことであり、つまり、「社会権の強化=政府による住民の管理強化」ということなのだが、この危険性はなかなか理解されない。「政府による監視社会に反対する!」という論者が、同時に「政府は生存権をしっかり保障すべきだ!」と言うのを聞くと、うんざりして頭が痛くなる。
さて。
話が脱線したが、責任という言葉は多義的であり、何を指しているか不明確な場合が多い。ここで仮に、責任の中身を上述のような「最終的な経済的負担」という意味で考えたとき、責任を負っているのは納税者である。政府自身が富を生み出しているわけではない。政府は、納税者から税を徴収して、途中でピンはねして、別の住民に配るという作業をしているに過ぎない。「最終的な経済的負担」という意味では、政府は常に無責任な存在である。政府が無責任な支払いをするのを防ぐために、客観的なルールは欠かせない。
一方、責任の中身を
「何かを決定し、その決定に何らかの誤りが発覚した時、その決定をした者はその職を辞する」
「何かを決定し、その決定に何らかの誤りが発覚した時、前回の決定内容を変更する」
といった政治的責任と考えた時、政府には大いに責任がある。
今回の件であれば、国策として「火力、水力、原子力、太陽光のベストミックス」と称して発電方式ごとの目標割合を定め、電源立地地域交付金などで立地自治体を従わせて目標割合へ誘導するということを長年続けてきた。発電所のある自治体へ様々な形で補助金や交付金をばら撒いたため、「(損害賠償や住民対策なども含めた)発電方式ごとの、発電に要する費用」の実態が不明確になっている。
この意味での責任を追及するのであれば、発電方式ごとの割合目標を政府が定めるという電力政策そのものを放棄するよう要求するのが筋だ。「政府なら発電方式ごとの最適な割合が分かるし、その割合を実現できる」というのが誤りであると明らかになったのであるから、これを放棄させなければならない。
上記を踏まえて、改めて引用した会見録を読んでほしい。
会見録に登場する記者は、「国として責任をとるべきだ」ということを繰り返しているが、その中身は、「自主避難者へ支援しろ(金を払え)」の繰り返し。栃木、群馬、千葉からの自主避難者を福島からの自主避難者とを混同しており、この記者の主張から、支払いの基準と成りうる何らかの客観的条件を読み取ることはできない。「○○という客観的条件に該当する人に対しても政府は支援をするようにしろ」というルール変更の要求ではなく、かといって、「政府は出来もしない電源ベストミックスを放棄し、電力を市場に委ねるべき。電力分野への政治介入をやめるべきだ」という政治的責任の追及でもない。そう、この記者は今村前大臣と同じかそれ以上に無能なのだ。
政府が「国は無責任だ!」という非難を恐れ、この記者のような要求に応じ続けていくと、徒に納税者の負担が増え続ける。この記者は、正義の味方を気取って政府に対し責任追及しているつもりで、実は、納税者に対する請求書をせっせと書いているに過ぎない。