Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへーフゼタ〈Fuseta)へ

2018-03-10 22:55:23 | 再びポルトガルへ2017-2018

 うす曇りの月曜日、暑さも和らいでティーシャツで歩いても汗をかかない気持ちの良い日になってきた。今週は雨が降るとの予報で、思い立ってフゼタまで歩くことにした。国道をまっすぐ行けば15㎞程、田舎道の自転車道を歩くことにした。

 

 

 

田舎道に入るまで、県道125号線を歩く。いつも通る橋の上から見えるタヴィラの町は素晴らしい。このタヴィラにキャンプサイトを見つけるまで、この橋を渡るたびになんて素敵な町だろうとあこがれたものだ。

 

 

 

  

11月末になるとあちこちのオリーヴ畑で地面に大きなシーツを広げオリーヴ採りが始まる。今年は昨年より豊作のような気がする。

どこを見ても大小のオリーヴの実が鈴なりだから。

 そして虫食いや,熟れすぎで落ちたオリーヴの実の汚いこと。地面を見ながら歩いていて、汚れた地面で頭上に大きなオリーヴの木があることに気が付く。

 

 アボカド畑の隅の地面を這って満開の朝顔を見つけた。これは朝顔と言うより昼顔のようで夕方まで花が咲いている。塀の上を這っている太い蔓にピンクの可憐な花が咲いていた。もう何年も伸び続けているような蔓の太さに驚いた。

 

 朝10時45分から歩き始め、2時間後に差し掛かったトーレ(塔)の海岸線で持って行ったサンドイッチを食べた。この近くにただ1軒だけ素晴らしいレストランがあるが、月曜日は休業だと知っていたから。

 

 

橋の手すりのロープに止まっている白鷺、河を泳いで行った5羽のきれいなオシドリ?は写真で見ると嘴が異様に大きい。野生のオシドリだからか?それとも新種のアヒルの仲間だろうか?

 

 

 

 フゼタが対岸に見える所から塩田の道を行く。塩の山が遠くに見えて、やっと近づいてもフゼタの町はまだまだ遠い。

 

 塩の濃い塩田は水が赤茶で千鳥やフラミンゴはここにはやってこない。

 

 過去には何回かこの塩田を通りたくさんのフラミンゴを見かけたものだが、今回はこの2羽だけ。羽の黒いのは今春生まれた若鳥に違いない。日本人の赤ちゃんは尻が青いというがフラミンゴの若者は尻が黒い。

塩の山を大きく迂回して4時間半で20㎞程を歩いた。3時過ぎにフゼタの駅に着き、20分後に来た電車でタヴィラまで帰ってきた。86歳の亭主が私より元気に歩いていた。

 

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再びポルトガルへー干ばつ

2018-03-09 16:51:15 | 再びポルトガルへ2017-2018

毎週金曜日に無料の英語新聞が発行される。過去2週間の新聞の一面ページはポルトガルの干ばつについてだ。2週前の新聞では奇蹟が起こらない限りこの干ばつは解消しないであろうと書かれていた。先週はもっと悲惨、ポルトガルの気候はサハラ砂漠と同じで砂漠化が進んでいるという。

私たちがこのタヴィラに着いた翌日雨が降った。あまり激しい雨でなかったせいですぐ辺りは熱気に包まれた。次に雨が降ったのは11月2日この日はバケツをひっくり返したような豪雨だったが、30分で雨はやみ、それ以来毎日青空が続いていた。

それがとうとうポルトガルの農家と水道局の願いが天に届いたらしい。

昨日の午後空には真っ黒な雲が広がり、ひっきりなしの稲光と体で感じるほどの雷が鳴り響いた。午後5時には辺りは真っ暗、激しい雨が30分おきに降りまくった。

地面がひび割れるほど乾燥しきったところに急激な雨は地表を上滑りするだけで浸み込まないという。それでも一晩中30分おきのにわか雨で、どんなに草木が潤ったことだろう。

今朝目覚めたときはいつもの青空で,清々しい朝だった。あと数日こんな雨が降ってくれればポルトガルの砂漠化は救われるだろうに。

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再びポルトガルへーまた塩田散策

2018-03-08 22:19:54 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 毎日が日曜日の私たち、この日はサイトの北側の田舎道を通って、遠回りをして塩田へ向かう。

道端に生えているザクロの実はほとんどが割れて腐ってきている。落ちるまで誰も採らないからもったいない。

 

 これは本格的なザクロ畑、収穫して売れないものを畑にいっぱい捨ててある。道端のさえ誰も採らないのに、こんなにたくさんの木を植えていったい誰が収穫するのだろうか?それでもお店で売っているザクロはオレンジの値段の倍はする。

 

 

ポルトガルで初めて見つけた巨大な肉厚のユッカ(Yacca)の花、12月だというのに蜂がたくさん集まってきていた。

つい最近テレビで見たメキシコのテキーラの原料がこの葉や花と同じに見えたから調べてみたらユッカの種類には300種ほどあるとのことでテキーラはメキシコに生える200種の中からただ1種類の木からしか生産できないという。

 

 

 

 

キャンプサイトの隣の住宅地に生えている巨大なシュロの木にも見たことの無い実が鈴なりになっていた。

 

 

 11月に塩田へ行く時に通ったビニールハウスの並ぶ畑地は、今また倍増のビニール畑を作る人たちが忙しく働いていた。来春にはいったい何を植えているものやら・・・・

 

 

 

通りすがりの畑にはかぼちゃやスコッシュがごろごろ転がっている。日本のかぼちゃと違ってあまりおいしくない。

 

 

 

夏の間集めた海塩の山は、冬中このまま積まれているから、雨などで溶けてしまわないのかといつも不思議に思っていた。この日初めてこの塩の山に触ってみてびっくり。まるでコンクリートのように固くて靴先でけっても崩れてこない。

 

塩田の一か所で餌をついばむヘラがもの群れ、割と近くまでよって行けたが皆一斉に飛び立っていった。純白のきれいな鳥だ。

 

 

 

カモメやヘラがもの中では一段と巨大に見えるコウノトリ、特にこの鳥は大きかった。

 

 ヘラがもは嘴が長く足も長いから、まるで鶴が飛ぶようにとっても優雅だ。

 

 

 

コウノトリとグレイ・ヘロン(サギ)にへらがもと一堂に集まった珍しい風景。こうしてみるとコウノトリが非常に大きいのがよくわかる。

 

 来年の夏まで塩の取り残しはそのまま固まっているのだと知った。

 

海辺の湿地帯で私たちの歩いていけないところはヘラがもの休息地、日向ぼっこをしながら昼寝をしている群れ。

 

 

 

塩田からの帰りにショッピングモールのフードコートで昼食を食べた。チキンのグリルとチップス、その下にご飯と豆のソース、それにサラダとメロンの角切り。このお皿山盛りが5.45ユーロ、食べきれなくてビニール袋に入れて持ち帰った。

 

 

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再びポルトガルへータヴィラの森

2018-03-07 11:58:10 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

最近長距離を歩くようになり、亭主は自信が着いたので、この日は高速道路の北側にあるタヴィラの森へ散策に行くことにした。

この辺りはお店もレストランもないから、飲み物、食べ物をしっかりリュックに詰めて10時半ごろにはキャンプサイトを出発した。

 

 

サイトの後ろの通りをメインロードに向かって歩いていたら、住宅地の奥行き長い庭でにぎやかな鳴き声がする。なんとニワトリやアヒルやガチョウに豚の親子が集まって地面をつつきまわしていた。

 

 

そこへこのおじさんが出てきて、何かの餌をまいた。こんな鳥や動物が皆一緒に食べられる餌はなんだろう。子豚がニワトリと一緒に遊んでいた。こんなにおおらかな風景を見たことありますか?

 

メインロードの道端では羊飼いのおじさんが羊のグループを見張っていた。まだ12月、もう子羊は生後1か月くらいになっているらしい。

英国では春の2-3月に子羊が生まれるよう、夏の間は雄雌を分けて飼っている。秋に雌のグループに大きな雄を2-3頭かけあわせると春にはほとんど全部が妊娠し、一頭づつスキャンで子羊の数を確認したうえ、妊娠子羊1頭、2頭、3頭によって分けて屋内で飼育、何故なら子羊1頭しか妊娠していない羊に2頭、3頭と同じような飼料を与えるとおなかの子羊が大きくなりすぎ、難産や死産になるという。

英国のテレビでは牧畜特に羊の飼育については出産や放牧などを良く見せてくれる。秋に生まれた子羊は寒い冬に耐えられないため、妊娠まで管理されている。

 

農家の庭のものすごい数のかぼちゃとスコッシュ、庭だけでなくドアの開かれた倉庫の中にも山積みだった。

 

 

どこから流れているのかわずかだけどこの川を潤している、この橋の周りだけ水溜まりができているが、ほとんど流れていない。昨今の干ばつ。

 

オリーブとミカン畑の中の田舎家、こんな立派なお屋敷が農家なんて・・・本当に?

 

 

 丘の段々畑に鈴なりのオレンジ、今からがシーズン。

 

高速道路の下のトンネル、ここを通り過ぎてこの高速道路と平行に伸びている森の中の道を行く。

 

辺りはユーカリと松林にミモザの林で、家屋はほとんど見えないが、郵便ポストがこんなにあるところを見るとこれだけ住宅が隠れているらしい。こちらの郵便配達は田舎では各家に配達することは無い。郵便は各自がここまで取りに来なければならない。

先日NHKの番組でオーストラリアのアリススプリングの郵便事情を報道していたが、町の真ん中に大きな郵便局がありそこの何千にも上る郵便箱に配達される。各自ここまで取りに来なければいけないという。広大なオーストラリアでは次の郵便局が300-500マイルというから、日本のきめ細かなサービスは期待できないわけだ。

 来春2-3月に花開くミモザのつぼみ。

 

背丈の低いシュロの木にびっしりついているこの実は食べられないものだろうか、試す度胸は無いが。

 

 春にはあたり一面シスタスの白い花と野生のラヴェンダーで花盛りになるが、12月では松林の緑だけで何もない。

 

 昨今の干ばつで川床は乾ききっている、1年に2-3回この辺りへ来ているがこの川床にわずかの水を見たのは1度だけ、それも何年前だったか思い出せない。

 

 深い谷間を挟んで、対面の急斜面の丘のオリーヴ畑を耕しているトラクターの人、掘り起こされた土に餌を求めて白鷺が歩き回っている。

 

  

3時間も歩いてカラㇽ・デ・ボイエイロス(Curral de Boieiros)の村に着いた。人影は見えないが各家で飼っている犬が吠えてうるさい。

 

 

 

葉が落ちたザクロの木にまだしっかりとなっているザクロの実は、日本でいう柿の木みたい。葉が落ちた柿の木も雪が降るまで実がしがみついている。柿と言えばこのポルトガルでも柿木はあるようだがあまり見かけない。スーパーや小売店では柿の実を売っているが安くない。

ところがタヴィラのサンドイッチバーのオレンジやザクロの実を絞ってジュースにしている店で、柿の実をしぼってジュースにしているのを見かけて感心した。柿にこんな食べ方もあるのか。

 

 今年の春3月にこの野原は春菊様の野生の花や赤いけしの花が咲き誇っていた。それがこんなにきれいに耕され太い畝になっている。来春にはオレンジ畑になっているだろう。

この日は5時間半も歩いてサイトへ帰ってきたときはへとへと、もう当分歩きたくないと思った。

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再びポルトガルへー嵐

2018-03-06 18:19:47 | 再びポルトガルへ2017-2018

日曜日の朝も相変わらず明るい青空で、ラジオ体操に出かけた。

土曜日にスエーデンの夫妻が自国へ帰って行った。これからますます寒くなるのに、暗く寒いスエーデンにどうして?と聞くと、クリスマスは子供たちや孫と一緒に祝うのだという。飛行機で往復したらというと、ご主人は飛行機に乗るとそのあと数週間は病気になるとのこと、そりゃー仕方がないね。

今からだと北スペインは雪が積もっているかもよ、気をつけてね。と別れを惜しんだ。

ラジオ体操の終わった後のおしゃべりに、マイクが今夜嵐がやってくるからキャンパーの周りのものや、オーニングを飛ばされないように気をつけろといわれた。

日中は薄雲が出たり青空だったりで、本当に嵐が来るのかしらと半信半疑、それでもキャンパーの外に置いてある水の空き瓶やストレッチ用のマットなどをかたづけた。周囲のフランスキャンパーは大きなオーニングを張っているが皆裾に石を載せて警戒している。 

風は次第に強くなり日が暮れたころには落ち葉がカサコソ大きな音を立てる。それでも雨は降っていない。気温が下がってキャンパー内に隙間風がどこからともなく入ってくる。キャンパーの電気・ガスストーヴは、中にサーモスタットが組み込まれていて、少し暖かくなったと思うとすぐきれてしまう。本当に役立たず。

夜中12時から小雨が降り始め明け方まで激しい降りが何度もやってきた。強風でキャンパーが揺れる。

これでポルトガルの水不足も少しは解消するかもしれぬ。

翌朝のテレビでは英国は雪でウェールズなど一夜に30センチ以上積もったという。空港は飛行機のキャンセルが相次いだ。国内の道路や高速道路は渋滞、突然の雪に大騒ぎをしている。

この嵐はイベリア半島を縦横に吹き荒れ、リスボンやポルトなどの大都市では街路樹がなぎ倒されたという。そして長い間の干ばつで地面は乾ききっているから急激な雨は地面に沁み込む前に洪水になって町や村をのみこんでいった。

大西洋岸の町や村では高さ10メートルもの高波が押し寄せがけ崩れが激しいとのニュース。英国でも嵐の度に海岸の崖が削り取られて住宅や庭が海に落ち込んでいく。

北ポルトガルでは雪が積もったとのニュース。これではスペインのマドリッドの北部、10月に私たちがスペインを通ってポルトガルへやって来た時に、ハゲタカの群れを見かけたあの辺りはしっかり雪に覆われているだろう。

スェーデンのあの夫妻はちょうどあのあたりで雪に遭遇しているだろう。数年前4月上旬に私たちが帰国途上で雪で難儀したことがあった。

月曜日は雨は止んだものの今季一番の寒さになり、ラジオ体操はTシャツ一枚では寒くて居れない。それでも冷たい風が当たらない陽だまりは暑いくらいだから、タヴィラは住み良い天国。

 

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再びポルトガルへーヴィラとフエルヴァ(Huelva)

2018-03-05 15:46:15 | 再びポルトガルへ2017-2018

12月20日から10日間娘夫婦が孫のジュードを連れてタヴィラへやって来た。

昨年も借りた4ベッドルームの巨大なヴィラを、8月にはすでに予約していたので 勝手知ったるこのお屋敷で彼らの到着準備をして待っていた。

  

このところ毎日晴天が続いて暖かく、直射日光だと暑すぎて10分も日向ぼっこなどして居れない。しかし前庭のプールの水は冷たくて、どれほど晴天でも泳ぎには向かない。

彼らが英国へ帰る一日前にジュードがプールに落ち、慌てまくったパトリックがジュードを引っ張り上げて着替えさせたが、水が冷たくてジュードが冷たくなったと大いに心配していた。No more swiming.とはジードの言葉。

 

 

リヴィングルームから門が見えるから車の到着を待つ。ドアキーを押すとオートマチックにゲイトが開く。こんな贅沢はここだけ。 門からの車道の両脇にたわわに実るオリーヴを小さなバケツ一杯に取った。塩漬けにしてお土産に持って帰る。

お屋敷の台所には今年も歓迎のプレゼントに、オレンジとアボカドが大きな袋いっぱい置いてあった。

娘夫婦は12時過ぎに着いたが、パトリックの友達夫婦が1週間だけ同居する。彼らは夜10時過ぎにやっと着いたから私たちは翌朝屋敷に行って彼らに会った。

 

 クリスマス前に車2台でスペインのフエルヴァ(Huelva)へ出かけた。ここはパトリックのお気に入りの町で昨年も行ったが、クリスマスのデコレーションが素晴らしい。暗くなったらどんなにきれいなイルミネーションだろうと思われる。

 

  

 町のメイン道路にある市庁舎らしい立派な建物。通りがヤシの並木道で南国を彷彿させる。

 

  

 

 スクエアの真ん中にはスペインが誇るコロンバスの像、この写真は昨年の私のブログにも載せた覚えがある。

 

  

 

スクエアの周囲は噴水を中心にクリスマスフェアーが開かれているのは去年も同じ。

 

 一軒のお店に飾られていたこの木の彫り物がとっても気に入った。これらはオリーブの木で非常に硬く、これだけの太さのオリーヴの木は100年もたっているだろうと思われる。

 

  

 

2歳半のジュードはお父さん子でいつもべったり、歩くのもプッシュチェアーも嫌、ダディのショルダーと指定する。

インターネットで見つけたこの町で一番おいしいタパスを食べに行った。タパスは中華料理のディムサムと同じで一口大の食べ物が人数分お皿に盛られて出てくる。数種類くらいでは満腹することは無いが値段は高く、ポルトガルの2倍くらいの食事代を払った。

このレストランは有名らしく帰るころにはどこもかしこもお客でぎっしる詰まっていた。スペイン人は数時間もこのタパスとワインで午後をつぶすものらしい。

 

  

 

 

通りのレストランが出しているテーブル椅子では12月の末、いたるところで人々がお昼を楽しんでいた。

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再びポルトガルへー年末

2018-03-04 12:20:42 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

ドロシーの二人の息子たちがポルトガルのお土産店でもらったのが、今世界で一番有名なポルトガルのサッカー選手クリスチアーノ・ロナルドのお面。ハンサムでカッコいいロナルドは今では一番の高給取り、毎年ベストプレーヤーに選ばれていて、彼の出身地のマデイラの空港は名前をクリスチアーノロナルド空港と変えたほど 人気がある。

 

   

 幼いジュードがロナルドのお面をかぶって現れた。顔に表情が動かないのと頭と体の比率か会わないからとっても奇妙で、 キャー、気持ち悪い。恐ろしい  と逃げたら、大喜びのジュードに追い回された。

 毎夕、スクエアのメリーゴーラウンドへ行くのが日課になってしまったジュードは一日3回も乗っている。

 夕闇が迫ってくるタヴィラの風景。

 

メリーゴーラウンドの常連客。

 

 

今年のクリスマスツリーはいったいどこのリサイクルか? 昨年のはファーロのツリーと飾りつけだった。

 

シンプルなツリーの中を走り回るジュード。

 

よくも飽きずに載っていられるものだと、飽き飽きしながら立ってみている私たち。

 

 

 こんな田舎町でも通りにはクリスマスの飾りつけ。

 

大きなアイスクリームを楽しむジュード、これが12月末のタヴィラの戸外。

 

夕暮れが迫ってきたジラウ河。

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再びポルトガルへークリスマス

2018-03-04 10:37:18 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 クリスマスの朝、9時半にはパトリックが車でキャンプサイトへ迎えに来た。なんでも娘のソニアがクリスマスプレゼントはみんなが集まったところで交換するのが一番と,私たちの来るのを待っているそうだ。

 

 ソニアは小さい時からクリスマスが大好きで、いろいろな小物をプレゼントにくれる。今回も大きな赤い袋にいっぱいのプレゼントをイギリスから持ってきた。

パトリックがソニアにあげたのがブランド物のバッグ、ソニアから彼へのプレゼントは上等の皮の財布、ジュードへのプレゼントは医者の医療器具で毎日小さなお医者さんは私たちの熱を測り血圧を測り注射をし、薬を飲ませてくれる。

娘から私へのプレゼントは高級化粧クリームにゲーム・オブ・ソーンのDVD-これはのちに書き加えたい。何よりも孫のジュードの写真を入れたカレンダーが一番のプレゼント。昨年のカレンダーも小さなジュードの一年分の記録写真だった。

クリスマスが大嫌いな私は考えるのが面倒くさいから娘とジュードの口座にお金を振り込んでクリスマスプレゼントにし、小物としてはポルトガルのクリスマスケーキとチョコレートを上げた。

 

これは11月から1か月かかって編み上げたコットブランケットで私からジュードへのプレゼント。ものがよくわかるようになったジュードは靴下、羊、お花、雪だるまが判って早速ブランケットの裏生地にチョークで落書きをしている。

クリスマスディナーは午後3時過ぎの予定で、お昼近くからパトリックや彼の友達親子は自転車でサンタ・ルチアまでサイクリングに出かけた。

 

 この朝から天気は崩れてきていて、今までのような雲一つない晴天というわけにはいかなかったが、 雨は降らず暖かい日だった。

 

 ソニアとパトリックの友達の奥さんドロシーは二人でクリスマスの食事の支度にとりかかり、私にはゆっくり休んでいろとのこと。あとに鍋を洗ったりの手伝いをさせてもらったが、ほとんどは昼寝をしていた幸せな私。

 

クリスマスディナー につきものの七面鳥の丸焼きなどは最近では流行らなくて、ソニアとドロシーが選んだのが大きな牛肉の塊をパイ皮で包んでオーヴンで焼いたビーフウエリントン、それにローストポテトとゆでた野菜で、上からグレーヴィーをかけて食べる。

 

 

 

 

 小さなジュードは乾杯が大好きで、皆のワイングラスと彼のミルク入りのカップをかち合わせて’チアーズ”という。

 

 

 

 

 

食後のデザートは英国伝統のクリスマスプディング、もう長いこと英国でクリスマスを過ごしていないから、このプディングを食べるのも久しぶり。

このクリスマスプディングは乾燥果物・干しブドウやデイツ、サルタナスなどがぎっしり詰まっていてつなぎに黒砂糖と水あめ、小麦後、ブランディーなどで底の丸い容器に入れて数時間蒸したもの。クリスマスの数ケ月前に準備して熟成させたもので、伝統的な食べ方は熱したプディングを写真のように容器から出し、上からブランディーをかけて火をつけて青い炎が収まったところで小分けして、クリームかカスタードをかけて食す。

上の写真はスーパーで買ってきたもので、久しぶりのプディング、とってもおいしかった。ジュードが覚えた日本語は  おいしいームムムムム 

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再びポルトガルへー年末花火

2018-03-03 18:16:05 | 再びポルトガルへ2017-2018

2017年もあとわずか、ここタヴィラで年末を過ごしたのは過去5年か、6年か?

毎年除夜の鐘の代わりに花火が揚がる。

世界中の年末に花火が揚がるようになったのは2000年からだと思う。世界の主要国が我こそはと言わんばかりに12時と同時にバンバンあがる。日本も世界の主要国だと思うが、花火の揚がらないのは日本だけ。

毎年テレビニュースで見ているが、まず最初に新年になるのがニュージーランドで オークランドのテレビ塔が花火で彩られた。2時間後にオーストラリアのシドニーハーバーからで、2017年に同性結婚が法律で可能になったお祝いもかねて、虹色の花火が揚がった。

その後に香港と北朝鮮!!!   香港はいまだに中国の内政干渉を嫌ってデモなどやっているから、花火も中国内部の主要都市に負けない気構えが見える。そして何よりも驚いたのが北朝鮮。国民が飢えているだろうに、チビデブの主導者は世界に負けない立派な花火を打ち上げた。北朝鮮側のテレビのアナウンサーは例の硬派女性で、BBCのアナウンサーは  この声は紛れもしない北朝鮮  と告げ思わず笑ってしまった。

次にモスクワ、ベルリン、パリと続くが、ロンドン時間はポルトガルと同じだから、テームズ河畔の花火の同時中継を見る前にタヴィラのジラウ河に架かる大橋に出かけた。

 

 

この夜は風もほとんどなく割合暖かだったが、風邪気味の私たち、予防もかねてスラックスの上から雨用ズボンもはいてこれが正解。豆電気で輝くローマ橋の手前に今にも壊れかけた木造の橋がありここから花火が揚がる。

 

 

ローマ橋を渡ると町のスクエアーでこの夜はディスコの音楽がガンガン鳴り響いていて、この大橋の上からでもよく聞き取れる。

 

丘の上のお城も照明されていて実際に見るよりも素敵に見える。

 花火は10分間だけひっきりなしに上がった。こんな小さな町のタヴィラの庁舎が威信をかけて頑張ったらしい。

 

 

 

 

大橋の上には50人くらいの観客だったが、のちに聞いたところではローマ橋の上は超満員で身動きできなかったという。

 

10分で花火が終わって遠くからの歓声が聞こえ、残るは煙だけが漂っていた。

キャンパーに帰って新年のお祝いにワイングラスをかち合わせて乾杯。キャンパーの周囲の人たちも皆花火を見に行ってまだ帰っていないか、クリスマス前から自国へ帰国しているかで、ひっそりしている。

BBC のテレビでは英国各地の花火とテームズ河畔の花火を見せてくれた。年々派手になってゆくようだ。

2018年テロの無い世界が実現しますように。

 

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再びポルトガルへーポルトガルのユーモア

2018-03-02 10:34:51 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

先日サイトの友達・アランが面白い写真を見せてくれた。

歩いて10分ほどの距離にある、ショッピングモールの一か所の男性トイレに面白いのがあるよ と見せてくれた写真がこれ。

 

昨日そのショッピングモールへ行き写真を撮ってきた。

もちろん私が男性トイレへ入って行かれないから、亭主にカメラを持たせて撮りに行かせたら、だれか男性が一人使用中で、急いで出てきた。その人あきれるほど長い時間出てこなくて, いったいどうしているのだろうと不思議がっていたら、やっと出てきた若い人だった。

誰もいない間にと亭主をけしかけて行かせたら、また出てきてカメラのスイッチがどこにあるのだと聞く。うーもう !!!とカメラをセットアップしてやったら、また出てきてズームはどうするのだ?って。

教えていたらまた男性一人トイレへ行った。

その人が出て行ったあと急いで入って写真を2枚とってきた亭主。 変態と間違われたらどうする?と言った。

一帯誰がこんなことを考えたのだろう。一目見ただけでおかしいのに一人一人の女の子の表情を見ると本当におかしい。

男性がこの写真の女性たちを見ながらおしっこしているところを想像するのも、もっとおかしいと思いませんか?

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再びポルトガルへー初春

2018-03-01 23:56:02 | 再びポルトガルへ2017-2018

一月初めの2週間は天気は良いものの風が冷たく、朝夕は5-10度の寒さだった。

気が付いてみればあちこちのアーモンドの木々にピンクや白の花が満開になり、道端の雑草にも色とりどりの花が咲き始めた。

一月半ばからは気温が上がり、日中はTシャツ一枚でも寒くない。キャンプサイトの人たちはもともと寒い国からきている人たちが多いから、ほとんど半そで、ショーツで出かけるが、地元のポルトガル人達はアノラックやオーバーをしっかり着込んでいる。

 青空の下では純白の家屋が眩しく映える。南国ポルトガルでは彼らの建物は夏用に建てられている。室内はタイルで、窓も小さめに作られていて、直射日光が室内に入り込むことが少ないようなつくり。だから冬は暖房を入れてあっても寒く感じる。

 

 塩田近くの曲がって倒れそうなこの橋はもう数年同じように曲がって倒れそうなのに、昨年秋に通行禁止にしたままで、作り直す気はないらしく、放置されている。

この橋がないと車がビュンビュン行きかう県道を歩いて隣町へ行くしかなくてとっても不便で、10月にタヴィラへ来て以来、一度も隣町へ足を向けていない。

 

 12月末から少しづつ咲き始めたバミューダバタカップは今では道端や、オレンジ畑の下草を黄色に染めている。それでもこの花の最盛期は2月で、あまりにどこでも咲いているから誰からも見向きもされない。

 

 地面を這うようカーペットのごとく咲いているヒナギク。

 春先の湿地帯、サギやヘラがもがえさをあさっているが、鳥の鳴き声以外は聞こえない平和な春の日。

 

 

 

 取り残しの塩が固まったままの塩田あぜ道。遠くにタヴィラの町とショッピングモールが見える。

 

 

 初めて見つけた海鳥、名前も知らないが長く細いくちばしが変わっている。

 水平線、地平線までまっすぐなタヴィラの塩田付近。

 近くの低木のてっぺんで鳴き叫んでいた小鳥。

 秋にはピンクや白の花が咲いていた夾竹桃の木々に長いさやの実が実り、熟してハゼた実の中からは綿毛のついた種が風に吹かれて飛び立つ。

 草むらで餌をあさっているコウノトリ3羽、彼らは永久にこの国にいるものとみえる。コウノトリは泳げないからアフリカへの移動の際には地中海の最短距離、ジブラルタルとモロッコをつなぐ短い距離かトルコのイスタンブールとシナイ半島の間の最短距離を上空風でグラインドしながら渡っていく。

 

 キンセンカの原種のこの花は春一番金色に野原を染める。

英国なら5-6月に咲くこのぜに葵も一月から咲きだす。この雑草も半年くらいは咲き続ける。

 

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再びポルトガルへー言葉の変化

2018-02-28 18:29:16 | 再びポルトガルへ2017-2018

先日スーパーマーケットでキーウイフルーツの苗を買った。

高さ20センチくらいの苗が3本入っていた。

昨年タヴィラのマーケットで1メートルくらいの木を1本買って温室の外側に植え、木は温室の中に入れて葉が茂っている。キーウイは雄雌があるということを持って帰るまで知らなかったため、買った木がどちらか判らない。

今回の小さな苗は2本が雌で赤のマーカーがついていて、1本が雄、ブルーのマーカーにMale/Machoと書かれていた。

ポルトガル語では男はマッチョなんですねー。私たちの感覚からすると、マッチョな男は筋肉たくましいタフガイのイメージなんだけど(これは英国でも同じ意味らしい。)この痩せて小さなキーウイの木すらマッチョで大いに笑ってしまった。

日本では子供のころから使うボーイフレンド、ガールフレンドも英国では簡単に使えない。10代くらいまでの子供なら、私のボーイフレンド(ガールフレンド)と言っても微笑ましいが20代を過ぎると微妙に違ってくる。

私が英国へ来たときは28歳近くで、当時住みこんだ家庭の老夫婦からボーイフレンドは居るの?と聞かれ 日本にたくさんいるよ。と答えたが、この場合のボーイフレンドは肉体関係のある恋人を指すということを随分後になって知った。

今では同棲している若い人たちはガールフレンド・ボーイフレンドであって、単なる異性の友達はボーイズまたはマンズ フレンドと言われる。

日本で定着したナイーブという言葉も日本人は繊細なと言う意味で使うが、英国ではナイーブは決して繊細なだけでなく物を知らない薄らバカという感じで使われる。

だから私はとってもナイーブなのよなどと使ってはならない。 

私が楽しみに読んでいる日本のブログに ドンマイ という言葉がありいったいこれは何語だろうと不思議に思っていた。そしてこれが I don't Mind の日本語版だと気づいて驚いたのなんの。 日本人の耳には英語の t や d などの吃音が聞こえないんですね。英国へ来てドンマイと言っても通じません。

毎朝のラジオ体操の後に皆でおしゃべりしているときに、マイクが I'll ask her といった言葉が私にはアラスカと聞こえて,え、アラスカってお店どこにあるのと言ってしまった。もう45年も英国に住んでこれなんですから。言葉は難しい。

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再びポルトガルへーファーロ救急病院

2018-02-27 22:19:16 | 再びポルトガルへ2017-2018

2週間前、亭主の体中に赤い発疹ができて痒くてたまらないと言う。それでタヴィラの病院へ行った。タヴィラの病院はキャンプサイトと正反対の町はずれにあり、歩いていくが、片道30分はかかる。

この日は英語のできない医者が、ろくに発疹を調べもしないでかゆみ止めにものすごく痛い注射をお尻にして、2週間分の薬をくれた。

そして2週間後発疹は盛り上がって痒く、また薬をもらいにタヴィラの病院へ行った。診療は午後3時過ぎから始まるから、病院へ着いたのが1時半。3時10分まで待ってやっと亭主はドクターに会えた。

この医者もほとんど英語ができなかったが、丁寧に調べてくれ、Urgent (緊急)と表書きした封筒をくれてすぐファーロの救急病院へ行きなさいと言う。もう3時半今からでは遅いから明日ではだめかと聞くと今日の日付にしたからすぐに行きなさいと言われた。

たかが発疹、どうしてUrgent なのだろう、仕方がないからタクシーを頼んでファーローまで飛ばして着いたのが4時20分。救急病院は50人くらいの人たちがわさわさしている。激しい咳をしている人たちや、太ったジプシー女達が10人近く声高におしゃべりし我が物顔にあるきまわる。待合室に入るドアは出入りする人たちがあまりに多くて毎分激しい音をたてる。患者を呼ぶスピーカーの音はキーンと悲鳴を上げてから聞き取れないポルトガル語で呼ぶ。

待合室に入って10分ぐらいしてから名前を呼ばれてまずはナースからの問診。ここで患者の緊急度を図られる。亭主はUrgent の手紙をもらったにもかかわらず、緊急度は5段階の4段目。グリーンの名札を腕に巻き付けられて,待ちに待った。

6時過ぎると暗くなってきても待合室の患者数は減らない。5分おきに救急車が入ってきて患者の搬入が頻繁になっている。

8時過ぎても呼ばれないから、もうあきらめて帰りの電車の時間を聞くが受付の人たちは誰も知らない。最終電車に乗り遅れたらまたタクシーで帰らねばならぬ。

近くでじっと待っている若い女性に ”何時からここで待っているのか” と聞いたら3時だという。5時間も待ってまだ医者に診てもらえないなら、私たちも何時になるか判らない、また明日来よう。と8時20分4時間で諦めて駅まで歩いた。

幸い9時過ぎの電車があっておなかをすかせて帰ってきた。

翌朝サンドイッチに飲み物も準備して、サイトの体操仲間が載せてくれた車で病院へ向かった。

10時半から待合室で待っていたがこの朝は患者数が少なく15人ほどしか待っていなかった。これでは午前中に医者に会えるかと思っていたが、12時ごろから徐々に待合室がいっぱいになってきた。おまけに昨日のジプシー女がまた数人出入りしている。

とうとう2時10分に亭主の名前が呼ばれて診療室へ入っていった。私は待合室で待つこと4時半までの6時間。ほとほと疲れてもう2度とここへは来たくないとおもった。あんなに激しい咳をしている患者など、お家で寝ている方がどんなにか早く良くなるだろうに。

4時半に薬2剤をもらって出てきた亭主は、医者4人が徹底的に見てくれて、話し合い、この薬が効かなければまた来いと言われた。診療室までの廊下一面にストレッチャーに乗って寝ている患者がズラーと並んでいて、2時間以上も時間をかけてみてくれたこの病院に申し訳ないと思った・・・・という。

かゆみが取れてきて発赤も収まってきているから、なんとしても早く治って、もう2度とあの地獄のような待合室に行きたくない。

先週金曜日発行の英語新聞にはヨーロッパ各国のナショナルヘルス(国民医療組織)の番付が載っていてポルトガルは14番目英国は15番目。ポルトガルの方が上とのことで本当に?と疑ってしまった。

ちなみに一番はオランダ、2番がオーストリア、3番がデンマークだという。

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再びポルトガルへータヴィラの旧市街散策

2018-02-27 11:43:43 | 再びポルトガルへ2017-2018

先週水曜日にタヴィラ在住の英国人によるタヴィラ歴史散策が行われた。もうすでに過去2週間でタヴィラのジラウ河を挟んで南側は散策を終わっていて、この日はローマ橋から北側を歩き歴史を説明するとのことだった。

ケンブリッジ・ペンブロック大学出身歴史学者のピーター・ブッカー氏はポルトガルに住んで10年、この地に住む外国人特に英国人が、この国の歴史をあまりにも知らなすぎると考えて、彼らを教育するために英語のツアーをすることにしたそうだ。

11時にローマ橋の上に集まった人たちは全部で28人。私は英語が少しできる隣のブリッタに誘われていった。1時間半のツアーは2.5ユーロ。

 

 

ローマ橋のすぐ近くの細道がドクター・アントニオ・カブレイラと呼ぶ名前でこのドクターがこの通りに立派な建物を建てて、図書館を町に寄付したが、この川渕は良く洪水になって本が損なわれるため、現在は南の魚市場よりの高台にある。でも今現在も町の公共の場として使われている。

 

この建物のドアノブが面白い。

内装は典型的なポルトガルのタイル張りの壁で2階への階段の両側もこのタイル張り。

 

 

来週オープンするというカフェの壁飾り。大きさにすると全長50センチ位。川渕に小さなモダンな建物がつくられた。

 川渕からこの急な階段を登ってすぐ小さな教会がある。

 

 

このサンタ・アナ教会は過去に何度か土曜日のコンサートに行ったことが有る。

この教会のスクエアに川を見下ろす小さな建物があり、これは昔海賊が襲ってくるのを見張っていたウオッチタワー(見張り台)だということ。このような小さなウオッチタワーがアルガーヴの海岸線に多くあるそうだ。急変には火をつけて連絡しあったものだという。

今まで何気なく通り過ぎていたこの建物は古いタヴィラの音楽学校があったところだそうで、現在はこの建物から500メータほど離れた、平屋の独立した建築物に移っている。

 

旧音楽学校から10メーターも離れていない大きなスクエアーはビショップスクエアーと呼ばれる。

アルガーヴのビショップ(カトリックの司教)だったマルセリノ・フランコの像が建っている。この人贅沢を嫌い、どこへ出かけるのもロバにひかせた馬車か汽車を使い、決して自動車を使わなかったという。

 

昨年クリスマスに娘夫婦が来て借りていたお屋敷の近くの小さなチャペルは、このブッカー氏が今まで訪れて一度も開いていたことがないという。今回初めてチャペル横の小さなドアーが開いていて、小さな老女が皆を中に入れてくれた。聖ブラスチャペルという。

 

 

こんな小さいチャペルがタヴィラには非常に多い。

 

 

このきれいなタイルに覆われたチャペルは、上の聖ブラス・チャペルから坂道を下ったところにあり、今まで一度も正面のドアーが開いていたことがない。15-16世紀のものだという。

このチャペルの近くに広大な建物があって、今まで小学校だと思っていた。ところがここはアルガーヴ最大の身体障碍者のための施設で元はお金持ちの女性が死後に残した庭に建築されたものだという。

この玄関付近に有った大きなリサイクルビンは壊れた電気製品をここに入れてもらって、この施設て再生して売りに出すものだという。なんと素晴らしいアイデア!!!

 

上の白い西洋長屋は、19世紀のお金持ちだったセバスチアノ・マーティンス・マストレというプレジデントが私財をなげうって貧しい人々のために住居を作ったそうで、2005年に再建されたもの。

 

なかなか有意義なツアーだったから、これからも気をつけてこんな催し物にはぜひ参加してみたい。イギリス人だけでなく、スカンジナビアやオランダ人など、英語の判る人たちが多かった。

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再びポルトガルへーオペラ・トスカ

2018-02-26 22:45:34 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

昨夜近くの映画館でロイヤル・オペラハウスからのオペラ・トスカの直放送があった。

キャンプサイトの友達5人で見に行った。

トスカと言えばマリア・カラスのオペラ映画がことのほか有名で、私もこのビデオを持っていて、手放すことができない。マリア・カラスはこのオペラの時は体重を落としてスマートな体に真紅の長いドレスで階段を駆け下りてゆくところなど今でも目に浮かぶ。

昨夜のトスカはカナダ人ソプラノのAdrianne Pieczonkaという人。太っていて彼女に太刀打ちできるテナーに選ばれたのがマルタ島出身のJoseph Calleja。

このテナーのカレヤさん、10年ほど前ロイヤルフェスティバルホールの彼のリサイタルで一緒に写真を撮ってサインももらったのだが、この時はやや太目の人との思い出はあるがそんなに太っていなかった。昨夜のジョーゼフ・カレヤはまったく太りすぎ。声は10年前よりもっと円熟して素晴らしいが、映画で大写しにして見られるものではない。

トスカとその恋人マリオ・カバラドッシの太りすぎの体で歌うどの歌も素晴らしかったが、一番印象に残るのがトスカに横恋慕する警察署長のスカーピアでバリトンのカナダ人Gerald Finley 恐ろしい目つきで悪役に徹するが、本来はいい人だそう。一緒に行ったフランス人のブリッタなど彼が一番素晴らしかったとお気に入り。

もう10数年前、イタリアのシアナのオペラハウスからの直放送でトスカを放映した。ロンドン市内の映画館まで出かけて見にいった。この時のトスカが今までで一番印象深い。

シアナのイタリア人のオペラを見に行く態度や心は、ロンドンのオペラハウスで澄ましてみる芸術ではなくて、まるで昔の日本人がお弁当を持って歌舞伎を見に行くような、楽しみ方や興奮が伝わってくる。これはミラノのスカラ座でなかったからなのか、シアナが田舎だからなのか判らない。観客がとっても田舎の素朴な人たちに見えた。

トスカがスカーピアに迫られて恋人を助けるために悲しみながら歌う場面で、歌が終わっても拍手が止まず、トスカはもう一度同じ歌を歌った。そしてマリオ・カバラドッシが牢獄からトスカを恋い慕って歌う名曲も終わると同時に拍手が鳴りやまず、とうとう歌手と指揮者が顔を見合わせ、マリオがにっこり笑ってまた同じ歌を繰り返した。マリオはすぐ銃殺される運命なのに・・・・・。昨夜のオペラハウスでは、マリオが歌い終わっても拍手ひとつ出なかった。イタリア人がどんなにオペラを楽しんでいるかがよく分かる。

映画やテレビでは時間が決まっていると思うがこの夜は面白いハプニングで、11時過ぎにやっと終わり、最終電車にやっと間に合って帰宅した。イタリアは時差が1時間あるから観客は12時過ぎて無事帰れたのだろうか?

 

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