Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

パトリック、タイと東京へ出張

2025-01-30 07:14:52 | 日記

先週日曜日夜、パトリックは日本へ向けて飛んだ。月曜日朝の富士山の写真をおくってくれた。

この朝は成田の近くの温泉に入って、また飛行機でタイへ行った。

火曜日から金曜日までバンコックで働いて、金曜夜東京へ帰ってきた。

以前からこの週末に大相撲を見に行くと言っていたので、私が応援している大の里のアルファベット名と漢字でも書いてメールしておいた。

土曜日朝、国技館の写真やら大の里の写真に、この日対戦した琴櫻とのヴィデオが送られてきた。とっても面白かったそうだ。

月曜日と火曜日は東京で働いて、今日水曜日の夕方帰ってきた。

これが私へのお土産。大の里頑張ってもらわないと・・・・・・・。

ブロシャーの真ん中の Sunrise Tour は外人を集めて国技館を案内説明し、力士の説明もしてもらったそうだ。パトリックの後ろに座っていた若いアメリカ人の男性は日本語がうまくて、それぞれの相撲取りに大声援。大声で 大の里、Its my Birthday!!!と叫んでいたそうだ。

こんな日本語では見ても分からないだろうから、私にくれたが、モンゴル人が多い。今までの横綱にもモンゴル人が多かったから、最近見たユーチューブでモンゴルを旅した日本人のリポートでは、モンゴルの首都のレストランにはちゃんこ鍋もあるそうだ。

もらってきたブローシャの中にこのおかしな手ぬぐいが入っていた。普通の手ぬぐいよりも長くて、さすが相撲取りでも使えそう。

今年10月に大相撲がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールへやってきて、5日間の興行を行うそうで、とっても楽しみ。

 

 

 

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笑い話のようなホントの話。

2025-01-24 06:10:59 | 独り言

昨年スヴォルバーからの帰りのこと。ホテルへ迎いに来てくれたバスに乗ったとき、私のバスの横の席にアメリカ人の年寄(多分私よりは若いが、相当な年寄に見えた)が座った。私に 君は日本人か?僕は日本には3回行ったことがある。韓国でも長く滞在していたし、ドイツでも長く働いていた。  と言った。貴方はアメリカの陸軍だったの? そうだとの答え。その年寄の連れは20代のアジア人女性で6ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いている。

スヴォルバーから直通便でなかった飛行機は2時間後にトロムソに着いた。オスロへ行く人は手荷物を置いたままで良いとのことで一旦飛行場に降りて2時間後にまた搭乗する。

トロムソで降りたアメリカ人は赤ちゃんのプッシュチェアーを押し、連れの女性は赤ちゃんを抱いて一緒に歩いていた。

あの赤ちゃんはあの爺さんの子どもかしら?と横にいたパトリックに言うと サー判らないなー。

それでつい 貴方と私の間柄って一体なんだろうと知らない周りの人達は思っているかも。とパトリックに言ったら    OH NO !! Mather-in-Law(しゅうとめ)

よっぽど嫌だったらしく、空港の待合室でも椅子は3つくらい間を開けて座り、もちろん飛行機は遠く離れた座席で帰ってきた。

今年の夏休みもジュードの学校が娘の働く学校よりも1週間早くなる。それで去年は1週間だけジュードとパトリックの3人でイタリアへ行った。今年もイタリアへ行こうかと話は出ているので、この間ジュードを公園で遊ばせながら、 今度イタリアへ行くときは私、Mother-in-law という名札を付けていこうか。 と言ったら That no bad idea !! だったら僕も I am a father not Grand Pa という名札をつけるよ。

二人で大笑いをした。 

ジュードはパトリックの41歳のときの子どもで、おじいさんと遊んでいるの?と聞かれるらしい。ポールも娘が生まれたときは42歳だったので、知らない人はおじいさんだと思ったらしい。

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新年の花火とヘビ年

2025-01-21 21:52:33 | 独り言

丸2週間もこのブログが開けられなかった反動で、今やっと新年のロンドンの花火祝賀の様子を載せられる。

と言っても2000年祭にはワインボトルを持って夜の11時半、ロンドンブリッジまで繰り出し、ウエストミンスター・ブリッジからタワーブリッジまでの間の3つの橋を含む間のテームズ川の中に浮かべた艀で30分にわたり激しい花火が上がった。

その時のものすごい人混みに揉まれながら、素晴らしい花火の祭典を見て、もうあのように夜出歩くこともない。

今回もテレビに写った12分間だけの花火の祭典をこのブログに映し出してみよう。

有名なビッグベンは今は亡くなられたエリザベス女王の名前を取って、エリザベス・タワーと改名された。その時計が12時を打つと同時に、

テームㇲ河南岸のロンドン・アイ(Eye)から激しい光と音のお祭りが始まった。

画面に出る英語はBBC のスタジオで入れてるものだが、花火の中に今まででは見たことのない新しい試みが見られる。

このロンドン・アイの南岸は昔は下層階級の街でランバース地区と呼ばれたところ。1984年から88年にかけてテームズ川南岸からランバース地区は目覚しい変化を遂げ、このロンドン・アイもその1巻。このロンドン・アイからウエスタミンスタ・ブリッジを挟んだところにある病院はセント・トーマス・ホスピタル(St Thomas Hospital)という。ここは13世紀に創設した歴史ある病院で、今から93年前、ポールが1kgの未熟児で生まれたところ。その当時から未熟児もインキュベーターで育てられていた。

寒い新年の真夜中にこのものすごい人混み。ここはエンバンクメント側。

観客皆がオールド・ラングザイン(メロディは蛍の光)を歌っている。

 

 

たったの12分間だけだったけれど、まるでこれでもか、これでもかと言うほど引きも切らず上がった花火で新年を迎えた。

 

1月15日、いつものポストボックスアートギャラリーでは今年のヘビ歳に対してすごいヘビの編み物展示がされた。

2月の中国の新年のお祝いに、マレーシア中国人の友達が、中華料理で新年を祝うのに招待してくれている。

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冬休み中のポルトガルー帰国前日

2025-01-18 07:14:18 | タヴィラ旅行記

 

 

タヴィラの街路樹で特にここに記したいのがこの木。12月末のこの時期は黒い乾いた実がはぜて種の覗いているのがたくさんぶら下がっている。

3月、4月の暖かく(暑く)なる時期この木にはこんなかわいい花が満開になる。

数年前この黒い乾燥した実(種)を取ってきて、温室の中で植えた。5ヶ月後にいっぺんに10個ほど芽が出て、5本ほどを一遍に鉢植えにしたら、すくすくと育ち、

 

高さ1.5メーターくらいになっている。冬の霜が降りてマイナス4度位になってもしっかりとグリーンの葉を付け一年中葉が落ちることもない。

地面に植えてやりたいと思うがこのままポルトガルの街路樹のように大きくなったらどうしようと今のところ植える場所が見つからない。

道端の小さな公園にドンベアの巨大な木が傘を広げたように葉を茂らせ、大きなピンクの花が下がっている。

12月だというのにミツバチが花に潜り込んでブンブン蜜を取るのに忙しい。蜂が潜り込んでいるのが見えますか?

このしぼんだような花は うなずきヒメフヨウ と言うのだそうな。誰かのブログで名前を知った。

このタヴィラ最後の日にファーロのもっと西方から、アイルランド人の夫妻がわざわざタヴィラまで会いに来てくれた。彼らとは10年以上前、クォテーラ(Quarteira) のキャンプ場で知り合った。当時彼らが1週間だけアイルランドに帰っている間に、彼らの新しいキャンパーに雷が落ち、電気系統が全部焼けてしまった。それ以来オルニャオのサイトや、カバナスのサイトで出会い旧交を温め、メール交換をしていた。

2022年にポールの遺灰を撒きに来たときも、参加してくれたとってもフレンドリーな夫妻で、今回はお昼を一緒にと 寿司とポルトガルランチのどちらがいい? と聞いたら Oh No, Susi !!! 食べたことが無いそうで、パトリックのアイルランドのご両親と一緒。

近くのレストランで彼は肉、彼女と私は魚で楽しいひと時を過ごした。彼らが帰ったあと、以前オルニャオで親しくなったドイツ人のカップルに連絡したらしく、ドイツからもメールが来て驚いた。こうしていろいろな国の人達と友達になる。

 

 

 

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冬休み中のポルトガルーファーロとオルニャオ

2025-01-15 23:25:05 | タヴィラ旅行記

12月26日はボクシングデイ(Boxing Day)と呼ばれる休日。ここポルトガルでも同じように休日だとのこと。このボクシングデイというのは、昔お屋敷勤めの女中さんや料理人などの働く人たちは25日のクリスマスには休めなかったので、翌日Boxと呼ばれる箱に詰めた贈り物と一日の休暇が約束された。それが今も続けられている。

この日Mr S の車でK子さん夫妻と私の4人でファーロ近くの寿司やへ行くことにした。この寿司屋さんは座席数1000席という中華料理やさんで食べ放題だとのこと。

久しぶりのお寿司で、とっても美味しかった。昔タヴィラに食べ放題の寿司屋が有って、ポールと二人で行ったが、ご飯がべっチャリで不味かった記憶がある。

中華料理やさんだから、寿司だけではなくてあらゆる中華料理と

生の魚や貝など選んで持っていくとバーベキューとして焼いてくれる。

食後のデザートまであらゆるものが有って、アイスクリームとジェリーだけでもう食べられない。

料金も平日のランチが12.95ユーロ、祭日のこの日は16.95ユーロと信じられないくらい安い。

3時でお昼の寿司屋は閉まる。日が暮れるまで、ファーロ近くの海岸線と中華店でショッピング。

豪華な観光ホテルも覗いてみたり、で日暮れまで待った。

ファーロとタヴィラの中間辺りにあるオルニャオはタヴィラよりも大きな街でここのクリスマスライトが素晴らしいという。

メインストリートの電飾。

大教会の前の巨大なクリスマスツリーがすばらしい。

次々変わっていく色とりどりのツリーを我を忘れてヴィデオで撮っていた。さすがここは大きな街だと感激して帰ってきた。

 

 

 

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冬休み中のポルトガル クリスマス

2025-01-15 21:55:15 | タヴィラ旅行記

クリスマスの朝、教会はどこでもミサを行っていると思ったが、K 子さん宅のちかくのこの小さな教会は開いてはいたが、教会管理人以外は誰もいなくて、入っていくときに教会のパンフレットをくれた。

こんな小さな教会でも内装が素晴らしい。写真可というから両脇のデコレーションや宗教画などいろいろ撮した。

 

この最後の写真は撮し忘れたと管理人に言われて撮したもので、お礼を言って出ようとしたら、お礼のお金を請求され1ユーロおいてきた。

昨日のクリスマス・イヴに K 子さん宅でクリスマスディナーに招待されて行ってきた。Mr S が今日は友だちのクリスマスパーティに招待されているから、昨日に繰り上げたわけ。 今日はそのK子さんを連れて海岸線まで散歩に行ってくれとのスエーデン人のご主人の頼みで、午後1時に約束していた。

K子さんはこの2年ほど前から日本語がおかしくなり、ご主人も心配して病院へ連れて行ったりもしたそうだが,本人も 私頭がオカシイのよ と自覚しているらしい。

ご主人は日本語で話しかけてくれというが、本人から積極的に話すことはなくて、必ず私の言葉を真似するくらい。

ただ2回だけ本人から話した言葉は 玲子さん足が早いのね。と この花はなんていうの? お花は道端のキョウチクトウのピンクの花だった。

塩田へ行くまでの途中にビニールハウスが延々と続いているところが有って、何が植えてあるか望遠で見たところ、ラウズベリーの花が咲いて実もなり始めていた。1-2ヶ月後にはヨーロッパ各地に出荷するのだろう。

塩田には足とくちばしの長いシギが餌をあさっていた。

このあたりうまくいくとフラミンゴやヘラがもが集団で餌をついばむ姿が見られるが、この日は残念ながら何も無し。

遠くに見えた白い鳥は何かと望遠レンズを最大にして、かもめと判ってがっかり。

海は遠浅の内海で砂地では貝を取っている地元の人、

海岸の向かいに見える島は細長く内陸と平行に伸びた砂の島で、昔津波のあとにできた島らしい。この島の向こうは大西洋で、続きのスペインの海岸は地中海になる。

 

この日は3時間K子さんと歩き回ったが、彼女は毎日水泳と散歩はご主人と行っているそうで、歩くのは苦にならないと元気に歩き通した。まだ75歳、これからが心配。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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12月冬休み中のポルトガル 3日目

2025-01-14 22:37:57 | タヴィラ旅行記

1月1日夕 突然グログが開かなくなり、コンピューターの故障でもなくブログ以外は全部問題ないと判るまで、焦ったこと。

日本のドコモのでサイバーアタック開けられないとわかって、この2週間の長かったこと。今朝フランスのブロ友からのメールでやっとブログ再開!!!!!

日本ではほとんど問題がなかったらしく、今日1月14日初めて開けられて皆さんのブログを見て愕然とした。

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12月23日月曜日は先週頼んでおいた歯医者の予約が午後4時に入っている。それまで一日をゆっくりタヴィラの街の散策。

宿の近くの高台はこのタヴィラの大教会と古い城塞が残っていて、青空の元(英国ではこの青空は見られない)セーターだけでコートも着ずに歩き回った。

お城は残ってないが、城壁に囲まれた小さな庭は出入り自由、真冬のヨーロッパでここではいろいろな花が咲いている。

城塞の外側に巨大なポインセチアの木があり、城壁の上から写真が取れた。

ポルトガルで私の好きな花の一つ,ドンベア(お花のイメージにそぐわない嫌な名前)は巨大な木から直径20センチくらいの花が咲いて下がっている。

まだ咲き始めたばかりで、ほとんどが蕾だから新鮮でいい。ところがこれが1-3月くらいになると花が咲き終わっても茶色のままぶら下がっていて見苦しい。写真も撮れない。

城塞の上から望遠レンズで見るタヴィラの郊外はあちこちに塩の山が築かれている。

タヴィラの街はいつ見ても真っ白な壁に青空がすばらしく、初めてここに来た10年以上も前からここは私の第二の故郷になってしまった。

この石畳、ポルトガル中の街のメイン自動車道以外は、この石畳で、自転車や乳母車、ショッピングトローリーなど車のつくものには、がたがた、ゴトゴト、大変不便。だから車など町中を走るにはスピードが出せないから安全運転になる。

こんな小さな町の市庁舎の玄関は回廊付きの立派なもの。

この市庁舎の近くの広場では巨大なテントの中にタヴィラのお土産ストールが並んで、そのテントの周りのクリスマスツリがーが面白い。

思いがけないデザイン。

色々アイデアがあるものだと感心する。

 

 

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冬休み中のポルトガルへ 2日目夜

2025-01-02 00:54:51 | タヴィラ旅行記

Mr Sと夜のクリスマスデコレーションを見に行き、夕食をタヴィラ一美味しいステーキの店でと8時に予約した。

ローマ橋もきれいにイルミネーションが飾られ、水面に輝く電飾がとってもきれい。

街の広場のクリスマスツリーは今年はどこの街と交換したものか?

街のメインストリート2箇所だけは素敵なクリスマスデコレーションが輝いている。 

タヴィラから車でカバナスの街のデコレーションを見に行った。

この教会は一昨年4月、夕涼みに出たときに、この教会でポルトガル人の合唱団が3組歌っていた。その中に一組の男女の合唱団が日本語で赤い花・白い花と歌っていて、涙が出るほどうれしかった。今でもその時に写真とヴィデオを送ってくれたポルトガルの若い女性とはメール交換している。

カバナスの海辺の街はほとんど飾りもなく大きな青い星だけが輝いていた。

8時近く予約してあったビショップスクエアのレストランに入りとっても美味しいビーフステーキを食べた。このあたりは昔からよく行ってたところだが、こんな美味しいビーフステーキが有ったことを知らなかった。ポールが生きていたらどんなに喜んだことだろうと思った。

食後フラットへ帰るのに、車では街の外側の道を通って遠回り、消防署の、前には高い木から鳩が下がるデコレーション。

そして消防車を外に出して、中には池と電車のはしるジオラマが出来上がっていた。ローマの兵士の近くをおもちゃの電車が走り、水車や洗濯女が動き、時代考証がめちゃめちゃ。

パンを焼く人

キリスト生誕の場面。

いつも車で走っているMr Sはこんなディスプレイがあることをしらなかった。 

やっぱりこんな小さな町は歩かなければ何をミスるかわからない。

 

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冬休み中のポルトガル Day 2

2025-01-01 15:02:57 | タヴィラ旅行記

タヴィラは1年の内300日は晴天といわれる。 2日目の日曜日、もちろんこの日も素晴らしい青空、私は歩いて1昨年泊まったカバナスのキャンプ場へ友達に会いに行った。

タヴィラとカバナス間は広大な塩田が広がっている。昨年収穫した塩が山のように塩田の縁に積み上げられている。初めて見た時は雨が降ったら溶けてしまうだろうにと思ったが、これが蹴っても棒でつついてもまるで石のように固くて崩れない。

この塩の山はタヴィラとカバナス間の歩道脇にあり、時々巨大なトラックが来て塩を積み上げて運んでいく。今までこれは塩の精製場へ持っていくものだとばかり思っていたのに、Mr S によれば冬の道路が凍ったときに撒く塩だそうで、多分ヨーロッパ北部へ送られるものらしい。英国でも道路だけならず、駅のプラットフォームや階段には必ず塩が撒かれている。

未だ12月なのにオリーヴ畑に一面のバミューダ・バタカップス(オキザリス)この南ポルトガルには冬はなくて一足飛びに春のよう。

この同じ場所が3-5月には春菊の花で真っ白になる。 

別に約束してカバナスのキャンプ場へ行く予定ではないから、途中から塩田の中を歩いてフラミンゴやヘラガモがいないかと見て歩いたが、かもめだけだった。

それにしてもこの塩水が夏には蒸発して塩ができるなんて、一体この土地は気温が何度になるのだろう。

バミューダ・バタカップス(オキザリス)の花、好日性で朝から花開いているが午後早めに閉じてしまう。

私が日本橋と名付けたこの橋は2018-9年ごろ倒れてしまったが、2020年1月には新しく架けられ、自転車と歩行者のみの便利な橋になっている。ここがないと交通量の激しい国道を歩かなければならない。

冬の英国ではあまり花が咲いているのを見ることはないが、このブーゲンビリヤなど一年中咲いている。

カバナスのキャンプ場の受付では私を覚えていてくれたレセプショニストが大喜び、中にはいって友達に会ってきなさいと言ってくれ、広大なキャンプ場を一回り、残念なことに友達ひとりにも会わなかった。(後ほどのメールでクリスマスからお正月は英国へ帰っているとのこと) キャンプ場が以前よりも拡張されて、ますます大きくなっていた。

一昨年4月に2週間泊まったこのシャレーは今の時期、予約不可能。毎年来ている人たちが春に帰国するときに翌年も予約してしまうからで、この日も全部埋まっていた。

友達にも会えず、サイトの玄関近くのレストランはお昼時期とて満杯、諦めて今度はまっすぐタヴィラまで歩いて5Kmを1時間で帰ってきた。Mr S がカバナスへ3時半に迎えに来てくれる約束だったが、2時半近くのショッピングセンターから連絡し夕方クリスマスライトを見に行く約束をしてフラットに帰ることにした。

真っ青な空と純白の建物、それに南国の木々、タヴィラは私の第2の故郷。

ローマ橋と呼ばれるこの橋、ローマ人が作ったこの街で、ローマ時代から何度も架け替えられたらしいが、原型そのままの橋。

タヴィラには10数件ある教会の一つだけれどこんなにタイルでデコレーションされているところはここだけ。

毎年このベランダで咲いているランの花、戸外で花が咲くのはここだけ。

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