Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-06-22 05:58:17 | 日記

つい2-3日前までロンドンは寒かった。ほとんど毎日雨が降った。一日中雨ふりという日は余りなくて、暗くてどんよりそしてにわか雨、または朝日が出て良い天気になるかと思うと午後は雨が激しかったりする。

おかげで今年はナメクジが大繁殖してその被害も相当なもの。何より2か月前に植えたトマトの芽は出たのにそれ以来本葉が出なくて、もうすぐ7月もまじかというのにまだ5センチに満たない。これでは今年のトマトは育たないだろう。エンドウ豆も4月に植えたのが芽が出ず、また5月の末に植えたのがこの数日の晴天でやっと芽が出だした。

日本はもう暑いというのにロンドンでは20度まで上がると嬉しい。毎年この時期思うには、今年は夏が来るのだろうか?

それで今の時期一番目立つのが巨大な街路樹の西洋菩提樹(ライムツリー)の花。この花が咲いていなければいったい何の木か判らないし特に気に掛けることもない。

私の家から一番近いバス道路には42本の西洋菩提樹が生えていて、どの木も花盛り。

例年ならこの花が咲いているときはミツバチが大喜びして飛び回っているのに今年は一匹も見かけない。

この木の下へ行くと甘い香りがしたものなのに今年はしない。私の鼻が馬鹿になったのかと思う。

とにかくバスや電車に乗って外を見ているとこんなにたくさんのライムの木があったのかと驚かされる。

これは栗の木、此の木も今が花盛り。メインロードの老人ホームの庭に植わっている巨大な栗の木で、実った栗は見たことがない。

私が一番好きな木がこのコーカシアン・エルムツリー、この木はまるで制服を着たように全く同じ形になるからどこで見かけてもすぐ判る。

そして不思議なことに一本だけ植わっていることは無く、必ず数本が並んでいるからよく目につく。ほとんどが公園に植えられていて、道端で見かけるのはまれ。

上の3本の木は道端でまだ若木に見えるが、私が一番気に入っている公園の木は巨大で樹齢200年は経っているだろうと思われる。全く左右対称、ジャイアンツが使う箒のようだ。

 

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今季最後のオペラをROHのライブで見た

2024-06-16 01:37:07 | 日記

オペラやバレーの季節は9月から翌年の6月まで公演される。それで6月11日のオペラがオンラインで映画館で上映された、これが今季では最後になる。

オペラはアンドレア・シェニエ イタリア人ジョルダーノによるフランス革命の物語。

私には初めて見るオペラで、出かける前にもちろんストーリーを読んで行った。

舞台は18世紀のフランスで、衣装も当時を再現してあり、シャンデリアがたくさん下がっている伯爵家の部屋。たくさんのシャンデリアが当時はキャンドルだったから部屋でキャンドルに火をつけそれが一斉に上に上がっていったところはよくできていた。最後は主人公2人が断頭台に消えていく前の牢獄を手を取り合って出て行くところで終わった。

それでこのオペラの主人公・詩人のアンドレア・シェニエになったのが今一番有名なテナーのョナス・カウフマン この人が見たくて行ったのだけれど、以前見たころよりずっと老けて太ってがっかりした。(自分が老けていることは忘れて、彼には昔のハンサムスマートでいて欲しかった。)もう10年ほど前、大英博物館で知り合った日本人夫妻はドイツに移住して50年、カウフマンの追っかけでわざわざドイツからオペラを見に来たと言っていた。

おまけに相手役のソプラノの女性がアメリカ人の55歳の人。舞台で見る分には遠くからだと年も表情も判らないからいいが、映画でクローズアップになるとやっぱり歳は隠せない。中年男女の恋物語になってしまう。

映画では舞台裏も出演者の練習風景も見せてくれるのがいいような悪いような・・・というのは第3番目に重要な役割を演じる下僕カーロ・ジェラルドになる男性がモンゴル人のバリトンで太ってあまりに醜男、この人数年前にウエールズのカーデフ・オペラ・コンパチションで賞をもらったそうで、声は素晴らしい。

だから舞台裏でこの人を見たくなかった。舞台では衣装やかつらなどであまり顔は気にならなかったから。

今から20年ほど前、まだカウフマンが若くて油の乗っていたころ、当時は若くてきれいなソプラノの女性が多かった。アンジェラ・ギョギユやアナ・ネトロブコなど彼女たちはどうしたことか第一線から脱落してしまったのだろうか。

それならまだ若くて上手なソプラノ歌手もいっぱい出てきそうなものなのに、今回は映画では見たくないオペラだった。

数日前ルーシャムのマーケットへ行ったところ、此の大きなパパイアが1ポンド(200円)で売っていた。実は熟れていて柔らかく帰ってきてすぐ切って半分食べた。甘くてそれでも甘さはくどくなくておいしかった。

以前読んだブロ友さんのブログに、メイドの土産に(一度食べてみたい)というところで、お手伝いさん(メイド)にどうして?奥さんもいるのにと思って、やっとメイドが冥途であることに気が付き、それ以来パパイアを見るたび、メイドを思い出す。

一昨年道端で咲いていたこの花、野生の ぜにあおい より花も大きく色も濃いがタチアオイよりずっと小さい。

裏庭にただ一本だけ咲いた八重のポピー

これもただ一本だけ咲いた春菊の花。

 

 

 

 

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郵便ポスト上の飾りとお花

2024-06-11 19:33:39 | 日記

1月からジムに行き初めて、その近くの郵便ポストに面白い飾りを見つけた。ジムの横の図書館で毎週水曜日の午後から、編み物の好きな人達が集まっていろいろ編んでいるという。

 

以前にイースター前のポスト上の飾りをこのブログに載せたことがあったが、最近変わった素敵な飾りが目についた。

イースター前の水曜日の午後一度行ってみた。10人のイギリス人女性の集まりで中年の女性も3人ほどいるがあとは高齢者ばかり、中年の中の一人がリーダーでこの時、今年はパリオリンピックにちなんで世界中の人形を作って手をつなぐと言って作って見せてくれた。人形一つに10分ほどでできるという。

感心したのは真ん中に飾られている地球で、編み物でこれを作るのはよほど上手でなければこんなに丸くはできないと思う。

昨年10月末のハロウイーンとクリスマスのデコレーションは飾って1週間もしないうちに盗まれてしまったという。皆が丹精込めて作ったものだろうに心無い人がいるものだ。それで今ではこの旗の下に鎖と鍵で盗まれないようにしているという。

ポストの横の街路樹に此の張り紙がしてあった。イースターの後から私もジョインしようと思って約束したが、水曜日は孫のお迎えの日、午前中はそこのジムで汗を流しかえってブランチを食べて一休みするとお迎えの時間、また電車とウオーキングで学校まで行くので時間がない。約束しなければよかったといつも疚しくおもっている。

2-3年前に撒いたポピーの種から1本だけこの花が咲いた。種を採って来年はいっぱい花を咲かせよう。ちなみにこのポピーは麻薬のポピーだけれど、英国では禁止されていない。

今年のチェルシーフラワーショウに初めてこの色のポピーが出た。この花より大きく八重の花だったがあちこちの庭の飾りになっていて、今年の流行色見たい。

 

まだ咲き始めの裏庭のアジサイ、

隣の庭から侵入して大きな枝になり今が一番の花盛り、英語ではファウンテン・ブッシュという。

街路樹の根元に咲いていたこの花、ブルーウィードというからやっぱり雑草に違いない。

 

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ロイヤルバレーと我が庭の花

2024-06-08 19:22:11 | 日記

先週末オペラハウスへロイヤルバレーのウインターテール(冬物語)を見に行った。

此のバレーは新作バレー(と言ってももう2-30年前の新作)で過去2回映画館でライブパフォーマンスを見ていてストーリーは全部知っている。

今回はまじかに見るバレーだったが、新鮮味に欠け2幕目など飽きて早く終わらないかと思ってしまった。

ストーリーは子供のころ親友だった2国の王子が大人になって再開し、シシリーの王は喜びのあまり長期滞在を許して、自分の王妃が出産まじかになって、急に疑惑と嫉妬にさいなまれ、親友を追い出し王妃を幽閉し、生まれた娘プリンセスを捨てさせる。

このプリンセスが羊飼いに助けられ、成長して村のお祭りで出会った若者と恋に陥る。この若者はこの国ボヘミアの王子で、羊飼いの娘と思っている父親の王は怒って二人の仲を裂こうとする。

恋人2人と羊飼いの親子は船で逃げて、シシリーにたどり着き、王に助けを乞う。ボヘミアの王は王子を追いかけてきたが、昔のシシリーの王と再会。プリンセスがつけていた首飾りでシシリーの王は我が子と知って大喜び、二人の結婚を許して和解する。

とってもきれいなバレーで初めて見た時は、バレーで嫉妬や疑惑の表現をするのに非常に感銘を受けた。2度目に見た時のシシリーの王が日本人のバレーダンサー平野りょういち という人で、映画館で見るから表情もよく見えてとってもうまいと思った。

今回は若いダンサーで特別何も感じなかったが、プリンセスになったバレリーナーが前田さえという若くて細いかわいい子だった。

最近のロイヤルバレーには日本人がたくさん勉強しているという。それにしたら、日本人のオペラ歌手はまだ一人しか見ていない。韓国やモンゴールからの若い人たちがオペラでは頑張っている。

 

前庭に昨年秋種をまいたポピーがたくさん芽をだしこの2-3日どんどん花が咲きだした。

ボタンかシャクヤクを思わせる八重の芥子。

くまんバチがたくさん飛び回っている。

前庭のしゃくやく、雑草の中に埋もれている。こうしてみるとけしとシャクヤクの違いが判るだろう。

スパラキス・トゥリカラー

毎年咲くサボテンの花

先週末ブーツセールで買ったレースのカーテン地で作ったリス除け袋。今年はだいぶ食べられるかも‥期待!!!

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今年初のカーブーツセール

2024-06-08 06:47:41 | 日記

いつもならイースターが終わるころから私の地区の大農場でブーツセールが始まるのだが、今年は雨が多くて農場の草地はぬかるみとなり、タイヤのわだちがあまりにひどい。

それで4,5月の2週間おきに開かれるブーツセールはキャンセルされて、今日初めて開かれた。いつもなら日曜日の朝は寝坊していくのが9時過ぎなのに今日は8時に農場の入り口までたどり着いた。

すると農場の入場料を払うまでにこの長い行列。過去20年以上も行っていたがこんなことは無かった。入場料は50ペンス(100円)

農場内の無料の駐車場も満杯で、もう一つある広大な草地を開けて駐車していた。

此の農場は30年ほど前までは牛馬の放牧と野菜畑だった。ところがブーツセールで買い物客から50ペンス、車で売りに来る人は乗用車12ポンド(2400円)大型ヴァン15ポンド(3000円)をチャージすると農業するよりずっと儲かることが判って広大な農地を駐車場と売り場にしてしまった。

 

自分のお店を持たない業者と、自宅でいらないものをまとめて売りに出す個人とで、広大な草地は人と車と雑貨でいっぱい。

一番多く売りに出されているのが子供の服や靴、おもちゃ、本、大人のものでは女性の服が一番多く、昨年、もう30年ほど前に買ったワンピースを着ていたらパトリックのお母さんが、素敵ね、どこで買ったの? なんてブーツセールで買ったと言えなくて困ったことがあった。

今日はトマトの苗とレースのカーテン地を買った。古いレースのカーテンを切って我が家の裏のイチジクの枝にかぶせて、リスからの被害を守ろうと思う。

何しろまだ親指の先ほどの実がなり始めで、2匹の夫婦者がせっせととって食べている。それで昨年は5つほどしか食べられなかった。

今一番誰もが要らないのがDVDで3枚から5枚で1ポンドで売っている。もう誰もDVD など見ないでネットフリックスとTVがあればいい。

それにしても今日は今年初めての晴天、3時間半大いに楽しんできた。

 

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ハム・ハウス(Ham House)

2024-05-27 23:11:58 | 日記

ハム・ハウスは17世紀の王家の別荘を当時、チャールス1世(のちに斬首刑になった王)と学友だったウイリアム・マーレイ(William Murray)がもらい受けたもの。

ここはテームズ川の西南に位置する高級地にあり、此の屋敷も広大な敷地を有する。

1948年当時の領主サー・リオネル・トレマーシュ(Sir Lyonel Tollemache)がナショナル・トラストに寄付し一般公開された。

ここは宮殿や城ではなく高級邸宅、ウイリアムとキャサリーンの娘エリザベスが2度目の結婚で金持ちのローダーデール侯爵と住み、エリザベスの死後初めの結婚で残した子孫トレマーシュの一族が250年住んでいた。

2階へ上がる階段部分。

象牙で作られているキャビネット。

長い廊下の両側には家族全部の肖像画とチャ―ルス1世の肖像画が掲げられてあった。

素晴らしくデコレーションされた、キャビネット、このような宝物が両側に並んでいた。

フットボールピッチなら十数もできそうな裏庭。

ラジエーター一つにしてもこの装飾、17世紀には暖房装置がなかったからこれは19世紀に設置されたものだろう。

チャールズ1世の肖像画、1637年から39年の市民戦争で敗れ、処刑された。

建物の裏庭に面した部分は18世紀に建て増しされ、ここは小部屋の天井画。

いつもは一般公開されていないこのキャビネットが公開されていた。

さすがお金持ちの邸宅、デコレーションも素晴らしい。

ここに住んでいたトレマーシュの子孫が20世紀にナショナルトラストに明け渡して引っ越しするとしても、このような古式豊かな家具は持っていけ無かったろう。

エリザベスは2度目の結婚でロウダデール侯爵夫人になった。

派手にデコレーションされたテーブル。

屋敷の横側-建物の奥行きが判る。

裏庭に面した建物。こんな家を維持するだけでも大変だったろうから、ほとんどナショナルトラストに寄付されている。

 

キッチンガーデンの四方に植えてあるバラの花とシャクヤクやキンセンカがすばらしかった。

さてこのお屋敷の正面をまっすぐ歩くとすぐテームズの川岸にでる。帰る道順は右に折れないといけないのに、やっぱり方向音痴の私、誰にも聞かず左に折れて川岸を4Km も歩いてしまった。

ハンプトンコート寄りの川岸でやっとテディントン・ロック・フット・ブリッジ(Teddington Lock foot Bridge)にたどり着いて川を渡った。ここはテディントン・ウエアー(Teddington Weir) 奥に見えるのはテディントンダム。

川岸にはこのジャイアンツ・ホッグウイードがいたるところに生えていた。

 

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大の里関 優勝おめでとう

2024-05-26 18:55:14 | 日記

今朝8時半からNHK でライヴの相撲千秋楽。昨夜は心配で眠れず、たぶん石川県の相撲ファンは同じ思いだったに違いない。

 

昨日まで我が家の玄関のサボテンの蕾が長い首を伸ばして、まるでローマのグラディエーターみたいだと思っていた。

それが今朝、大の里関が優勝を祝福するように10個の花開いた。おめでとう大の里関。

この花をあなたに捧げます。

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忙しい週末―月曜日

2024-05-17 07:46:51 | 日記

先週の水曜日に日本から来た友達姉妹のロンドン案内。

まずはリバプール・ストリート駅で10時半に会う。以前行ったホライゾン22に11時半に予約を入れていたから、それまでの間そこから近くの スピタルフィールドマーケットへ向かう。

このマーケットは主に手作りの装身具や絵画など売っている一角を見て回っている間に予約時間が迫っている、それなのに方角を間違えて焦ってやっとホライゾン22の高層ビルの入り口にたどりついた。 

これ以来この姉妹は私を方向音痴と疑って、高い展望台からの方向を信じてくれない。

この日は全体に薄暗くてロンドンの街並みはあまり見えなかった。

30分ほどで出ると空腹を訴える二人は友達から教わったインドのレストランへ行こうといい、バスでチャリングクロスへ。

方向音痴と疑われたけれどどうにかうまくレストランを見つけ食事ができた。インドのカレー味の食事はおいしかったが、大きなレストランいっぱいのお客に、小さな子供の甲高い叫び声、本当にうるさいレストランだった。

レストランを出てきてみるともう午後2時近く、ロンドンの繁華街の真ん中、一番近いのがナショナルギャラリーで、私ももう何年も行っていない。

月曜日と言うのにナショナルギャラリーの入り口には長蛇の行列。ほとんどが観光客で、無料で世界の名画が見られるから一番の観光地なのかもしれない。

中に無料のカラヴァッジオ(Caravebbio 1571-1610)の特別展があり入ってみた。このミラノ生まれの画家は中世のヨーロッパの画壇に多大な影響を与えたが、非常に激しい性格で殺人を犯し4年間イタリア各地を逃げ回っていた。

此のThe Martyrdomof Saint Ursula 聖アーシュラの苦しみ という題のこの絵はカラヴァッジオの最後の絵で、胸に刺さった矢を抜こうとしているところ。王女アーシュラはケルンの王子ハンスの求婚を断ったため、殺されたという言い伝えをあらわしたもの。1980年ナポリでこの絵に関するカラヴァッジオの手紙が発見され、この絵と同時に手紙が貸し出されたもの。カラヴァッジオはこの絵の数週間後、文なしで死亡した。

Salome receives the Head of John the Baptist(サロメは聖ジョンバプテストの首を受け取る)有名なストーリー・王女サロメは決して自分になびかぬ聖ジョンバプテストの首を貰ってその唇にキスするというおぞましい物語。

ラファ―エル(1483-1520)のPortrait of Pope Julius II (ポープ・ジュリアス2世の肖像画)ラファ―エルはこんな絵も描いたのねと感心してみた絵。

The Origin of the Milky Way (天の川のでき始めの物語)浮気者のジュピターはよその女に産ませたハ―キュリーを眠っている妻ジューノの乳房でのませようとするが、目覚めたジューノのミルクがほとばしってミルキーウエイ(天の川)になったというギリシャ神話。

ミケランジェロ(1475-1564)のThe Entombment 死したキリストを墓に収める画でミケランジェロの未完の絵。

パオロ・ヴェロネーセ(1528-1588)のThe Family of Darius before Alexander (アレクサンダ―大王の前にぬかずくペルシア王の家族

この画家は物語性のある絵を多く描いた。

 

レオナルド ダ ヴィンチのThe Virgin on the Rocks (岩の上の処女マリア)赤ん坊のキリスト(右)と彼の従兄弟の聖ジョン・バプテスト(左)。キリストの後ろの女性はエンジェル。1491-1508年に描かれた。

フェルメール(1632-1675)のA young woman seated at a Virginal (楽器の前に座る若い女性)チェロと合奏するのであろうと思われる若い女性、フェルメールの得意とした絵。

フェルメールの絵の横に展示されているオランダ画家ジャンステイン(Jan Steen 1626-1679)のA Young woman playing a Harpsichord to a young man 若い女性が若い男性にハープシコードを弾いてあげている。

この時代音楽は恋愛を象徴していた。

ピエタ―・デ・フーチ(Pieter de Hooch 1629-1684)The courtyard of a House in Delft (デルフトの家の中庭)この絵などフェルメールの描くデルフトによく似ている。私には違いがわからない。

 

これもオランダの冬景色、中世のスケート風景。ヘンドリック・アヴァキャンプ(1585-1634)初期の絵 私の好きなブリューゲルの絵に似ている。

Jan Bruegehel the Elder (1568-1675)ブリューゲルの父親の絵、The Adoration of the King (幼いキリストを訪ねてきた3人の博士と村の人々)

ティティアン(1506-1576)のBacchus and Ariadne (バッカスとアリアドネ)

クリートの王女アリアドネが恋人テセウスにさられ、お祭り騒ぎのグループの先頭に立ったワインの神バッカスと恋に陥る瞬間を描いたもの。

 

ナショナルギャラリーの絵を全部見ようと思ったら何日かかるか判らない。この日は2時間ほど見て回ったが、観光客が多く、疲れ切って帰ってきた。当分ロンドン市内にはいきたくないと思った。

 

 

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忙しい週末-日曜日

2024-05-16 06:23:40 | 日記

日曜日の早朝、ロンドン北の友達の家で目覚めた。いつもはゆっくり朝食をいただいてテレビなど見ておしゃべりして帰るのだけれど、今日は午後から約束があった。

8時前のバスや地下鉄を乗り継いで、我が家に着いたのが9時10分。ちょうど大相撲のライブが始まったばかり。10時までの50分だけ3週の日曜日ライブで見せてくれるから、最終の5取り組みくらい。大関4人に横綱も負けて初日から大荒れ、石川県津幡町出身の大の里を応援している。この町は兄が生まれたところだけれど私は行ったことがない。

リビングルームの窓辺は朝日が入って明るく暖かでサボテンの花が咲きだした。

数年前にナショナルトラストの庭で買ったジャーマンアイリスがきれいに咲きだした。一向に苗は増えずこれ一本だけ。

お昼までに娘婿のためにサンドイッチを作って水のボトルも3本準備して友達とパトリックを待つ。娘は忙しくて私を連れていけないがパトリックが、ロンドンの南の森の中のワイルドガーリックを採りにつれて行ってくれる。

車で1時間近くあちこちの田舎道をぐるぐる回っているようで、過去何度も行っているがどうしても覚えられない。

最近ではこのにんにくの匂いのする葉がスーパーなどで売られるようになってきた。100グラムくらいで数ポンド、娘はお花のつぼみを採ってきてと頼んでいたけど蕾は全部花になってあたり一面真っ白。

日本の友達2人分と娘とパトリックの友達一人に私の分5袋いっぱい葉も花も採りにとった。たくさん採ったのは、2日分くらいはフレッシュにしておいて食べ、残りを塩漬けにして保存するため。亡くなった母が昔は山菜から山のキノコ迄全部塩漬けにして一年中食卓に出し、お弁当のおかずにしてくれていた。

もうすぐ花が全部終わって種になると、この種を集めて酢漬けにするととってもおいしい。また来なければならない。

帰って此の葉を1枚づつ洗って蓋つきの容器にしっかり入れて海塩と水を入れて保存した。これで日曜日は終わってしまった。

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忙しい週末ー土曜日

2024-05-15 05:35:48 | 日記

 

金曜日の夕方、リッチモンドパークでは採っていけないわらびは、私の家と娘の家への中間にある公園横の荒れ地に山程採れる。全部で4Kg以上も採ってきて熱湯にBicarbonate of Sodaをたっぷり入れて一晩漬けておく。土曜日の朝にはアク抜きが完全にでき、此の夕方、ロンドンの北に住む友達の家へ持っていった。

 

友達の住んでいるエンフィールドの駅の近くの公園ではシャクナゲが満開、昨日行ったロンドン南と北では花の開花時期だけでもこんなに違う。

此の夕6時から近くの映画館でNY メトロポリタンのオペラ蝶々夫人が同時中継された。

3月26日にロイヤル・オペラ・ハウスの蝶々夫人を見て、あまりの酷さにがっかりしたもので、メトのオペラと比べられると期待していった。

今回のメトの指揮者と服飾デザイナーがふたりとも中国人で、今まで日本人によるオペラ歌手やデザイナーなど一度も見たことがない。それでも今度こそはと期待していくが、はじめから此のオペラは日本という架空の国の物語と思えばあまり腹も立たないだろう。

歌はとっても素晴らしく文句はない。舞台装置もなかなか考えてあり、素晴らしかった。ところがたった15歳で売られていった蝶々さん、時代背景は明治時代と日本人なら知っている。出てくる日本人の着物姿がひどすぎる。

蝶々さんを斡旋した五郎は頭に神主がかぶるような帽子?をかぶり、蝶々さんの母親が角隠しをして出てきた。花嫁の行列も蝶々さんは前が白いレースになった着物、たくさんの親戚やおつきの女性が派手派手の赤や黄色の縦縞の着物に変わった帽子や花飾りで、デザイナーの中国人女性も日本ではあんな着物は着ないと言った。それならどうしてあんなのをと頭にくる。

ピンカートンがアメリカから連れてきた細君が今回も黒人だった。あの時代白人が黒人と結婚したことはないだろうから、ちょっとは時代や歴史を考えてほしい。

今回4人で行って見てきたけれど一番悪評だったのが、ピンカートンがアメリカへ帰った後に生まれた男の子、いつもは5,6歳の金髪の子供を使うが、此のメトでは以前から髪のない小さな人形を使う。黒子が3人で小さな人形を動かす。いかにも小さな子供の動作など上手に動かすが、子供の顔が可愛くない。まるでハゲの大人の顔を小さくしただけで、外国人が見る日本人の子供はあんなにかわいくないように映るのかしらと不思議に思う。

歌手もみな揃っていて歌や音楽はとっても良かったしロイヤル・オペラ・ハウスより良かったからあまりふくれず帰ってきた。

此の土曜日夜、英国各地でオーロラが見られるとテレビで放送していた。此の晩泊まった友達の家はストリートの明かりが明るくて多分見られなかっただろう。

我が家の2軒隣のデイヴが写したオーロラ、裏庭が暗くてきれいに見えたと言うが、我が家のあたりから坂に上がってゆく家々ではどこも見られなかったそうだ。

友達の娘さんがロンドン北の郊外に住んでいてうつしたNorthan Light。ロンドンで5月に見られるなんて、やっぱり気象異常。

 

 

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忙しい週末ー金曜日

2024-05-14 04:54:13 | 日記

先週水曜日、日本からの友達がやってきた。彼女は私より1歳下、もう6,7年前にロンドンで住んでいた家を売って、日本へ永久帰国した。その時胆管癌が見つかって大きな手術をし、回復した2年前彼女の妹さんとロンドンへやってきた。

その時数日イタリアへ旅行に行って,転倒骨折、急いで帰国して手術、今回癌も骨折もすべてクリアになって、1か月のロンドンをたのしむ。

 

それで久しぶりのロンドン、私たちは毎年行っているリッチモンドパークの中のイザベラ・プランテーションへシャクナゲを見に出かけた。

リッチモンドパークはテームズ川の南に位置する広大な公園で、電車。バスを利用して公園入り口まで行き、巨大な樫の木が茂る公園の中を歩いていく。

周りはワラビが所狭しと出ていて、数年前一人でワラビ採りをしていたら、通りがかりの年寄りに、ここは王立の公園で、草木一本も取ってはならぬ と言われそれ以降は決して採らない。

今回はプランテーションの中に入ったものの、つつじもシャクナゲもほとんど終わりかけていた。

大きなハンカチーフの木が風に揺られ本当にハンカチみたい。

 

僅か遅咲きのつつじや、シャクナゲがあちこち咲いて彩をしてくれたが、昨年とほとんど同時期でこんなにも花が終わってしまって、やはり世界的な温暖化を感じる。

 

 

 

英国在住の友達とがっかりして帰ってきたが、日本で生活している友達は、広大な公園と無料のプランテーションでとっても喜んでくれた。

 

 

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ロイヤルオペラハウスーランメルモールのルチア

2024-05-04 06:29:43 | 日記

昨夜、オペラハウスでランメルモールのルチアを見てきた。このオペラはイタリア人ドニゼッティの作品だが、実際にスコットランドで起こった事件をオペラに仕立てたもので、大変迫力満点。

 

 

私は一番いいフロアーの一番後ろ立席で、安く見たもの。このフロアーは御覧の通りびっしり満員、これを見るとお金持ちが多いのだと驚かされる。

初めてこのオペラを見たのがメトロポリタンの同時中継の映画館で、2009年2月7日に友達と見に行っている。この時の印象が強烈で今でもあの舞台が目に浮かぶ。

此の2009年の時の主役は、当時一番油の乗っていたアンナ・ネトロブコで美声で美人、此のオペラの山場が新婚初夜に夫を刺し殺して、ウエディングドレスの前や手を血みどろにして、狂ったルチアが階段を下りてくる場面。狂って恋人の名前を呼びながら広い階段を下りてくる怪しくも美しい場面が見事だった。

私は昔から見たオペラやコンサートなど記録と感想を書いておりそのノートだけで4冊の厚いノートブックになっている。

この時のルチアの恋人エドガードになった人は2日前までロシア語でユージン・オネーギンを歌っていたそうで、最後にルチアを恋い慕って歌う声が素晴らしかったとかいてあった。 

その後2010年ENOで見たのが最低のオペラ、2011年にナタリー・ディセイとジョゼフ・カレヤによるメトの同時中継も見たけれど、アンナ・ネトロブコの迫力にはおよばなかった。 

さて昨夜のルチアはアメリカ人Nadine Sierraの激しいソプラノ、ルチアの恋人エドガードがルーマニア人の Ioan Hotea 素晴らしいテナーで最後にルチアの死体のそばでのどを掻き切って死ぬ間際の歌声が、私の好きなホアン・ディエゴ・フロレッズに似ていたので驚いた。

 

家が経済的に傾いているため、政略結婚をさせようと無理したルチアの兄エンリコ・アシュトン(ポーランド人・Artur Rucinski)のせいで恋人との仲をさかれ、お金持ちのアーティロ・バックロウと無理に結婚させられる。

ROHのこの舞台装置はなかなか考えてあり、舞台が真ん中で区切られていて、半分新婚のベッド上でアーティロを刺し殺して召使が彼の顔に枕をかぶせて殺している場面で、反対の部屋ではたくさんのお客が結婚祝いのパーティを行っている。ルチアはこの時妊娠3か月で、新婚の部屋で夫を刺し殺す前にウエディングドレスを脱ぎ下着姿になっていて、そこで流産をして前も後ろも血だらけという設定。 

2009年のオペラほど感激はしなかったけれど、すごい迫力のあるオペラだった。日本ではROHの映画は見せないのが残念。私の従姉妹と彼女の親友がオペラにはまっているのに。 

 

さて今日金曜日は1日中雨の寒い日、私の地域のセントジョージ教会で大原きよかさんと、韓国人HyunJeong Hwang (名前が読めないのでお許しを)さんによるコンサートがあった。

ハイドンのピアノソナタは流れるような華麗な音で魅了され、メンデルスゾーンのピアノとフルートのソナタインF マイナーは夢見心地にさせてくれた。残念なのはたったの30分、夢見る時間がすくなすぎた。

 

 

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130歳の誕生パーティとロンドンマラソン

2024-04-22 06:18:32 | 日記

4月19日は娘婿パトリックの50歳の誕生日、そして今日21日は私の80歳の誕生日。

二人合わせて130歳ということで、20日の夕方から、友達を招待して大きなパーティを催した。

私の日本人の友達は、ほとんどが帰国していて、その他は結婚記念日50年でパリに行ってる。

娘のダイニング&キッチンは大きく広くお客も数十人は十分収容できる。

土曜日の朝はマーケットまでショッピング、午後早くからクッキングをはじめ、巻きずし10本を巻いて、娘宅へ。

お料理好きの我が娘、50人分ぐらいのヴィーガンフードを多種類にわたって作った。

そして一番喜ばれ食べつくされたのが、ヒジキの煮ものだった。

 

これは娘がパトリックに送った誕生カード、A4サイズの立派なもので、見た人皆を笑いに誘う。

彼の働くオフィスでは誕生プレゼントに何が欲しい?との答えに何もいらないからプレゼントを買うお金をチャリティに上げてくれ。と言ったところ、6千ポンド近くのお金が集まったという。

 

9人ほどいた子供たちは裏庭からリヴィングルーム迄走り回り大騒ぎ。

 

12時少し前にお開きになった。

娘の友達に我が家まで車で送ってもらったら、ちょうど12時、私の80歳の誕生日になった。娘の友達からいただいた花束5束と鉢植え4個、たくさんのプレゼントをもらった。

40-50代の娘の友達は皆、自分も80歳になったら私のように元気で活動的でありたいという。私はもう20年ほど前から、縄跳び1000回を跳んでいる。裏庭が濡れていないときや、ポルトガルのキャンプサイトでもほとんど毎日跳んでいた。3月初めからスポーツクラブで1時間くらいいろいろな機械を使ってトレーニング。と言っても別に目的があってのことではない。

娘からのカードには次のビッグイヴェントは150歳誕生パーティだという。それまで大いに楽しんでトレーニングしなくてはならない。

今日の日曜日はロンドンマラソン、34年前私の46歳のロンドンマラソンも私の誕生日だった。テレビを見ているとあの時この場所で応援してくれた友達や、一緒に走ったランニングクラブの仲間たちを思い出した。

男女の優勝者はアフリカ勢がほとんどを占めていたが、車いすのレースには日本人が入っていた。

 

 

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ロンドンを見下ろす Horizon 22

2024-04-20 06:55:06 | 日記

もう4月も半ば過ぎ、裏庭のクッキングアップルが満開になった。このリンゴの木はこの家を買った30年前には巨大な木になっていて毎年たくさんの実がなる。半分以上も落ちてたい肥にしてしまうが、隣近所に上げてよろこばれる。クッキングアップルは、熱を加えると溶けてしまうが、そのままでは酸っぱいので、砂糖を大量に入れてアップルパイなどに使う。

此の木は無人駅のリンゴの大木で実も普通サイズのおいしい赤い実がたくさんなる。リンゴのピンクの花は桜とはまた違い風情がある。

さて4月19日、今年2月初めに予約したロンドン一番高い展望台のホライゾン22に行く日。3人で予約していたので、友達とまだ学校が休みの孫のジュードと行った。

此の20年ほどの間にロンドンのシティと呼ばれる中心地域に高層建築が雨後の筍のように建った。

此のホライゾン22は建物の高さではシャードに及ばないが、展望台の高さがシャードよりも高く、おまけに無料だから、2月に予約しても今まで待つくらいポピュラーになった。

このビルの近くには昔からのレーデンホールマーケットがありここは観光地の一部になっている。

ロイズ保険会社の奇抜なビルディング。

90年代に作られたガ―キンスとあだ名された当時では一番目を引いた建物。その前には古い教会が建っている。

予約は11時だったが15分前に着くとすぐ入場可でバッグの検査後、エレベーターであっという間に58階に到着。

今日も余り天気が良くなくいつでも降りそうな雨雲のもと、セントポールがちゃちに見えた。

テームズ川の一番手前に見えるのが2000年を記念して作られた、歩道橋のミレニアムブリッジ、

その後ろが橋の上がプラットフォームになっているブラックフライアーの鉄橋。

ロンドンで一番高いシャードの展望台は有料。その下は英国鉄道の線路があんなに広がっていたのか。

シャードの下のロンドンブリッジ駅からテームズ川に架かっている橋はロンドンブリッジ。昔此のロンドンブリッジを新しく作り変えるときに、昔からの古い橋を売りに出した。アメリカ人がかの有名な跳ね橋のタワーブリッジと間違って買ってしまい、今ではどこかの砂漠に架かっているそうな。

6か所からの道路が中心に向かって集まっているところがバンク、この道路の真下にはバンクの地下鉄が通っている。

そしてこのバンクの名前もここ英国銀行(Bank of England)の四角い建物からで、ここの地下金庫には金の延べ棒がぎっしり積み込まれている。ここには博物館があって、毎日無料でオープンしているのでロンドンへ来たらぜひ行ってみてほしい。一度オープンディに行ってみた。金の延べ棒を片手で持ちあげられるかと触らしてくれる。

タイルの敷かれた広場のある建物はギルドホール。昔はギルド制で発達した英国の経済、生産社会の中心だったところ。

 

私が定年退職まで働いていたビルディング(青色で囲った)はセントポールから100メーターも離れていない立派な建物で昔は郵政省の建物を日系の会社が買い取り、外観6階の建物内を9階に改装してあった。この日系の会社はよそに移り今現在はどうなっているのか知らない。

世界で一番知られた橋、タワーブリッジ。

タワーブリッジのふもとに有名なロンドン塔、Tower of Londonという。

テームズ川が極端にうねって突き出たところが昔は帆船が外国からの荷物を運んできたドックランド、

60年代以降見捨てられていたこのドック(船着き場)はサッチャー元首相の提唱で近代オフィスとフラットに激変した。

 

 

 

 

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4月8日 ロンドンは花盛り

2024-04-08 23:40:58 | 日記

この写真は1991年4月21日私の2回目のロンドンマラソンの朝、我が家の前庭のボタン桜が満開の時の記念写真。この日は私の46歳の誕生日だったから、ボタン桜がやっと咲きだしたと喜んでいた。

此の桜の木はその後枯れてしまい切り倒してしまったが、この桜は私の誕生日ごろから5月初めまで咲いていると私のメモリーにインプットされていたが・・・・・

今や通りのあちこちに花盛り、此の激しい色のボタン桜は日本人からは好まれないかもしれない。

英国人はよっぽど好きと見えて、いたるところで満開のこの花を見かける。そして30年の間に地球の温暖化をこの花によっても感じさせてくれる。

スーパーへのショッピングに行く道すがら、よその裏庭の片隅に咲いている素晴らしい桜。1昨年丸坊主に近いほど切られてがっかりしていたが、今年は良く回復したと嬉しくて、写真撮影に夢中だった。

我が家の裏庭と隣の庭にも今は真っ白に梨の花が咲いているが、此の木は近くの通りの梨でとっても小さな実がものすごいほどつくオーナメンタルペアーで、通りに落ちた実があまりに汚れてうんざりする。

これらもいつも通るストリートの前庭のヘザー、一年中咲いているような気がする。

3日前にはまだ硬い蕾だった前庭のボタンが一度に4つも花開いた。大きな蕾がたくさんついているから当分この豪華な花を楽しめそうだ。

 

我が庭のライラックも花が咲いてきたが、特にこのオフホワイトのライラックは珍しい。この家に引っ越した時から特別大きくもならず、毎年たくさんの花を咲かせてくれる。

このライラックが最も平凡な花で、どこにでもある。

ブルーベルはほっておくとやたらと増えて、野菜畑や花壇でも困りもの、特に最近の森や林では、英国ブルーベルを保護する運動が始まった。外来種のスペインからのブルーベルは花も大きく、生育盛んで英国種を淘汰する勢い。

無人駅の垣根の向こうに咲いていたかわいい花を一枝持ってきたが、此の葉は見たことがあると思っていたら、ゴールデン・カラントと言うそうだ。カラントの実はならない。

 

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