タヴィラはスペインからオルニャオのキャンプサイトへ向かう途中、ギラウ河の深い谷間にかかる橋を渡るが、その時眼下に広がる白い家屋の密集した町がそれで、先日ダンカン夫妻と話していたとき、タヴィラはこのアルガーヴ地方で一番きれいな町だと聞いた。
魔法瓶に入れた熱いコーヒーをリュックに2時間に1本の電車で出かけた。ポルトガルのコーヒーは小さなおままごとのようなカップに入った飛び上がるほど苦いものでミルクコーヒーをたしなむ私たちにはとても飲めるものじゃない。
タヴィラの駅に降り立った瞬間に一番目に付くのがこの純白のアイリスで、駅構内の小さな庭に咲き誇っている。イギリスでアイリスが咲くのも5-6月でポルトガルがどんなにか暖かいのがよく判る。
駅から4方に分かれた道路の標識を見て、町の中心地へ歩いてゆく。道路は下り坂が延びていて石畳の車道と狭い歩道がどこにもごみ一つ落ちていない。落書き一つ無く半壊した家屋などもあるのに汚れが無く清潔な町だった。
ギラウ河のほとりが広場になっていて観光案内所があり、広場の周囲のレストランでは休憩している観光客が余りに多いのに驚いた。
ギラウ河には見えるだけでも6つの橋が架かっている。左写真の一番遠くに見えるのが県道N125の橋でこの橋は一体何回往復したものだろうか。その手前が鉄橋でポルトガル、スペインの国境までつらなっている。
この町の一番の観光売り物といえば4番目にかかるローマ橋でさすが石造りのどっしりしたもの。この町はローマ時代からアフリカへの港町として栄えた歴史ある町だそうだ。
観光案内所の後ろから高台に上る狭い階段を登ると先ず目に付くのがセント・メアリー教会で、案内書に寄ればこの地にはムーア人によるモスクが建っていた。キリスト教との戦いに敗れた回教徒がアフリカに逃れた後、17世紀に建立されたものという。
城砦はムーア人の残したもので内部は花の咲く木が多い庭園になっている。
城砦の上から見渡すタヴィラの町は只素晴らしいの一言に尽きる。町のあちこちに書かれたサインはポルトガル語で清潔な町とのことで、本当にこれくらいオルニャオも落書きとごみや犬の糞が無ければいいのにとうらやましくなった。
右上はローマ橋から下流を見たもので、この日4つの歩ける橋を全部渡って町中を歩き回った。
昔の中央市場はレストランとお土産店に変わり、市場(Marcado)は町外れに移っている。ここタヴィラの町も海岸線はすべて塩田になっている。
フゼタはオルニャオからスペイン方面に向かった隣町で、昨年までは歩いて往復したものだけれど、年とともに往復はつらいから片道バスでと話が決まり、晴天のこの日二人で出かけた。バス停で待つこと35分、フゼタの町へ入る県道のバス停までは15分ほどで着いた。
このバス停からフゼタ駅のある町の中心までは2-3kmほど、田舎道を歩く。牛馬の牧場では野の花が咲き乱れ、道端の草さえ春の光にきらめいている。
田舎の豪邸は塀に囲まれ必ず番犬が2-3頭、私たちが通り過ぎるまでほえまくっている。この地方独特の煙突が面白い。
町に入ると新しいテラスド・ハウス(西洋長屋)が青空の下真っ白に輝く。何時見てもこのあたりは素晴らしい。道端には野生のけしの花が風に揺れる。英国やヨーロッパ北部でけしの花が咲き出すのは5月か6月で、ヨーロッパでは気温差があまりに大きい。
ため息が出るほど立派な豪邸もあれば町外れにはジプシーの住む小屋も有るのがポルトガルの現状、町の市場にはイチゴが出回っているがここで初めて温室育てでないイチゴが実っているのを見かけた。
フゼタ駅はちいさな一車線の駅で、ウイークデイでも一時間に一本通るくらい。この火曜日の日中、人通りも無く静かな町の中心地だ。駅近くの住宅の庭にはびわの青い実がびっしりついている。その隣はレモンがたわわに実っている。
庭も無い一階建ての官製住宅は屋根が庭であり洗濯物が翻っている。夏の暑さを和らげるために、このあたりの住宅は窓が小さい。
フゼタの町外れから海岸よりの湿地帯はあさりが採れるが潮の満ち干が激しい。6kmほど塩田脇の道は海水が引き入れられて今は農閑期、見えるのは海鳥やフラミンゴなど。
どこもかしこも野の花やアーモンドの花盛り、このガーベラのような花はキャンプサイトの黄色の花と同種だけれど赤の色が素晴らしい。
キャンプサイトへ戻ってみるとブロックの同じ並びにこの派手派手なキャンパーが停車していた。スイスのキャンパーで何と8人のヒッピーらしい若者や子供が住んでいる。オランダ人のヘリーンが聞いたところでは、彼らはインドまでこのキャンパーで回ってきたらしい。それにしても生活費やガソリン代などどうしているのだろうかと思ってしまう。
風あたりの少ない日向では、いつものオランダ人たちが集っておしゃべり、ワイン片手に楽しんでいる。陽気な人種だ。