先週友達の招待でテートモダーンのピカソ展を見に行った。彼女はここのメンバーシップを持っているので二人で入っても無料だが、個人での普通入場料金は大変値上がりしていて、よほど好きな人でない限り大金払ってまでとなってしまう。
若いころはピカソの良さなど判らなかった。このように人間を極端に変形してどこが良いのだろうと思っていた。今でも一番好きな画家とは言えない。でもこうして彼の絵がこのように変化していった以前には、通常の絵を描いていたが、それらの絵もやっぱり天才的に素敵な絵だった。
今回の展覧会はピカソの1932年の一年間で描かれた絵とオブジェを集めたもので、各部屋ごとに月別、3月、4月という風に展示されている。
この絵は説明によれば女性の顔上半分は男性性器を描いたものだとのことで、なるほどそうなのかと改めてみてしまう。
どうしたらこんなに人体がオブジェ化して描かれるようになるのだろう。
ピカソの頭の中の仕組みを知りたいものだ。
この当時のただ一人の女性モデルは彼の愛人であり、彼女との深い交際から結婚生活が破綻したという。
ピカソの絵にはセックスが離せないとのことだが、今現在のテレビや映画、漫画の世界での性氾濫では、ピカソの絵のどれを見ても大してエロチックには見えない。1930年当時ではどの絵も話題になったことだろう。
上の絵など鏡に映った女性のお尻だそうな。それでも絶対このようには映らないのに。
彼の絵はどれも色彩が美しい。そしてこれほど有名になると、どの絵も大変な値段が付くのだろう。
オクトパス(タコ)と名付けられたこの絵、確かに一目見た時、タコみたいと思ったとおりだった。
一回りして写真もたくさん写して会場を出てきたが、素晴らしいものを見たという高揚感はなかった。ところがこの展示場の同じ階に、もう一つ色と形という展覧会があり入ってみた。
一目見てなんて素敵な色彩だろうと気に入ってみたら、やっぱり私の好きなカンデンスキーの1932年の作品でSwinging (揺れる)という題名の絵だった。
日本の着物パターンのような絵。この展示会では写真が主であまり好きな絵はなかった。
絵画も抽象画になってくるとほとんど気に入ったものがなくなってくるが、音楽も同じ。先日行ったバービカンコンサートホールでは、まず最初に新人が書いたモダーンな音楽を演奏する。これが誠にゴミ箱をひっくり返したような乱雑、雑音にしか聞こえない。一緒に行った友達が、もしかしてこれは新手の拷問かもしれない。と言って笑ってしまった。そのあとにあったベートーベンの田園交響曲がことのほか素晴らしかった。
テートモダーンの窓から見えるセイントポールは、ウルトラモダーンな世界から現実に引き戻してくれた。