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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

以上です。

2008-12-19 17:47:42 | 夜ドラマ

さて、『相棒』Season7、『レベル4 亀山薫最後の事件』前・後編(1210日・17日放送)に触れないわけにはいかなくなりました。

昨年の今頃を想像すると、このシリーズ、ロングラン人気作として放送継続していることは知っていたし、たまさか不定期で再放送される2時間SPなどは高齢組随伴で観てもいたんですが、まさか「見逃せない」「避けて通れない」級の体温に、自分がなるとは思いませんでした。

春の劇場版公開に事寄せて、当地のローカル局が旧Season各エピを猛烈な勢いで、しかも順不同で再放送し出したため、過去の経緯や人物ごとの時間経過が、『アタック25』のパネルを飛び飛びにめくるようにわかってきた、その隔靴掻痒さが逆に興味をつないでもくれました。

とりあえず“亀山卒業”の部分限定で言えば、目先の事件のために事態急変して、亀山本人も周囲も「思ってもみなかった」形で特命係を去る展開でなくて安心しました。「思ってもみなかった」の極北には“永遠の別れ=殉職”がありますが、その他にも不本意なペナルティを取られての配転とか、障碍を負って休職帰郷など、“余儀なくされる”悲しいサヨナラパターンはいくらでも考えられましたからね。亀山くん(寺脇康文さん)自身が、何ものからも強いられることなく自由意志で考えて考えて、望んで選んだ前向きの退職として描いてくれたのは(伏線が少なくて唐突だとか、亀山の刑事職への執着を軽く扱い過ぎなどのそしりは免れないにしても)素直に良かったと思える。

なかんずく“サルウィンに根を下ろしに行く行かない”“警察官・公務員の職を辞する辞さない”の決断に当たって、亀山が上司の右京さん(水谷豊さん)にいっさいご意見うかがいをせず、あえて「少し様子が変わってきましたかね~」と右京さん持ち前の観察力で“何か方向転換の決意を固めているなと察し読み取られるまま”でいたことが爽快でしたね。

Season4『天才の系譜』冒頭、“右京さんがホテルの前でモデル風グラサン美女(←実は遠縁の姪)と抱擁、現金渡してる”現場を目撃してしまい、翌朝出勤後、どう切り出していいか逡巡に逡巡を重ねる亀ちゃんに右京さん「キミは朝からもう6回、何か言おうか言うまいか考えて、その都度言わないほうを選択している。僕はその選択を尊重しているつもりなのですが」の場面を思い出さずにいられません。何を考えどう決めようと、右京さんはお見通しなのを、亀ちゃんがいちばんよく知っている。打ち明けても打ち明けなくても一緒なら、「打ち明けるのを待ってくれている」と考えるべき。亀ちゃんと右京さんの、静かな、揺るぎない信頼関係です。

愛妻・美和子さん(鈴木砂羽さん)にもギリギリまで表明してなかったのはさすがに意外で、そりゃないだろと思いましたが、こちらは単純に“怖くて言い出せなかった”っていう薫ちゃんクオリティでしょうな。実家母への美和子さんの電話、ありゃ発信ボタン押してないブラフくさかったね。個人的に「“わぁうれしい~(←手踊りつき)”」が良かったな。

もともとこのカップル、Season3で前触れなし(←再放送未確認)に美和子さんが鹿手袋くん(西村雅彦さん)に走ったり、家族とか夫婦というより“部活仲間”みたいな空気感がある。どちらが前線でどちらが後方でということはなく、「力を貸してくれ」「私にできることがあるなら」と“コラボ”の地合いができれば一生どこでも行けそう。

「お世話になりました」と亀山に最敬礼されたときは「特に何も」言えなかった右京さんが、翌日小野田官房長に「また1人になったね」と言われた後、「ひとつ、言い忘れていました」と亀山くんに電話するラストシーンは最高でした。小野田と歩いていた場面とは、背景が違っていたので、小野田からの食事の誘いをことわってから心の整理をつけるべく、右京さん1人でだいぶ歩いたっぽい。

気をつけて「行って来て」下さいではなく、「行って」下さいなのが、右京さんとしては亀ちゃんの“根を下ろす”意志を尊重したつもりなのでしょうけど、何だか特攻隊か「アムロ行きます」みたいで、ぎゅっとせつなくなりました。「言い忘れていました」と「気をつけて行って下さい」との間に、「キミが僕の相棒なのではなく、僕が……………いや、ちょっとまとまりません、失敬」とかなんとかもうちょっとデレ発露な台詞があっても…と思ったのは月河だけではありますまい。“知力は天才、運動能力も抜群なのに、人間関係力皆無で、味方ができにくく敵をつくりやすい”という設定がこのところ影をひそめ、おもしろスーパー名探偵化していた右京さんですが、最後に来て不器用口下手キャラ炸裂。

そんなこんなで、亀山卒業パートを余情こめて描くために、『レベル4』のウイルステロ事件本体部分が放送時間的に駆け足になったのは惜しまれるところです。

まぁそこは亀ちゃんの顔を立てて大目に見るとしても、“亀山薫最後の事件”として記憶に残すにはちょっと陰惨に過ぎる、おぞましい事件でした。

ウチの高齢組などは、後から本物ウイルス注射されて発症してしまい、間一髪亀山が右京の指示のもと防護服で隔離した警官(鑑識課員?)を、隔離室で症状悪化するのをただ見守っている(=注射されない他の警官たちが発症しないことを確認している)くだりで完全に引いていましたね。「血を吐いてあんなに苦しんでいるのに、なぜ外に知らせて処置を乞うてやらないのか」「既存の抗生物質なんかは効かない新ウイルスだとしても、死に至る苦痛を僅かの時間やわらげてやることぐらいどうして考えないんだ、皆、警察の僚友だろうに」、高齢組その2に至っては「右京は真実のためなら12人死ぬのは平気だからな、亀山も右京の薫陶よろしくどっか冷血だ」まで言ってましたよ(その舌の根も乾かないうちに、「気をつけて」のくだりでは普通に半泣きでしたが)。

月河が改めて知る美声に軽く惚れそうになった袴田吉彦さん(昼ドラ来演待望)扮する、ゲーム好き研究員・小菅の、理系頭デッカチくんで身体軟弱なくせにじんわりねっとり愉快犯体質な佇まいも、高齢者にはことのほか不快を催すキャラだったようです。

「ダメですー!私たちは警察官ですー!」と漢(おとこ)っぷりを見せた米沢さん(六角精児さん)が独走でカッコよかったですね。死のカウントダウンかもしれない隔離室から右京さんに携帯で状況報告するなど、ほとんど戦隊における“知性担当のイエロー(イエローかよ)”みたい。来春公開のスピンオフ主演劇場版に、絶好の橋渡しとなったことでしょう。逃げた前夫人が、惚れ直して戻ってくるかも。

米沢さんたちが動揺をこらえて(泣いてヘタリ込んでる課員もあり)必死に応急封鎖した部屋に特殊部隊が入るとき、ガラスの外にいた刑事たちが「ガンバレよー!」「助けてやるからなー!」と根拠なき激励投げかける場面が、“ムラ社会日本における感染症の恐怖もの”らしくていいリアリティでしたが、今週はとにかく“亀山卒業”を優先したので、その部分での食い足りなさ、おぞましさフォローの不足は仕方がないかな。

元日SPまで2週間あるし、ゆっくりリピートしてまたここでいろいろ書きましょう。

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そう言や食費の出どころも…

2008-12-19 00:23:23 | 世相

『炎神戦隊ゴーオンジャー』は前からたびたびここで書いているように、“次回楽しみの要素が多い”高原状態の曲線を、うまいことここまで引っ張ってくれているのですが、若干「例年の東映戦隊に比べて、これでいいのか?」と思うふしもないではない。

強化変身フォームが登場せず、外見的にも内面的にもメンバーのパワーアップが実感できないまま“現有戦力に武器アイテム数、合体パターン数だけオン”のまま後半に突入していることもそうですが、“大人の顔出しレギュラー”が、悪のケガレシア様(及川奈央さん)だけで、ヒーロー側の師匠格や後方支援役には大人無しというのは、ちょっと作品として心細い気も。

『ハリケンジャー』での西田健さん、『アバレンジャー』での奥村公延さん、『ボウケンジャー』での大高洋夫さんといった、東映の脇ベテラン、舞台の重鎮格がいないと、特撮抜き・戦闘外のドラマ部分の画面、特に“本拠地ないしベースキャンプでのオフタイム”に、何と言うか“重石”が足りないんですね。ふわふわしている。

GP8で走輔(古原靖久さん)の師匠格で真夏竜さん、同13で菅田俊さん、同27で木野花さん、同32で『相棒』組織犯罪対策5課の“小さいほう”志水正義さん等々、敵方ではなくゴーオンジャーと融和する役で、ゲストではユニークな人選がなされいちいち嵌まっているだけに、なぜ1年間呼べなかったかな…と思う。

レギュラー戦士役は例年新人・準新人の起用と決まっていますから、大人向けドラマや映画でおなじみの俳優さんのレギュラー参加は、たとえ1話当たりの登場場面は少なくても、大人世界との架け橋、(悪い意味での)子供騙しじゃないよ」という“了解のとりつけ”でもあるし、醒めた見方をすれば“大人中心社会であるTV局が、どの程度の予算を割いたか”の指標でもある。

そう、身も蓋もなく言ってしまうと、“正義の顔出し大人”のいない戦隊は、どこか“安上がり”“節約”の匂いが漂うんですな。

『ゴーオンジャー』の場合、炎神たちも“エコ・カー”だから、ちょうどいいのか。省資源、ついでに省“資金”ってことで。

……………うまくまとまらないにもほどがありましたが、動植物系モチーフの戦隊より、どちらかというとメカ系戦隊のほうが好きな月河、たまに『デカレンジャー』『ボウケンジャー』の録画再生して観ると、ドラマやキャラ造型はともかく、やはりスケール感とか、舞台や背景の何とはなしの宏壮感、“手が込んでる”感において『ゴーオンジャー』は薄いし、軽いなと思う。

否応なく進む少子化で、玩具メーカーも市場開拓や商品戦略が一段と厳しくなっています。輪をかけて“予算の窮屈さ”が絵ヅラに出てしまうと、さなきだに絶対数が減っている小さなお客様に「安っぽい」とますますそっぽを向かれかねない。

『ゴーオンジャー』の終盤の展開以上に、いろんな意味で来年以降も目が離せないスーパーヒーロータイムです。

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