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人生70年のなかで、沢山の仲間たちが出来た。
仲間とは、どんな人たちのことをそう呼ぶのか、辞書の定義はともかく、私なりの定義を持っている。
「同じ思い出を共有している人たち」のことをすべて「私の仲間」と呼びたいと思っている。
それは、同年代の野球部の連中も当然そうだが、同僚も後輩もそして少々失礼になるかも知れぬが先輩も、「同じ思い出を共有している人たち」はすべて仲間と呼びたいのが、私の本音である。
会社の人たちだけだなく、レースのライダーやメカニック、販売店の人たち、他メーカーの人たちとも気安く付き合った。
お互いに共通する思い出を持つ私の仲間たちが、全国に、もっと大きく言えば世界に沢山いることが、私の財産だと思っている。
今もなお、仲間たちが増え続けるような生き方が出来たらいいと思っている。
この雑感日記を書き始めて、そんな仲間たちのことも書きたいなと思っているのだが、星野一義や山本隆のことは既に書いた。
正直何の抵抗もなく書けた。
彼らは間違いなく仲間である。
私の日記に登場してくる、仲間だと私が思っている人たちは沢山いるのだが、世間一般の常識でいえば、所謂「偉い人」も意外に沢山いるのである。
この人たちを今後どのように表現したらいいのか、少々悩んで、今日、直接電話してみた。「そんなこと気にせずに」と予想通りの答えが帰ってきた。
当然そのような答えを貰える相手だから、「私の仲間」なのである。
私の雑感日記での仲間たちの呼び方を勝手に決めた。
私より、年齢の上の人はすべて「さん」付け、年齢の下の人は、どんなに社会的な地位が高くとも、すべて「君」付けにすることにした。
と書いて一度実行してみたが、もう一つ座りが悪いので、「さん」にすることに改めた。
どんな仲間が登場するか。乞うご期待である。
人生70年のなかで、沢山の仲間たちが出来た。
仲間とは、どんな人たちのことをそう呼ぶのか、辞書の定義はともかく、私なりの定義を持っている。
「同じ思い出を共有している人たち」のことをすべて「私の仲間」と呼びたいと思っている。
それは、同年代の野球部の連中も当然そうだが、同僚も後輩もそして少々失礼になるかも知れぬが先輩も、「同じ思い出を共有している人たち」はすべて仲間と呼びたいのが、私の本音である。
会社の人たちだけだなく、レースのライダーやメカニック、販売店の人たち、他メーカーの人たちとも気安く付き合った。
お互いに共通する思い出を持つ私の仲間たちが、全国に、もっと大きく言えば世界に沢山いることが、私の財産だと思っている。
今もなお、仲間たちが増え続けるような生き方が出来たらいいと思っている。
この雑感日記を書き始めて、そんな仲間たちのことも書きたいなと思っているのだが、星野一義や山本隆のことは既に書いた。
正直何の抵抗もなく書けた。
彼らは間違いなく仲間である。
私の日記に登場してくる、仲間だと私が思っている人たちは沢山いるのだが、世間一般の常識でいえば、所謂「偉い人」も意外に沢山いるのである。
この人たちを今後どのように表現したらいいのか、少々悩んで、今日、直接電話してみた。「そんなこと気にせずに」と予想通りの答えが帰ってきた。
当然そのような答えを貰える相手だから、「私の仲間」なのである。
私の雑感日記での仲間たちの呼び方を勝手に決めた。
私より、年齢の上の人はすべて「さん」付け、年齢の下の人は、どんなに社会的な地位が高くとも、すべて「君」付けにすることにした。
と書いて一度実行してみたが、もう一つ座りが悪いので、「さん」にすることに改めた。
どんな仲間が登場するか。乞うご期待である。