今朝、神戸のメリケンパークに今年の5月にオープンした「カワサキワールド」を訪ねた。
カワサキワールドは、Kawasaki Good Times World として、神戸市の関連団体が既に開設していた海洋博物館の中に併設された。
神戸港とともに歩んできた川崎重工業の創業以来の歴史から、製品紹介まで、見て、聞いて、体験する、大人から子供までが楽しめる企業博物館である。
約600坪の展示場には、新幹線やヘリコプター、モーターサイクルの実物が展示されていて、開館以来、関西のマスコミにもしきりに採り上げられた、神戸の新しい人気スポットである。
10月4日には10万人目の入場者を記録した。
海洋博物館との相乗効果だと思う。このような「神戸」をKEYにしたヨコの連携や広がりは、今後の方向を示しているのだろう。
実は、私は今日がはじめての訪問である。
現役の一時期、広報を担当した、関心もある、一番先に行くのが当然なのに、何となく行く機会を失っていた。
つい先日、田崎さん(現川重会長)と電話で話した時も、是非一度と言われていたので、今朝出かけた次第である。
ほんのちょっとしか見れなかったが、想像した以上に立派な展示であったような気がする。?
入り口で、案内のお嬢さんから、「緑のジャンパーを着ている方は、ボランテアで説明員をしている川重OBの人です。」という説明を受けて中に入った。
入った途端に、お客さんに説明している途中の田中さんに会った。「今、オートバイのところに吉田義正君がいます。」
お客で来ているのだと思って、急いで行ってみると、彼もまた説明員の緑色のジャンパーを着ていた。
彼は私がレース担当時代のモトクロスチームのメカニックである。久しぶりだった。
彼は直ぐ私を、カワサキが始めてモトクロスに出場し、優勝はもとより上位を独占した青野ヶ原のレースの記念写真が、大きく飾られているところに案内してくれた。
このブログでも何度か触れたが、青野ヶ原のレースがカワサキの二輪事業への再スタートを切らしたきっかけと言っていい。
その写真には、懐かしい顔がいっぱいあった。
私は青野ヶ原には直接関係していないが、当時の上司の営業部長小野助治さんに言われて、こっそりほんの少しではあったが、このチームに資金提供だけはした。
写真には、中村治道、高橋鉄郎,川合寿一さんをはじめ、メカニックに多賀井、藤井、藤森君。ライダーは秋原、加藤、飯原、えびす谷の4人。B-8のモトクロスレーサーとともに写っていた。
実は、青野ヶ原を走ったライダーが誰だったのか知らなかった。
この写真の中の、人たちはえびす谷くん以外は、本当によく知っている仲間である。その後もいろんなところで関係があった。
私にとって、この写真が見れただけでも訪れた価値は充分あった。
案内をしてくれた吉田君とは、昔話がはずんだ。
事務所でコーヒーでもと中に入った。
「責任者の三浪を紹介します。」出てきた三浪さんを一目みて私は「三浪正さんの息子さん?」
私がお世話になった、おやじさんに生き写しである。
まだ小学生の頃、お宅で何度も見ている。
「田中さんも呼びましょうか。」
田中さんは川重の労組中央執行委員長を務めた人である。
単車工場の労組の出身でもあり、私や田崎さんが、労組の明石工場常任幹事であった時代からのお付き合いで、よく知っている仲である。
思いもかけず,旧い話の通じる仲間に会ったお陰で、昼過ぎまで尽きぬ昔話に熱中した。
お陰で、展示物のほうは、青野ヶ原の写真以外は見なかった。
展示の感想など言えるレベルでないので、もう一度機会を見つけて訪ねてみたい。
ボランテアのOBは、今45名いて田中さんが纏めているそうである。
月に2~3回のことのようだが、こんなに私がよく知っている人2名の担当の日に当たったのも、何かの縁である。
吉田君からは帰りに「また、レースのOB会やりましょう。」と言われて別れた。
カワサキワールドは、Kawasaki Good Times World として、神戸市の関連団体が既に開設していた海洋博物館の中に併設された。
神戸港とともに歩んできた川崎重工業の創業以来の歴史から、製品紹介まで、見て、聞いて、体験する、大人から子供までが楽しめる企業博物館である。
約600坪の展示場には、新幹線やヘリコプター、モーターサイクルの実物が展示されていて、開館以来、関西のマスコミにもしきりに採り上げられた、神戸の新しい人気スポットである。
10月4日には10万人目の入場者を記録した。
海洋博物館との相乗効果だと思う。このような「神戸」をKEYにしたヨコの連携や広がりは、今後の方向を示しているのだろう。
実は、私は今日がはじめての訪問である。
現役の一時期、広報を担当した、関心もある、一番先に行くのが当然なのに、何となく行く機会を失っていた。
つい先日、田崎さん(現川重会長)と電話で話した時も、是非一度と言われていたので、今朝出かけた次第である。
ほんのちょっとしか見れなかったが、想像した以上に立派な展示であったような気がする。?
入り口で、案内のお嬢さんから、「緑のジャンパーを着ている方は、ボランテアで説明員をしている川重OBの人です。」という説明を受けて中に入った。
入った途端に、お客さんに説明している途中の田中さんに会った。「今、オートバイのところに吉田義正君がいます。」
お客で来ているのだと思って、急いで行ってみると、彼もまた説明員の緑色のジャンパーを着ていた。
彼は私がレース担当時代のモトクロスチームのメカニックである。久しぶりだった。
彼は直ぐ私を、カワサキが始めてモトクロスに出場し、優勝はもとより上位を独占した青野ヶ原のレースの記念写真が、大きく飾られているところに案内してくれた。
このブログでも何度か触れたが、青野ヶ原のレースがカワサキの二輪事業への再スタートを切らしたきっかけと言っていい。
その写真には、懐かしい顔がいっぱいあった。
私は青野ヶ原には直接関係していないが、当時の上司の営業部長小野助治さんに言われて、こっそりほんの少しではあったが、このチームに資金提供だけはした。
写真には、中村治道、高橋鉄郎,川合寿一さんをはじめ、メカニックに多賀井、藤井、藤森君。ライダーは秋原、加藤、飯原、えびす谷の4人。B-8のモトクロスレーサーとともに写っていた。
実は、青野ヶ原を走ったライダーが誰だったのか知らなかった。
この写真の中の、人たちはえびす谷くん以外は、本当によく知っている仲間である。その後もいろんなところで関係があった。
私にとって、この写真が見れただけでも訪れた価値は充分あった。
案内をしてくれた吉田君とは、昔話がはずんだ。
事務所でコーヒーでもと中に入った。
「責任者の三浪を紹介します。」出てきた三浪さんを一目みて私は「三浪正さんの息子さん?」
私がお世話になった、おやじさんに生き写しである。
まだ小学生の頃、お宅で何度も見ている。
「田中さんも呼びましょうか。」
田中さんは川重の労組中央執行委員長を務めた人である。
単車工場の労組の出身でもあり、私や田崎さんが、労組の明石工場常任幹事であった時代からのお付き合いで、よく知っている仲である。
思いもかけず,旧い話の通じる仲間に会ったお陰で、昼過ぎまで尽きぬ昔話に熱中した。
お陰で、展示物のほうは、青野ヶ原の写真以外は見なかった。
展示の感想など言えるレベルでないので、もう一度機会を見つけて訪ねてみたい。
ボランテアのOBは、今45名いて田中さんが纏めているそうである。
月に2~3回のことのようだが、こんなに私がよく知っている人2名の担当の日に当たったのも、何かの縁である。
吉田君からは帰りに「また、レースのOB会やりましょう。」と言われて別れた。