「実用車のカワサキ」 カワサキにもそんな時代もあった。
1960年代の前半、まだアメリカ市場の開拓時代で、国内市場中心のころである。
当時の国内市場はカブ全盛期、モペット中心であった。
カワサキもモペットはあるにはあったが、もう一つぱっとしなかった。
125ccのB8,B1が主力で、製品(当時はまだ商品というよりは製品という感じが強かったが)の特徴は、抜群の登坂力など、山坂につよく耐久性があることなどが、セールスポイントの時代であった。市場の中心は山坂の多い九州や東北だった。
単車事業は何度も撤退の危機があったが、62年に発売したB8が予想以上に堅調で、更に63年には青野ヶ原のレースで運よく圧勝しムードも上がり、日本能率協会の大掛かりな調査も、幾つかの条件はあったが「再建可能」の結論を出したのである。
そして、64年1月、単車再建が全社的に決定され、それこそ再スタートが切られた。
日本能率協会の出した条件の中に、広告宣伝の専門部門設置の条件があり、本社は年1億円もの予算を開発費としてセットしてくれた。
広告宣伝部門ができ、何の知識もないまま、その担当をすることになった。
初年度は確か、1億2千万の予算だったが、私の年収が50万円に届かない時代だったから、一生懸命使った積りだがウロウロしているうちに、7千万円ぐらいしか使いきれず、本社の長久さんに「君らは金をやってもよう使わん。」と怒られた。
レースの運営費、ライダー契約費などもこの中から支出されていた。
翌年は予算1億円に減らされたが、まだまだ使いではあった。
65年のはじめ、新聞の全頁広告掲載を企画した。
東京、大阪などの大都会は出来るだけ避けて、地方に集中して広告する必要があった。実用車の主力の市場は地方であった。
朝日、毎日、読売などの全国紙はどうしても大都会中心である。これを避けて、地方紙に集中した。
世の中の広告は、全国紙の広告を中心に、幾らかを地方紙で補足するのが常識である。
全国の地方紙、殆ど全てに全頁広告を展開し、東京、大阪などは避けるという広告は例がなく、当時の広告業界で話題となった。
地方紙を全て使うのは、費用的にも全国紙を使うよりだいぶ高くつくのである。
高城丈二を使っての広告だったが、記憶が正しければ、600万円位掛かったと思う。
こんな実用車中心の時代は、アメリカ市場でA1やマッハが売れ出す、60年後半まで続いた。
「実用車のカワサキ」 の時代の 「ウソみたいな、本当の話」である。
1960年代の前半、まだアメリカ市場の開拓時代で、国内市場中心のころである。
当時の国内市場はカブ全盛期、モペット中心であった。
カワサキもモペットはあるにはあったが、もう一つぱっとしなかった。
125ccのB8,B1が主力で、製品(当時はまだ商品というよりは製品という感じが強かったが)の特徴は、抜群の登坂力など、山坂につよく耐久性があることなどが、セールスポイントの時代であった。市場の中心は山坂の多い九州や東北だった。
単車事業は何度も撤退の危機があったが、62年に発売したB8が予想以上に堅調で、更に63年には青野ヶ原のレースで運よく圧勝しムードも上がり、日本能率協会の大掛かりな調査も、幾つかの条件はあったが「再建可能」の結論を出したのである。
そして、64年1月、単車再建が全社的に決定され、それこそ再スタートが切られた。
日本能率協会の出した条件の中に、広告宣伝の専門部門設置の条件があり、本社は年1億円もの予算を開発費としてセットしてくれた。
広告宣伝部門ができ、何の知識もないまま、その担当をすることになった。
初年度は確か、1億2千万の予算だったが、私の年収が50万円に届かない時代だったから、一生懸命使った積りだがウロウロしているうちに、7千万円ぐらいしか使いきれず、本社の長久さんに「君らは金をやってもよう使わん。」と怒られた。
レースの運営費、ライダー契約費などもこの中から支出されていた。
翌年は予算1億円に減らされたが、まだまだ使いではあった。
65年のはじめ、新聞の全頁広告掲載を企画した。
東京、大阪などの大都会は出来るだけ避けて、地方に集中して広告する必要があった。実用車の主力の市場は地方であった。
朝日、毎日、読売などの全国紙はどうしても大都会中心である。これを避けて、地方紙に集中した。
世の中の広告は、全国紙の広告を中心に、幾らかを地方紙で補足するのが常識である。
全国の地方紙、殆ど全てに全頁広告を展開し、東京、大阪などは避けるという広告は例がなく、当時の広告業界で話題となった。
地方紙を全て使うのは、費用的にも全国紙を使うよりだいぶ高くつくのである。
高城丈二を使っての広告だったが、記憶が正しければ、600万円位掛かったと思う。
こんな実用車中心の時代は、アメリカ市場でA1やマッハが売れ出す、60年後半まで続いた。
「実用車のカワサキ」 の時代の 「ウソみたいな、本当の話」である。