タイプロジェクト-3
豪華川崎GTO青春物語と題する小池君の自分史だが、その中心は1979年9月に発表され10月に全国一斉に発売された、
「Kawasaki GTO Luxurious Sports」 (2ストローク、110cc、15ps/8500rpm、5速)である。
豪華川崎とは、社名Glory Kawasaki~の中国語表示であることは、はじめて知った。
GTOはその名に恥じぬ、名車としてタイの市場を席捲し、今までカワサキを見ることの無かったバンコックでも大人気となるのである。
それまで年間6400台であったものが、79年には11,200台、80年以降は20,000台ベースとなった。
台数だけでなく、委託販売が買い取り方式に変わり、前金が入るなど信じられないことが起こり、資金ショート気味であった経営が営業外でプラスになるなど、合弁事業そのものを確固としたものにした。
こんな点がGTOがもたらした最大の効果であったろう。
更に、インドネシアでも好評を博しCKD事業そのものを支えたのである。
CKDで完成車として先進国では販売されなかったために一般に知られていないが、カワサキの中でも屈指のヒット商品であった。
販売とは「モノを金に変える」ということと、当時ずっと言い続けてきた見本みたいな快挙であった。
小池君が自分史を「豪華川崎GTO物語」と名づける気持ちはよく解る。
こんなCKDビジネスの初期、いろんなことで苦労を共にした仲間たちも、いろんなこともあって今はカワサキと繋がっていない人も多いが、想い出だけは昔のままの形で残っている。
小池君の自分史を読んでいても、それがはっきりと読み取れる。
私自身も、バンコックなど延べ2ヶ月以上の滞在になるのだが、有名な寺も朝市もあの運河さえも知らない。
ホントに何をしていたのか、仕事に熱中していたのは事実だが、観光に行くそんな余裕が、あの頃は無かったのかも知れない。
何年か後オーストラリアからの帰りに、一度だけバンコックを訪れて、馬さんたちと旧交を温めた時はじめて大きな川の横に立つホテルに泊まって、「川があったのだ」と不思議な想いをしたのをよく覚えている。
豪華川崎GTO青春物語と題する小池君の自分史だが、その中心は1979年9月に発表され10月に全国一斉に発売された、
「Kawasaki GTO Luxurious Sports」 (2ストローク、110cc、15ps/8500rpm、5速)である。
豪華川崎とは、社名Glory Kawasaki~の中国語表示であることは、はじめて知った。
GTOはその名に恥じぬ、名車としてタイの市場を席捲し、今までカワサキを見ることの無かったバンコックでも大人気となるのである。
それまで年間6400台であったものが、79年には11,200台、80年以降は20,000台ベースとなった。
台数だけでなく、委託販売が買い取り方式に変わり、前金が入るなど信じられないことが起こり、資金ショート気味であった経営が営業外でプラスになるなど、合弁事業そのものを確固としたものにした。
こんな点がGTOがもたらした最大の効果であったろう。
更に、インドネシアでも好評を博しCKD事業そのものを支えたのである。
CKDで完成車として先進国では販売されなかったために一般に知られていないが、カワサキの中でも屈指のヒット商品であった。
販売とは「モノを金に変える」ということと、当時ずっと言い続けてきた見本みたいな快挙であった。
小池君が自分史を「豪華川崎GTO物語」と名づける気持ちはよく解る。
こんなCKDビジネスの初期、いろんなことで苦労を共にした仲間たちも、いろんなこともあって今はカワサキと繋がっていない人も多いが、想い出だけは昔のままの形で残っている。
小池君の自分史を読んでいても、それがはっきりと読み取れる。
私自身も、バンコックなど延べ2ヶ月以上の滞在になるのだが、有名な寺も朝市もあの運河さえも知らない。
ホントに何をしていたのか、仕事に熱中していたのは事実だが、観光に行くそんな余裕が、あの頃は無かったのかも知れない。
何年か後オーストラリアからの帰りに、一度だけバンコックを訪れて、馬さんたちと旧交を温めた時はじめて大きな川の横に立つホテルに泊まって、「川があったのだ」と不思議な想いをしたのをよく覚えている。