SPA直入物語ー5
起工式から丁度1年後の1990年4月15日、SPA直入はオープンイベントで幕を開けた。
金谷、和田、清原、宗和などカワサキに関係したライダーたちが参加してくれてイベントを盛り上げてくれたが、主役は何といっても自分の愛車に乗って集まってくれたユーザーたちだった。
その数4000人。広いと思っていたパドックが埋まってしまった。
岩屋万一直入町長は開会セレモニーで、
「今日、有史以来一番大勢の人が直入町を訪れた。」と挨拶された。
愛車に乗って直入を訪れたユーザーたちが、その車でサーキットを体験走行したのである。
先導をつけたものではあったが、切れることなく続いた走行はまさに壮観であった。
これは日本で始めての試みであった。
これを機会に各地のサーキットでも一般ユーザーの走行会などが開催されるようになったのだが、その皮切りの役目をSPA直入は果たしたのである。
建設当初からレースだけでなく、
「一般の人たちも気軽に走れるサーキット」というコンセプトでイベント当日だけでなく、「インジョイライデング」などと称してその後も一般ライダーに開放する時間帯を設けたりしたのである。
地元直入町にもいろんな意味でお役に立てたと思う。
もともと、温泉で有名であったがSPA直入ができて若者も集まるようになり、温泉だけでなくモータースポーツのサーキットのある町というイメージも生まれた。
芹川ダムのジェットスキーもプラスになった。
特に、後年カワサキといろんなことで関わりのあった岩城滉一がジェットスキーで芹川ダムに、レーサーでSPA直入を好んで訪れるようになった。
今、人気の宿房「翡翠之荘」がスタートしたばかりの頃で,その主、首藤文彦さんとも仲良くなって岩城滉一の定宿となったのである。
SPA直入と時を同じくして建設されたオートポリスもご縁があって、今カワサキのサーキットになってKMJがマネージメントを担当している。
その責任者の渡部達也君は、直入とも深く関係があった。
機会があれば是非訪ねてみたい懐かしい思い出いっぱいの、今は竹田市直入町である。